2006/12/05 - 2006/12/05
540位(同エリア828件中)
関連タグ
SUR SHANGHAIさん
- SUR SHANGHAIさんTOP
- 旅行記929冊
- クチコミ7097件
- Q&A回答49件
- 6,429,431アクセス
- フォロワー237人
ハバナには数日滞在して周辺を見て回ったSUR SHANGHAIとその旦那。
昨日までお天気に恵まれたキューバの旅も今日は雨模様。
雨なら雨で、今日はまた違った雰囲気のハバナを見てやるぞ〜!
と出かけてみたのは、旧市街のフエルサ要塞あたりからプンタ要塞、革命博物館がある一帯。
今回は、晴れた日とは趣が全然違う雨のハバナ編。
このお天気だと、今日のメインは革命博物館になりそう。
表紙の画像は、プンタ要塞近くの堤防に押し寄せるカリブ海の大波。新市街が波頭の向こうに見える。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
ハバナ旧市街はテクテク歩いて回れる大きさ。
宿になったホテル≪RAQUEL≫から、まずフエルサ要塞に行く途中に自動車博物館があったので寄ってみることに。
中はガラーンとしたガレージのよう。クラシックカーがあれこれ並ぶ中に、チェ・ゲバラが乗っていたと言う車(下の画像)も。
ただ、全く説明が付いていなかったり、ロープが車の手前に張ってあるので、うまい具合に写真が撮れなかったり…。
外の通りからも中が見えるので、特にお目当ての車が無いようならわざわざ入場しなくてもいいかも。
入場料CUC1。カメラ一台につきCUC2。
所在地:CALLE OFICIOS 12
アルマス広場とサン・フランシスコ広場を結ぶ道に面しています。 -
お次は、ハバナにある要塞のうちでは一番古いというフエルサ要塞。16世紀半ばに建てられたのだとか。
柵の向こうに見えるのがその要塞の塔部分。
こうして見ると、かつてはスペインの植民地だっただけあって、スペインの町と言っても信じてもらえそうな町並み。
あ、青空が出てきた。今日はこのまま晴れていくのかな。
柵の手前にいるワンちゃんは、今日はどこへ行こうかな?と考えているみたい。 -
フエルサ要塞は、外回りだけの見学。
昨日ハバナ・クラブ博物館で見たラベルの女性像が塔の上に立っている。(現在の物はレプリカなのだそう。)
では、この像のモデルは?
と言うと、キューバ初の女性提督になったラ・ヒラルディージャ、ということになっていますが、キューバ提督になった人物の中に、それらしい名前はありませんでしたよ。
実際には、セビーリャの≪ヒラルダ(風見)の塔≫の上に立つ女性像がモデルなのだとか。
また雨がぱらついて来たなあ。風も出てきたし、ザーッと一雨来るかも。 -
フエルサ要塞からプンタ要塞に向かう道筋は1km位。その中間点には、日本人として初めてキューバの地を踏んだ支倉常長の像も立っているというので、寄ってみることに。
ここまで来てドッと土砂降り。
慌てて逃げ込んだカフェで小1時間の雨宿り。
やっと雨も上がり、戻って来てみたら支倉常長像はハバナの雨に濡れていた。
支倉常長は、現在の宮城県仙台市の開府者・藩主伊達政宗公の命でヨーロッパへ渡った使節団の大使で、途中、1614年にキューバに立ち寄ったのだそう。
1614年というと、キューバはまだまだスペインの植民地だった頃。
日本人がまだこんな装束だった時に、キューバの土を踏んだ人間がいた、ということにまず感激。
そして、その支倉常長が指し示すのは…、 -
…目的地のローマの方向。
足元には、
ローマまで8,700kmの表示(上の画像)や、
これまでの航程を示す、仙台まで11,850kmの表示(下の画像)もあって、支倉常長が率いた一行の旅路の遥かさが偲ばれる。
銅像は仙台育英学園が寄贈したとのことで、その記念碑や、仙台周辺の風物の七夕やコケシなどを紹介する碑もありました。 -
そのそばの公園には観覧車もあったけど、今日のこのお天気だと寂しい眺め。
-
プンタ要塞そばには、ハバナ港入口の海底を通ってモロ要塞側に出るトンネルが。
そのトンネルに向かう車の中には、トラックと列車を連結したようなカメオ(駱駝)と呼ばれるバスも混じる。 -
こぢんまりとしたプンタ要塞まで来てみたら、
あれ? 中の博物館は月曜だけじゃなく火曜もお休み?
これから行く方は日程にご用心。
ハバナ港の入口を守っていた要塞の一つのプンタ要塞。
大砲の方向を変えるレールが付いていた。
今は錆び付いて動かなかったけど。
その向こうに見えるのは、対岸にあるモロ要塞とその灯台。 -
そのモロ要塞と灯台が見えるプンタ要塞そばの堤防。
お天気がちょっと崩れたら、この辺に押し寄せるカリブ海の波は大きい。
おねえさ〜ん、そこに立ってると危ないですよ〜! -
ほらね、こんなに大きい波がドドーン!!
さっきまで見えていたモロ要塞が、砕けた波頭の向こうになった。 -
プンタ要塞から新市街方面に延びる堤防付近もこの通り。
地元の人(?)は平気で堤防のそばを歩いているけど、SUR SHANGHAIたちは端っこをこそこそ。 -
ハバナの新市街は、カリブ海に直接面した堤防内側に造られている。
沖合いに防波堤が無いらしく、今日のようにちょっとお天気が崩れた程度でも、カリブ海の大波が直接堤防前の岩場に押し寄せる光景は怖いくらい。
一旦砕けた波が静まる暇も無く…、 -
イチオシ
…次の波が轟音と共にドドドドドーン!!
堤防内側のマレコン通りに沿った新市街のビルも波頭の向こう。
ハリケーンで本格的に天候が崩れたらどうなるんだろう。 -
堤防沿いにマレコン通りも歩いてみたかったSUR SHANGHAIとその旦那も、残念ながら取り止め。
でも、この眺めは迫力あるなあ。
戻る前にもう一枚、もう一枚と写真を撮り続けていたら…、 -
…SUR SHANGHAIのすぐそばにも、脇のほうから打ち寄せて来た波が目の前にドドーン。
ひゃ〜、大きい波でなくてよかった〜。(^^ゞ
もう退散、退散。
お天気が崩れたら、プンタ要塞から新市街方面に延びる堤防ではご用心。 -
プンタ要塞から昨日見た旧国会議事堂方向へ延びる広いプラド通りは、並木が植えられている中央分離帯にも歩道があって旧市街の町並みが左右に並ぶ。
革命博物館は今日の最後のお楽しみにして、先にこの辺りも歩いてみます。
また雨がぱらつき始めて湿っぽい眺めだなあ。
窓から身を乗り出して、物思いのおじさんが一人。 -
細長い窓の続く建物。
こちらからは誰も姿を見せず。 -
もう昨日の旧国会議事堂も間近、と言う場所に建つのは画像右手のイングラテーラと言うホテル。
ここもクラシックな内装のホテル。
そのお隣の塔がある建物は、ガルシア・ロルカ劇場。
キューバ・クラシックバレエの本部で、スペイン・バロック建築の見事な建物。 -
ちょっと横道にそれて、雨の街角ウォッチング。
道端の椅子に座っているこの子は、何を見ているのかな。 -
ハバナの街角にも、モダンな眺めがあった。
塀に描かれた鮮やかな色の渦巻き模様。 -
さあ、そろそろ革命博物館にも行ってみようか、と方向を変えた街角。
-
今日は、人力車のおじさんも商売にならない天気。
廃墟下の通路に陣取って休むその後姿が何か言いたげ。 -
これがハバナの旧市街にある革命博物館。
≪革命≫と名が付くにしては豪華な建物、と思ったら、元は大統領官邸だったのだとか。
大統領官邸だったこの建物も、1957年には革命軍によって攻撃されたのだそう。その時のものらしき弾痕が残る部分もありますよ。
中には1953年7月26日のモンカダ兵営攻撃に始まって、1959年1月1日にバティスタ大統領がドミニカへ亡命したことによって終わったキューバ革命に関する資料がずらり。
ちなみにフィデル・カストロが首相に就任して革命政権が成立したのは1959年2月17日。
展示品にはスペイン語のほか、英文の説明も付いていました。
建物前に戦車が置かれてあるほか、裏手の敷地にはグランマ号や当時の兵器なども展示されています。
所在地:CALL REFIGIO NO.1 ESQ. MONSERRATE Y SULUETA プンタ要塞から300mくらい
入場料:CUC5 内部の撮影OKでした。 -
キューバ、と言うと、フィデル・カストロらと共にバティスタ政権を倒し、革命に成功したチェ・ゲバラが有名。
と言っても、ゲバラはキューバ出身ではなく、本名はエルネスト・ラファエル・ゲバラ・デ・ラ・セルナ。
故郷はアルゼンチン。
≪チェ≫と言うのは、スペイン語では相手に呼びかける時に使われる言葉で、それがゲバラの愛称になったのだとか。
上の画像は、まだ幼かったゲバラが家族と共にブエノスアイレスで撮った写真。
説明には撮影の年は書かれていませんでしたが、ゲバラが2歳の時はブエノスアイレスに住んでいたらしいので、1930年頃の写真?
少年期には激しいスポーツを好んだと言うゲバラも、実はこの頃から重い喘息で、医学部に入ったのもこの喘息ゆえだった、と言うのは意外!
下の画像は、ブエノスアイレス大学の医学部に在籍中の1950年に、ゲバラがモペッドで北アルゼンチン4,500kmを単独走破した時の写真。
この後、1951年にはオートバイでラテン・アメリカを走破。
この時に各地の状況を見聞きして、革命を志し始めたのだそう。 -
1953年に大学を優秀な成績で卒業し、医学博士となったゲバラがアルゼンチンを去り、
モンカダ兵営攻撃のリーダー格でメキシコに亡命中だったフィデル・カストロと出会ったのは1956年。
その同じ年の12月2日にはグランマ号でカストロらと共にバティスタ政権打倒のためにキューバに上陸、というから、これぞ衝撃的な運命の出会いだったんだなあ、と思わせる。
上陸後はすぐにバティスタ政権の攻撃を受けたものの、残りわずかとなった仲間と共に再起。
次第に反バティスタ勢力が結集して、1959年には革命が成功したという歴史の流れ。
その上陸に使われたボート、グランマ号は、革命博物館と同じ敷地内にあると言うので、あとで見に行くことに。
ついでに言うと、モンカダ兵営攻撃の7月26日は革命記念日、グランマ号でキューバに上陸した12月2日は革命軍の日になっています。 -
1956年には従軍医としてカストロらと共にキューバに上陸したゲバラは、翌年には少佐になった。
少佐であることを示す一つ星の階級章をつけたベレーは、長髪と髭と共にゲバラのシンボル。
この写真は戦いの合間のひととき、かな。
思いがけなく柔和な微笑が印象的。このあとも続く激しい生き方が信じられないくらい…。
1959年のキューバ独立後は、国立銀行総裁になる前に来日もしたのだそう。(◎o◎)!
激しく結びついたゲバラとカストロの関係も、革命政権運営や当時のソ連との関係を巡って次第に溝が深まり、ゲバラは1965年にはキューバと決別。
アフリカでの革命活動のあと、1967年にボリビアに潜伏していたところを捕らえられ殺害された39年の激しい人生。
ふう〜、言葉にならない溜息が出るなあ。 -
イチオシ
これは革命博物館のドーム内部を見上げた写真。
今回はあちこちでドームを見上げる旅だなあ。(^^ゞ
その壁面に描かれた壁画は、キューバ革命の始まりとなった1953年7月26日のモンカダ兵営攻撃の場面じゃないかとSUR SHANGHAIは思うんですが、間違っていたらすみません。
モンカダ兵営と言うのは、キューバ南東の都市サンチャゴ・デ・クーバにあったバティスタ政権にとっては重要な兵舎だったのだそう。 -
革命博物館の内部の部屋。
重々しい照明が内部を照らす。 -
上階から見た革命博物館のホール。
革命前、大統領官邸として建てられた時には、ニューヨークのティファニーが内装を手がけたのだとか。
そのホールの天井には…、 -
…こんな天井画が。
中央の天使が持っているのは、キューバの国旗。
1902年に国旗として採用されてから、革命後にもデザインは変えられていない、と言うので、この天井画はいつ描かれたのか、SUR SHANGHAIには(・・? -
吹き抜け部分を見下ろすと、古びたとは言え、今も見事な内部。
-
窓から見た革命博物館裏手の敷地には、ゲバラやカストロら80数名が乗り込んでメキシコからキューバに上陸したというボート、グランマ号が納まった建物が。
ガラス張りですが、ここからだとグランマ号の船首がおぼろに見えるだけ。
この画像で見えるかな。
周辺を兵士が警護していますが、この建物両脇にちょっとした階段通路があって、分厚いガラス越しにグランマ号とご対面できますよ。
SUR SHANGHAIたちは、まずは博物館内部の見学を済ませてしまいます。 -
革命博物館にはもちろんチェ・ゲバラ関連以外にもさまざま展示品があったので、じっくり見てくださいね。
片隅には宇宙服の展示もあって、ン?
ラテン・アメリカの人間としては初めてのキューバの宇宙飛行士アルナルド・タマヨ・メンデスが、1980年に当時のソ連のソユーズ38号で打ち上げられた時のものだそう。 -
イチオシ
革命博物館の中庭を挟んだドームを見上げる。
一瞬晴れ上がって、青空と壁の白がまぶしい。 -
さっき革命博物館上階から見えたグランマ号が置かれている敷地手前には、1961年4月のプラヤ・ヒロンの戦い(ピッグス湾事件)での英雄を讃えるモニュメントと記念の炎が。
画像奥に見えるこれらのモニュメントは、1961年4月19日にキューバの勝利に終わったその戦いから28年目を記念して1989年に造られ、フィデル・カストロ議長が記念の炎に点火したとのこと。
アメリカ合衆国CIAが指揮してキューバに侵攻しようとしたこのプラヤ・ヒロンの戦い(ピッグス湾事件)の流れについては、≪プラヤ・ヒロン≫で検索してみるといいですよ。
ちなみにプラヤ・ヒロンは、現在のマタンサス州南部の海岸。
その海岸付近にあるピッグス湾と呼ばれる湾は実名ではなく、スペイン語ではコチノス湾と呼ばれる≪コチノ≫が≪豚≫と言う意味だからなのだそう。 -
これが、メキシコに亡命していたフィデル・カストロがチェ・ゲバラたちと共に1956年12月2日、キューバ上陸に使ったボート、グランマ(おばあちゃん)号。
革命博物館上階から見たこの建物の中へは入れず、厚いガラス張り越しからだけのご対面。
足元の階段通路が狭かったりガラスが反射して、全体像は撮るのはちょいと無理が。
思いがけず白い瀟洒なボートでびっくり。
本当は10人乗りのところに80数名+武器弾薬まで積み込んで出発したと言うのだから驚き。
実際にはスイスイと事が運んだわけではなく、途中で故障したり、悪天候のため目的地付近の海岸で座礁したりしたようです。
ちなみに、キューバでの上陸予定地点だった近くのマンサニーリョ(MANZANILLO)と言う町があるキューバ南東部の州は、今はグランマ州になっています。
グランマ号上陸記念国立公園は世界遺産にもなっているのだとか。
06年12月2日は、ちょうどグランマ号上陸から50周年と言うことで、いつもの革命軍の日もいっそう盛り上がったようです。
SUR SHANGHAIたちはその日はトリニダーにいたので、ホテルのテレビでその様子を見ていました。スペイン語が分からないのが玉に瑕でしたが。 -
グランマ号が入った建物の回りには、キューバ革命中に使用された戦車や飛行機などが主な展示となって並んでいます。
ちょっと変わったアングルから写真を撮ろうと敷地をウロウロすると、ホイッスルを鳴らされるのでご用心。 -
革命博物館がまだ大統領官邸だった1957年3月13日にはこの周辺も革命軍に攻撃された。
これはその時の革命軍の襲撃者たちを運んだトラックの車体。
弾丸が車体を突き抜けて、向こう側に出ていた痕もありました。 -
キューバ独立後のキューバ危機(キューバでは10月危機と言う)時、1962年10月27日に撃墜されたアメリカ空軍のU2偵察機のタービンもあった。
キューバ危機と言うのは、キューバに当時のソ連のミサイル基地建設とミサイル搬入が明らかになって核戦争が懸念されたのが、アメリカ合衆国とソ連の妥協で回避されたという事態のこと。
おおがかりな映画のようなストーリーだけど、当時は手に汗握る出来事だったに違いない。 -
ああ、見応えのある革命博物館だったなあ。
帰りに出入口そばにあるショップを見てみたら、チェ・ゲバラの07年卓上カレンダーがCUC5で売られていましたよ。
一辺10cmのCDと同じタイプのケースに月変わりの写真付き。ケースがそのまま写真立てになります。
フィデル・カストロと一緒の場面や、ちょっと意外な表情を見せるゲバラの写真もあります。
08年以降のものが出るかどうかは分かりませんが、チェックしてみては? -
イチオシ
革命博物館の見学を終えて出てくると、お天気の悪さに加えて夕暮れになりかけの薄闇が。
またまたクラシックカーが停まる博物館前。 -
革命博物館を前にしたクラシックな車のある風景は、いつどこの国の街角?と混乱してしまいそう。
-
さ、今日はもうホテルに帰ろうか、と歩き始めた旧市街。
廃墟になった建物の壊れ具合が少しずつ違う窓。 -
イチオシ
こんなグラフィティーもあるハバナ旧市街の路地。
-
青いグラフィティーと黄色いバスの取り合わせ。
-
またこんな所で修理している車もあるし。(^^ゞ
替えの部品とかも、もう手に入らないんだろうから、手作りするんだろうか。 -
あ、もう夕暮れだけど、路地向こうに青い空が見えてきた。
明日は世界遺産のビニャーレスの谷に行こうと思ってるから、晴れて欲しいなあ。
この旅行記のタグ
関連タグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
旅行記グループ
★北・中米、車旅
-
★北・中米、車旅(1)ダラスからサン・アントニオへ
2006/11/24~
サンアントニオ
-
★北・中米、車旅(2)テキサス州の州都オースティンで州議事堂見学
2006/11/26~
オースティン
-
★北・中米の旅(3)ダラスでの数日
2006/11/26~
ダラス (テキサス州)
-
★北・中米の旅(4)ケネディ大統領暗殺狙撃現場、THE SIXTH FLOOR MUSEUMとその周辺
2006/11/28~
ダラス (テキサス州)
-
★北・中米の旅(5)ダラスからカンクン経由でハバナ入り
2006/12/01~
ハバナ
-
★北・中米、車旅(6)ハバナからトリニダーへの道
2006/12/02~
トリニダー
-
★北・中米、車旅(7)トリニダーの町と人と
2006/12/03~
トリニダー
-
★北・中米、車旅(8)トリニダーからハバナへ戻る
2006/12/03~
ハバナ
-
★北・中米、車旅(9)ヘミングウェイ『老人と海』の舞台コヒマルへ
2006/12/04~
ハバナ
-
★北・中米の旅(10) −旧国会議事堂とその周辺
2006/12/04~
ハバナ
-
★北・中米の旅(11) −ハバナ旧市街の人と街と
2006/12/04~
ハバナ
-
★北・中米の旅(12)革命博物館とその周辺
2006/12/05~
ハバナ
-
★北・中米、車旅(13) −ビニャーレスの渓谷へ
2006/12/06~
その他の都市
-
★北・中米、車旅(14) −モロ要塞とカバーニャ要塞へ
2006/12/07~
ハバナ
-
★北・中米の旅(15) −ハバナ旧市街の夜、そしてキューバ出国
2006/12/07~
ハバナ
-
★北・中米、車旅(16、完)カンクンからトゥルム遺跡へ、そして旅の終わり
2006/12/08~
トゥルム遺跡周辺
旅行記グループをもっと見る
この旅行記へのコメント (4)
-
- 三昧さん 2008/05/28 21:42:47
- ゲバラ
- 今晩は!
クラシックカーが、妙に昔のトヨタクラウンをデフォルメした感じで最高ですね。日本人は車の乗り換えのサイクル早いような気がします。
ゲバラって人気ありますね。製作総指揮: ロバート・レッドフォード の映画「モターサイクルダイアリーズ」を見るまで、ゲバラは革命家で若くして死んだって事しか知らなかったのですが!
- SUR SHANGHAIさん からの返信 2008/05/29 20:20:44
- RE: ゲバラ
- キューバ編にお越しくださいましてありがとうございます。m(__)m
> クラシックカーが、妙に昔のトヨタクラウンをデフォルメした感じで最高ですね。日本人は車の乗り換えのサイクル早いような気がします。
キューバにはこれらのほかにも60年代からの車が多いのがとても不思議でしたが、目下個人の自動車所有が原則認めらず、以前既に所有していた分については引き続いて個人所有が認められるので、修理を重ねに重ねてここまで乗り継いで来たんだそうです。仕方がないとは言え、部品も手作りなのがすごいです。
> ゲバラって人気ありますね。製作総指揮: ロバート・レッドフォード の映画「モターサイクルダイアリーズ」を見るまで、ゲバラは革命家で若くして死んだって事しか知らなかったのですが!
若くして死んだ革命家と言うだけで人々の心を打つものがありますし、そうやって語り継がれるゲバラはキューバ出身ではない、というのも不思議ですね。
女性の心をくすぐる容貌も人気の理由の一つ(?)かもです。(*^。^*)
-
- まーがりんさん 2007/02/09 12:35:49
- 迫力ありますね
旅行記表紙がデイアフタ明日みたいだ。
- SUR SHANGHAIさん からの返信 2007/02/10 14:30:53
- RE: 迫力ありますね
- あの映画も特撮がすごかったですね。
≪特撮≫と言う言葉自体がもう古いかも、と思いつつ。(^^ゞ
以前、あれ程ときめいて見たSF映画なんかも、今見ると安っぽく見える。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ ★北・中米、車旅
4
47