2003/10/07 - 2003/10/28
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kojikojiさん
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目が覚めて表のデッキに出るとドゥブロヴニクの沖に停泊していました。ロクロム島の直ぐ脇です。反射的にヌーディストビーチの方へ目が行きましたが、考えたらまだ7時ですから渡船も運行していないので誰もいる訳がありません。以前旧市街の中で1週間ほどアパートを借りたことがあったので、エクスカーションツアーは頼みませんでした。テンダーボートはツアー客を優先するので、最初のボートから1時間近くたたないと上陸できませんでした。滞在時間が半日しかないので上手く出来ています。
昔の船はギャングウェイに札があって表にしたり裏返したりで乗船してるかを確認しましたが、今はルームキーでタッチすればコンピューター管理されます。3時間ほどの自由時間でしたが旧市街の主だった所は見学できました。ここへはみんな午前中にやってきて、昼過ぎには船に乗っていなくなってしまいます。ここに滞在しているときは嵐のような人達だと思いましたが、今回は自分がまさにその観光客になりました。午後には出航して夜半にイタリアのバーリにテクニカルストップします。あまり忙しくないクルーズ2日目が終わりました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 船
- 航空会社
- アエロフロート・ロシア航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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以前はクロアチアのリエカからヤドロリニアのフェリーでザダールからスピリットを経由してコルキュラ島などの海岸線を舐めるようにドゥブロヴニクに入りましたが、今回はアドリア海のど真ん中を真夜中に移動して来ました。美しいクロアチアンコーストを通過しないのは少々勿体無い気もします。
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懐かしい景色です。ドゥブロヴニクの街をこのアングルで見るには船に乗らなければなりません。ロクロム島へ行く小型の渡船とは視線の高さが違います。
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街のオレンジ色の甍は高台から見た方が美しいと思います。
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ようやく妻を連れてきてあげる事が出来ました。しかし風が強い。
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91年のユーゴ紛争の時に対岸のイタリアのバーリにいました。旅の始まった夏の時点ではフェリーでドゥブロヴニクに渡るはずでしたが、バーリにたどり着いた10月の時点ではホテルのスタッフに「行ったら帰って来れないからやめろ。」と止められました。その数日後にテレビを見ていたらフェリーのマストまで鈴成りの避難船を見てダメだと思いました。
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1991年10月1日にドゥブロヴニクにユーゴスラビア人民軍 (JNA) が攻撃を開始し、その後ドゥブロヴニク包囲が7ヶ月間続いていました。12月6日には最大の砲撃が行われ、19人が死亡し60人が負傷しています。2001年の旅でお世話になったアパートのアナさんは遠くを見つめながらその時の話をしてくれました。
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ようやくテンダーボートのウインチがうなり始めました。
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クルーズ会社主催のエクスカーションツアーのお客から先に運びます。
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1時間ほど遅れてテンダーボートに乗る事が出来ました。
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朝早いので漁船が漁に出る時間と同じくらいでした。
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この辺りの通りは毎晩夜遅くまで賑やかなのですが早朝は静かです。
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路地の一つ一つに思い出があります。水球の試合で地元が勝った夜は凄いお祭り騒ぎだった事を思い出しました。
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この本屋でも91年の内戦を記録した本や写真集を買った思い出があります。
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ピレ門の脇から城壁の登りました。門の正面上から見たメインストリートのプラツァ通りです。つるつるに摺り減った石畳は夕方になると光り輝くのですが、クルーズ船はお昼過ぎには出港してしまいます。
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オノフリオの大噴水と呼ばれる水飲み場です。ユーゴ内戦時ここを守るために土嚢を積み上げた写真がありました。ほんの十数年前まではここは戦場でした。
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ヴェネツィアから一緒の船です。
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ヴェネツィアの港をほとんど同じ時間に出港したクルーズ船もここまでは同じルートのようです。
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城壁越しにフェスティバルのロゴが大きなヨーロピアン・ヴィジョン号です。今はどこの会社で何という船名に変わっているのか・・・。
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城壁を半分周るだけで1時間近くかかりますので飲み水は必須です。
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城壁の中を見ると準備中のレストランだったり、住人の生活も垣間見られます。
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一番好きな場所です。見張り台の下にはこの町の守護聖人である聖ヴラホの像が見えます。
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マルタ島のヴァれったの港にも同じような見張り台がありました。
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ムラーノ島でもそうでしたが、妻はいつも両手が塞がってます。
切手も買ったので絵葉書も出しておきましょう。
前回の旅の残っていたクーナは城壁の入場券と切手と葉書とジェラートで使い切りました。 -
市場に来ました。市場の角にあるスーパーではいろいろな食材を買って、アパートで調理したものです。もちろんインスタント料理やせいぜいパスタくらいでしたが。
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2001年当時は旧市街の中にホテルも少なく、ソーベと呼ばれる貸し部屋もあまりありませんでした。最初はネットで予約したホテルに泊まる予定でしたが、事前にクロアチアの銀行口座へ料金を支払わなければならず諦めていました。
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フェリーの船着場にも貸し部屋のおばさんが多くいましたが、海側のプロチェ門を出たお土産屋のお姉さんにアナさんを紹介してもらい、彼女の家の2階の一部屋を借りました。
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キッチン付きのアパートに宿泊するのは初めてだったので楽しかった思い出があります。ただその分旧市街のレストランにはあまり入りませんでした。
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毎日午前中は沖合にクルーズ船が泊まり、ものすごい人数の観光客が押し寄せましたが、今回はその一員になってしまいました。
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綺麗な民族衣装を着て刺繍を売っているお姉さんと記念写真。もちろん彼女の作った刺繍をいくつか買い求めました。毎日ではないのですが、聖ヴラホ教会の前の広場で夕方になるとフォークダンスが演じられます。その時のなると広場の雰囲気と美しい民族衣装で着飾った女性たちと音楽と歌は鮮明に覚えています。
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3時間もするともう帰る時間です。クルーズの船旅は以外に忙しいものです。これがフェリー旅だと時間を持て余すのですが、似て非なるものがあります。
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残念なのはアパートのアナさんに会えなかった事です。まあ家を訪ねても覚えていることは無いでしょうし、時間もなかったですから。
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早い船で戻ったせいか、我々の後にも何度もピストン輸送しています。このクルーズの乗客は1200人ほどだそうです。1艘で50人乗れるかどうかのランチャーですからね。
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部屋のすぐ後ろが最後尾のデッキだったので、出港するまでスケッチをしていました。部屋は内側向きの一番安いカテゴリーですが、後方のデッキにはほとんど人が来なかったので1週間専用で使えました。
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一緒に来た船の方が先に出航していきます。小さい分乗降がスムーズなのかもしれません。
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こちらはまだしばらく時間がかかりそうですが、急ぐ旅では無いのでくつろいでいます。
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ドゥブロヴニクからは日替わりでモンテネグロや近隣の港町などへの一日ツアーがありました。アナさんのアパートを紹介してくれて、ワンデーツアーの紹介もしてくれたお土産屋さんのお姉さんの所にも寄れませんでした。カブタットへ行ったのもこんなボートでした。
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アドリア海ではヴェネツィアとドゥブロヴニクの町は双璧の美しさですね。
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誰もいない最後尾のデッキで静かな時間を堪能します。
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こちらもようやく出航のようです。これから対岸のイタリアのバーリへ向かいます。バーリから乗船する人もいるようです。前回の旅では夜になってフェリーでバーリへ向かいましたが、満天の星の美しさは今も覚えています。
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夕食時にイタリアのバーリに着きました。ここはテクニカルストップなので下船はありません。ここから乗船する人は何人かいました。
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前にドゥブロブニクから到着したふ頭はどの辺りだろうかと目を凝らしましたが、分かりませんでした。
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ここの港は殺風景なので夜のほうが綺麗かもしれません。
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港にはたくさんの船が停泊していました。夜の波止場は何とも言えない雰囲気がありますね。いろいろな国の港へ行きましたが、国が変わっても似たような雰囲気なのはなぜでしょうか。
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翌日も快晴でケファロニア島に向かって一直線です。このデッキを占有出来たのは良かったです。昨晩ツアーカウンターで大きな勘違いに気付きました。次の寄港地をケルキラ島(コルフ島)とケファロニア島と勘違いしていたのです。週によって二つの島を交互に寄港するようで、どうりでツアーの中にカノニやアヒリオンパレスが無いのか分かりました。
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本島は妻をオーストリアの皇后エリザベートの別荘であるアヒリオンパレスを見せてあげたかったのですが。
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しばらく日光浴しながら音楽を聴いて過ごします。
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再訪を楽しみにしていたコルフ島ですがまた来る機会はあるでしょう。だってホメーロスの叙事詩「オデュッセイア」の舞台はこれから行くケファロニア島の東にあるイタキ島です。オデュッセイアはトロイから自分の島へ帰るのに二十数年かかっているのですから。
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逆に行った事の無いケファロニアに興味が沸いてきました。名前だけはニコラス・ケイジの映画「コレリ大尉のマンドリン」で知っていました。
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ドンマークから来た子供たち。一番上の女の子はジェニファー・コネリー似の美人でした。間もなくケファロニアに到着ですよ。
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