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昨晩遅く敦煌のホテルに到着しました。今日は今回の旅行のハイライトの一つ、莫高窟の見学です。内部の写真撮影は出来ませんので、近くから莫高窟の外観等を撮影しました。

2009夏、中国旅行記16(17/39:シルクロード):6月23日(1):敦煌、ホテルとその界隈、莫高窟へ

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2009/06/21 - 2009/06/27

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旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

昨晩遅く敦煌のホテルに到着しました。今日は今回の旅行のハイライトの一つ、莫高窟の見学です。内部の写真撮影は出来ませんので、近くから莫高窟の外観等を撮影しました。

交通手段
観光バス
  • 敦煌で2泊したホテルの自室からの早朝の敦煌市内の眺めです。雲一つない好天となりました。

    敦煌で2泊したホテルの自室からの早朝の敦煌市内の眺めです。雲一つない好天となりました。

  • 同じく、敦煌で2泊したホテルの自室からの早朝の敦煌市内の眺めです。眩しい朝日が差し込んでいました。

    同じく、敦煌で2泊したホテルの自室からの早朝の敦煌市内の眺めです。眩しい朝日が差し込んでいました。

  • 窓の下の光景です。現地時刻は7時20分頃です。朝の通勤時間帯が始まりかけたようです。

    窓の下の光景です。現地時刻は7時20分頃です。朝の通勤時間帯が始まりかけたようです。

  • 2泊したホテルの室内の紹介です。洗面室の光景です。お湯もちゃんと出て、不自由のない造りでした。

    2泊したホテルの室内の紹介です。洗面室の光景です。お湯もちゃんと出て、不自由のない造りでした。

  • 同じく、出入口付近の光景です。鍵はしっかりと掛かりましたし、すっきりとしたデザインの収納庫もありました。

    同じく、出入口付近の光景です。鍵はしっかりと掛かりましたし、すっきりとしたデザインの収納庫もありました。

  • 居室を兼ねたベッドルームの光景です。清掃も行き届いていました。ツインベットでしたから、使ったのは写真には写っていない右側のベッドです。

    居室を兼ねたベッドルームの光景です。清掃も行き届いていました。ツインベットでしたから、使ったのは写真には写っていない右側のベッドです。

  • ホテルのレストランで戴いた、この日の朝食です。パンを1枚食べた後での撮影です。私自身の旅の注意事項として、朝から食べ過ぎないように心掛けています。

    ホテルのレストランで戴いた、この日の朝食です。パンを1枚食べた後での撮影です。私自身の旅の注意事項として、朝から食べ過ぎないように心掛けています。

  • この日のホテル出発は8時10分過ぎの予定でした。十分に時間の余裕がありました。1992年の江沢民元主席の落款の付いた、『敦煌賓館』の揮毫があった門構えです。

    この日のホテル出発は8時10分過ぎの予定でした。十分に時間の余裕がありました。1992年の江沢民元主席の落款の付いた、『敦煌賓館』の揮毫があった門構えです。

  • 外から眺めた敦煌賓館の建物光景です。ネット情報では、1979年に建てられた庭園式的なホテルと紹介がありました。貴賓楼、南楼、北楼、新八楼という四つの建物が配置されています。今日の気温は、16〜36度Cの電光表示がありました。

    外から眺めた敦煌賓館の建物光景です。ネット情報では、1979年に建てられた庭園式的なホテルと紹介がありました。貴賓楼、南楼、北楼、新八楼という四つの建物が配置されています。今日の気温は、16〜36度Cの電光表示がありました。

  • 少し離れた場所から撮影した、敦煌賓館の光景です。これから出掛けるのは、ハイライトの莫高窟の見学です。

    少し離れた場所から撮影した、敦煌賓館の光景です。これから出掛けるのは、ハイライトの莫高窟の見学です。

  • ホテルをバスで出発し、莫高窟に向かう途中の光景です。敦煌の市街が過ぎると、すぐに砂漠の光景になりました。

    ホテルをバスで出発し、莫高窟に向かう途中の光景です。敦煌の市街が過ぎると、すぐに砂漠の光景になりました。

  • 見渡す限り、砂漠の光景です。細かな砂ではなく、小石が集まった礫の光景です。現地ガイドさんは、ゴビと砂漠の違いを説明してくれました。日本での『ゴビ砂漠』の呼び方には違和感があるようです。

    見渡す限り、砂漠の光景です。細かな砂ではなく、小石が集まった礫の光景です。現地ガイドさんは、ゴビと砂漠の違いを説明してくれました。日本での『ゴビ砂漠』の呼び方には違和感があるようです。

  • 現地ガイドさんによれば、細かな砂の粒子だけの場合が『砂漠』、砂礫の光景が『ゴビ』との説、明でした。『ゴビ砂漠』は、ウィキペディアにも、『「ゴビ砂漠」は「砂漠砂漠」という表現』との説明がありました。

    現地ガイドさんによれば、細かな砂の粒子だけの場合が『砂漠』、砂礫の光景が『ゴビ』との説、明でした。『ゴビ砂漠』は、ウィキペディアにも、『「ゴビ砂漠」は「砂漠砂漠」という表現』との説明がありました。

  • 莫高窟に到着しました。日本では井上靖さんの小説、『敦煌』で知られた中国文化のシルクロード文化のエッセンスが詰まった地域です。その小説は、後世の北宋の時代、莫高窟から発見された敦煌文献がモチーフとされる小説です。

    莫高窟に到着しました。日本では井上靖さんの小説、『敦煌』で知られた中国文化のシルクロード文化のエッセンスが詰まった地域です。その小説は、後世の北宋の時代、莫高窟から発見された敦煌文献がモチーフとされる小説です。

  • 背後の莫高窟の洞窟がある丘が見えています。井上靖さんの西域文学の一連の作品の代表作とされ、1960年に、『楼蘭』と合わせて、毎日芸術賞を受賞しました。

    背後の莫高窟の洞窟がある丘が見えています。井上靖さんの西域文学の一連の作品の代表作とされ、1960年に、『楼蘭』と合わせて、毎日芸術賞を受賞しました。

  • 莫高窟の洞窟がある丘の光景です。莫高窟で発見された敦煌文書、あるいは敦煌文献と呼ばれるものは、1900年に偶然に17窟の壁の中から発見されました。

    莫高窟の洞窟がある丘の光景です。莫高窟で発見された敦煌文書、あるいは敦煌文献と呼ばれるものは、1900年に偶然に17窟の壁の中から発見されました。

  • 莫高窟の洞窟がある丘の光景です。その丘の頂上に塔の姿がありました。敦煌文献が発見されたのは清朝末期でしたが、その重要性に気が付かなかった清朝政府の対応は遅れ、多くの文献がイギリス、フランス、ロシアや日本の大谷探検隊などにより持ち去られました。

    莫高窟の洞窟がある丘の光景です。その丘の頂上に塔の姿がありました。敦煌文献が発見されたのは清朝末期でしたが、その重要性に気が付かなかった清朝政府の対応は遅れ、多くの文献がイギリス、フランス、ロシアや日本の大谷探検隊などにより持ち去られました。

  • 同じ場所からの撮影ですが、今度はカメラアングルを縦にしての光景です。地下水脈があるのでしょうか、オアシスの光景でした。

    同じ場所からの撮影ですが、今度はカメラアングルを縦にしての光景です。地下水脈があるのでしょうか、オアシスの光景でした。

  • 丘の上の塔のアップ光景です。窓のない六角形の堅固な造りに見えますから、軍事的な意味を持った砦、あるいは見張り台のようです。

    丘の上の塔のアップ光景です。窓のない六角形の堅固な造りに見えますから、軍事的な意味を持った砦、あるいは見張り台のようです。

  • 莫高窟の内部の撮影は出来ませんので、いささか単調な写真が続きますが、その周りの光景です。壁画の内容を大別しますと、仏僧画、仏の生涯、伝統的な神話・伝説を内容とする絵、経変画、仏教史跡画、装飾図案と供養者の7種類とされます。現地で入手した冊子から、その一部を補遺で紹介します。

    莫高窟の内部の撮影は出来ませんので、いささか単調な写真が続きますが、その周りの光景です。壁画の内容を大別しますと、仏僧画、仏の生涯、伝統的な神話・伝説を内容とする絵、経変画、仏教史跡画、装飾図案と供養者の7種類とされます。現地で入手した冊子から、その一部を補遺で紹介します。

  • 莫高窟が形成された期間は、4世紀から14世紀に及ぶとされます。壁画のほか、塑像も数多く残されています。

    莫高窟が形成された期間は、4世紀から14世紀に及ぶとされます。壁画のほか、塑像も数多く残されています。

  • 甘粛省、河西回廊の西部に位置する敦煌は、古代からユーラシア大陸東西交通路としてのシルクロードの要衝の街でした。仏教はインドからこの地を経て中国に伝来しました。この莫高窟は、海抜1400メートル、敦煌の街より300メートル高い場所になります。

    甘粛省、河西回廊の西部に位置する敦煌は、古代からユーラシア大陸東西交通路としてのシルクロードの要衝の街でした。仏教はインドからこの地を経て中国に伝来しました。この莫高窟は、海抜1400メートル、敦煌の街より300メートル高い場所になります。

  • カメラを替えて、同じ場所の撮影です。莫高窟に残された塑像の数は2400体以上、壁画の面積は45000平方メートルに及びます。

    カメラを替えて、同じ場所の撮影です。莫高窟に残された塑像の数は2400体以上、壁画の面積は45000平方メートルに及びます。

  • 石壁に穿たれた数多くの洞窟のアップ光景です。敦煌文献の大半は漢語で書かれた仏典です。しかし他にチベット語、サンスクリット語、コータン語、クチャ語、ソグド語、西夏語、ウイグル語やモンゴル語などがあります。内容も仏教に留まらず、ゾロアスター教、マニ教、景教(ネストリウス派)などの経典から、日常的な文書にまで及んでいます。この研究は、『敦煌学』更には『敦煌・吐魯番学』として進められました。

    石壁に穿たれた数多くの洞窟のアップ光景です。敦煌文献の大半は漢語で書かれた仏典です。しかし他にチベット語、サンスクリット語、コータン語、クチャ語、ソグド語、西夏語、ウイグル語やモンゴル語などがあります。内容も仏教に留まらず、ゾロアスター教、マニ教、景教(ネストリウス派)などの経典から、日常的な文書にまで及んでいます。この研究は、『敦煌学』更には『敦煌・吐魯番学』として進められました。

  • 莫高窟は、敦煌市東南25キロの鳴砂山の東麓に位置します。現存する石窟の数は、1600メートルの長さの区域に735箇所とされます。

    莫高窟は、敦煌市東南25キロの鳴砂山の東麓に位置します。現存する石窟の数は、1600メートルの長さの区域に735箇所とされます。

  • 莫高窟は入口方面の光景です。莫高窟の入口には、後年、中国風の建物が建築されたようです。後ほどアップで紹介します。

    莫高窟は入口方面の光景です。莫高窟の入口には、後年、中国風の建物が建築されたようです。後ほどアップで紹介します。

  • 莫高窟が世界遺産に登録されたのは1987年、砂漠の中ですから、それほど多くはありませんが、お土産店もありました。

    莫高窟が世界遺産に登録されたのは1987年、砂漠の中ですから、それほど多くはありませんが、お土産店もありました。

  • お土産店の店先光景です。砂漠の度に欠かせない帽子やサングラスのほか、ろうけつ染めの織物などです。

    お土産店の店先光景です。砂漠の度に欠かせない帽子やサングラスのほか、ろうけつ染めの織物などです。

  • 『敦煌土特産』の大きな横置き看板があったお店の光景です。左から、サングラス、Tシャツ、ネッカチーフなどが並んでいました。直観での判断ですが、『土』は『地元』の意味でしょうか。

    『敦煌土特産』の大きな横置き看板があったお店の光景です。左から、サングラス、Tシャツ、ネッカチーフなどが並んでいました。直観での判断ですが、『土』は『地元』の意味でしょうか。

  • 可愛らしいラクダの縫い包み人形です。揃ってふかふかの靴を履いていました。

    可愛らしいラクダの縫い包み人形です。揃ってふかふかの靴を履いていました。

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