2009/10/10 - 2009/10/10
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旅人のくまさんさん
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創建当時は覚王山日暹寺の名前でしたが、昭和20年に戦争で焼失し、その後再建され、シャム国のタイ王国への改名に合わせて、日泰寺に改名されました。
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興正寺境内の松の庭木と、この碑の空模様です。八事山・興正寺が建立されるきっかけとなった、ネパールでの釈尊の遺骨、仏舎利が発見されたいきさつです。明治31年(1898年)1月、ネパールの南境に近い英領インドのピプラーワーで、イギリスの駐在官ウィリアム・ペッペが古墳の発掘作業中、一つの人骨を納めた蝋石の壺を発見しました。
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浄めの水と、その脇に松の庭木の光景です。ペッペが発掘した壺には、紀元前3世紀頃の古代文字が側面に刻みこまれていて、それを解読したところ『この世尊なる佛陀の舎利瓶は釈迦族が兄弟姉妹妻子とともに信の心をもって安置し奉るものである』と記されてありました。これは原始佛典に、『釈尊』が死去した後、遺体を火葬に付し、遺骨を八つに分けてお祀りし、釈迦族の人々もその一部を得てカピラヴァツに安置したとする記述と符合するものでした。19世紀における東洋史上の一大発見とも称されます。仏陀(ガウタマ・シッダールター)が釈迦族の王子として生誕したルンビニは、仏教の八大聖地の一つで、現在は世界文化遺産に指定されています。
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浄めの水の光景です。刻まれている文字は、『清水』のようです。仏舎利発見の続きです。その後、インド政庁はこの舎利瓶と若干の副葬品の提出を受け、舎利瓶その他はカルカッタの博物館に納めましたが、釈尊の御遺骨については、これを佛教国であるタイ国(当時シャム)の王室に寄贈しました。当時のタイ国は、チュラロンコン国王(ラーマ五世)の時代でした。
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五重塔の上層階の軒先光景です。釈尊の御遺骨である仏舎利は、ワットサケットに祀られましたが、その一部は、同じく佛教国であるセイロン、ビルマに分与されました。セイロンは現在のスリランカ、ビルマは現在のミャンマーです。
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五重塔の中層階と松の庭木の光景です。仏舎利が分与された当時、日本のタイ国弁理公使稲垣満次郎(1861〜1908年)は、バンコクでこれを見聞し、日本の仏教徒に対してもその一部を分与して欲しいとタイ国々王に懇願しました。その結果、『タイ国国王より日本国民への贈物』とする決定が、ラーマ五世により下されました。
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同じく、五重塔と松の庭木との光景です。日本に仏舎利を齎すことに尽力した稲垣満次郎は、明治40年(1907年)に在スペイン特命全権公使となりましたが、翌年に任地マドリードで病死しました。日泰寺には、そのお墓があります。父は肥前国の平戸藩士で、勘定奉行を務めた人です。
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細い葉をした常緑樹らしい庭木です。お神籤が所々に結び付けられていました。
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イチオシ
大樹の木陰に並んで祀られていた地蔵様の一団です。中央付近の白い像は、観世音菩薩のようです。
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大樹の木陰に並んで祀られていた地蔵様のズームアップ光景です。実在の人をモデルにしたような、写実的な顔付きです。
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大樹の木陰に並んで祀られていた地蔵様のズームアップ光景が続きます。こちらも随分と写実的な表現の石像です。
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お揃いの赤い帽子と、赤玉の前掛けの地蔵様の紹介が続きます。まだ若い人がモデルのような石像です。
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イチオシ
大樹の木陰に並んで祀られていた地蔵様の一団の中央付近に祀られていた、焼物らしい像です。観世音菩薩像のようです。台座に『吉祥如意』の文字がありました。『吉祥』は、良い兆し、めでたいことを意味し、『如意』は、意のままになるという意味です。中国などでは、年賀や春節など祝い事に使われる表現です。
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大樹の木陰に並んで祀られていた地蔵様の紹介はこれでおしまいです。この二体もお揃いの帽子と前掛けでしたが、写実的な像とは違っていました。
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覚王山・日泰寺の本堂の光景です。名古屋では、最も格式の高い葬儀が行われる寺院として定着しています。仏舎利の話の続きです。稲垣公使の通牒が外相青木周藏に寄せられ、直ちに日本仏教各宗管長に対して、受け入れ態勢の要請がなされ、当時の仏教13宗56派の管長は協議を開いて、タイ国国王の聖意を拝受することを決定しました。
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覚王山・日泰寺の本堂正面のズームアップ光景です。正面に線香立がありました。明治33年(1900年)6月に仏舎利奉迎の使節団が結成され、正使に大谷光演(東本願寺法主)、副使に日置黙仙(曹洞宗、後に永平寺貫首)の他、藤島了穏(浄土真宗)、前田誠節(臨済宗)等がタイ王国に向かいました。6月15日バンコク王宮においてチュラロンコン国王より御真骨を拝受しました。また、使節団が帰国後、仏骨奉安の寺院を超宗派で建立するとお約束をしたところ、完成時の御本尊にと、タイ国国宝の一千年を経た釈尊金銅仏一体が贈られました。
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春日灯篭風の石灯篭と、本堂の建物光景です。奉迎使節団により持ち帰られた御真骨は、京都妙法院に仮安置されました。仏教各宗の代表が集って新たに御真骨をお祀りする寺院の建立計画が協議されまししたが、候補地を巡って意見が分れ、決定には苦渋したようです。結果として、名古屋官民一致の誘致運動が効を奏し、10万坪の現在の地に決定されました。明治37年(1904年)、釈尊を表す『覚王』を山号とし、日本とシャム(暹羅)の友好を象徴する『日暹寺』の寺号をもって誕生しました。シャム国がタイ王国となり、寺号は現在の『覚王山日泰寺』となりました。
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日泰寺境内の古木の光景です。クスノキ(楠)のようでした。年代を経た樹が移植されたのかもしれません。
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石垣の上に、更に基礎を積んで嵩上げされた石灯篭の光景です。春日灯篭風の造りです。
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春日灯篭風の石灯篭のズームアップ光景です。柱部分に、『除夜灯』の文字が刻まれていました。春日灯篭の基本形は、宝珠は下から露盤、請花、宝珠の三層です。請花は複弁の六枚花弁、笠は六角形で上部中央から角に向かって隆棟があり、各隅に蕨手があります。この部分は、請花の花弁数を除いて基本通りのようです。その下の火袋は、六面、前後に火口があり、正面から左回りに鹿、雲、後戸、三笠山、透かしの順になる約束事がありますが、これは六面が火口になっていました。春日灯篭の柱は、上、中、下部に節を浮彫にし、節にそって子節が付けられますが、この部分もアレンジしてありました。
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内側から眺めた山門の建物光景です。昭和61年(1986年)に完成した建物です。仁王像の代わりに、楠一木造りの阿難尊者と迦葉尊者の像が納められています。
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お神籤を結び付ける架台の光景です。お神籤はあまり利用されていないようでした。
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全体は撮影できませんでしたが、鬼瓦のズームアップ光景です。全体が銅板で覆われていました。
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瀟洒な筆使いの『覚王山』の扁額です。初代日泰寺・管長の揮毫のようです。日泰寺の管長は19派が持ち回りで勤められているようです。
(追記)2013年4月22日、妙心寺派管長河野太通老大師が管長に就任されました。 -
青い文字が認められた、『転法輪』の扁額です。山田恵諦天台座主(1895〜1995年)の書です。第253世天台座主を、20年務めた方です。『比叡山宗教サミット』を開催するなど、行動的な座主でしたから、『空飛ぶお座主』と呼ばれました。全日本仏教会会長などを歴任されました。
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覚王山・日泰寺の中央祭壇の光景です。ラーマ五世から贈られた、タイ国国宝の釈尊金銅仏が中央に祀られていました。扁額は、プミポン国王直筆のタイ文字で、『釈迦牟尼仏』と記されているようです。
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日泰寺境内から眺めた周りの建物光景です。巨大な庫裏の建物だったようです。
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『タイ国皇太子殿下お手植え』の文字が刻まれた、まだ新しい石碑の光景です。側面に昭和62年(1987年)9月27日の日付がありました。
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『タイ国皇太子殿下お手植え』の石碑があった樹木の光景です。樹種は、カイコウズ(海江豆)です。アメリカデイゴとも呼ばれる赤い花を咲かせるマメ科の落葉高木です。原産はインドとされます。
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日本に仏舎利を寄贈された、タイ王国(当時シャム国)のチャクリー王朝五代のラーマ五世像です。幼名はチュラロンコン、国の遅れを取り戻す、『チャクリー改革』と呼ばれる数々の施策を実施しました。タイ三大王のうちの一人で、今でも国民から人気が高い王様です。
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イチオシ
ラーマ五世像のズームアップ光景です。1999年にアメリカの『タイム』誌で、『今世紀もっとも影響力のあったアジアの20人』の1人に選ばれました。『チャクリー改革』の主な項目は次の通りです。
①奴隷売買の廃止
②各地の王を廃止し、中央集権国家に
③官僚制を導入し、行政を効率化
④議会制度の前身となる、国政協議会と枢密院を設置
⑤学校教育を開始
⑥道路と鉄道のインフラ整備
⑦電話業務を開始
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旅行記グループ
2009年、尾張散策(その1)
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2009秋、日泰親善のシンボル覚王山日泰寺(1/5):参道、木賊、ハナミズキ、山門
2009/10/10~
千種・今池
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2009秋、日泰親善のシンボル覚王山日泰寺(3/5):五重塔、覚王山八八箇所、地蔵尊
2009/10/10~
千種・今池
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2009夏、ど真ん中祭り(1/3):平針会場、久屋大通会場、名古屋テレビ塔、クリスタル広場
2009/08/29~
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2009夏、ど真ん中祭り(2/3):夜の部見学、演技披露の会場光景、屋台光景
2009/08/29~
名古屋
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2009夏、ど真ん中祭り(3/3):夜の部見学、団体演技披露のメインステージ
2009/08/29~
名古屋
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2009初秋、八事山散策(1/5):五重塔、本堂、石灯篭、阿部珂山書碑
2009/09/06~
名古屋
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2009初秋、八事山散策(2/5):地蔵尊、不動尊、石碑、大日堂
2009/09/06~
名古屋
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2009初秋、八事山散策(3/5):石碑、地蔵尊、不動尊、弘法堂、東山本堂
2009/09/06~
名古屋
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2009初秋、八事山散策(4/5):暖地広葉樹林、榊群生、アベマキ、リョウブ
2009/09/06~
名古屋
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2009初秋、八事山散策(5/5):アラカシ、コナラ、カクレミノ、サカキ、サルスベリ
2009/09/06~
名古屋
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2009初秋、塩竈神社:百日紅、七変化、紫御殿、手水舎、拝殿
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2009秋、台風一過の天白川(1/2):コサギ、ヒガンバナ、ナンキンハゼ、柿の実
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2009秋、台風一過の天白川(2/2):コサギ、ダイサギ、アオサギ、芙蓉、ムラサキシキブ
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2009秋、尾張の古刹・桃厳寺(1/3):清浄門、不老門、アベマキ、フイリヤブラン
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2009秋、尾張の古刹・桃厳寺(2/3):織田信秀公廟、慕情観音、三重塔、ツワブキ
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2009秋、尾張の古刹・桃厳寺(3/3):名古屋大仏、宝幢、愛情椿、ホトトギスの花
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2009秋、織田信秀所縁の末森城址、城山八幡宮(1/2):本殿、神馬、狛犬
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2009秋、織田信秀所縁の末森城址、城山八幡宮(2/2):本殿、狛犬、連理木
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2009秋、日泰親善のシンボル覚王山日泰寺(1/5):参道、木賊、ハナミズキ、山門
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2009秋、日泰親善のシンボル覚王山日泰寺(2/5):五重塔、本堂、タイ王国ラーマ五世像
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2009秋、日泰親善のシンボル覚王山日泰寺(3/5):五重塔、覚王山八八箇所、地蔵尊
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2009秋、日泰親善のシンボル覚王山日泰寺(4/5):地蔵尊、不動尊、四国札所巡り
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2009秋、日泰親善のシンボル覚王山日泰寺(5/5):釈尊遺骨、福沢桃介顕彰碑、観世音菩薩像
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2009秋、尾張徳川家の菩提寺・建中寺(1/4):三門、本堂、鐘楼、地蔵尊
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2009秋、尾張徳川家の菩提寺・建中寺(2/4):本堂、経蔵、鐘楼、石碑、徳川光友公墓
2009/11/21~
名古屋
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2009秋、尾張徳川家の菩提寺・建中寺(3/4):本堂、鐘楼、書院、不動堂
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2009秋、尾張徳川家の菩提寺・建中寺(4/4):三門、本堂、不動堂、陳元贇墓所
2009/11/21~
名古屋
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2009晩秋、名駅前のイルミネーション:街並みの四季
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2009暮、天白川の初冬(1/3):サザンカ、カワラナデシコ、ダチュラ、パンジー、葉牡丹
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2009暮、天白川の初冬(2/3):セージ、菊、コスモス、紫式部、アベリア、ランタナ
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天白・笠寺
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2009暮、天白川の初冬(3/3):カルガモ、コサギ、ムクドリ、セキレイ、ススキ、日本水仙
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天白・笠寺
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