2010/07/07 - 2010/07/12
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旅人のくまさんさん
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カルタゴ時代と、その後のローマ時代との複合遺跡から発掘された特異な幼児墳墓と、カルタゴ軍港址の紹介です。
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カルタゴ遺跡の中でも、特異なものが幼児の墳墓です。その墳墓があるトフェの墓地の入口です。幼児墳墓には、生贄説や疫病説などがあります。
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同じく、トフェの墓地の入口近くの光景です。生贄説の根拠は地元に伝わる説と、ローマ時代の記述が根拠とされます。ただし、ローマ時代の記述には、カルタゴを建設したフェニキア人を野蛮人とする、意図的なデマとする説もあるようです。
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木陰に置かれた幼児の墓石群です。トフェの墓地は。全てが発掘調査されたのではないようです。発掘調査されたのは、まだ一部だけのようでした。それだけでも千体を超す幼児の骨や墓石が発掘されました。
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木々が生い茂るトフェの墓地の光景です。幼児の生贄の風習は、古代エジプトやイスラエルに遡るとされます。エジプトの『死者の書』には、初子を小さく刻んで鍋で焼くという伝統が記されています。また、旧約聖書の『出エジプト記』では、神とイスラエルの民との契約として、初子をヤハウェの祭壇に捧げることが記されています。
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累々と続く幼児の墓石です。エジプトやイスラエルでは、幼児を生贄にするのに代え、羊が身代わりとして生贄となったとされます。ミサ曲の『アニュス・デイ』(神の子羊)にも何らかの関わりがあるのでしょうか。
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同じく、幼児墓石群の光景です。ノアの洪水後、神による人類救済の出発点として選ばれた最初の預言者アブラハムが、神であるヤハウェに命じられたとおり、我が子イサクを捧げようとしたところ、ヤハウェの天使に止められ、代わりに雄羊を提供したという物語が、旧約聖書の『創世記』に登場します。
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幼児墓石群のアップです。類似もののもあれば、違った形のものもあります。古代人が、新穀や羊の初仔だけでなく、大切な初子までを神に捧げた理由の推測です。それは、旧約聖書によれば、彼らが、穀物であれ家畜であれ子供であれ、最初の収穫物は神の所有物で、神のものは神に返すべきだと考えていたからと解釈されています。
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このお墓は、複合遺跡になっているようです。段の下は、下層から新たに発掘された墳墓群です。写真を撮っている場所の下部にも、発掘すれば墳墓があると、現地ガイドさんが説明されていました。
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同じく、発掘された壇の下の墳墓群です。幼児墳墓群に関する情報をネットで検索しましたら、2003年にチュニジア政府の招請で、チュニジアを7日間訪問された共産党の不破議長(当時)のブログがヒットしまた。その中で紹介されていた幼児生贄に関するマルクスの見解です。『周知のように、テュルスとカルタゴの支配者たちは、彼ら自身を犠牲にささげるのではなく、貧乏人の子供を買い取って、モロック神の灼熱した腕のなかに投ずることによって、神々の怒りをやわらげたものである』(反プロイセンの扇動:1885年)
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因みに、現在のチュニジアの政治は、ベン・アリー大統領が指導する立憲民主連合(RDC)が一党支配を続けていて、政権交代の経験はない国です。少数政党には、民主社会運動(MDS)と人民統一党(PUP)、それに非合法化されたチュニジア共産党の流れを組むエッタジディード(変革)運動があります。
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不破氏が紹介されていた、マルクスのもう一つのカルタゴ論は、ハンニバルに関するものです。それは、『ローマ軍を撃破した三つの大戦闘―ティキヌス河畔(前218年)、トレビア河畔(同前)、カンナエ(前216年)の戦いについては、その記述は実に詳細』と紹介されていました。これは記述に先立ち、盟友のエンゲルスがポエニ戦争についてのローマ側の資料を入手したためとされます。きっかけは、アメリカの百科事典と契約した執筆です。
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風化が進み、半ば苔生した日陰にあった幼児の墳墓です。この後は、目にとまった墓石を、個別に紹介していきます。
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少し白っぽい石を使った幼児の墓石です。中央の縦長の長方形にくり抜かれた部分には、頭部に突起がある円筒形の文様が刻まれています。風化が、かなり進んでいます。
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少し赤っぽい石を使った墓石です。風化が進み、刻まれた文様はほとんど判別できません。中央に描かれた文様は、強いて言えば、花瓶のような形です。
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人の形を刻んだ墓石です。葬られた幼児を偲んだものでしょうか。幼児生贄の先入観がなければ、地蔵菩薩の光景です。
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幾何学的な紋様が刻まれた墓石です。幾何学模様ではなく、人の上半身をデフォルメしたものかもしれません。
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何段にも枠が刻み込まれた墓石です。その中央に描かれた文様は、建ての細長い菱形です。風化したり欠損したりしていますが、上部にも飾りがあります。
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同じように、中央部分が何段にも刻み込まれた墓石です。斜めからの撮影ですから、中央の文様は判別できません。
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同じような大きさの墓石が、2つ並んだ光景です。形も大きさも似通った墓石です。風化が進んで、刻まれた文様はよく分かりません。
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形も大きさもまちまちの墓石が4つ並んだ光景です。発掘されたままの姿ではないかも知れません。墓石の材質も年代も違うようです。
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発掘調査のために出来た段差でしょうか。その崖下の光景です。墳墓のほかに、石垣等も発掘されている光景です。ローマに滅ぼされる前のカルタゴ時代の遺跡のようです。
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日陰になった墳墓と、日が射した墳墓がある光景です。肉体を霊魂の一時的な棲家とみなし、霊魂の不滅を信じていた古代では、霊魂を本来の場所に戻すことを、それほど残酷ではないと感じていたかもしれません。霊魂の不滅を信じていたことは、エジプトのミイラ作りなどで理解されます。
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一通り見学したトフェ墓地の光景です。神への捧げものは、宗教に共通した儀式のようです。日本神教でも、天皇が五穀の新穀を奉じる新嘗祭などがありますし、土着の秋祭なども、同じ性格を持つ、収穫を喜び、豊穣を感謝する祈りの原型かも知れません。
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波を一杯に茂らせた椰子の樹です。古い葉も枯れずに地上に達していました。中間辺りに黄色く見えるのは、花が終わって小さな実が付いたようです。
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幼児犠牲の言い伝えがある、トフェ墓地の紹介はこれでお終いです。付近には高級住宅街の建物が見えました。
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場所を替わって、カルタゴ軍港址の光景です。カルタゴが陥落した後、ローマによって拡張工事が行われました。
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同じくカルタゴ軍港址の光景です。軍港として機能を果たしていた時代には、軍港は円形で、海岸線には頑丈な城壁が巡らされていたようです。
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岸辺に夾竹桃が咲いていた、カルタゴ軍港址の紹介が続きます。一艘で400人程が乗船できる古代の大型船が、200艘は停泊出来たとされる規模の軍港です。
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バスを駐車する場所がありませんでしたから、写真を撮るホンの僅かな時間停車して貰っての撮影です。軍港の対岸、地中海側の光景です。軍港の入口は右手になります。
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カルタゴ軍港紹介の締め括りです。こちらが軍港の一番奥になります。円形であることが分かる光景です。写真では右手に当たる、軍港の手前には商業船用の港が続いていました。
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