2012/01/05 - 2012/01/13
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モロッコの首都、ラバトのモハメド五世廟とハッサンの塔の紹介です。マンスール王の命により、モスクの建設が1191年に始まりましたが、王の死により中止となり、未完成のハッサン・タワーと石柱が残されました。その敷地の一部にモハメド五世廟が建てられました。(ウィキペディア、駐日モロッコ王国大使館・モロッコ)
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ラバトの歴史紹介の続きです。第二次世界大戦後、アメリカがフランスの空軍基地址に駐留しました。この『ラバト・サレ空軍基地』には米軍の戦略航空軍団が置かれました。独立後は、1958年のレバノンでのイスラム教徒の内乱にアメリカ海兵隊が介入したこともあって、ムハンマド5世は米軍の撤収を要求、1960年代に米軍は撤収しました。(同上)
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ラバトの町は、大西洋に面し、ブー・レグレグ川の河口にある、ラバト=サレ=ケニトラ地方の州都です。川の向こう側にベッドタウンであるサレが広がり、ラバトの南には大西洋に面しテマラの町があります。これらの都市を合わせた都市圏人口は180万人に達します。(同上)
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繊細な幾何学模様の装飾がされている壁も実に見事!金色が多様されていて、華やかな内装です。イスラム国家の宗教施設にしては珍しく、内部まで撮影可能。門前で騎乗して構える凛々しい守衛さんも撮影ポイントです。ただし、外国人にオープンとはいえモロッコ建国の英雄の廟所ですから、あまり礼を欠いているとみられそうな恰好は控えるべきです。(同上)
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ムハンマド五世廟は、美しい建造物として、人気の高い観光スポットの一つとなっています。天井のステンドグラスからは、カラフルで鮮やかな光が差し込んできます。繊細な幾何学模様の装飾がされている壁も実に見事です。金色が多用されていて、華やかな内装です。この後、写真紹介します。(同上)
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イチオシ
モハメド五世廟内の光景です。中央にムハンマド五世の大きな石館が置かれていました。この国の英雄としての格式が十二分に感じられる立派な廟です。奥に式台のようなものが見え、左手には、モロッコ国旗が立ち並んでいました。(同上)
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同じく、石棺が一番近くで眺められた場所からの光景です。かなりの大きさの石館ですが、装飾は控え目です。照明でライトアップされた石館の色が荘厳な雰囲気をこの場所に集中させているようにも見えました。この位置からはモロッコ国旗が正面になりました。(同上)
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建物中央の天蓋のズームアップ光景です。建物の外部光景で、緑色の屋根を持った四角錐の屋根の下になるようです。ドーム部分に青っぽい明かりが射して、内部の装飾を浮かび上がらせていました。ドームには、ステンドグラスが並んでいました。ドームの周りの四角の縁が、屋根を支える部分のようです。(同上)
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同じく、天蓋の周りの天井光景です。天井部分は、まばゆいばかりの緊迫が張られているように見えました。その下部の青色の色彩が、見ごたえのあるコントラストになっていました。色彩の数が抑えられていることが、荘厳さを醸しているようです。アラベスクは、控え目の幾何学模様のようでした。(同上)
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モハメド五世廟の出入口の光景です。モロッコの国旗に似た赤色の服の衛兵がいましたが、極めてフレンドリーな対応で、記念撮影にも応じていました。国策として、極めてオープンな霊廟見学が演出されているようでした。この場所は、見学を終えて、振り返って眺めた出入口の光景です。(同上)
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モハメド五世廟の基壇の上から眺めた周りの光景です。1199年にヤクブ・アル=マンスールが死去した後、モスクと新しい首都は未完成のままで、彼の後継者はそれを終わらせる資源や意志を欠いていました。その建物は、壁の造り始めの部分と348の柱列だけ残りました。放棄される前に、タイル張りの屋根がモスクに追加されたようです(英語版ウィキペディア)。(同上)
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針葉樹らしい木々の間から眺めたハッサンの塔の光景です。石材の色らしいセピアでした。セピア色は、独特の落ち着きと、どこか懐かしさを感じる色とされ、ほとんどは茶色に近い色です。画像処理では、黄色系セピア、オレンジ系セピアと赤色系セピアが使い分けられているようでした。塔とモスクはアブ・ユスフ・ヤクブ・アル=マンスールにより委託されましたが、記念碑は『ハッサン・タワー』または『アル・ハッサン・モスク』として知られていますが、その名前の由来は不明とされます。モスクの建設は1191年に始まりました。(同上)
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モハメド五世廟の基壇の上の光景です。この霊廟の建設には、1961年から始まり、1971年までの10年間を要しています。左手に見える「ハッサン・タワー」は、命名の由来は不明ですが、名前の使用は早くも13世紀に記録されています。一つの仮説は、それは建築家の名前としますが、実証されていません。(同上)
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アル・マンスールは、現在のメディナ(旧市街)であるラバトの敷地内に、新しい要塞化された帝国の首都、アル・マフディヤまたはリバト・アル・ファスと呼ばれる新しい要塞帝国の首都を建設することを決定しました。新しい壁は古いカスバの向こうの広大な地域に広がっていました。このプロジェクトには、この首都のための巨大なモスクの建設も含まれていました, そのうちハッサンタワーは、ミナレットが予定されていました。(同上)
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イスラム様式のアラベスク文様の二大要素として、複雑に連続する幾何学図形と、植物の唐草文様、それに次ぐ第三の要素がアラビア書道を紹介しましたが、この写真の装飾の左手が、アラビアア書道による装飾です。多くの場合、クルアーンの1節などが文様化されているようです。(同上)
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同じく、アラベスク文様の中のアラビア書道による装飾です。背景には、唐草文様の装飾が控えめに記されていました。アラビア書道による文字は、軽やかな音楽を奏でているようなリズミカルな姿をしていました、ムスリムの方達にとっては、クルアーンを口ずさみたくなるような文字かも知れません。(同上)
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モハメド五世廟の付属施設らしい噴水の光景です。白大理石で造られたような、立派な噴水です。なぜか、水は使われていないようでした。立派な噴水のように見えましたが、まだ未完なのかも知れません。(同上)
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未完のハッサンの塔の周りの石柱の光景です。ネット上では、『廟前の広場には、様々な遺跡から集められた大理石の柱が立てられている。元々ここにあったわけではない』、あるいは『この場所にあったモスクの跡(英語版ウィキペディア)』、と紹介されているものもありました。(同上)
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モハメド五世廟の建物光景です。20世紀の植民地時代、フランスとモロッコの考古学者は、サイトを発掘し、残されたものを慎重に再構築しました。1960年代には、モスクの遺跡の敷地は、近代的なモスクと複合体の南側の残りの部分を占める別のパビリオンと一緒に、その南東の角にムハンマド5世の霊廟の建設のために置換されました。近代的な霊廟とモスクは、ベトナムの建築家『Cong Vo Toan(コン・ヴォ・トーアン):1924~)』によって設計され、1971年に完成しました(英語版ウィキペディア)。(同上)
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同じく、モハメド五世廟の建物光景です。半分ほど開けられた出入口光景です。ベトナムのアーティストで建築家の『コン・ヴォ・トーアン(1924~)』は、パリとロンドンで美術と建築を学び、ベトナムの建築家万国博覧会、博覧会、1957~1961年、1961~1972年、モロッコのムハンマド5世ハッサン2世の霊廟の建築に携わりました。(同上)
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赤煉瓦を積んだ壁か、土壁に穿たれた四角な穴を居場所に指定だカワラバトさんの光景です。定位置らしく、羽根を膨らませてリラックスした姿でした。穴の下には、定住にしているらしい排泄物の跡が残っていました。終の棲家のようにも見えましたが、巣造りの材料は持ち込まれていないようでした。(同上)
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この場所には、砦のようなものがあったかも知れませんが、整然と並んだ石柱列は、モスク跡のような雰囲気がありました。石柱は、積み直されたうえで低く抑えられたようでした。前方にも、沢山の石柱が見えましたが、全て低いものばかりでした。柱の上の四角の石材が、かつての屋根を支えた一部かも知れません。(同上)
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石柱の下部に設置されていた石のベンチです。2人は十分に腰掛けられそうな90度角の円形のベンチでした。よく利用されているらしく、表面が磨かれたような跡を残していました。(同上)
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同じく、別の場所で撮影した、石柱の下部に設置されていた石のベンチの光景です。石柱に接着剤で固定され、補強を兼ねて台石も置かれていました。石材は花崗岩辺りが使われているようでした。花崗岩ですと、深成岩の一種で、色は白や淡灰色、淡紅色が多く、堅牢で磨くと光沢が出る石材です。(同上)
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1199年にヤクブ・アル=マンスールが死去したために中止されたモスク跡の可能性が高い石柱と、椰子の樹の光景です。ヤシの木は、ナツメヤシ当たりのようです。建設が中止された時のモスクの柱は、348本が残されたようでした。(英語版ウィキペディア)。(同上)
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モハメド五世廟の近くにあった建物遺物の光景です。赤煉瓦が積み上げられた建物跡に見えました。運び去ることができるほとんどすべての材料が、他の場所での建設の再利用のために現場から取り除かれました。また、1755年のリスボン地震で、モスクは被害を受けています。(同上)
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格子窓の外にいたネコさんの光景です。概して、海や港に近い場所にはネコさんが多いようです。魚の餌が貰いやすいためかもしれません。背中を少し丸めて、日向ぼっこをしている姿のように見えました。(同上)
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裏側方面から眺めたモハメド五世廟の建物光景です。一段高くなった礎石の上に設けられ、地下部分も利用された霊廟の建物でした。1971年に完成しました。イスラムの国にしては珍しく、ムスリムではなくとも内部見学が出来、写真撮影も自由でした。(同上)
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イチオシ
少し離れた場所から眺めた、モハメド五世廟の建物光景です。四角錐の緑の屋根が白亜の建物の上に見えました。なぜかドームから室内に差し込んだ光の色は、緑色ではなく青色系に見えました。ドームのステンドグラスを光が通過する時に変化したようです。(同上)
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ネット情報では、『古代の城壁跡』と紹介されていた、モハメド五世廟の出入り口付近の建物遺物の光景です。いつ頃の城壁かは分かりませんが、かなりの壁厚を持った城塞壁のようです。城塞壁の穴は、鳩さんの住処になっていました。(同上)
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イチオシ
振り返って眺めた、ハッサンの塔と、城塞壁らしい壁の光景です。これで、ラバトのハッサンの塔とモハメド五世廟の見学はお終いです。殊に、モロッコの独立の英雄とも称されるモハメド五世の霊廟の見学が、フレンドリーで、オープンだったのが印象に残りました。(同上)
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