2012/01/05 - 2012/01/13
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旅人のくまさんさん
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フェズの旧市街紹介の続きです。アッタリン・マドラサ(神学校)や陶器工場等を見学した後、世界文化遺産の古都・メクネスに向(かいました。フェズには5か所のマドラサがあったらしく、今回の旅行では、その内の二つを見学出来ました。(ウィキペディア、駐日モロッコ王国大使館・モロッコ)
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『イブン・バットゥータ(1304~1369年)』の旅行記紹介の続きです。
〇『イラクとペルシア』:バットゥータは、メッカでひと月を過ごした後の1326年11月17日、アラビア半島を横断してイラクへ戻る大規模な巡礼キャラバンに参加しました。一行はまず北のマディーナへ向かいました。(同上)
*写真は、骨とう品店のような店先光景です。 -
バットゥータは、日中を避け夜に旅を続け、やがて北東へと進路を変え、ナジュド平野を横断し、ナジャフに辿り着きました。2週間の旅でした。ナジャフではアリー廟を訪れています。その後バグダードへ向かうキャラバンと別れた彼は、ペルシアに入り6ヶ月の回り道をしました。ナジャフからワースィトへ、そしてチグリス川を南下してバスラを訪れます。そこからザグロス山脈を越えエスファハーンへ向かいます。そして南へ向かいシーラーズを訪れます。シーラーズはモンゴルの侵略の際にも破壊を免れて繁栄を誇っていました。ようやく彼は山道を戻り1327年6月、バグダードへ到着します。(同上)
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バグダードは、いまだ街の至るところにフレグが1258年の侵略の際に残した破壊の痕跡が残っていました。バグダードで彼は、イルハン朝最後の君主アブー・サイードが大勢の従者を引き連れて街を北へ向かうところを目撃しています。バットゥータはしばらくそのロイヤル・キャラバンに随行し、その後にシルクロードを北へと向かい、タブリーズを訪れました。モンゴルへの道を開いた最初の街です。この地域の他の交易都市は、モンゴルにより徹底的に破壊されていたため、タブリーズは交易の要衝となっていました。(同上)
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おそらく7月、バットゥータは再びバグダードへ向けて出発しました。途中チグリス川に沿って北方へ足を伸ばします。モースルでは、イルハン朝の知事に客人としてもてなされました。現在のトルコの都市ジズレ、マルディンに立ち寄りました。シンジャールの近くの山にある庵でクルド人の神秘主義者に会い銀貨を貰いました。彼はモースルに戻り、南方バグダードでメインキャラバンと合流する予定の巡礼キャラバンに参加しました。合流後はアラビア砂漠を越えてメッカに至ります。下痢を伴った病気で消耗しきった2回目のハッジとなりました。(同上)
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〇『アラビア半島』:バットゥータはしばらく(旅行記に照らせば1327年9月から1330年の秋までの3年間)メッカにとどまりました。しかし時系列の問題から、論評者たちは1328年のハッジ(巡礼月)の後に旅立ったと考えています。1328年か1330年のハッジの後、紅海に面するジッダを訪れます。(同上)
*写真は、お土産用の安価な布製財布などのようです。 -
その後彼は、海岸に地域特有の南東の風に逆らいながら小船を乗り継ぎゆっくりと海岸に沿って南下しました。ラスール朝統治下のイエメンに入ると、ザビードを、そしてタイズを訪れた。タイズではラスール朝のマリク(すなわち王)のムジャヒードに謁見しています。(同上)
*写真は、門の隙間から眺めた、アッタリン神学校の光景です。 -
バットゥータは、サナアに立ち寄ったとも記録していますが、実際に訪れたかどうかは疑わしいようです。タイズからは直接交易の要衝アデンへ向かったと考えるのが現実的です。アデン着は、1329年か1331年と考えられます。
〇『ソマリア』:アデンよりバットゥータはソマリアのゼイラに向かう船に乗りました。ゼイラからソマリアの海岸をさらに下り、グアルダフィ岬を訪れます。それぞれで1週間を過ごしました。その後、ビラード・バルバル(アフリカの角地方)において当時最大の都市だったモガディシュを訪れます。(同上)
*写真は、まだ新しいように見えた格子造りの木製の扉の光景です。 -
バットゥータの訪れた1331年、モガディシュは繁栄の絶頂にありました。彼はモガディシュを裕福な商人の多い『極めて巨大な都市』と描写、エジプトを含む各地から持ち込まれる高品質な織物についても触れています。 彼は、ソマリアのスルターンの『アブー・バクル・イブン・サイクス・ウマル』について書き残しています。それによれば、『アブー・バクル・イブン・サイクス・ウマル』は、ビラード・バルバルの北部の出身でソマリ語(イブン・バットゥータの言によればバナディール州訛りのソマリ語)とアラビア語を同程度に流暢に話しました。さらにワズィール(宰相)、法律家、将軍、宦官に加え意のままに動く取り巻きを従えていたと記しています。(同上)
*写真は、アトラス杉で作られたらしい、年数を経た扉の光景です。 -
イチオシ
〇『スワヒリ海岸』:バットゥータは、船で、当時ビラド・アル=ザンジュ(ザンジュの地)と呼ばれていたスワヒリ海岸を南下しました。夜通し船に揺られ、島にある都市モンバサに上陸します。当時まだ比較的小さな街でしたが、翌15世紀には重要な都市となります。さらに海岸沿いの旅を続け、島にある都市キルワ(現在のタンザニア領)を訪れます。キルワは金の貿易の要衝となっていました。彼はこの都市を『最も美しく設計された街のひとつ、すべての建物は木で作られ、ディース葦(dīs reed)で屋根が葺かれている』と記録しています。(同上)
*写真は、アッタリン神学校の中庭と建物光景です。 -
バットゥータは、キルワ王国に1330年に着いたと記録を残しています。そしてそのスルターンの『アブー・ムワーヒブ・ハサン・ブン・スライマーン』の謙虚で敬虔な人柄を好意的に描写しています。スルターンは名高い建国者アリー・ブン・ハサン・シーラーズィーの子孫です。(同上)
*写真は、アッタリン神学校中庭の水盤の光景です。 -
他にもスルタンの威光が北はマリンディから南はイニャンバネ市に及んでいること、整然と整えられた街並みに心を動かされたこと、それこそがキルワの繁栄の秘訣であろうという彼の考えなど、踏み込んだ感想を残しています。(同上)
*写真は、見事な装飾が施されたドーム屋根と壁面の光景です。了解を得て撮影した写真ですが、普段は撮影できない室内だったかも知れません。 -
キルワのコーラル・ラグ(サンゴ由来の石灰岩)で造られた宮殿と拡張されたキルワのグレート・モスクの歴史はこの時代から始まっています。モンスーンの向きが変わるのにあわせて、バットゥータはアラビア半島へと戻ります。まずはオマーン、そしてホルムズ海峡を通過し、1330年(あるいは1332年)のハッジにメッカへ戻りました。
*写真は、山のように積まれた織物の光景です。(同上) -
〇『アナトリア』:3度目のメッカ巡礼の後、バットゥータはムスリムのムハンマド・ビン・トゥグルクが治めるデリー・スルターン朝で職を探すことに決めます。1330年(あるいは1332年)の秋、陸路でのインド入りを意図し、セルジューク帝国の支配下にあったアナトリア半島に向けて旅立ちました。彼は、紅海を渡り、東部砂漠を横切り、ナイル河谷に出ました。(同上)
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彼は、そこから一路カイロに向けて北上、さらにカイロからシナイ半島を抜けてパレスチナ、さらに北上し、1326年に彼が訪れたいくつかの街を抜けました。シリアの港街ラタキアで、ジェノヴァ共和国の船が彼と彼の道連れを拾ってアランヤまで運びました。この街は現在のトルコ南海岸に当たります。その後彼は、海岸沿いを西へ進みアンタルヤにたどり着きます。アンタルヤで彼は半宗教組織、フィチャン協会のメンバーと出会います。これは当時アナトリアの多くの街に存在した13世紀、14世紀のこの地域に特有の組織です。メンバーは若い職人からなりアキス(Akhis)の称号を持つものか組織のリーダーを務めました。(同上)
*写真は、旅行でご一緒した、海外旅行経験豊富な祖母と二人旅のお子さんです。 -
フィチャン協会は、旅人を歓迎することを理念として掲げていて、バットゥータは彼らのもてなしにいたく感銘を受けました。その後バットゥータはアナトリア地域の25以上の街でフィチャン協会の宿泊所を利用しています。アンタルヤからはハミド侯国の首都エイルディルを目指しました。彼はラマダン(1331年6月あるいは1333年5月)をこの街で過ごしました。これ以降、旅行記におけるバットゥータのアナトリアでの足跡は混乱を来たします。バットゥータはエイルディルから西方へ向かいミラスを訪れます。その後東へ420キロ、エイルディルを飛び越えてコンヤを訪れます。(同上)
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彼は、そのまま東方面へ旅を続けエルズルム、そこから1160キロ戻りビルギ、つまりミラスのすぐ北に戻ってきます。歴史家たちはバットゥータは実際に中央アナトリアのいくつかの都市を巡ったものの、旅行記の記述が時系列に沿っていないものだと考えています。(同上)
*写真は、『Art Naji』の案内看板です。陶芸工房の案内のようでした。 -
〇『中央アジアと南アジア』:スィノプから海路でジョチ・ウルス領のクリミア半島へ到着、港街アゾフにてハンのアミールに出会います。その後豊かな大都市マジャルを訪れます。そしてマジャルからウズベク・ハンのオルドを訪問するために出発します。この当時、ハンのオルドはベシタウ山の近くにありました。(同上)
*写真は、見学に立ち寄った陶芸工房の建物光景です。 -
彼はその後、ブルガールへ向かいます。この街が、彼の旅のなかでの北限となりました。夏の夜が、亜熱帯出身者からすれば、極端に短いと記録しています。その後ウズベク・ハンのオルドに戻り、彼らとともにアストラハンまで移動しました。彼はこの地域の夜の短さに関してエピソードを書き残しています。(同上)
*写真は、陶芸工房でのロクロ作業の実演光景です。 -
バットゥータは、ラマダン月にブルガールに到着するや否や、マグリブ・サラート(日没の礼拝)を告げるアザーンを聞き、そのまま礼拝に参加しました。そしてそのすぐ後に夜の礼拝(イシャー)、続いてラマダンの礼拝を行いました。これら一連の礼拝の後、彼は少し体を休めようとしました。(同上)
*写真は、ロクロ作業が終わって、乾燥中のタジン鍋の光景です。 -
イチオシ
しかしそうこうしていると彼の道連れがやってきて、夜が明けるのでスフール(断食に備えて摂る夜食)を摂るように急かします。スフールを食べ終えるや、ムアッジンが夜明け前の礼拝(ファジュル)を告げ、一睡する暇もありません。ブルガール滞在中に『ディヤーリー・ズルーマート(闇の地)』を訪れたいと書き残しています。(同上)
*写真は、絵付けが済んだカップ容器です。火入れ前です。 -
その地は遍く雪で覆われているシベリア北部で、唯一の移動手段は犬ぞりです。神秘的な人々が暮らし、彼らは姿を見せることを嫌います。それでも彼らは南方の人々と奇妙な方法で交易を行っています。南の商人は夜にさまざまな商品を開けた雪原に並べておき、自分たちのテントに戻ります。そして翌朝その場所にもどると商品はその神秘的な人々に持ち去られ、代わりにコートなど冬の衣類の素材となる上等な動物の毛皮が置かれています。この交易は神秘的な人々と商人がお互いの顔を見ることなく行われます。(同上)
*写真は、薄くした絵が描かれた、背丈を超える大きな壺の光景です。 -
バットゥータは商人ではなく、それほど値打ちのある旅に思えないので『ディヤーリー・ズルーマート』への寄り道は止めました。アストラハンに着くと、ウズベク・ハンは妊娠中の后の一人、東ローマ皇帝アンドロニコス3世の娘バヤルン妃にコンスタンティノープルへ出産のための帰郷を許可します。バットゥータは、頼み込んで同行させて貰い、イスラム世界を出た最初の旅となりました。(同上)
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1332年(あるいは1334年)も終わりに差し掛かった頃にコンスタンティノープルに到着し、彼は東ローマ帝国のアンドロニコス3世パレオロゴスに謁見しています。名高い教会アヤソフィアを訪れ、正教の司祭に旅の中で訪れたエルサレムの話をして聞かました。ひと月滞在した後、バットゥータはアストラハンに戻りました。(同上)
*写真は、グラインダーを使った、小物造りのようです。 -
その後首都サライを訪れ、スルタンのウズベク・ハンに旅の報告をしました。その後カスピ海、アラル海を越えブハラ、サマルカンドを訪れました。そこでまた別のモンゴルの王、チャガタイ・ハン国のタルマシリンのもとを訪れています。そこから彼は南へ向かいモンゴル治世下のアフガニスタンを旅しました。(同上)
*写真は、モザイク装飾の作業光景のようです。 -
バットゥータは、そのままヒンドゥークシュ山脈の山道を経てインド入りを果たしました。旅行記で彼はこの山岳地帯の名称と奴隷貿易の関係について触れています。彼の一行は、1333年の9月12日にインダス川に達しました。彼はデリーへ向かいスルタン、ムハンマド・ビン・トゥグルクに謁見しました。(同上)
*写真は、作業中のモザイク絵のズームアップ光景です。 -
〇『南アジア』:当時ムハンマド・ビン・トゥグルクはその豊かな財力でイスラーム世界に名を馳せていて、彼は支配をより強固なものにする目的でさまざまな学者や、スーフィー、カーディー、ワズィール、そして役人に経済的な支援をしていました。(同上)
*写真は、風船玉遊びのお子さんとお母さんらしい光景です。 -
トゥグルク朝は、モンゴル帝国の侵攻の後に残った、エジプトのマムルーク朝と同様、数少ないアジアのイスラーム国家でした。メッカでの経験が買われ、バットゥータはスルターンよりカーディーに任命されました。しかし、彼はイスラーム教の浸透していないインドでスルターンのお膝元、デリーを越えてイスラーム法の執行を徹底することは難しいと悟ります。(同上)
*写真は、大きな風船を持て余し気味のお子さんです。 -
バットゥータは、サルサティのラージプートの王国インドのハンシを訪れます。彼はハンシの街を以下のように描写しています。『数多ある美しい街でも最もよく設計され、最も人々がよく集まる街。堅固な城壁に囲まれていて、聞けばこの街を造ったのは偉大な不信心な王という話でタラ(Tara)と呼ばれている』(同上)
*写真は、お子さんのボール遊びにお付き合いの、お母さんと祖母のようです。 -
シンド州に着くとすぐに彼はインダス川の河畔に生息するインドサイについて言及しています。スルターンは、当時の感覚からしても理不尽な男で、滞在した6年間にバットゥータは、信の置ける臣下としてのアッパークラスな生活から、さまざま理由から反逆者としての疑いをかけられる状態へと身を落とします。(同上)
*写真は、公園の噴水光景です。 -
バットゥータが、ハッジを理由に旅立つ計画を持ち出すと、スルターンは彼を苦境へと落とし込みました。1347年、元の使節が中国人巡礼者に人気の高かったヒマラヤの仏教寺院の再建の許可を求めにやってくると、バットゥータはようやくデリーを離れる機会を得ました。(同上)
*写真は、ヤシの木が植えられた、整備された公園の光景です。
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