2006/12/07 - 2006/12/07
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SUR SHANGHAIさん
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今日はハバナで丸1日の時間がある最終日。
旧市街から見ると、ハバナ港入口の運河向かいにあるモロ要塞とカバーニャ要塞に行ってみようと思い決めていたSUR SHANGHAIとその旦那。
朝起きてみると、この日はキューバ滞在最後を飾る絶好のお天気。
さっそく車で出かけてみます。
モロ要塞の灯台とカバーニャ要塞のチェ・ゲバラ博物館がこの日のお目当て。
最後には、旧市街のタコン(TACON)通りに出るというフリーマーケットでお土産探しもしてみます。
表紙の画像は、モロ要塞の灯台から見たハバナ新市街
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- レンタカー
-
ハバナ港の入口には、旧市街の対岸にモロ要塞とカバーニャ要塞があります。
レンタカーだと、旧市街からモロ要塞方面に抜ける海底トンネルで行くのが便利。(上の画像)
別の旅行記でも書きましたが、モロ要塞側の出口ですぐにライトを消したSUR SHANGHAIたちは、カーブになった出口数百m先にある検問所で「ライトを点けていなかった!」と停められて罰金を払う羽目に。
出口先にある、元は料金所だったらしいゲート(下の画像)があるあたりまで点灯していくといいかもです。
あとは検問所付近に標識が出ているので、そこから入った道の脇に、要塞見学のチケット売り場が。
ここでまとめて買って行ってもいいと思いますが、それぞれの要塞の入口にもチケット売り場がありましたよ。
見学料はどちらの要塞もCUC4。駐車料金はそれぞれCUC1。
モロ要塞の敷地内にある灯台は、別料金でCUC2。
これは灯台を上りきった所で払うようになっていました。 -
モロ要塞はハバナ港入口を見下ろすように建てられた要塞。
外側の路上に車を停められるようになっていて、駐車係兼見張り番のおじさんがいました。駐車料金CUC1。
中に入る前に新市街の方向(南)を眺めてみると、ハバナ港入口の運河と外洋が出会う水の色がくっきり違う。
水の色が濃い右方向が外洋であるカリブ海。
ハバナ港入口付近には、このモロ要塞のお隣にカバーニャ要塞、運河を挟んで旧市街側にはフエルサ要塞とプンタ要塞があります。
なぜこんなに要塞を建てる必要があったのかというと…、 -
…16世紀半ばには旧市街側にフエルサ要塞が建てられていたものの、16世紀後半から17世紀にかけてハバナ港を狙った海賊の襲来が多かったらしい。
そのため、旧市街側にさらにプンタ要塞を建て、
港入口の運河を隔てたそのお向かいにこのモロ要塞が建てられたのだとか。
カバーニャ要塞はと言うと、
まだキューバがスペインの植民地だった1762年にモロ要塞がイギリス軍に占領されてハバナが陥落し、翌年フロリダと引き換えにハバナを再びスペイン領にしたあとで、自衛力強化のために建てられたとのこと。 -
モロ要塞の本丸(?)に入る前にハバナ旧市街方向も眺めてみます。
間に横たわるのはハバナ港へ通じる運河。
この画像だと左手(南東)がハバナ港、右手が外洋。
画像中央奥に、旧市街のシンボルのように旧国会議事堂のドームが見えるこの朝。 -
モロ要塞の城壁内側へは短い橋のような通路が架かっていました。
ハバナ港入口の運河の向こうに見えるのは、旧市街と新市街の境目あたり。
赤い屋根の平屋造りのように見える建物は、同じくハバナ港の入口を守っていたプンタ要塞。
この画像だと見えにくいですが、砲台が何基も並んでいます。
このモロ要塞入口付近には露天お土産屋さんが並んでいましたが、それは要塞見学後に寄ってみます。 -
モロ要塞の中へ入って行きます。
トンネルのような通路を抜けると…、 -
…今は灯台もあるモロ要塞の城壁内部。
歩いて回るのにお手頃サイズ。
かつては警備隊の兵舎だった建物に博物館的展示がある場所や、牢獄だった所もありました。
ちょっとしたお土産屋さん、葉巻屋さん、売店やカフェもあるので一休みも出来ますよ。
あとで行ったカバーニャ要塞は敷地が広くてトイレを探すのが大変だったので、トイレの用事はここで済ませていくのがいいかもです。ペーパーは持参が吉。 -
外洋のカリブ海に向けて置かれた大砲。
その後に見えるのが灯台の基部。
2日前の雨の日に比べたら、今日はお天気が見違えるほどいいので…、 -
…青いキューバの空を背にした灯台がくっきり。
2日前、プンタ要塞そばの堤防から見た時とは印象が全然違うなあ。
あの時は灰色の雨空と荒れた海の風景の中で憂鬱そうに見えたっけ。
SUR SHANGHAIたち以外にも、観光客が三々五々と訪れ始めた午前の時間帯。
この灯台への入場料は別料金でCUC2。
灯台を上り切った所に係のおじさんがいて、そこで払うようになっていました。 -
灯台に上る前に下を見てみると、今日は青く穏やかなカリブ海。
その海を渡っていくあの小さい船は漁船かな。
潮風と海の匂い。 -
おれは下で待ってるよ、と言う旦那を残して灯台の螺旋階段を上りきったSUR SHANGHAI。
別料金のCUC2を受け取った係のおじさんが片言の英語で
「日本人? これ、日本製だぞ!」
と、誇らしげに見せてくれた電球。
CHIYODAと書かれていましたよ。 -
灯台てっぺん付近に張り出した通路はぐるりと回れます。
これはモロ要塞城壁と内側の建物。
わ〜!!北側に見えるカリブ海が青い!
そのまま回り込もうとした所では、情熱的に抱き合っていたカップルが。 (^^ゞ
お邪魔しました〜。
ひっそりと逆回りで灯台南側に退却。 (*^^) -
灯台の上からは、ハバナ港入口周辺の景色もさらに広がる。
ここからだと南側にある新市街がカリブ海に浮かんでいるように見えるなあ。
タンタンタンと遠くなっていくエンジン音はタグ・ボート。
そのタグ・ボートが出て行ったハバナ港の水は水質が違うのかな。外洋との境の色が見て取れる。 -
モロ要塞の灯台からは、ハバナ港入口から南東方向に延びる運河とその奥のハバナ港もよく見える。
画像奥右手からちょっと突き出ているのは旧市街。
フエルサ要塞もその中に写っているんですが、この画像だと見えないかな。 -
灯台から下りて来たら、学校の遠足でモロ要塞見学に来ているらしい地元の学生が出たり入ったり。
急に賑やかになってきた。
そろそろ次のカバーニャ要塞へ移ることにして…、 -
…入って来た時と同じトンネルのような通路を通ってモロ要塞城壁外へ。
-
するとそこには、来た時にも見かけたお土産屋さんが待ち受けていた、
と言いたいところですが…、 -
…今日の日差しは強すぎて、太陽にもお客さんにも背を向けて座る店番のおにいさんたち。
なんか侘しく見えるなあ…。 (^^ゞ
お陰で(?)わずらわしいことなく、品揃えを見極めることができましたが。 -
手頃なお土産になるのは、上の画像のマラカス型やドラム型のキーホルダー。
色もカラフルで、バッグなどにちょっとつけてもいい感じ。マラカス型の方は直径数cmで中に小石(?)が入っているのか、小さいながらも音が出ます。
3つでCUC1の言い値。
下の画像は、お土産にするのはちょっと…という感じですが、空き缶利用で作った車の模型やカメラ。
カメラの方は、シャッターを切る動作でレンズ部分が飛び出す仕組みの面白グッズ。
ちなみに言い値はCUC3。
お値段は交渉するといいですよ。 -
モロ要塞から車で数分のカバーニャ要塞に移動。
入口になっている最初の城壁手前に駐車場があって、駐車料金CUC1。
ここにも見張りのおじさんがいるので、安心して停めておけます。
あとは徒歩で移動。
お堀に囲まれたカバーニャ要塞に入って行く時、旦那が
「あ、ヘビだ!」
見てみると、こんなほぼ垂直のお堀の壁をヘビがスルスルと上って行った。
カメラを構えた時はもう、画像に写っている植物の影へ。
ヘビがこんな壁を上れるとは知らなんだ。 -
カバーニャ要塞は、これまでに見たフエルサ要塞、プンタ要塞、モロ要塞と比べると一番規模が大きい。
上の画像のお堀のあと、この最初の城壁のゲートをくぐって出た所が本丸、と言うわけではなく…、 -
…その先にはさらに広いお堀があって、画像右に見えるのが要塞内部敷地へのゲート。
その中に入って行く前に…、 -
…最初の城壁の風情を撮るSUR SHANGHAI。
お天気がいいから、青い空に赤い壁がよく映える。
その城壁に落ちるランタンの影もいいなあ。 -
青、赤、緑の構図。
-
話を本題に戻して、いよいよ上の画像に出て来たお堀に架かる橋を渡ってカバーニャ要塞の中へ。
左に黒く見えるのが、これから入って行こうとしている要塞敷地を囲む城壁。
幅の広いお堀。
昔はここにも水を引いていたのかな。
その奥に、さっき上ったモロ要塞の灯台も見える位置。 -
橋の反対側。
今SUR SHANGHAIが立っているこの橋も、昔は跳ね橋だったに違いない。
その名残らしき鎖も橋にかかる。 -
お昼頃にはカンカン照りになったこの日。
第2の城壁をくぐってカバーニャ要塞敷地に入ると…、 -
…ちょっとジョルジオ・キリコの絵に出てきそうな長〜い建物が何列か延々と続く。
どれも似たような造り。
重要な建物がどれなのか、外部者には一見して分からないように造られたんだろうか。
建物の端に青いカリブ海がちょっとだけ見えるのもシュール。 -
反対側を見ても、延々と続くカバーニャ要塞の建物。
今日のこの日差しに旦那が参ってしまったので、途中に数軒出ていたカフェの一軒で一旦休んでいくことに。 -
風の通る影の中に陣取ってホッと一息。
斜めになったテーブルで、カフェのおねえさんがお店の会計のまとめ(?)をしている場面。 -
無骨な要塞の雰囲気に彩りを添えるカフェの小鳥たち。
-
カバーニャ要塞の敷地にはチェ・ゲバラ博物館もありますよ。
その建物の正面写真を撮るのを忘れてしまいましたが、ハバナ港入口の運河に面した城壁を背にした、黄色い壁と赤い瓦屋根の平屋建てでした。
特に看板は出ていなくても、他の赤い壁の建物と違うのですぐ分かりました。
ここの見学はカバーニャ要塞のチケット料金に込み。
内部の撮影OK。
これはその内部にあるチェ・ゲバラの執務室だった部屋。
ロープが張ってあるので、そのデスクには近寄れません。
このほかにもゲバラの遺品などもあって…、 -
…これは写真好きだったと言うゲバラが使用していたカメラ。
あ、ニコンだ。(◎o◎)!
SUR SHANGHAIも今ではニコンを使っているから、なんとなくゲバラとお近づきになった気分。 -
もちろんチェ・ゲバラ関連の写真もありましたよ。
ハバナの革命博物館を別の旅行記で紹介した時のゲバラの説明と重複する点もありますが、またちょっとゲバラについての復習。
チェ・ゲバラの本名はエルネスト・ラファエル・ゲバラ・デ・ラ・セルナ。
1928年6月14日、アルゼンチン第2の都市ロサリオ生まれ。
≪チェ≫というのは、スペイン語では相手に呼びかける時に使う言葉で、それがゲバラの愛称になったのだそう。
父親のエドゥアルドは造船業を営んでいた家庭で、この写真は母親のセリアに抱かれたゲバラ。
後年、革命家として激しい生き方をしたゲバラは、生まれた時には未熟児だったのだとか。 -
少年期のゲバラ。
意志の強そうな眉と目。
あ、ゲバラは富士額だったんだ。(*^。^*)
(↑自分との共通点を見つけて喜ぶSUR SHANGHAI)
この写真では健康そうに見えるゲバラも、2歳から重い喘息だったらしい。
このため一家はたびたび転地したのだそう。
喘息にもかかわらず、学生時代には激しいスポーツを好み、プレイ中に発作を起こした時にも酸素吸入のあとはプレイに戻っていた、というから驚き。
医学部の道に進むことになったのも、この持病ゆえだったのだとか。 -
これと同じ写真は革命博物館にもあったっけ。
ブエノスアイレス大学の医学部に在籍中だったゲバラが、1950年にモペッドで北アルゼンチン4,500kmを単独走破した時の写真。
この後、1951年にはオートバイでラテン・アメリカを走破。
この旅の様子は、2003年ウォルター・サレス監督の映画≪モーターサイクル・ダイアリーズ≫にもなっています。
この旅の合間に各地の状況を見聞きして、革命を志し始めたのだそう。 -
1953年に、大学の6年の課程を3年で終了という優秀な成績で卒業して医学博士となったゲバラが、モンカダ兵営攻撃のリーダー格でメキシコに亡命中だったフィデル・カストロと出会ったのが1956年。
その同じ年の12月2日にはグランマ号でカストロらと共にバティスタ政権打倒のためにキューバに上陸、という運命的な出会い。
この画像は、その後の革命戦を経て1959年には革命政権を樹立させた革命家ゲバラとしてのグラフィティー的肖像画。
カストロとは革命政権運営や当時のソ連との関係を巡って次第に溝が深まり、1965年にはキューバと決別。
アフリカでの革命活動のあと、1967年にボリビアに潜伏していたところを捕らえられ殺害された39年の人生。
短くも激しく生きたチェ・ゲバラ。 -
チェ・ゲバラ博物館の裏手には、ちょっとした庭風スペースにハバナ港入口の運河に向いた砲台が並んでいました。
その砲台が並ぶカバーニャ要塞の城壁は逆光だったので写真は撮らず。
この画像は、ゲバラの執務室が入っている部分を砲台側から見たところ。 -
カバーニャ要塞敷地内の建物群の片隅には教会も混じる。
これは上のチェ・ゲバラ博物館からも近い場所。
近寄って行ってみると…、 -
…カバーニャ要塞敷地に入ってきた時にも見た、こんな長〜い建物の外れ。
中はシンプルな造りの教会。 -
その教会の側面。
階段が付いていたので、上に上れるのかと思ったら立ち入り禁止で残念。
この教会付近の建物内部には武器などの展示をして公開している部分もありますよ。 -
青い空と、扉のある壁の構図。
-
今日の強い日差しと昼下がりと言う時間帯のせいか、だ〜れもいない不思議な町角に見えるカバーニャ要塞の一角。
向こうの壁に落ちる影も黒々。
カバーニャ要塞では、毎日午後9時から大砲の儀式があって、多くの人が訪れるのだそう。
興味のある方は行ってみては? -
ふっと黒い人影が向こうから現われた。
不思議な印象の昼のカバーニャ要塞。
SUR SHANGHAIはもう少し歩いてみたかったのに、暑さにバテた旦那の帰ろうコールがさっきから続く。
はいはい、今日はこれから借りた車も返さなきゃいけないし、タコン通りのフリーマーケットにも行くんだよね。 -
ホセ・マルティ国際空港で借りたHAVANAUTOSと言うレンタカー会社は、旧市街の≪SOFITEL SEVILLA LA HABANA≫にもオフィスがあるので、そこで返却。
返却手続き自体は問題無しでしたが、午後2時頃までの時間帯は昼休みのようでした。
これはSUR SHANGHAIたちが借りた車!
…ではなくて、≪SOFITEL SEVILLA LA HABANA≫の外に停めてあった車。
う〜ん、色艶のいいドラキュラに見える。(^^ゞ -
こういう写真を撮ると、
「SUR SHANGHAIは男だったのか!」と思われそうですが、SUR SHANGHAIは女です(一応)。(^^ゞ
右端のコは中・高校生くらい?
隣のおねえさんのようにシェイプアップして、セクシーなキューバ美人になろうね。(*^。^*) -
旧市街のハバナ港入口に沿った公園とカテドラルの間のタコン(TACON)通りにはフリーマーケットが出ますよ。
フエルサ要塞や支倉常長像も近くなので、この付近に来たらお土産探しをしてみては?
フリーマーケットと言っても、売られているのはお土産品。
こんな屋台風のお店が数列200mくらいの長さでずらり並んでいるので、見応えもあり。
月・火曜日はお休みのようなのでご注意ください。
商品はと言えば…、 -
…一番多いのは自作の絵で、右上の画像のようなポップな絵柄の物がいい感じ。長辺が20〜30cmくらいのものだと三枚でいくらという値段設定。
あとは、シガー・ケース(CUC20位から)、マラカス(一対CUC3位から)、鮮やかに彩色されたテラコッタ製の人形やクラシックカーのミニチュア(CUC1位から)、ナンバープレートの複製品(CUC1位から)、アクセサリー、木彫りの置物、コットン製シャツ、コットン・レースのドレス、などなど…。
ここではお値段交渉してくださいね。
チェ・ゲバラ関連グッズは種類は少なかったですが、Tシャツなどがありました。
これでキューバの旅行記の昼の部はおしまいで、次編はハバナの夜をご紹介します。
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この旅行記へのコメント (6)
-
- 三昧さん 2008/08/19 01:40:42
- ゲバラがニコン
- SUR SHANGHAIさん、今晩は!
モーターサイクル・ダイアリーズは良かったですね。ゲバラがニコンを愛用していたとは、でも あの時代でも日本光学は世界に名立たるカメラでしたからネ。カストロが死んで10年したら、ゲバラほど名前は残らないでしょうね。
- SUR SHANGHAIさん からの返信 2008/08/21 00:35:33
- RE: ゲバラがニコン
- ご訪問ありがとうございました。(^0^)
ゲバラがニコンを使っていた、というのは私もこの時にたまたま気づいてちょっとびっくり。 お!大発見!(◎0◎) と思いましたよ。
ミーハーではないはずの私も、ここでゲバラが富士額だったと気づいて、共通点を見つけた気分になり、ちょっとうれしくなってしまいました。(^0^)
ゲバラって、不思議な魅力の持ち主ですね。亡くなったのが40前という若さだったのも人を惹き付ける要素なのかもです。
- 三昧さん からの返信 2008/08/21 01:52:49
- RE: ゲバラがニコン
- SUR SHANGHAIさん、今晩は!
格好よくて、未だに女性に人気にあって若くして逝った男性(ヒト)って、ゲバラ。ジェームス ディーン。坂本竜馬。チョット翳が薄くなりつつありますが赤木圭一郎って、人気ありますね〜。
- SUR SHANGHAIさん からの返信 2008/08/21 20:04:43
- RE: ゲバラがニコン
- 若くして死ぬというのは洋の東西を問わず、人々の印象に深く残るもののようです。
これからも続くはずだったその人の人生の時間が急に途切れてしまって、悲壮感を抱かせるからなのかも知れません。こう言ってはなんですが、劇的な幕切れを思わせるからかも。
ちょっと話が深刻になってしまいましたが、ゲバラもそういう一人だったんですよね。で、写真集なんかで思いがけずお茶目な表情や笑い顔を見せているゲバラを見ると、こういう一面もあったんだ!(◎0◎)!と再発見。
-
- ぶうちゃんさん 2008/03/24 23:43:53
- こんばんは
- すばらしい写真の数々、感心してしまいました。(上から目線みたいな言い方ですいません)
しかし、空と海の青がすばらしいですね。地中海のギリシャ辺りの写真と思うほど白い建物がすばらしいですね。平和な時代の要塞は建物としての芸術性があるように思ってしまうのは、要塞の目的からすると皮肉なものですね。
- SUR SHANGHAIさん からの返信 2008/03/25 14:52:10
- RE: こんばんは
- またのお越し、ありがとうございました。m(__)m
一つの港の入口に4つもの要塞を造ったハバナは、多くの歴史を秘めているはずですが、あまり知られていないのは残念だと思います。
まだ出先にいるので、後ほどまたお伺いしますね。
ここで失礼させていただきます。(^.^)/~~~
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