2003/10/07 - 2003/10/28
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kojikojiさん
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サントリーニ島を夜遅く出港したクルーズ船は翌日にはロードス島に到着していました。ここは港が大きいので接岸出来ます。つまり好きな時間に船を降りて出港までの好きな時間に戻ってこれるわけです。ロードス島では旧市街の観光しか考えていないので、船のエクスカーションの予約は入れませんでした。この日は天気も良く空気も澄んでいたので、トルコ本土まで見渡せました。ロードス島は2回目ですが、初めて来たときはそんな景色を見る余裕もありませんでした。エクスカーションの参加者がバスに乗って出かけた後の空いた時間に船を降りて、まずは港の先のサン・ニコラス要塞の脇に立つ鹿の像を見に行きました。この場所には世界七不思議のひとつである太陽神ヘーリオスをかたどった彫像が立っていたとされます。その後は城壁に沿って歩き、ロードスタウンの北西の城門から旧市街に入りました。ここから入るのが一番劇的な印象を受けるからです。そのままグランドマスターの館を見学しました。以前はうまく写すことの出来なかった床のモザイクの写真を残せたのが嬉しかったです。元々の島の遺跡から剥がして移したものですが、ここに移してあるので状態良く残されている一面もあります。あとは博物館に立ち寄った後は旧市街の散策と買い物を楽しみました。昨日のサントリーニ島も暑かったですが、ロードス島も汗ばむような暑さでした。ツアーバスが戻ってくる前にクルーズ船に戻り、デッキでのんびり過ごしました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 船
- 航空会社
- アエロフロート・ロシア航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
昨夜も深夜までルーレットで遊んでいたので毎日睡眠不足です。毎日数百ユーロ勝っているけど聞かれないので黙っています。ルーレットのコインは1枚1ユーロで会話はイタリア語だけど数字にコインを置くだけなので簡単です。
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この日はクルーズ船のエクスカーションを予約していないので、少し遅めに食事をとりました。皆さん出掛けた後なのでレストランも空いています。
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後から後からクルーズ船やフェリーが入港してきます。
追突されそうな感じで接岸してきます。出港時間の順番とかは決まっているのでしょうね。 -
懐かしいブルースターフェリーが出港していきます。最後に乗ったのはイタリアのブリンディジからギリシャのコルフの間でした。デッキで日光浴をしてボッとしたままコルフ島に4日間滞在して、イタリアとギリシャが時差1時間だったことを忘れていて大変な目に遭いました。
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1日に2本しかないバスは来ないし、美術館は終わっているし、ホテルのおばさんにはチェックアウト時間で文句を言われるし…。その謎はアテネへ飛ぶコルフの空港へボーディング時間の1時間15分前に到着した時に解けました。M・ナイト・シャマランの映画のエンディングのようでした。あらゆる事が走馬灯のように巡り、全てのトラブルの謎が解けました。
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城壁の内側には壕が巡らされているので公園のようになっています。
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クルーズ船の最上階のデッキから見渡したロードスタウンです。
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午前中は風も吹いて気持ち良い時間でした。妻は初めてのロードス島です。
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2回目なので地理的な情報は頭に入っています。
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サン・ニコラス要塞の先に薄っすらトルコ本土が望めます。
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そろそろ出発しましょう。やっぱりギャングウェイを使って埠頭に降り立つと感じが出ますね。
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お昼前に出港して漁に間に合うのでしょうか。
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港は海綿を売っている屋台がたくさんありますが、今時あまり使わないですよね。
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グランドマスターの館が見えています。その前に立ち寄る場所が港にあります。
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世界七不思議の太陽神ヘリオスの巨像があったとされる場所です。港の入口を挟んで左右に牡鹿の像がありますが、ここを跨いで像が建っていたとされます。世界七不思議のうちロードス島とエフェソスにはいっていましたが、三つ目のギザのピラミッドへ行くのはこの15年後でした。
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サントリーニ島分の分絵葉書を出しましょう。ロードス島分は今日の内に出す予定です。出来ることならば訪問した土地で出したいのですが、ツアーに参加しているとなかなかむつかしい事です。
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港の裏側の門から旧市街に入ります。ここから入るのが一番雰囲気が良いのです。他の門は自動車道路と城壁だけですが、ここは立派な門があります。
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マルタ島の騎士団長の屋敷も立派ですが、ロードス島の方が規模も大きくて好きです。各部屋に設けられた床のモザイクは特に見事です。近くの島の遺跡から剥ぎ取って来たと言う問題はあっても、その為に奇麗に残されているという現実もあります。
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グランドマスターの館の見学をします。館の主である聖ヨハネ騎士団は、十字軍の時代に聖地エルサレムで設立された騎士修道会のことです。テンプル騎士団とドイツ騎士団と並んで三大騎士修道会のひとつに数えられます。
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13世紀末にシリア地方における十字軍の領土が完全に失われると、聖ヨハネ騎士団は海軍となってイスラム教徒との戦いを続けます。本拠地を移すのに従って「ロードス騎士団」や「マルタ騎士団」と呼ばれるようになります。
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左右対称にデザインされたイルカです。三叉の矛(トリアイナ)はポセイドンを表しています。
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孔雀のモザイクはビザンチン帝国の領地だった地域ではよく見られるモチーフです。イタリアのラヴェンナを思い出させるデザインです。
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幾何学模様の美しいデザインです。
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中央にはメドゥーサの首が描かれています。ギリシア神話に登場する怪物で、ゴルゴン3姉妹の1人です。自分の髪を自慢としていたため、アテナと美を競ってその髪を蛇に変えられたとか、海神ポセイドンとアテナの神殿の1つで交わったためにアテナの怒りをかい、醜い怪物にされてし待ったなどの言い伝えがあります。
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ギリシャ時代のモザイクとキリスト教をモチーフにした調度品の組み合わせが面白いです。
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豹のモザイクなどはエーゲ海の向こうにアフリカ大陸があるということを感じさせます。
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中央のティルススの杖はディオニュソス神を象徴するものです。オオウイキョウでできており、ブドウのツルや葉などで飾られ、先端に松かさをつけた形をしています。
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縁取りの波の連続模様がギリシャらしいです。
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メアンドロス模様の中央に海馬ヒッポカムポスに身をゆだねる女神の姿があります。
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ネーレイデスはエーゲ海の海底にある銀の洞窟で父ネーレウスとともに暮らし、イルカや半馬半魚の海馬ヒッポカムポスの背に乗って海を移動します。
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ロイ・リキテンシュタインの描く女性のようです。アートは古代ギリシャの時代に完成されていたようです。
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イルカも地中海世界では重要なモチーフです。
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こちらはギリシャの衛星都市だったであろうアフリカの闘技場の情景でしょうか。
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この当時は豹も巨大なものがいたのかもしれません。
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唐草模様などのデザインはこの時代に完成されています。
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イルカはいたるところに現れます。イルカもポセイドンを象徴するモチーフの一つです。
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左端のポリュボテスはギリシア神話の巨人で、ギガースの1人です。ギガントマキアのさいに他の巨人と共にオリュンポスの神々と戦いますがコス島に逃げてしまいます。しかしポセイドンが追いかけて来て、コス島の一部を削り取ってポリュボテスに投げつけ、ポリュボテスは押しつぶされて死んでしまいます。
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ここまでのモザイクは全てポセイドンに由来するものだと分かってくるとモザイクを読み解くのが楽しくなります。そしてこのモザイクはコス島にあったものです。
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9人のギリシア神話の女神たちが描かれています。ムーサまたはムサと呼ばれるギリシア神話で文芸を司る女神たちです。
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ヘーシオドスの「神統記」によれば、大神ゼウスとムネーモシュネの娘で9柱いるとされています。
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カリオペとクレイオ、エウテルペとタレイア、マルポメネとテルプシコラ、エラトとポリュムニアとウラニアの9人です。
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竪琴を持つのはテルプシコラのようです。
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喜劇用の仮面はタレイアの持ち物です。
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床のモザイクばかり眺めていてラオコーンの彫刻のレプリカなど調度品を全く見ていませんでした。このモザイクの色石の豊富さと細かさは尋常ではありません。なぜここまで手をかけたのでしょう?
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モザイクを求めてシリアのアレッポに近いハタイ(アンタクヤ)の博物館まで行ったことがあります。後はチュニスのバルドー美術館に行かなければならないのですが、まだ願いは適いません。
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モザイクを堪能した後はメインストリートに出てみます。左右にある建物のほとんどが立ち入ることが出来ないのでひと気はありません。
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マルタ島で聖ヨハネ騎士団が最初に住みついたヴィットリオーザには、騎士団の舘が多く残されていました。コラッチオと呼ばれるエリアにはオーベルジュ(寄宿舎)が点在していて、フランス語を母国語とする騎士団たちの寄宿舎だった建物オーベルジュ・ド・フランスがありました。ここロードス島にもフランス国旗がたなびくオーベルジュが残されていました。
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ロードス考古学博物館 です。ここは以前も見ているし、妻はあまり興味がなさそうだったので先に進みます。
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この辺りの通りの舗装は玉石です。道路はV字型に傾斜しているので排水についても考えられています。
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お店のショーウィンドウにも道路の玉石が写り込んでいます。
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オーベルジュの建ち並ぶ通りはひと気も無く閑散としていますが、噴水のある広場の前の道はごった返しています。通りの両脇は観光客目当てのお土産物屋さんばかりですから。
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マリン門を入った場所にある広場です、中央には円形のカステラニアの噴水があり、その先端部には「フクロウ」像がついています。
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太陽がジリジリ音をたてています。噴水のフクロウと妻の我慢比べです。
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オリンピック前だったのでマーク入りのスリッパがありました。これが意外に冬は重宝するのです。少し小さめにしないと結構伸びます。ここにもメアンドロス模様があります。
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カラカラに乾いた海綿もさぞかし暑いことでしょう。
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少し歩き疲れたのでカフェで冷たい物でもいただきましょう。
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ロードス島はトルコとの国境の島ですから第二次世界大戦後の住民交換とかいろいろな歴史があった所です。カフェのインテリアはトルコ風な感じがしました。
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元々はイスラム風だった名残が残されています。
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床はじゅうたんを敷き詰めたように白と黒の玉石がデザインされています。
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おじいさんとおばあさんが二人で切り盛りしている店でした。もう何十年とここでお店を切り盛りしているのでしょう。
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このレリーフはトルコ系住民の名残でしょう。南北に分断されたままのキプロス問題も残っていますので、トルコとギリシャについてはあまり詳しくは聞けません。お互いにあまり良い話はしませんが、仲が悪い割にはコーヒーやお酒や料理などにも非常に共通点があると思います。日本と韓国みたいなものでしょうか。
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暑さもこの時間帯がピークです。空は青く澄み渡りブーゲンビリアは美しく咲き誇ります。
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鳩もこう暑くては飛べないようで、水飲み場で羽を休めています。
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ブーゲンビリアも暑い所の方が花の色が濃く鮮やかになるのでしょうか?
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店先にはお土産用のイコンが並んでいます。本物のイコンが1枚欲しいと思っていますが、未だに手元にはありません。
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暑い通りを歩いていると涼しそうに泳いでいる人形が羨ましく見えてきます。
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こんなに暑いのに観光客は元気です。
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銅の鍋はさすがに持ち帰る気にはなりませんでした。
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こんな陶器の置物もここで見る分には良いのですが、家に飾るにはデカすぎます。サントリーニ島で売っていたミニチュアを買って来れば良かったとこの辺りから後悔が始まります。
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妻や母に銀のアクセサリーを買った店は無くなっていました。残念。トルコ石やラピスラズリを使ってエキゾチックなデザインが多くて気に行っていたのですが。店があった場所だけ妻を案内しました。
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でもフォリフォリがありました。クレタ島のクノッソス宮殿のラビリンスをモチーフにしたネックレスを自分で買っていました。
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結婚する前は「アクセサリーは嫌い。」と言っていた人だったのですが…。
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少し早いけれど船に戻ることにします。そういえば港に出る手前にアイスも売ってました。
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ムラーノ島とドゥブロブニクとサントリーニ島に続き、ロードス島でもジェラートをお買い上げです。
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近づけば近づくほどに大きな船です。この当時最大だったのはコスタクルーズの船で、それでも10万トンは無かったと思います。今はその倍くらいの大きさらしいですが見たことはありません。
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この船で5万トン強でしたが、このくらいの船の方が乗客の人間ウォッチングするにはちょうど良いです。
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そう、この時のクルーズの乗客は日本人はおろかアジア人のお客は我々だけでした。
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午後になってだいぶ港も空いてきました。
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「みさえの化粧品をいたずらしたクレヨンしんちゃんが船が車を食べてる!」ように見えました。
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どこまでも青いエーゲ海です。前回のクルーズではこの後にクレタ島へ行きましたが、今回はアテネに向かいます。
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タグボートがやってきたので、そろそろ出港の時間のようです。少し早く戻ったので、エクスカーションツアーの戻り時間のラッシュには巻き込まれませんでした。
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この古いタイプの水中翼船を見るとギリシャだなと思います。旧ソ連製のラケータ(ロケット)シリーズはかっこいい形をしています。水中翼がついていたので、航行時には船首が持ち上がり抵抗が減るため時速70キロで走ることができます。
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開発したのはソ連の発明家であるアレクセーエフ・ロスチスラフという人で、3,000隻の船が造られています。ラケータ(ロケット)よりも新しいバージョンは、スプートニク(衛星)やコメータ(彗星)やメテオール(流星)などと名付けらていますがこの船がどれかは分かりません。
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部屋の中より表のデッキのほうが気持ち良いです。
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前の旅で買ったロードス島のキャップは妻に取られてしまいました。
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ヴェネツィアを離れるのはここまでで、アテネに立ち寄りながらクルーズの旅は折り返します。
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