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織田信長の父であり、備後守を称した戦国時代の尾張国の武将、織田信秀の居城だった末森城址で、現在は城山八幡宮の紹介です。一帯は、城山公園となっています。

2009秋、織田信秀所縁の末森城址、城山八幡宮(1/2):本殿、神馬、狛犬

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2009/10/10 - 2009/10/10

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旅行記グループ 2009年、尾張散策(その1)

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旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

織田信長の父であり、備後守を称した戦国時代の尾張国の武将、織田信秀の居城だった末森城址で、現在は城山八幡宮の紹介です。一帯は、城山公園となっています。

交通手段
私鉄
  • 『都市計画公園・城山公園』のタイトルがあった立看板です。末森城の址に建てられた城山八幡宮の境内などが含まれた区域でした。

    『都市計画公園・城山公園』のタイトルがあった立看板です。末森城の址に建てられた城山八幡宮の境内などが含まれた区域でした。

  • 城山八幡宮の掲示版です。10月15日開催の『城山八幡宮例大祭』のポスター等が掲示されていました。

    城山八幡宮の掲示版です。10月15日開催の『城山八幡宮例大祭』のポスター等が掲示されていました。

  • 愛知学院大学大学院の歯学研究科棟らしい看板があった古い建物です。昭和5年に建設された昭和塾堂が前身になる建物です。

    愛知学院大学大学院の歯学研究科棟らしい看板があった古い建物です。昭和5年に建設された昭和塾堂が前身になる建物です。

  • 城山八幡宮に向かう登り道の途中の光景です。道の傍らに奉納された石灯篭がありました。

    城山八幡宮に向かう登り道の途中の光景です。道の傍らに奉納された石灯篭がありました。

  • 城山八幡宮に向かう緩やかな登り道の光景が続きます。右手に『城山八幡宮』の古い立看板が見えてきました。

    城山八幡宮に向かう緩やかな登り道の光景が続きます。右手に『城山八幡宮』の古い立看板が見えてきました。

  • 『城山八幡宮案内図』のタイトルがあった平面図です。周辺の緑の部分が、概ね末森城の周りの空堀址です。

    『城山八幡宮案内図』のタイトルがあった平面図です。周辺の緑の部分が、概ね末森城の周りの空堀址です。

  • 石段とその先に見える赤い鳥居の光景です。通路の中央に工事用の足場が組まれていました。

    石段とその先に見える赤い鳥居の光景です。通路の中央に工事用の足場が組まれていました。

  • 二つ目の鳥居が見えてきました。その先に見えるのは、赤い色をした太鼓橋です。太鼓橋は、末森城址の空堀に架かっていました。城山八幡宮の公式HPには、『反橋』と紹介されていました。

    二つ目の鳥居が見えてきました。その先に見えるのは、赤い色をした太鼓橋です。太鼓橋は、末森城址の空堀に架かっていました。城山八幡宮の公式HPには、『反橋』と紹介されていました。

  • 城山天満宮の本堂が見える場所までやって来ました。以前は現在地より300メートル程東北の春里町二丁目南端にありましたが、明治期に村内にあった浅間社・山神社・一ノ御前社・白山社を合祀し、昭和11年(1936年)に現在地に遷座しました。

    城山天満宮の本堂が見える場所までやって来ました。以前は現在地より300メートル程東北の春里町二丁目南端にありましたが、明治期に村内にあった浅間社・山神社・一ノ御前社・白山社を合祀し、昭和11年(1936年)に現在地に遷座しました。

  • 10月15日に開催される『城山八幡宮例大祭』が近付いた影響でしょうか、境内は多くの人で賑わっていました。提灯もお祭り用の飾り付けのようです。

    イチオシ

    10月15日に開催される『城山八幡宮例大祭』が近付いた影響でしょうか、境内は多くの人で賑わっていました。提灯もお祭り用の飾り付けのようです。

  • 船の碇の展示です。この種の展示は、在郷軍人会で設置されることが多いようです。左手には忠魂碑貸しい石碑も見えました。

    船の碇の展示です。この種の展示は、在郷軍人会で設置されることが多いようです。左手には忠魂碑貸しい石碑も見えました。

  • 碇の展示を解説した石碑です。『十山字錨』のタイトルがありました。明治年間に製造されたらしい子の錨は、昭和55年(1980年)に自衛隊から東海海軍連合会が払い下げを受けた品であることが記されていました。

    碇の展示を解説した石碑です。『十山字錨』のタイトルがありました。明治年間に製造されたらしい子の錨は、昭和55年(1980年)に自衛隊から東海海軍連合会が払い下げを受けた品であることが記されていました。

  • 金属製の小型の鳥居と、その先にあった石碑の光景です。頭が殉、四文字目が碑の文字でした。『殉国之碑』の文字のようです。

    金属製の小型の鳥居と、その先にあった石碑の光景です。頭が殉、四文字目が碑の文字でした。『殉国之碑』の文字のようです。

  • 神馬(しんめ)のブロンズ像です。左足を上げたポーズが提携になっているようです。脇腹には、八幡神社の橘紋が記されていました。

    イチオシ

    神馬(しんめ)のブロンズ像です。左足を上げたポーズが提携になっているようです。脇腹には、八幡神社の橘紋が記されていました。

  • 春日灯篭の上部のズームアップ光景です。傘の下の火袋は、二つの火口を持つ、標準的な六面体のようです。正面から左回りに鹿、雲、後戸、三笠山、透かしの順となります。この写真では中央が透かし、その左が火口です。

    春日灯篭の上部のズームアップ光景です。傘の下の火袋は、二つの火口を持つ、標準的な六面体のようです。正面から左回りに鹿、雲、後戸、三笠山、透かしの順となります。この写真では中央が透かし、その左が火口です。

  • 境内にあった案内看板です。『連理木(れんりぼく)』のことが大きく表示されていました。御神木とされているようです。

    境内にあった案内看板です。『連理木(れんりぼく)』のことが大きく表示されていました。御神木とされているようです。

  • 銅葺き屋根の社殿の光景です。軒に桐紋と橘紋の提灯が交互に吊るされていました。

    銅葺き屋根の社殿の光景です。軒に桐紋と橘紋の提灯が交互に吊るされていました。

  • 社務所の光景です。『古?札納所』の大きな看板も懸っていました。

    社務所の光景です。『古?札納所』の大きな看板も懸っていました。

  • 城山八幡宮の社殿の光景です。公式HPには、城山八幡宮の前身は、約500年以上前からの産土神(うぶすなかみ)とされます。産土神は、自分の生まれた土地を守護する神とされます。

    城山八幡宮の社殿の光景です。公式HPには、城山八幡宮の前身は、約500年以上前からの産土神(うぶすなかみ)とされます。産土神は、自分の生まれた土地を守護する神とされます。

  • 社殿の唐風の造りの屋根のズームアップ光景です。銅板葺の屋根でした。主神は、応神天皇、神功皇后と仲哀天皇です。

    社殿の唐風の造りの屋根のズームアップ光景です。銅板葺の屋根でした。主神は、応神天皇、神功皇后と仲哀天皇です。

  • 社殿に向かって右側に位置する、阿形の雄獅子です。

    社殿に向かって右側に位置する、阿形の雄獅子です。

  • 社殿に向かって左側に位置する、吽形の雌獅子です。

    社殿に向かって左側に位置する、吽形の雌獅子です。

  • 手水舎(てみずや)の立看板と、その背後に見える藤棚の光景です。

    手水舎(てみずや)の立看板と、その背後に見える藤棚の光景です。

  • 城山八幡宮の公式HPには、この神社の氏子区域は51町の5万2千人と紹介されていました。明治期に村内の八幡社、浅間社、山神社、一ノ御前社、白山社が合併合祀されたことで広い範囲になったようです。

    城山八幡宮の公式HPには、この神社の氏子区域は51町の5万2千人と紹介されていました。明治期に村内の八幡社、浅間社、山神社、一ノ御前社、白山社が合併合祀されたことで広い範囲になったようです。

  • しめ縄が張られた、手水舎(てみずや)の光景が続きます。

    しめ縄が張られた、手水舎(てみずや)の光景が続きます。

  • 神楽殿の壁面光景です。建物保護のためでしょうか、しめ縄が張られて、立ち入り制限されていました。

    神楽殿の壁面光景です。建物保護のためでしょうか、しめ縄が張られて、立ち入り制限されていました。

  • 『神楽殿(かぐらでん)』の建物光景です。鬼瓦や軒丸瓦には、城山八幡宮の御紋の『橘紋』がありました。タチバナ(橘)は、古くから日本に自生している柑橘類の一種です。

    『神楽殿(かぐらでん)』の建物光景です。鬼瓦や軒丸瓦には、城山八幡宮の御紋の『橘紋』がありました。タチバナ(橘)は、古くから日本に自生している柑橘類の一種です。

  • 藤棚のようです。フジ(藤)はある程度年数を経ているようでしたが、棚は新しい造りでした。マメ科フジ属のつる性落葉木です。

    藤棚のようです。フジ(藤)はある程度年数を経ているようでしたが、棚は新しい造りでした。マメ科フジ属のつる性落葉木です。

  • ブロンズ製の吊行燈(つりあんどん)です。古い木造建築にはよく似合います。

    ブロンズ製の吊行燈(つりあんどん)です。古い木造建築にはよく似合います。

  • 『城山八幡宮』の金文字が揮毫された扁額の光景です。八幡信仰は古来最も広くから、上下の階級を問わず信仰されてきたようです。城山八幡宮は、末森城址のほとんどを境内とし、約1万坪の広さです。扁額の揮毫は、熱田神宮宮司と紹介されていました。

    イチオシ

    『城山八幡宮』の金文字が揮毫された扁額の光景です。八幡信仰は古来最も広くから、上下の階級を問わず信仰されてきたようです。城山八幡宮は、末森城址のほとんどを境内とし、約1万坪の広さです。扁額の揮毫は、熱田神宮宮司と紹介されていました。

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2009年、尾張散策(その1)

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