2010/03/19 - 2010/03/19
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SUOMITAさん
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1457 キエフ大学に着く.1834年創立,民族運動の拠点となる.そのためロシア皇帝ニコライ1世が徴兵拒否運動を起こした学生たちへの罰として,建物を血の色で塗りつぶすように命令した名残とか.私のフィンランド語(フィンランド人)の先生の留学先だった.ガイドのエレナさんが守衛と交渉して,写真を撮らないことを条件に中に入ることができた.さらに中の博物館に入ることもできて,なんと館長さんに案内してもらうことができた.旧ソ連以来の「博物学」研究のすばらしさの一端をしることができた.それにしても魚類を剥製にする技術はすごいとおもう.建物もすばらしい大学だ.先生にお土産話ができた.1632チェルノブイリ博物館に着く.展示とDVDを見学鑑賞.事故のジオラマはよかったが,しかしたしかにこの博物館,事故を象徴しているのであろうが,なかなか悲惨さが訴えてこない.それは①事故の悲惨な様子がわかる資料が少ない②事故の科学的説明,統計に乏しい.③ソ連という国家が待った根源的な事故への犯罪性の指摘が十分でない④ウクライナ語での展示で英語展示がない.ことによるのだとおもう.広島や長崎以上の放射能を拡散した事故だ.後世のためにも日本の原爆資料館なみの展示であったらよいと思うのはわたしだけだろうか.原発をどう位置づけるのか,政治的決着が付いていないのかもしれない.しかし地震国日本でもし原発事故があったら,とおもうとぞっとする!! これらの事を知るためにもこの博物館を見学して良かったと思う.
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1457 キエフ大学に着く.1834年創立,民族運動の拠点となる.そのためロシア皇帝ニコライ1世が徴兵拒否運動を起こした学生たちへの罰として,建物を血の色で塗りつぶすように命令した名残とか
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この写真の色の方が本物の色に近い
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プレートに大学ゆかりの人たちが顕彰されている.
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国民的詩人かつウクライナ語を芸術の域までたかめたシェフチェンコ
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守衛にエレナさんが話してくれたら,入場OKになった.ただし写真は撮らないことと言うが,教室を取らなければいいだろうとおもい,廊下を撮影.古く権威のある大学だ.教授室,研究室なども重々しい.学生は若く活発な感じ.
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歴代学長の肖像が並ぶ
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私のフィンランド語の先生が在籍していた頃の学長写真,日本に帰ったら聞いてみようとおもい撮影.
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2階の踊り場
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むこうに博物館と書いてあると.とりあえず断られるかもしれないが行ってみようということになった
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はいるとすぐに人類進化の図.その向こうにオフィスがある.館長さんが出てきて案内してくれることになった.50歳代の女性,英語は話せない
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中は真っ暗,電気をつけてくれた
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中を見てびっくり!大きな博物館のよう.世界中の蝶や昆虫の標本から,植物さらには動物までそろっている.シロナガスクジラやインド象の骨格もある.19世紀から20世紀にかけての博物学の発展を見るようであった.最初写真を撮ってはだめと思い込んで,話さなかったが最後になって,1枚でもいいから記念にと思ってはなしたら,どうぞどうぞということになった.いまさらたくさんの写真を撮るのも恥ずかしく,何枚かの写真のみで紹介する.
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インド象
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象の皮膚の標本
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ノコギリザメの標本,その他魚の標本も多い.魚拓やホルマリン漬けの魚しか見たことのない私たちにはその標本作成技術に驚嘆する!
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ベラルーシを中心に分布する稀少動物,ズーバル.その他にも各種のタツノオトシゴや野生哺乳動物(鹿,サイなど)の剥製など所狭しと並んでいた.はちどりのような小型鳥類の標本も多数ある.
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むこうに蝶の標本がある
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1552 キエフ大学から出る.まさか館長に案内してもらえるとは思わなかった.とてもおもしろかったし,この大学の考え方の一端がわかった気がする.正門正面の道をみる.
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道路の反対側から大学の全景を撮影
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今度はチェルノブイリ博物館に向かう.
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地下鉄ポシトヴァ・プローシチャ駅から遊覧船の船着き場の入り口
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小さな路地に入っていく
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なんと装甲車がおいてある
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チェルノブイリ博物館の入り口
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塔になっている.
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モニュメント
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入場料5グリブナ(60円),写真撮影20グリブナ,DVD鑑賞20グリブナであった.
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入り口にある絵,日本語で「神は愛なり」と書いてあった.
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町の名前が書いてある階段を上る.表は白く,裏は黒く,名前が斜め赤線で消されている.チェルノブイリの事故で消えた町の名前だ.
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表側
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裏側
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上の階には4つの部屋があり,当時の記録や犠牲者の写真が飾られている.
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犠牲者の写真
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軍人の犠牲者の遺品
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事故当時つかわれた地図
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原子力発電所の模型
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付近の地図を赤く塗り事故を象徴させている
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救助隊だが,こんな軽装ではすぐに被爆したとおもう.事故の後の死の灰の掃除は,あついため防護服を着ず,作業員や地元の人たちが裸で行ったようだ.記録映画のDVDと称するものを見たが,①避難する人々の映画も切迫感がない②死の灰の片付けも落ち着いていてきれいすぎる.③事故当時の発電所内外の様子をうつしたものも鮮明さに欠ける.④人がいなくなった町だけが鮮明に映し出される.など④を除き,あまり事故の全体像や悲惨さがよくわからなかった.清瀬さんがテレビ局との取材によるともっと悲惨な記録が数少ないがあり,ここで記録と称して写しているものは,他の場面から取ってきた合成か,あとで演技させてとったものとのことだ.記録がソ連時代であまり残っていないことと,一部の記録は悲惨すぎて,現在も親族が生きているので,表に出せないからとのことだった.少なくともここで上映されているDVDからは被曝事故の悲惨さは残念ながら伝わってこない.
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壊滅した町を象徴した
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ソ連時代の各共和国機も飾られていた.これはベラルーシの旗だ.
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ジオラマで事故の様子を動画のように再現
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夜の発電所
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1985.4.26 01.23.48
ソ連の崩壊をはやめた事故が起こった -
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事故後の発電所,さらに密閉された発電所までジオラマになっていたが撮影し忘れた.このジオラマは比較的優れもので,事故の様子がよくわかった.コンピューターでのその後の死の灰が何次かにわたり風に乗ってヨーロッパ中,とくにバルト三国からフィンランド,スカンジナビアなどへ拡散していく様子は恐ろしかった.
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日本からの千羽鶴,原水禁メッセージ
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日本で発行された写真家広河隆一氏の本も展示されていた.
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もう一つのホールは子供と家族をテーマ
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亡くなった子供の写真
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子供たちが使っていたおもちゃが天国への船に乗っている
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こんな服では放射能を防げっこない
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ソ連の官僚主義が事故を起こし,隠蔽体質が犠牲を大きくした.ブレジネフなどが真の罪人だろう.ゴルバチョフ時代の初期にあり,ペレストロイカよりグラスチノチ(情報公開)が早く進んでいったことが,体制崩壊を生んでいく.しかしこの事故で,現場にかり出された労働者や住民,周りの村落や都市の住民の犠牲(被爆後遺症もふくめ)ははかりしれないだろう.
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出口.絵が飾ってあった.たしかにこの博物館,事故を象徴しているのであろうが,なかなか悲惨さが訴えてこない.それは①事故の悲惨な様子がわかる資料が少ない②事故の科学的説明,統計に乏しい..③ソ連という国家が待った根源的な事故への犯罪性の指摘が十分でない. ④ウクライナ語での展示で英語展示がない.ことによるのだとおもう.広島や長崎以上の放射能を拡散した事故だ.後世のためにも日本の原爆資料館なみの展示であったらよいと思うのはわたしだけだろうか.原発をどう位置づけるのか,政治的決着が付いていないのかもしれない.しかし地震国日本でもし原発事故があったら,とおもうとぞっとする!!
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外に出るともう1752.博物館前の道路
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