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最後は、人物にスポットを当てて郷土の英雄「田中正造」の生家を紹介します。<br />しばらく忘れていた名前ですが、昨年10月横浜の関内で無料開放していた日本新聞博物館で開催していた「下野新聞創刊130周年記念企画展 予は下野の百姓なり―田中正造と足尾鉱毒事件 新聞でみる公害の原点 」を偶然見て、久しぶりに田中正造の名前をを見つけて懐かしく思っていました。<br />私がバスで通っていた高校の通学路の脇に生家があり、実家に帰ったとき生家を見に行こうと思っていましたがようやく実現しました。<br />

何にも無い田舎町ですが、郷土のヒーロー 田中正造の生家がありました。

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2009/03/26 - 2009/03/26

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旅行記グループ 栃木旅行記 1

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ぬいぬい

ぬいぬいさん

最後は、人物にスポットを当てて郷土の英雄「田中正造」の生家を紹介します。
しばらく忘れていた名前ですが、昨年10月横浜の関内で無料開放していた日本新聞博物館で開催していた「下野新聞創刊130周年記念企画展 予は下野の百姓なり―田中正造と足尾鉱毒事件 新聞でみる公害の原点 」を偶然見て、久しぶりに田中正造の名前をを見つけて懐かしく思っていました。
私がバスで通っていた高校の通学路の脇に生家があり、実家に帰ったとき生家を見に行こうと思っていましたがようやく実現しました。

交通手段
自家用車 徒歩
  • 小学校の社会科の教科書出ていた「田中正造」<br />足尾鉱毒事件の際に活躍した人、その程度のかすかな記憶があり、私の頭の中ではすっかり忘れた存在でしたが昨年秋にたまたま入った日本新聞博物館で開催されていた企画展「下野新聞創刊130周年記念企画展 予は下野の百姓なり―田中正造と足尾鉱毒事件 新聞でみる公害の原点 」を見ることがあり30数年ぶりに思い出した人物でした。

    小学校の社会科の教科書出ていた「田中正造」
    足尾鉱毒事件の際に活躍した人、その程度のかすかな記憶があり、私の頭の中ではすっかり忘れた存在でしたが昨年秋にたまたま入った日本新聞博物館で開催されていた企画展「下野新聞創刊130周年記念企画展 予は下野の百姓なり―田中正造と足尾鉱毒事件 新聞でみる公害の原点 」を見ることがあり30数年ぶりに思い出した人物でした。

  • 私の生まれた街の出身有名人といえば、最近では私の中学の後輩の「桜」をヒットさせた河口恭吾、同じく中学の後輩のプロ野球の現役名球会プレイヤー石井琢郎がいますが、ずっと遡っていってのヒーローというとやはり田中正造ですね。

    私の生まれた街の出身有名人といえば、最近では私の中学の後輩の「桜」をヒットさせた河口恭吾、同じく中学の後輩のプロ野球の現役名球会プレイヤー石井琢郎がいますが、ずっと遡っていってのヒーローというとやはり田中正造ですね。

  • その田中正造の生家があるのは、私が通っていた高校の通学路をちょっとはずれた所。30数年前の遠い昔の話、かすかな記憶を頼りに行ってみました。

    その田中正造の生家があるのは、私が通っていた高校の通学路をちょっとはずれた所。30数年前の遠い昔の話、かすかな記憶を頼りに行ってみました。

  • 車を駐めた駐車場の隣にあった、田中正造の墓所。<br />五ヶ所に分骨された遺骨のひとつががここに葬られています。

    車を駐めた駐車場の隣にあった、田中正造の墓所。
    五ヶ所に分骨された遺骨のひとつががここに葬られています。

  • 石碑には「義人 田中正造君碑」と書かれていて、表面には同郷の小堀鞆音の筆による田中正造翁の姿が彫られていいましたが風化して彫りが薄くてよくわかりませんでした。

    石碑には「義人 田中正造君碑」と書かれていて、表面には同郷の小堀鞆音の筆による田中正造翁の姿が彫られていいましたが風化して彫りが薄くてよくわかりませんでした。

  • この墓所の道の反対側が田中正造の生家になります。

    この墓所の道の反対側が田中正造の生家になります。

  • 中にはいる前に裏側に回ってみるともうひとつ茅葺の屋根の上を銅板で葺いた建物がありました。これは隠居所だった建物、詳しくはあとで紹介します。

    中にはいる前に裏側に回ってみるともうひとつ茅葺の屋根の上を銅板で葺いた建物がありました。これは隠居所だった建物、詳しくはあとで紹介します。

  • 生家の玄関を開けるとこんな光景が目に飛び込んできます。油を扱う商家だったようです。

    生家の玄関を開けるとこんな光景が目に飛び込んできます。油を扱う商家だったようです。

  • 本日休業の看板に、あれっ 今日休み・・・?<br />いや、そうではありませんでした。<br />お店をやっていた頃の名残だとか。

    本日休業の看板に、あれっ 今日休み・・・?
    いや、そうではありませんでした。
    お店をやっていた頃の名残だとか。

  • 入口を開けると土間になっていて右側には肖像画と先ほど見た墓所の石碑の拓本が飾られています。<br />

    入口を開けると土間になっていて右側には肖像画と先ほど見た墓所の石碑の拓本が飾られています。

  • 土間には井戸があったようでご覧のようなつるべがありました。

    土間には井戸があったようでご覧のようなつるべがありました。

  • ここで入館料300円払うと奥の座敷から2人のおばちゃんが現れました。<br />ボランティアの案内人だそうで、なつかしの佐野訛りでいろいろと説明をしてくれました。

    ここで入館料300円払うと奥の座敷から2人のおばちゃんが現れました。
    ボランティアの案内人だそうで、なつかしの佐野訛りでいろいろと説明をしてくれました。

  • 2階にのぼっていくと天井は低く5部屋に区切られていました。

    2階にのぼっていくと天井は低く5部屋に区切られていました。

  • かなり急な階段です。

    かなり急な階段です。

  • 屋根の勾配にあわせて天井も斜めになっています。

    屋根の勾配にあわせて天井も斜めになっています。

  • 立派な百日紅の向こう側に建っているのは隠居所

    立派な百日紅の向こう側に建っているのは隠居所

  • 一番奥には蔵があって農機具等が置かれていました。

    一番奥には蔵があって農機具等が置かれていました。

  • このあたりは養蚕も盛んで、昔は蚕が飼われていたようです。

    このあたりは養蚕も盛んで、昔は蚕が飼われていたようです。

  • 田中正造の両親の隠居所として使っていた建物

    田中正造の両親の隠居所として使っていた建物

  • 遅くなりましたが、ここで田中正造なる人物を紹介していきます。<br />

    遅くなりましたが、ここで田中正造なる人物を紹介していきます。

  • 天保年間にここ、小中村の名主の家に生まれた正造。名主とは名ばかりの貧しい家だったようです。

    天保年間にここ、小中村の名主の家に生まれた正造。名主とは名ばかりの貧しい家だったようです。

  • 父の跡を継いで小中村名主となり、領主である高家六角家に対して政治的要求を行っい、明治維新直前の慶応4年に投獄。

    父の跡を継いで小中村名主となり、領主である高家六角家に対して政治的要求を行っい、明治維新直前の慶応4年に投獄。

  • 明治3年、江刺県花輪支庁(現在の秋田県鹿角市)官吏になるものの、翌年、上司殺害の容疑者として冤罪で逮捕され、再度投獄。

    明治3年、江刺県花輪支庁(現在の秋田県鹿角市)官吏になるものの、翌年、上司殺害の容疑者として冤罪で逮捕され、再度投獄。

  • 4年の投獄の後釈放され明治7年(1874年)故郷の戻り造り酒屋蛭子屋の番頭となる。その後明治11年、区会議員として政治活動を再開し、栃木新聞(現在の下野新聞)が創刊され編集長になり、紙面で国会の設立を訴える。<br /><br /><br /><br />

    4年の投獄の後釈放され明治7年(1874年)故郷の戻り造り酒屋蛭子屋の番頭となる。その後明治11年、区会議員として政治活動を再開し、栃木新聞(現在の下野新聞)が創刊され編集長になり、紙面で国会の設立を訴える。



  • 明治13年に栃木県議会議員となり、県令だった三島通庸と議会で対立。自由民権運動のなかで、加波山事件に関係したとして逮捕され、その後政界復帰し明治19年県会議長に就任の後、衆議院議員に。<br /><br />

    明治13年に栃木県議会議員となり、県令だった三島通庸と議会で対立。自由民権運動のなかで、加波山事件に関係したとして逮捕され、その後政界復帰し明治19年県会議長に就任の後、衆議院議員に。

  • 一貫して民衆の立場に立ち、足尾鉱毒事件の解決に奔走するが、帝国議会では適切な処置は行なわれなかったため、議員を辞職して、死刑を覚悟して天皇に直訴。

    一貫して民衆の立場に立ち、足尾鉱毒事件の解決に奔走するが、帝国議会では適切な処置は行なわれなかったため、議員を辞職して、死刑を覚悟して天皇に直訴。

  • この直訴が行なわれたのは1901年12月10日のこと。帝国議会開会式から帰途の明治天皇の馬車に、紋服姿の白ヒゲの老人(田中正造)が走り寄り、直訴を企てたが、護衛にさえぎられ失敗し逮捕。<br />栃木県を流れる渡良瀬川が上流の足尾銅山から出る鉱毒によって汚染され、魚が捕れなくなったり、農作物が年々減るなどして沿岸の農漁民を悩ませている実情を知り、代議士として10年間、対策を訴え続けてきたが、政府に無視され、ついに直訴という非常手段に訴えたわけです。

    この直訴が行なわれたのは1901年12月10日のこと。帝国議会開会式から帰途の明治天皇の馬車に、紋服姿の白ヒゲの老人(田中正造)が走り寄り、直訴を企てたが、護衛にさえぎられ失敗し逮捕。
    栃木県を流れる渡良瀬川が上流の足尾銅山から出る鉱毒によって汚染され、魚が捕れなくなったり、農作物が年々減るなどして沿岸の農漁民を悩ませている実情を知り、代議士として10年間、対策を訴え続けてきたが、政府に無視され、ついに直訴という非常手段に訴えたわけです。

  • 結果的には失敗に終わったものの、この直訴をきっかけに、世論も盛り上がり、政府はこれを機に重い腰を上げ鉱毒除去に乗り出すことになります。しかし抜本的な解決には至らなかったようです。<br />その後も鉱毒反対運動以外にも住民運動を続け、亡くなる数ヶ月前に自宅を含む全資産を地元に寄付し、亡くなったときは無一文だったとか。<br />でも田中正造が地元の人たちに残した功績は大きかったようで、葬儀には数万人の地元住民が参列したそうです。

    結果的には失敗に終わったものの、この直訴をきっかけに、世論も盛り上がり、政府はこれを機に重い腰を上げ鉱毒除去に乗り出すことになります。しかし抜本的な解決には至らなかったようです。
    その後も鉱毒反対運動以外にも住民運動を続け、亡くなる数ヶ月前に自宅を含む全資産を地元に寄付し、亡くなったときは無一文だったとか。
    でも田中正造が地元の人たちに残した功績は大きかったようで、葬儀には数万人の地元住民が参列したそうです。

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