2010/07/07 - 2010/07/12
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ビュルサの丘のカルタゴ遺跡と、国立カルタゴ博物館とサン・ルイ聖堂の紹介です。博物館の展示品は補遺で纏めて紹介しました。
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元は修道院だったとされるカルタゴ博物館の建物です。
第3次ポエニ戦争で滅ぼされたカルタゴ時代のことを少し記しておきます。まず最初に、『カルタゴ』の名前は、フェニキア語のカルト・ハダシュト(Kart Hadasht:新しい町)に由来するとされます。 -
博物館の入口付近の光景です。右手にチュニジア国旗がありました。
強力な海軍を要した古代カルタゴは、現在のモロッコからエジプト国境に至る北アフリカ沿岸を支配下に治めました。地中海においては、サルデーニャ島、マルタ島、バレアレス諸島を支配し、イベリア半島に植民都市を建設しました。 -
カルタゴ博物館内の光景です。シルエットになった展示物です。
カルタゴの進出と覇権の拡大は、ローマ時代に先立つ、地中海中央部で確固たる勢力をもつギリシアとの対立を増大させました。そして最初に起き衝突が、紀元前480年の第一次シチリア戦争です。カルタゴは、この戦争での敗北により弱体化し、国内では貴族政が打倒され、共和政に移行しました。 -
同じくカルタゴ博物館の展示状況です。展示品は纏めて補遺で紹介しました。
第1次シチリア戦争後に発足した共和政による政策の結果、紀元前410年までには、カルタゴは回復を遂げましたが、イベリア半島の植民地は失われました。 -
英雄達の胸像のようです。見学時間が少なく、全てを撮影することは出来ませんでした。
紀元前409年、ハンニバル・マーゴは、勢力拡大のため、シチリア島への遠征を行い、現在のセリヌンテにあたるセリヌスやヒメラといった小都市の占領に成功しまた。更に、紀元前405年、ハンニバル・マーゴはシチリア島全域の支配を目指して、二回目の遠征を開始しました。しかし、包囲戦の最中にカルタゴ軍に疫病が蔓延し、ハンニバルもそれが元で亡くなりました。シチリア攻防戦は、60年に亘って繰り広げられました。 -
同じく、大理石像等の展示状況です。カルタゴ時代より、その後のローマ時代のものが多いかもしれません。
第三次シチリア戦争は、紀元前315年、シラクサ王アガソクレスにより、現在のメッシーナにあたるメッセネの包囲に始まり、紀元前311年には、カルタゴ最後の要塞を攻撃しました。シチリアのカルタゴ軍が挽回したのはハミルカルでした。彼は、紀元前310年にはシチリア島のほとんどを占領し、逆にシラクサを包囲しました。第三次シチリア戦争は、シラクサ王アガソクレスの死に物狂いの反撃で、307年に停戦となりました。 -
赤い色をした焼物の展示です。出土年代などが撮影できなかったのが残念です。
シチリア戦争の次は、ポエニ戦争の話です。、カルタゴと共和政ローマの間で戦われた第一次ポエニ戦争は、紀元前264年に始まり、紀元前241年に終わりました。し一リアでの地上戦も一部ありましたが、ほとんどは地中海を舞台とする海戦でした。戦いはローマ軍の勝利に終わり、カルタゴは多額の賠償金を負いました。 -
同じく焼物の展示状況です。テラコッタ、素焼きに見えます。
第二次ポエニ戦争は、紀元前218年に始まりました。この戦争では、カルタゴのハンニバル・バルカ将軍が、アルプス声を敢行してイタリア半島に攻め入り、多大な損害と恐怖をローマ側に残したため、『ハンニバル戦争』とも呼ばれます。最初は優勢だったカルタゴ軍の戦いも、次第に消耗し、結果はローマ軍の勝利に終わり、多額の賠償金負担を負い、海外領土を失い、軍事力も大きく減退しました。ただし、カルタゴ本国はまだ健在でした。 -
幾何学模様のモザイクです。モザイクコレクションでは、チュニスのバルドー美術館が有名ですが、こちらの博物館にも、数は少ないですが展示してありました。
次は、カルタゴがローマに滅ぼされた第三次ポエニ戦争です。紀元前149年に始まりました。軍事力に勝るローマ軍による、カルタゴ市に対する3年間の攻囲戦でした。紀元前146年、カルタゴの町は完全に破壊され、カルタゴの全領土はローマに併合され、カルタゴの全住民は戦死か奴隷となりました。 -
かなり欠損した、幾何学模様のモザイク画です。
ローマ軍に侵攻されたカルタゴの町は、10日間から17日間ほどで焼き払われたとされます。栄華を誇ったカルタゴの町は、完全に破壊されました。周辺の土地には作物が育たないよう、塩が撒かれたとの言い伝えも残ります。 -
騎馬像と猛獣を描いたモザイク絵です。
カルタゴ滅亡の後日談です。1985年1月、ローマ市長とチュニス市長は、2200年以上の時を経て、公式に終戦の条約に署名しました。日本でも、忠臣蔵物語で有名な、赤穂市と吉良町が、時を経て和解の交流を行いました。 -
ダイナミックな猛獣のモザイク絵のアップです。周りには草原も表現されています。描かれているのは、豹か、チーター当たりでしょうか。
カルタゴの陥落は、イギリスの著名な画家のターナーによっても描かれました。彼は、『アルプスを越えるハンニバルとその軍勢』(1812年)等の作品も残しました。 -
屋外にいくつも展示してあった石柱の一部です。針や天井を支える柱の上部です。保存状態の良い精緻な彫刻がありました。透かし彫風の彫刻です。
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チュニジアンの第二代大統領のザイン・アル=アービディーン・ベン=アリー氏の肖像です。1987年11月から現職です。若い頃の写真でしょう。
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ここからは、カルタゴ博物館の見学を終えての帰路での撮影です。通路脇の金網越しに、未整理の遺物群が見えました。ほとんどが石柱の一部のようです。
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カルタゴ博物館の前庭の光景です。前方に入口が見えています。通路脇の花壇に、奇麗に剪定された庭木が並んでいました。
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博物館内ではスペースがないのでしょうか、石棺が通路脇に置かれていました。少し破損した蓋もありました。
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通路脇の石棺は、複数個ありました。恐らくカルタゴを収めた長官クラスの人を収めた石棺でしょう。風化が進まない内に、室内展示されるべき遺物でしょう。
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カルタゴ遺跡の並木道の光景です。ユーカリの1種でしょうか、確かな樹種は分かりません。右手前にお土産店が微かに見えています。
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今回の旅行で、何度も見た光景の一つです。『砂漠の薔薇』と呼ばれる石です。砂漠が創り出した石で出来た薔薇は、お土産品です。
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ビュルスの丘は人気の観光地ですから、お土産店も少しだけ並んでいました。その1店です。モザイクを題材にしたお土産品が多いようです。
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ビュルスの丘のカルタゴ遺跡見学の締め括りは、もう一度サン・ルイ教会の建物の紹介です。赤い花を飾りに入れての尖塔の光景です。
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今度は赤い花飾りなしでの撮影です。動物が描かれた塀と樹木が近景になりました。1956年にチュニジアが独立して以降は、カトリック教会として使用されなくなり、1993年からはアクロポリウムと呼ばれる文化施設となりました。
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サン・ルイ教会の尖塔の最上部の光景です。この教会の建築様式は、東西65メートル、南北30メートルのラテン十字をかたどった、三廊式の聖堂とされます。
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同じく尖塔の最上部のアップです。チュニジアがフランスの保護領であった時代の1884年から 1890年アフリカ主座司教の聖堂にかけて建設されました。カルタゴ大司教は、アルジェ大司教を兼ねていましたので、アフリカ主座司教の聖堂の時代もありました。
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今度は複数の尖塔が見える位置からの、カメラアングルを横にしての撮影です。この写真では分かりませんが、建物正面のファサードには、マルタ島産の石材を用いた薔薇窓があります。
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複数の尖塔のアップです。寺院の名前は、フランスのカペー朝第9代国王のルイ9世(在位1226-1270)に因みます。優れた知性と高潔な人柄で知られた国王で、聖王ルイとも呼ばれます。
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続いても、サン・ルイ教会の尖塔光景です。現在はコンサートや、展示会などの文化施設として使われていますから、サン・ルイ教会跡と呼ぶべきでしょうか。サン・ルイ教会は、英語では、セイント・ルイですから、聖ルイ教会の意味です。
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木立の先に、尖塔が2つ見える光景です。見ることは出来ませんでしたが、ステンドグラスには、司教座聖堂の守護聖人である聖アウグスティヌスと聖王ルイの像が描かれています。
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これで、ビュルスの丘のサン・ルイ教会と、カルタゴ遺跡の紹介はお終いです。チュニジアの国教はイスラム教ですが、戒律は厳しくないとされます。24万人のカトリック信者、32万人のプロテスタントを信仰するキリスト教徒もいます。
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