2012/01/05 - 2012/01/13
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旅人のくまさんさん
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モロッコ王国は、景色の変化に富んだ国でした。砂漠を見学した後には、目に新鮮に映った大西洋でした。今日の昼食は、その大西洋の岸辺のレストランでの海鮮料理でした。昼食の後に最後の宿泊地のカサブランカに向かいました。(ウィキペディア、駐日モロッコ王国大使館・モロッコ)
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モロッコ最大の都市は、これから見学するカサブランカですが、首都は今見学しているラバトです。人口では国内第3の規模ですが、モロッコは王国なので王宮があるほか、カサブランカが商業・金融の中心なのに対して、ラバトには政治にかかわる重要施設が集まっています。世界遺産(文化遺産)に登録されている都市です。(同上)
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文化遺産の登録名は、『ラバト:近代的首都と歴史的都市が共存する遺産』という名称です。一般的には、歴史的な都市というと旧市街のみが世界遺産となるケースがほとんどですが、ラバトは旧市街と新市街の両方が登録されています。大西洋に面し、ヨーロッパとアラブの雰囲気が混じりあった不思議な町とされますが、今回は旧市街を中心の見学でした。(同上)
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現在のラバトのある地には、ローマ時代に植民市が置かれましたが、その後放棄され、本格的な都市としての歴史は12世紀に始まります。アマジグ人(ベルベル人)のイスラーム王朝である『ムワッヒド朝(1130~1269年)』を打ち立てたのは、初代アミール(在位:1130~1163年)』の『アブドゥルムウミン・イブン・アリー・アルクミ(1094?~1163年)』でした。(同上)
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アブドゥルムウミンは、アマジグ人のザナータ族の出身で、12世紀初頭のモロッコで起きた宗教運動に参加し、北アフリカのモロッコからチュニジアにかけての地域と、イベリア半島にまたがる国家を建設しました。彼の時代に、マグリブの政治的統一が達成されました。(同上)
*写真は、砂浜に見える白いものは、休憩中の海鳥の大群のようです。 -
マグリブは、アラビア語で西方を意味し、西方のアラブ諸国の呼び名として使われています。アブドゥルムウミンは、1146年にスペインなどのキリスト教勢力と戦うための拠点として、大規模なリバート(城砦)を築きました。1170年には『勝利のリバート』と名付けられ、ここからラバトの都市名が派生しました。右手に見えるのは、車窓光景になりますが、リバート(城塞)の遺跡のようです。(同上)
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しかし、13世紀以降ムワッヒド朝が衰えますと、ラバトも地方の集落程度にまで衰退しました。17世紀には海賊集団の出撃拠点として再利用され、1912年にモロッコがフランスの保護領となりますと、その首都がフェズからラバトに移されました。フランス人都市計画家のアンリ・プロストによって新首都として再開発され、現在のラバト市街の基礎が創られまました。(同上)
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1956年にモロッコがフランスから独立した後も、首都はラバトに置かれ、新旧併存する世界遺産の首都として続いています。『ウダイヤのカスバ』は、タリク・アル・マルサ通りを挟んでメディナの北に位置する城塞です。ムワッヒド朝時代に築かれた城壁を利用して、17世紀にムーレイ・ラシッドによって造られました。(同上)
*写真は、新旧の建物が同時に見えているラバトの町の光景です。 -
頑丈そうな石塀に囲まれたドーム風の造りの建物です。モスクにしては、ミナレットの姿が見当たりませんでした。ドーム屋根も装飾のない角ばった屋根でした。施設名は分かりませんでしたが、モスクの建物ではないようです。推測ですが、新市街の城壁かも知れません。(同上)
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歴史的建造物ではなく、新市街の新しい建物のようです。国旗が掲げられているところから判断しますと、ラバトの行政府か、モロッコの国家機関の建物のようです。『ラバト:近代的首都と歴史的都市が共存する遺産』の名称で世界遺産に登録されていますから、これ等の建造物も世界遺産に登録された施設の内に含まれているようです。(同上)
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『ウダイヤのカスバ』の周りのヤシの木の林の光景です。自然林ではなく、景観の修景のために植林されたもののようでした。その木々の間から、『ウダイヤのカスバ』の建物が見えていました。現在の『ウダイヤのカスバ』の呼び名は、18世紀に気性の荒いウダイヤ・アフブ族の軍隊をここに駐屯させたことから付いたものです。(同上)
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行政の中心らしく落ち着いたたたずまいをもつラバトの街で、最も美しい風景が楽しめるスポットが『ウダイヤのカスバ』とされます。もちろんここも世界遺産地区の一部です。壁から覗いているのは、歴史的遺物の大砲です。年代を感じさせるように、砲身は緑青で覆われていました。左手に素地の石組が見えていますので、その上を漆喰で化粧した城壁のようです。(同上)
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イチオシ
入城して見学する時間はありませんでしたので、訪問者の口コミから紹介する『アンダルシア庭園』の紹介です。『カスバの中にある、小さな美しい庭園です。果樹の木や珍しい花が咲いた木などがありました。猫がたくさんいます。地元の人はくつろいで、おしゃべりをしたりしていました』、アンダルシアは、スペイン南部の自治州で、アルハンブラ宮殿などで知られます。(同上)
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訪問者の口コミから紹介する『アンダルシア庭園』の紹介の続きです。『名の通りでアンダルシアのような雰囲気の公園です。他の時期はわかりませんが12月は色鮮やかな花もいっぱいでとても美しかったです。観光客は少なく、観光客よりネコのほうが圧倒的に多かったです』、ネコの話題が主役でした。人懐っこいネコさん達のようです。(同上)
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『アンダルシア庭園』の紹介の最後です。『決して大きくはないけど、纏まった中に穏やかな庭園となっています。派手ではないですが、心地よい場所で、植物と花、そして猫、ラバトとの中でも素敵な場所です。庭園の東側には、アーモンドを使った、焼き菓子のお店とカフェがあります。ブーレグレグ川を挟み、サレの街を眺めながらカフェの時間を楽しめます』、とも紹介されていました。(同上)
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先程の庭園紹介で、『ブーレグレグ川』を、ついでに紹介しておきます。『モロッコの首都ラバトは、ブーレグレグ川の川岸の「馬の渡し場」から発展したと言われています。対岸に古くから開けたサレの街とともに、行政単位としてラバ・サレ県を構成しています。人のよい大柄なモロッコ人のご隠居さんを彷彿させる、河口部に穏やかな解放感が、何にもまして心地よかった』、との在住時の回想がありました。(同上)
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イチオシ
在住されていた方の回想の続きです。『対岸のサレとラバトの間に流れる水路2、300メートルあるであろうか。その向こう、サレの側には、水路の何倍もの幅で、砂浜とも湿地とも呼べそうな氾濫原が広がって、白壁に守られたメディナ(旧市街)の寺院や家々の姿をのびやかに見せている。勿論、橋もかかっている。しかし、比較的新しいその橋は、市民の生活の中心地からはいくぶん離れた位置にある。特にラバトのメディナ(旧市街)からは、言うならば目と鼻の先にあるサレへ行くのに、橋を渡るとものすごい遠回りになってしまう。だから、そこには渡しがある。船頭たちが胴の太いボートを浮かべて、今では馬こそ渡さないが、ラバトに来る人、帰る人、朝晩は結構にぎわう渡し場となっている』(同上)
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回想の中のエピソードです。『いつも一人でぽつんと坐るそのおばちゃんのすぐ後方に子どもがいた。小学校の1、2年生くらいか。おばちゃんの子どもらしい、短い髪の粗末なシャツの男の子。(中略)その子の姿に目をやったとき、私は思わず目を疑った。私たちのやり取りなど一瞥さえしない。私と相棒は勿論、母親であるおばちゃんの存在すらも忘れ去って、その子は別の世界にいた。いつもはおばちゃんが椅子にする小さな木箱を机にして、一心不乱、ものも言わずに、ノートに文字を書いていたのだ。それもアラビア語の文字を、(中略)私と相棒の二人は、いつも同様、魚信(あたり)のなさをぼやきながら、うなずきあった。あの子、ほんと、楽しみやで、、と。魚は一向釣れんけど、まだまだこの国、捨てたものではないなあ』(同上)
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『ウダイヤ・カスバ』の名前の元になった、荒くれで知られる『ウダイヤ・アフブ族』の紹介です。彼らは13世紀にモロッコに侵入し、モロッコ各地を荒らし回った後、ラバトに腰を落ち着けました。当時アラウィー朝のスルタンだった『ムーレイ・イスマイル』は、ラバト周辺で暴れていたザエル族の進入を防ぐために、ウダイヤ・アラブ族にラバトの防衛を託しました。18世紀のことです。(同上)
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幅が2.5メートル、高さが8~10メートルもあるという城壁は、まさに『堅牢』という言葉がぴったりです。近代的に整備された周囲の風景とのコントラストがその巨大さを強調し、見るものを圧倒します。先ほど紹介したウダイヤ庭園の北側には、入り組んだ坂道が張り巡らされた町が広がっています。(同上)
*写真は、城門付近から振り返って眺めた市街光景です。 -
モロッコで『カスバ』というとき、城砦そのものを指す場合もありますが、ウダイヤのカスバは城壁に囲まれた町全体を指します。見学できなかったのが残念ですが、白と青で統一された家々が並ぶカスバの内部は、ラバトのほかのエリアとは隔絶された別世界、何気ない風景が絵になります。(同上)
*写真は、更に丘を登って、振り返って眺めたラバト市街の光景です。 -
見学できなかったのが残念ですが、海に面したカスバの先端に位置する展望台は、ゆったりとした広場になっています。ここからは、夏になると海水浴客でにぎわうビーチや、ブーレグレグ川をはさんでラバトと向き合う町・サレが見渡せ、港町ならではの開放感が存分に味わえるようです。(同上)
*写真は、ヤシの木がよく似合う、『ウダイヤ・カスバ』の建物光景です。 -
この後、見学はできなかったものの、ネット情報で確認した観光名所の紹介です。
〇『シェラ遺跡』:古代ローマ時代の遺跡で、当時はサラという植民都市がありました。その後、長らく廃墟のままでしたが、14世紀のマリーン朝時代に墓地として利用されました。(同上)
*写真は、ヤシの木の光景ですが、この辺りではなぜか枯木が目立ちました。 -
〇『アンダルシア庭園』:モロッコの芸術と文化を紹介する魅力的な展示品を展示するパレスミュージアムがあるアンダルシアの庭園も必見です。美しい庭園は20世紀のフランス人によって造られました。伝統的なアンダルシアの花や潅木、オレンジ、レモン、バナナの木があります。先に、見学者の口コミとして紹介しました。(続く)
*写真は、青空に生える城塞の建物光景です。 -
〇『ラバト動物園』:ラバト動物園は2012にオープンした比較的新しい動物園です。模範的な山、砂漠、サバンナ、熱帯雨林の生息地で世界のすべての大陸を探索することができます。 訪問者は130種以上の動物に賞賛することができます。 この広々とした動物園にはキリンから爬虫類までのすべてが展示されています。(同上)
*写真は、城塞の建物の最上部のズームアップ光景です。 -
〇『自然科学博物館』:ラバトの自然科学博物館には、恐竜と地球の起源を記録した印象的なもので一杯です。 自然科学博物館には考古学の愛好家や、好奇心にぴったりの場所がたくさんあります。その中での目玉展示は、1979年にアトラス山脈で発見された真のサポラの恐竜のフルサイズのレプリカです。(同上)
*博物館に関する裏付け情報は見つかりませんでした。 -
〇『王宮』:モロッコのほぼすべての大都市には、ゲストとしての王の到着の準備ができている宮殿があります。 しかし、ラバトの宮殿はハッサン2世の公邸であり、18世紀の宮殿の跡に建てられました。官公庁等には、 訪問者が敷地内に入ることはできませんが、中央通路から宮殿を鑑賞することはできるようです。(同上)
*写真は、威容を誇る城壁の光景です。 -
〇『ビーチ』:ビーチへの訪問は、街の喧騒からの静かな場所への逃避です。 ラバトそのものには美しいビーチがありますが、ラバトに非常に近い町、サーフィンで有名な町ケニトラがお勧めです。新鮮な海辺の空気を吸い込んで砂の上を歩きたい方には、白い砂浜の街ラバトの端にあるビーチは完璧でリラックスできるお勧め場所です。(同上)
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〇『旧メディナ』:ありがたいことに、ラバトはマラケシュやカサブランカなどの都市と比較して、非常に穏やかで簡単な都市です。これにより、古いメディナでも混沌としたものではありません。より広々とした通りと、程よく賑やかな環境で、真のモロッコをよりリラックスして体験することが出来ます。(同上)
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〇『Kasbah des Oudaias』:ラバトの最古の場所を占める『Kasbah des Oudaias』は、川と海の素晴らしい景色を眺めることが出来る場所にあります。 今は主に住宅地です。狭く白い通りを散策できる美しい場所です。若干青い色が塗られています。壮大な門を潜り、ラバトの歴史的な優雅な通りを探索して下さい。(同上)
*写真は、『ウダイヤ・カスバ』の北端の光景になるようです。 -
これで、見学できなかったラバトの見所の紹介はお終いです。先程の説明文は『ウダイヤ・カスバ』の説明になるようです。見学した中では、『ハッサンの塔』と『ムハンマド5世廟』が一番の見所になります。この後は大西洋が見えるレストランでの海鮮物の昼食になります。(同上)
*写真は、前方に見えているのは、大西洋とブーレグレグ川の河口です。
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