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フェズの旧市街の紹介です。なめし皮工場(タンネリ)などを見学しました。『タンネリ・ショワラ』と呼ばれているようでした。ショワラのタンネリは、11世紀に出来たものとされ、フェズにある三つのタンネリの中で一番大きいものとされます。(ウィキペディア、駐日モロッコ王国大使館・モロッコ)

2012正月、モロッコ王国旅行記(32/49):1月10日(7):フェズ旧市街、皮なめし工場、屋根上の光景

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2012/01/05 - 2012/01/13

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旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

フェズの旧市街の紹介です。なめし皮工場(タンネリ)などを見学しました。『タンネリ・ショワラ』と呼ばれているようでした。ショワラのタンネリは、11世紀に出来たものとされ、フェズにある三つのタンネリの中で一番大きいものとされます。(ウィキペディア、駐日モロッコ王国大使館・モロッコ)

交通手段
観光バス
  • 北アフリカ(マグレブ)の広い地域に古くから住んでいる『ベルベル人』についての説明です。『ベルベル人』という呼び方は、ローマ人による蔑称を起源としています。『ベルベル人』は、ギリシャ語で『わけの分からない言葉を話す者』を意味する『バルバロイに由来し、ヨーロッパの諸言語で『Berber』と表記されています。自称は『アマーズィーグ』です。アマジグ人、アマジク人という呼称もこれに由来します。イマジゲンと呼ばれることも多いとされます。アフロ・アジア語族のベルベル諸語を母語とする人々の総称です。北アフリカ諸国でアラブ人が多数を占めるようになった現在も一定の人口をもち、文化的な独自性を維持する先住民族です。(同上)

    北アフリカ(マグレブ)の広い地域に古くから住んでいる『ベルベル人』についての説明です。『ベルベル人』という呼び方は、ローマ人による蔑称を起源としています。『ベルベル人』は、ギリシャ語で『わけの分からない言葉を話す者』を意味する『バルバロイに由来し、ヨーロッパの諸言語で『Berber』と表記されています。自称は『アマーズィーグ』です。アマジグ人、アマジク人という呼称もこれに由来します。イマジゲンと呼ばれることも多いとされます。アフロ・アジア語族のベルベル諸語を母語とする人々の総称です。北アフリカ諸国でアラブ人が多数を占めるようになった現在も一定の人口をもち、文化的な独自性を維持する先住民族です。(同上)

  • 以上のことがありますので、この先は『ベルベル人』は『アマジグ人』と表記することにします。アマジグ人は、形質的には、元来はコーカソイドだったと考えられますが、トゥアレグ族など混血により、一部ネグロイド化した部族も見られます。宗教はイスラム教を信じています。(同上)

    以上のことがありますので、この先は『ベルベル人』は『アマジグ人』と表記することにします。アマジグ人は、形質的には、元来はコーカソイドだったと考えられますが、トゥアレグ族など混血により、一部ネグロイド化した部族も見られます。宗教はイスラム教を信じています。(同上)

  • アマジグ人は、カビール、シャウィーア、ムザブ人、トゥアレグの4部族をはじめ、リーフ人、シェヌアス、シルハ、ザイエン、グアンチェ、イバード派、シウィ人などの諸部族に分かれます。東はエジプト西部の砂漠地帯から、西はモロッコ全域、南はニジェール川方面までサハラ砂漠以北の広い地域にわたって居住していて、その総人口は1000万人から1500万人ほどとされます。モロッコでは、国の人口の半数、アルジェリアで同5分の1、その他、リビア、チュニジア、モーリタニア、ニジェール、マリなどでそれぞれ人口の数%を占めます。(同上)

    アマジグ人は、カビール、シャウィーア、ムザブ人、トゥアレグの4部族をはじめ、リーフ人、シェヌアス、シルハ、ザイエン、グアンチェ、イバード派、シウィ人などの諸部族に分かれます。東はエジプト西部の砂漠地帯から、西はモロッコ全域、南はニジェール川方面までサハラ砂漠以北の広い地域にわたって居住していて、その総人口は1000万人から1500万人ほどとされます。モロッコでは、国の人口の半数、アルジェリアで同5分の1、その他、リビア、チュニジア、モーリタニア、ニジェール、マリなどでそれぞれ人口の数%を占めます。(同上)

  • 北アフリカのアラブ部族の中には、アマジグ人部族がアラブ化したと考えられているものも多いようです。ヨーロッパのアマジグ人移民人口は300万人と言われ、主にフランス、オランダ、ベルギー、ドイツなどに居住しています。その他、北米ではカナダのケベック州にも居住しています。次は、アマジグ人の歴史についての紹介です。<br />〇『先史時代』:アマジグ人の先祖は、タドラルト・アカクス(1万2000年前)やタッシリ・ナジェールに代表される『カプサ文化(1万年前~4000年前)』と呼ばれる石器文化を築いた人々と考えられています。チュニジア周辺から北アフリカ全域に広がったとみられています。(同上)

    北アフリカのアラブ部族の中には、アマジグ人部族がアラブ化したと考えられているものも多いようです。ヨーロッパのアマジグ人移民人口は300万人と言われ、主にフランス、オランダ、ベルギー、ドイツなどに居住しています。その他、北米ではカナダのケベック州にも居住しています。次は、アマジグ人の歴史についての紹介です。
    〇『先史時代』:アマジグ人の先祖は、タドラルト・アカクス(1万2000年前)やタッシリ・ナジェールに代表される『カプサ文化(1万年前~4000年前)』と呼ばれる石器文化を築いた人々と考えられています。チュニジア周辺から北アフリカ全域に広がったとみられています。(同上)

  • アマジグ人の歴史は、侵略者との戦いと敗北の連続に表現されています。紀元前10世紀頃、フェニキアから北アフリカの沿岸に至って勢力範囲が広がったフェニキア人が、カルタゴなどの交易都市を建設しますと、ヌミディアのヌミディア人やマウレタニアのマウリ人などのアマジグ系先住民族は彼らとの隊商交易に従事し、傭兵としても用いられました。また、古代エジプト王朝とは緊密な関係にあり、傭兵となって王国軍の主力になり活躍することもあれば、王権の弱体化によって王位を簒奪することもありました。また、ナイルデルタ地域へ略奪に行くこともありました。(同上)

    アマジグ人の歴史は、侵略者との戦いと敗北の連続に表現されています。紀元前10世紀頃、フェニキアから北アフリカの沿岸に至って勢力範囲が広がったフェニキア人が、カルタゴなどの交易都市を建設しますと、ヌミディアのヌミディア人やマウレタニアのマウリ人などのアマジグ系先住民族は彼らとの隊商交易に従事し、傭兵としても用いられました。また、古代エジプト王朝とは緊密な関係にあり、傭兵となって王国軍の主力になり活躍することもあれば、王権の弱体化によって王位を簒奪することもありました。また、ナイルデルタ地域へ略奪に行くこともありました。(同上)

  • 古代ギリシアでは、キレナイカ以東のアマジグ人のことをリビュア人と称していました。西のマウリやヌミディアのマッサエシュリ部族とマッシュリー部族は、部族連合を組んで集権的な国家を整えていきますが、東のガラマンテス族達は小部族が合従連衡する状態から抜け出せずに現代に至り、リビア内戦の遠因となりました。(続く)<br />*写真は、彫金細工か鍛造細工の台座の石のようでした。(同上)

    古代ギリシアでは、キレナイカ以東のアマジグ人のことをリビュア人と称していました。西のマウリやヌミディアのマッサエシュリ部族とマッシュリー部族は、部族連合を組んで集権的な国家を整えていきますが、東のガラマンテス族達は小部族が合従連衡する状態から抜け出せずに現代に至り、リビア内戦の遠因となりました。(続く)
    *写真は、彫金細工か鍛造細工の台座の石のようでした。(同上)

  • 〇『ローマ帝国時代』:古代カルタゴ(英語版)(前650年 - 前146年)の末期、前219年の第二次ポエニ戦争でカルタゴが衰えた後、その西の『ヌミディア(前202年~前46年)』でも紀元前112年から共和政ローマの侵攻を受けユグルタ戦争となりました。長い抵抗の末にローマ帝国に屈服し、その属州となりました。(同上)

    〇『ローマ帝国時代』:古代カルタゴ(英語版)(前650年 - 前146年)の末期、前219年の第二次ポエニ戦争でカルタゴが衰えた後、その西の『ヌミディア(前202年~前46年)』でも紀元前112年から共和政ローマの侵攻を受けユグルタ戦争となりました。長い抵抗の末にローマ帝国に屈服し、その属州となりました。(同上)

  • ラテン語が公用語として高い権威を持つようになり、アマジグ人の知識人や指導者もラテン語を解するようになりました。ローマ帝国がキリスト教化された後には、アマジグ人のキリスト教化が進みました。<br />〇『ヴァンダル王国』:ローマ帝国の衰退の後、フン族の侵入に押される形でゲルマニアに出自するヴァンダル人が北ヨーロッパからガリア、ヒスパニアを越えて侵入し、アマジグ人を征服してヴァンダル王国を樹立しました。この王国の公用語はゲルマン語とラテン語であり、アマジグ語はやはり下位言語とされました。(同上)

    ラテン語が公用語として高い権威を持つようになり、アマジグ人の知識人や指導者もラテン語を解するようになりました。ローマ帝国がキリスト教化された後には、アマジグ人のキリスト教化が進みました。
    〇『ヴァンダル王国』:ローマ帝国の衰退の後、フン族の侵入に押される形でゲルマニアに出自するヴァンダル人が北ヨーロッパからガリア、ヒスパニアを越えて侵入し、アマジグ人を征服してヴァンダル王国を樹立しました。この王国の公用語はゲルマン語とラテン語であり、アマジグ語はやはり下位言語とされました。(同上)

  • ローマ帝国時代からヴァンダル王国の時代にかけて、一部のアマジグ人は言語的にロマンス化し、民衆ラテン語の方言(マグレブ・ロマンス語)を話すようになりました。<br />〇『東ローマ帝国』:ヴァンダル王国は6世紀に入ると、アマジグ人の反乱や東ゴート王国との戦争により衰退し、最終的に東ローマ帝国によって征服されました。当時の東ローマ帝国は、すでにギリシャ化が進んでいたため、ラテン語に代わりギリシャ語が公用語として通用しました。アマジグ語はやはり下位言語とされ、書かれることも少なかったようです。(同上)

    ローマ帝国時代からヴァンダル王国の時代にかけて、一部のアマジグ人は言語的にロマンス化し、民衆ラテン語の方言(マグレブ・ロマンス語)を話すようになりました。
    〇『東ローマ帝国』:ヴァンダル王国は6世紀に入ると、アマジグ人の反乱や東ゴート王国との戦争により衰退し、最終的に東ローマ帝国によって征服されました。当時の東ローマ帝国は、すでにギリシャ化が進んでいたため、ラテン語に代わりギリシャ語が公用語として通用しました。アマジグ語はやはり下位言語とされ、書かれることも少なかったようです。(同上)

  • 〇『イスラーム帝国』:7世紀に入ると、東ローマ帝国の国力の衰退を好機として、アラビア半島からアラブ人のイスラム教徒(ウマイヤ朝)が北アフリカのエジプトに侵攻・征服しました。その勢いを駆ってアマジグ人の住む領域まで攻め込みました(マグリブ征服)。アマジグ人は、この新たな侵略者と数十年間戦いましたが、7世紀末に行われた抵抗(カルタゴの戦い:698年)を最後に大規模な戦いは終結し、8世紀初頭にウマイヤ朝のワリード1世の治世に、総督ムーサー・ビン=ヌサイルや将軍ウクバ・イブン・ナフィによってアマジグ人攻略の拠点カイラワーンが設置され、アラブの支配下に服しました。(同上)

    〇『イスラーム帝国』:7世紀に入ると、東ローマ帝国の国力の衰退を好機として、アラビア半島からアラブ人のイスラム教徒(ウマイヤ朝)が北アフリカのエジプトに侵攻・征服しました。その勢いを駆ってアマジグ人の住む領域まで攻め込みました(マグリブ征服)。アマジグ人は、この新たな侵略者と数十年間戦いましたが、7世紀末に行われた抵抗(カルタゴの戦い:698年)を最後に大規模な戦いは終結し、8世紀初頭にウマイヤ朝のワリード1世の治世に、総督ムーサー・ビン=ヌサイルや将軍ウクバ・イブン・ナフィによってアマジグ人攻略の拠点カイラワーンが設置され、アラブの支配下に服しました。(同上)

  • イスラーム帝国の支配の下、北アフリカにはアラブ人の遊牧民が多く流入し、アマジグ人との混交、アマジグのイスラム化が急速に進みました。また言語的にも公用語となったアラビア語への移行が進みました。アマジグ語は書かれることも少なく、威信のない民衆言語にとどまりました。イスラーム帝国の支配下でも、アマジグ人は優秀な戦士として重用されました。711年にアンダルス(イベリア半島)に派遣されてグアダレーテ河畔の戦いで、西ゴート王国を滅ぼしたイスラム軍の多くはイスラムに改宗したアマジグ人でした。その司令官である『ターリク・イブン=ズィヤード(生年不詳~720年)』は解放奴隷出身で、ムーサーに仕えるマワーリー(被保護者)でした。(同上)

    イスラーム帝国の支配の下、北アフリカにはアラブ人の遊牧民が多く流入し、アマジグ人との混交、アマジグのイスラム化が急速に進みました。また言語的にも公用語となったアラビア語への移行が進みました。アマジグ語は書かれることも少なく、威信のない民衆言語にとどまりました。イスラーム帝国の支配下でも、アマジグ人は優秀な戦士として重用されました。711年にアンダルス(イベリア半島)に派遣されてグアダレーテ河畔の戦いで、西ゴート王国を滅ぼしたイスラム軍の多くはイスラムに改宗したアマジグ人でした。その司令官である『ターリク・イブン=ズィヤード(生年不詳~720年)』は解放奴隷出身で、ムーサーに仕えるマワーリー(被保護者)でした。(同上)

  • アマジグ人は征服されたアンダルスにおいて、軍人や下級官吏としてアラブ人とロマンス語話者のイベリア人との間に立ちました。彼らはアラブ人より多く、イベリア人より少ない数でした。マグリブとアンダルスでのアマジグ革命(739~743年)、750年のアッバース革命の後、756年のムサラの戦いで『後ウマイヤ朝(756~1031年)』が成立しました。(同上)

    アマジグ人は征服されたアンダルスにおいて、軍人や下級官吏としてアラブ人とロマンス語話者のイベリア人との間に立ちました。彼らはアラブ人より多く、イベリア人より少ない数でした。マグリブとアンダルスでのアマジグ革命(739~743年)、750年のアッバース革命の後、756年のムサラの戦いで『後ウマイヤ朝(756~1031年)』が成立しました。(同上)

  • 『イブラーヒーム・イブン・アル・アグラブ(イブラーヒーム1世)』がイフリーキヤで自立し、『アグラブ朝(800~909年)』を興しました。ウバイドゥッラーがアグラブ朝を倒し、『ファーティマ朝(909~1171年)』を興すと、アマジグ人はその支配下で『ズィール朝(983~1148年)』を興し、アルジェが建設されました。(同上)<br />*写真は、フェズ旧市街の光景が続きます。

    『イブラーヒーム・イブン・アル・アグラブ(イブラーヒーム1世)』がイフリーキヤで自立し、『アグラブ朝(800~909年)』を興しました。ウバイドゥッラーがアグラブ朝を倒し、『ファーティマ朝(909~1171年)』を興すと、アマジグ人はその支配下で『ズィール朝(983~1148年)』を興し、アルジェが建設されました。(同上)
    *写真は、フェズ旧市街の光景が続きます。

  • 〇『タイファ期』:11世紀、12世紀のタイファ期には、イスラム化して以降熱心なムスリム(イスラム教徒)になっていたアマジグ人は、モロッコでイスラムの改革思想を奉じる宗教的情熱に支えられたアマジグ人の運動から発展した国家、『ムラービト朝(1040~1147年)』、『ムワッヒド朝(1130~1269年)』を相次いで興しました。アマジグ人が他民族を支配した、数少ない王朝だったムラービト朝やムワッヒド朝でも、王朝の公用語はムスリムである以上アラビア語であり、アマジグ語ではありませんでした。(同上)

    〇『タイファ期』:11世紀、12世紀のタイファ期には、イスラム化して以降熱心なムスリム(イスラム教徒)になっていたアマジグ人は、モロッコでイスラムの改革思想を奉じる宗教的情熱に支えられたアマジグ人の運動から発展した国家、『ムラービト朝(1040~1147年)』、『ムワッヒド朝(1130~1269年)』を相次いで興しました。アマジグ人が他民族を支配した、数少ない王朝だったムラービト朝やムワッヒド朝でも、王朝の公用語はムスリムである以上アラビア語であり、アマジグ語ではありませんでした。(同上)

  • アマジグ人もイベリア半島に侵入し、アンダルスに入りました。アマジグ人が樹立した征服王朝の『ナスル朝グラナダ王国(1232~1492年)』の時代、支配下の人民の多くがロマンス語やアマジグ語の影響を受けたアル・アンダルス=アラビア語を用いていたとされます。アマジグ人は当初、支配者はより一層アラブ化してアラビア語を話すようになり、下位の者は民衆に同化してロマンス語を話すようになりました。しかし年月がたち、改宗によってムスリム支配下の南部イベリアにおけるムスリムの全人口に占める割合が増加するにつれ、アラビア語の圧力はさらに高まり、アマジグ語話者やロマンス語話者の多くが民衆アラビア語に同化していきました。(同上)

    アマジグ人もイベリア半島に侵入し、アンダルスに入りました。アマジグ人が樹立した征服王朝の『ナスル朝グラナダ王国(1232~1492年)』の時代、支配下の人民の多くがロマンス語やアマジグ語の影響を受けたアル・アンダルス=アラビア語を用いていたとされます。アマジグ人は当初、支配者はより一層アラブ化してアラビア語を話すようになり、下位の者は民衆に同化してロマンス語を話すようになりました。しかし年月がたち、改宗によってムスリム支配下の南部イベリアにおけるムスリムの全人口に占める割合が増加するにつれ、アラビア語の圧力はさらに高まり、アマジグ語話者やロマンス語話者の多くが民衆アラビア語に同化していきました。(同上)

  • 時とともにアマジグ人・アラブ人・イベリア人の三者は遺伝的・文化的に入り混じっていき、現在のスペイン語にはアラビア語とともにアマジグ語の影響が見られます。またアマジグ人の遺伝子もスペイン人やポルトガル人の遺伝子プールに影響を与えました。ムワッヒド朝は、アンダルスでのキリスト教徒との戦いに敗れて衰退、滅亡しました。(同上)

    時とともにアマジグ人・アラブ人・イベリア人の三者は遺伝的・文化的に入り混じっていき、現在のスペイン語にはアラビア語とともにアマジグ語の影響が見られます。またアマジグ人の遺伝子もスペイン人やポルトガル人の遺伝子プールに影響を与えました。ムワッヒド朝は、アンダルスでのキリスト教徒との戦いに敗れて衰退、滅亡しました。(同上)

  • 代わってモロッコ地域には、マリーン朝、チュニジア地域にはハフス朝というアマジグ人王朝が興隆しました。マリーン朝はキリスト教徒の侵入に抵抗するグラナダ王国などのイスラーム勢力を支援し、イベリアのキリスト教勢力と激しく戦いましたが、アルジェリア地域のアマジグ人王朝のザイヤーン朝との戦いで、国力を一時失いました。(同上)

    代わってモロッコ地域には、マリーン朝、チュニジア地域にはハフス朝というアマジグ人王朝が興隆しました。マリーン朝はキリスト教徒の侵入に抵抗するグラナダ王国などのイスラーム勢力を支援し、イベリアのキリスト教勢力と激しく戦いましたが、アルジェリア地域のアマジグ人王朝のザイヤーン朝との戦いで、国力を一時失いました。(同上)

  • それに乗じたカスティーリャ王国により1340年にはチュニスが占領されました。しかしスルタンである『アブー・アルハサン・アリー』により王朝は一時的に持ち直し、1347年にはチュニスを奪回しました。しかしマリーン朝の復興は長く続かず、アブー・アルハサン・アリーの次のスルタンの『アブー・イナーン・ファーリス』の死後は、再び有力者同士の内紛で衰亡し、ポルトガル王国により地中海や大西洋沿岸の諸都市を占領されました。マリーン朝は最終的に15世紀の半ばに崩壊し、以後モロッコ地域は、神秘主義教団の長や地方の部族が割拠する状態になりました。(同上)

    それに乗じたカスティーリャ王国により1340年にはチュニスが占領されました。しかしスルタンである『アブー・アルハサン・アリー』により王朝は一時的に持ち直し、1347年にはチュニスを奪回しました。しかしマリーン朝の復興は長く続かず、アブー・アルハサン・アリーの次のスルタンの『アブー・イナーン・ファーリス』の死後は、再び有力者同士の内紛で衰亡し、ポルトガル王国により地中海や大西洋沿岸の諸都市を占領されました。マリーン朝は最終的に15世紀の半ばに崩壊し、以後モロッコ地域は、神秘主義教団の長や地方の部族が割拠する状態になりました。(同上)

  • 〇『モリスコ追放』:1492年にナスル朝が滅亡すると、イベリアに居住していたアマジグ系のムスリムは、アラブ系やイベリア系のムスリムとともにモリスコとされました。モリスコは当初一定程度の人権を保障されていましたが、やがてキリスト教への強制改宗によりイベリア人のキリスト教社会に同化させられ、それを拒む者はマグレブへと追放されました(モリスコ追放)。(同上)

    〇『モリスコ追放』:1492年にナスル朝が滅亡すると、イベリアに居住していたアマジグ系のムスリムは、アラブ系やイベリア系のムスリムとともにモリスコとされました。モリスコは当初一定程度の人権を保障されていましたが、やがてキリスト教への強制改宗によりイベリア人のキリスト教社会に同化させられ、それを拒む者はマグレブへと追放されました(モリスコ追放)。(同上)

  • 〇『オスマン帝国』:16世紀には、東からオスマン帝国が進出しました。1533年にはアルジェの海賊、バルバロッサがオスマン帝国の宗主権を受け入れました。1550年にオスマン帝国はザイヤーン朝を滅ぼしました。オスマン帝国の治下ではトルコ人による支配体制が築かれ、前近代を通じて、バーバリ諸国におけるアマジグ人のアラブ化は徐々に進んでいきました。(同上)

    〇『オスマン帝国』:16世紀には、東からオスマン帝国が進出しました。1533年にはアルジェの海賊、バルバロッサがオスマン帝国の宗主権を受け入れました。1550年にオスマン帝国はザイヤーン朝を滅ぼしました。オスマン帝国の治下ではトルコ人による支配体制が築かれ、前近代を通じて、バーバリ諸国におけるアマジグ人のアラブ化は徐々に進んでいきました。(同上)

  • 今日アラブ人として知られる部族の多くは、この時代にアラブ語を受け入れたアマジグ人部族の子孫です。アルジェのデイは、沿岸のキリスト教国の船をバーバリ諸国のバルバリア海賊を率いて襲撃し、キリスト教徒を奴隷にしていました。19世紀になりますと、キリスト教徒の奴隷解放のための戦争が起きました。(同上)

    今日アラブ人として知られる部族の多くは、この時代にアラブ語を受け入れたアマジグ人部族の子孫です。アルジェのデイは、沿岸のキリスト教国の船をバーバリ諸国のバルバリア海賊を率いて襲撃し、キリスト教徒を奴隷にしていました。19世紀になりますと、キリスト教徒の奴隷解放のための戦争が起きました。(同上)

  • 奴隷解放のための戦争は、第一次バーバリ戦争(1801~1805年)と第二次バーバリ戦争(1815年)、1817年8月27日のアルジェ砲撃等です。<br />〇『フランス植民地』:19世紀以降、マグレブ地域はフランスによる侵略と植民地支配を受けました。フランス語がアラビア語に代わる公用語となり、アラブ人の一部にはアラビア語を捨ててフランス語に乗り換えるものもいましたが、アマジグ人の一部も同様でした。彼らはフランスの植民地支配に協力的な知識人層を形成し、フランス支配の中間層として働きました。しかし一方で植民地支配に対する抵抗も継続し、このときアマジグ人はアラブ人とともに植民地支配者のフランス人に対抗して、ムスリムとしての一体性を高めました。(同上)<br />*写真は、染色工場の境界辺りをを流れる川(用水)の光景です。

    奴隷解放のための戦争は、第一次バーバリ戦争(1801~1805年)と第二次バーバリ戦争(1815年)、1817年8月27日のアルジェ砲撃等です。
    〇『フランス植民地』:19世紀以降、マグレブ地域はフランスによる侵略と植民地支配を受けました。フランス語がアラビア語に代わる公用語となり、アラブ人の一部にはアラビア語を捨ててフランス語に乗り換えるものもいましたが、アマジグ人の一部も同様でした。彼らはフランスの植民地支配に協力的な知識人層を形成し、フランス支配の中間層として働きました。しかし一方で植民地支配に対する抵抗も継続し、このときアマジグ人はアラブ人とともに植民地支配者のフランス人に対抗して、ムスリムとしての一体性を高めました。(同上)
    *写真は、染色工場の境界辺りをを流れる川(用水)の光景です。

  • しかし、独立後のマグリブ諸国では、近代国民国家を建設しようとする動きの中で、アマジグ文化への圧迫とアラブ化政策がかつてない規模で進められ、人口比の関係からもアラビア語を話す者が増えたため、20世紀後半にはアマジグ語と固有文化を守っていこうとする運動が起こりました。(同上)<br />*写真は、染色工場の境界辺りをを流れる川の光景です。用水のイメージでした。

    しかし、独立後のマグリブ諸国では、近代国民国家を建設しようとする動きの中で、アマジグ文化への圧迫とアラブ化政策がかつてない規模で進められ、人口比の関係からもアラビア語を話す者が増えたため、20世紀後半にはアマジグ語と固有文化を守っていこうとする運動が起こりました。(同上)
    *写真は、染色工場の境界辺りをを流れる川の光景です。用水のイメージでした。

  • 眼下に見える白い液が入った容器軍は、染色の前処理用の溶液が入っているようです。主に牛や羊やヤギの皮が材料とされ、動物の皮はまず洗浄され、皮を柔らかくするために、鳩の糞や石灰などで作られた白い液体に浸けられます。この工程は、概ね2~3日かかるようです。この工程で、染料が染み込み易くなるようです。『皮なめし』は、動物の『皮』を、製品としての『革』にする作業です。(同上)

    眼下に見える白い液が入った容器軍は、染色の前処理用の溶液が入っているようです。主に牛や羊やヤギの皮が材料とされ、動物の皮はまず洗浄され、皮を柔らかくするために、鳩の糞や石灰などで作られた白い液体に浸けられます。この工程は、概ね2~3日かかるようです。この工程で、染料が染み込み易くなるようです。『皮なめし』は、動物の『皮』を、製品としての『革』にする作業です。(同上)

  • なめし皮工場と、その周りの光景です。タンネリ案内・見学料の目安は1人10DH前後のようですが、今回は団体ツアー料金の中に含まれていました。タンネリの周りに立ち並んでいる革製品販売店の中へ案内され、そのお店のバルコニーからの見学です。眼下にはタンネリの大きな容器が並んだ光景は、色とりどりの絵の具が入ったパレットのようです。手前の方が前処理用の白い溶液、右奥方面に染色の溶液が入った容器が並んでいました。前処理の白い溶液は、皮に残った毛を取り除きやすくしたり、皮を柔らかくするなどの効果もあるようです。鳩の糞に含まれるアンモニアが皮を柔らかくするようです。(同上)

    イチオシ

    なめし皮工場と、その周りの光景です。タンネリ案内・見学料の目安は1人10DH前後のようですが、今回は団体ツアー料金の中に含まれていました。タンネリの周りに立ち並んでいる革製品販売店の中へ案内され、そのお店のバルコニーからの見学です。眼下にはタンネリの大きな容器が並んだ光景は、色とりどりの絵の具が入ったパレットのようです。手前の方が前処理用の白い溶液、右奥方面に染色の溶液が入った容器が並んでいました。前処理の白い溶液は、皮に残った毛を取り除きやすくしたり、皮を柔らかくするなどの効果もあるようです。鳩の糞に含まれるアンモニアが皮を柔らかくするようです。(同上)

  • 一定の工程を終えてた半製品の日干し光景のようです。最終的な染色が完了した完成品ではなく、半製品の状態のようでした。動物から剥いだ皮は、そのままですと腐敗したり固くなってしまいますので、皮なめし工場で柔らかく加工したり、臭いを抑えたり、染色作業などを行っています。(同上)

    イチオシ

    一定の工程を終えてた半製品の日干し光景のようです。最終的な染色が完了した完成品ではなく、半製品の状態のようでした。動物から剥いだ皮は、そのままですと腐敗したり固くなってしまいますので、皮なめし工場で柔らかく加工したり、臭いを抑えたり、染色作業などを行っています。(同上)

  • 見学者には、ハーブのミントの葉が渡されていました。見学者にはミントの葉が渡され、それが刺激臭からの逃避材となっていましたが、使用する人、しない人、まちまちでした。素材として使用されるのは、牛、羊、ヤギ、ラクダなどの生皮です。最初の洗浄は、川の流れが利用されているようでした。直接見学はしていませんが、ネット写真で川洗い光景を目にしました。(同上)

    見学者には、ハーブのミントの葉が渡されていました。見学者にはミントの葉が渡され、それが刺激臭からの逃避材となっていましたが、使用する人、しない人、まちまちでした。素材として使用されるのは、牛、羊、ヤギ、ラクダなどの生皮です。最初の洗浄は、川の流れが利用されているようでした。直接見学はしていませんが、ネット写真で川洗い光景を目にしました。(同上)

  • 皮に付着した脂肪分などを、専用の道具らしいものでゴシゴシ削り取りながら、染色作業が進められるようです。染料の素材は、すべて天然由来のようです。たとえば、赤色はポピー、黄色はサフラン、青色はインディゴ、緑色はミント、茶色はザクロの葉などの植物から染められます。(続く)、サフランは、白ご飯を黄色く染める時にも使われますから、安全性を証明している証拠にも思えます。(同上)

    イチオシ

    皮に付着した脂肪分などを、専用の道具らしいものでゴシゴシ削り取りながら、染色作業が進められるようです。染料の素材は、すべて天然由来のようです。たとえば、赤色はポピー、黄色はサフラン、青色はインディゴ、緑色はミント、茶色はザクロの葉などの植物から染められます。(続く)、サフランは、白ご飯を黄色く染める時にも使われますから、安全性を証明している証拠にも思えます。(同上)

  • 皮なめし工場(タンネリ)は、モロッコの産業としても重要ですが、現在は、観光資源としても重要な役割を担っているようです。先ほど紹介した、染色槽が連なる景色が圧巻でした。丸で、絵の具のパレットの光景です。日本の蒼染めなどを含めて、屋内施設がほとんどのようですが、ここ、モロッコでは屋外作業であることが観光資源としての決め手になっているようでした。(同上)

    皮なめし工場(タンネリ)は、モロッコの産業としても重要ですが、現在は、観光資源としても重要な役割を担っているようです。先ほど紹介した、染色槽が連なる景色が圧巻でした。丸で、絵の具のパレットの光景です。日本の蒼染めなどを含めて、屋内施設がほとんどのようですが、ここ、モロッコでは屋外作業であることが観光資源としての決め手になっているようでした。(同上)

  • 白い液を湛えた槽のズームアップ光景です。水分を含んだ皮はかなり重たく、その上に、腰まで染料液に浸かって、ゴム製のつなぎを着ての重労働は、明らかに厳しい作業に見えました。おまけに悪臭の中での作業です。取材をした日本人の方のブログには、『朝5時から昼2時まで働いて、ベテランの人で給料は1日5ドル程度。約350人が働いているものの、辞めていく人も多い』、と紹介されていました。(同上)

    白い液を湛えた槽のズームアップ光景です。水分を含んだ皮はかなり重たく、その上に、腰まで染料液に浸かって、ゴム製のつなぎを着ての重労働は、明らかに厳しい作業に見えました。おまけに悪臭の中での作業です。取材をした日本人の方のブログには、『朝5時から昼2時まで働いて、ベテランの人で給料は1日5ドル程度。約350人が働いているものの、辞めていく人も多い』、と紹介されていました。(同上)

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