2009/06/21 - 2009/06/27
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旅人のくまさんさん
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長安の都の歴史絵巻、唐歌舞ショー紹介の続きです。玄奘三蔵法師の場面から代わって、玄宗皇帝と楊貴妃のロマンスの場面です。
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舞台が替りました。夜の砂漠と空に輝く星です。『大唐・玄奘』の場面です。日本でも、西遊記で知られる物語です。
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背中の大きな荷物は天竺、インドから持ち帰った仏教の経典です。砂漠を行く玄奘三蔵法師です。
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玄奘三蔵法師のアップです。手を合せ、祈りの姿で一人砂漠を行く姿です。
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玄奘三蔵法師は実在の人です。602年に洛陽郊外に生まれ、664年に長安近郊の玉華宮で没しました。インドへの旅は、国禁を犯した難行でした。
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三蔵法師は、往きは河西回廊を経て高昌に至り、天山北路を通って中央アジアから天竺(インド)に到着しました。インドでの修行を終え、多くの経典を長安に持ち帰ったのは、天山南路とされます。
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経典の重さに耐えかねて、膝をつく場面もありました。周りではお供の若いお坊さんが祈りを捧げる場面です。
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苦難に耐えて持ち帰られた多くの経典は、長安で翻訳されます。玄奘三蔵法師は、翻訳僧としても、今日まで名を留めます。
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画面に左に、大きな仏陀の顔が現れました。玄奘三蔵法師が長安に経典を持ち帰ったのは貞観19年(645年)1月のことです。旅立ってから16年の歳月が流れていました。
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無事に長安に戻った玄奘三蔵法師は、657部という膨大な経典の翻訳にとりかかりました。太宗皇帝の勅命によって始まった玄奘の翻訳は、『大般若経』600巻等、76部1347巻に及びました。
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背景には、翻訳された経典の文字が並びます。玄奘三蔵法師が高宗皇帝に申し出て652年に建立された塔、大雁塔が中央に建ちます。
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場面は代わって、『大唐・踏歌』です。英訳ではスプリング・アウティングになっていました。花が咲き乱れる春の景色です。
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咲き乱れる花の下で舞う人達です。玄宗皇帝が即した円はんで、唐が絶頂期にあった頃をイメージしているのでしょうか。
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舞い踊る人達のアップです。玄宗治世の『開元の治』と称される前半は、仏教僧達の度牒(現在に例えれば宗教法人資格)の見直し、税制改革、節度使制の導入等とされます。
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踊りは続きます。しかし、天下泰平は長くは続きませんでした。
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スポットライトを浴びた中央の二人が踊りの中心でした。ライトで顔色も違って見えます。
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『大唐・踏歌』の場面のフィナーレです。文章の起承転結に例えれば、『承』に当たる部分が終わったようです。
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更に場面は代わって、『大唐・破陣』です。鎧兜に身を固めた人は玄宗皇帝でしょうか。685年に生まれ、762年に没しました。第6代皇帝として712年から756年まで在位しました。
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玄宗皇帝治世の前半は、開元の治と呼ばれる善政で唐の絶頂期を迎えました。しかし、後半は楊貴妃を寵愛したあまり、安史の乱の原因を作ったとされます。
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玄宗皇帝が権力を握るまでのストーリーの演出でしょうか。後の玄宗皇帝となった李隆基と、太平公主との間に主導権争いが発生しました。太平公主は、隆基の叔母で武后の娘でした。
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背景に大きな剣が見えます。権力争いの最中を示しているようです。武人達が舞台を駆け巡ります。
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一転、華かな舞台となりました。『大唐・梨園』の場面です。712年に李隆基(後の玄宗皇帝)は、太平公主を殺害し、実権を掌握しました。天下泰平が実現しました。
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天下泰平の訪れを祝うかのような踊りです。その華やかな衣装と踊りのアップです。
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舞台ののバックには、咲き競う花を象徴するかのような演出がありました。白と青、そしてピンクのコントラストが奇麗でした。
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玄宗皇帝と楊貴妃です。737年、玄宗皇帝の寵妃武恵妃が亡くなりました。新たに後宮を求めました。玄宗皇帝の目に留まったのが、息子の妃となっていた楊貴妃です。
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玄宗皇帝と楊貴妃のロマンスの場面です。伝説では、楊貴妃はすらりとした美人ではなく、豊満な美女だったとされます。
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玄宗は楊貴妃に溺れていきました。白楽天の長編詩、長恨歌には、『これより皇帝は、朝早くには朝廷に出てこないようになった』と歌われました。
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玄宗皇帝と楊貴妃の踊りは続きます。玄宗皇帝が政治を疎かにしたため、この後天下の乱が起きました。
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世間体のため、一時的に女冠(女道士)となり、楊玉環はやがて正式な王妃、楊貴妃と呼ばれるようになりました。このため、兄の楊銛は殿中少監、従兄の楊錡は駙馬都尉に任じられる等、一族が取立てられました。
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楊貴妃は、蜀の出身とされます。蜀州司戸の楊玄淡の四女でしたが、幼い頃に両親を失いました。玄宗皇帝の溺愛がもとで、『傾世の美女』とも呼ばれます。
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楊貴妃は、古代中国の四大美女の一人に数えられます。楊貴妃以外には西施、王昭君と貂蝉です。この中で、貂蝉だけは小説『三国志演義』に登場する架空の人物とされます。
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