2006/12/04 - 2006/12/04
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昨日トリニダーからハバナに戻ってきたSUR SHANGHAIとその旦那。
またまた標識や地図の不備で、6時間半の道のり。(^^ゞ
もう、標識の無いキューバの道には懲りただろう、とお思いでしょうが、今日はホテル引越しの前にハバナ近郊のコヒマルへと向かいます。
コヒマルは、文豪アーネスト・ヘミングウェイの『老人と海』の舞台となった小さな港町。
ヘミングウェイがここから愛艇ピラール号でカジキマグロ漁に出ていたのだそうな。
ヘミングウェイ行きつけだったバー兼レストランの≪ラ・テラサ≫や、住民たちがヘミングウェイを記念して立てた胸像も潮風に吹かれる海辺の町。
ハバナの旧市街からだと車で15分位なので、ちょっと時間が空いたら行ってみるといいですよ。
表紙の画像は、太陽と潮風の中のヘミングウェイの胸像。その下にはイヌも来て休むコヒマルの町。
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- カップル・夫婦
- 交通手段
- レンタカー
-
本題のヘミングウェイの話の前に、コヒマルに行く時の注意点。
SUR SHANGHAIたちは、ハバナ旧市街からハバナ港入口にあるこの海底トンネルを通り、まずモロ要塞側に出たんですが…、
…このトンネルを出た先で交通規則違反の罰金を払う羽目に。どひゃ〜! \(◎o◎)/!
トンネルに入る時にはもちろんライトを点灯。
それが…、 -
…トンネルの出口ですぐに消灯してしまったのが運の尽き。
カーブになった出口数百m先にある検問所で、
「ライトを点けていなかった!!」と停められてしまいました〜。(ToT)
この時はチェックが厳しかったのかどうか、地元の人たちも停められていましたよ。
「カーブのせいで、点けてたのを消したのが見えなかったんでしょ!」と思っても、事情のよく分からない土地のお巡りさんに逆らって重大トラブルになるのは避けたかったので、罰金に応じることに。
この規則違反(?)の罰金はCUC15。
車を借りた時のデポジットCUC200から引かれました。
パスポート、国際免許、車を借りた時の書類を検問所のブースで見せて、手続きは10分ほど。
案外あっさり終わったけど、旅先で罰金を払うなんてドキドキの初体験。
この画像に出ている、元は料金所だったらしいゲートがあるあたりまで点灯していくのがいいかもです。
このゲートの先に検問所があります。
あとは道をそのまま直進して数km行くと、コヒマル(COJIMAR)への標識が出ていました。
これまで標識の無い道だらけだったので、ホッと一安心。 -
15分ほどでコヒマルの町に入った後は、やはり標識のフォローが悪かったですが、港のある方を目指していってみると、車道沿いに≪ラ・テラサ(LA TERRAZA)≫がありました。
ここはヘミングウェイが愛艇ピラール号でカジキマグロ漁に出る時に立ち寄っていたバー兼レストラン。
車道側に看板が突き出しているクリーム色の建物なのですぐ分かりました。
所在地:CALLE REAL NO.161
朝は10時半からの開店で、食事は正午から。 -
開店までにまだ時間があるなあ。
先にちょっとこの辺を見て回ろうか。
…と話していると、物売りのおじさん(?)が自転車で通りかかった。
≪ラ・テラサ≫2階のベランダから顔を出したおばさんが、ロープを付けて下ろした箱に何か入れてもらい、引っ張り上げている一場面。 -
≪ラ・テラサ≫脇には、小さな湾になった水辺に下りて行く階段。
ちょっと行ってみます。
階段を下りて右手方向には、コヒマルの町の小さい港が見えましたが、逆光で写真は撮らず。
でも、左手を見てみると…、 -
…青いカリブ海が遠くに見えた。
ヘミングウェイも、『老人と海』の主人公サンチャゴも、あの海へカジキマグロ漁に出て行ったんだなあ。 -
港町、と聞くと、活気ある人々や雰囲気を想像するけど、
「…そしてコヒマルは静かに寂れていった…。」と言った感じの佇まい。
行き交う人も少ない道に、今はもう誰も住んでいない廃墟も混じる。 -
≪ラ・テラサ≫から数百m離れた海辺に立つというヘミングウェイの胸像を見に行く道筋。
あ、ここにもクラシックな車があった! -
イチオシ
う〜ん、このメタリックなブルーグリーンが渋い!!
その後では、この家の彼女をドライブに誘いにきたのか、赤い服のおにいちゃんがドア越しにお話し中。 -
イチオシ
かと思うと、ガレージの中では修理(?)解体(?)途中の車も。
写真を撮ろうと構えたら、作業途中のおじさんが
「何だ?」といった感じで立ち上がった。 -
青いカリブ海を遠くに眺める堤防沿いの遊歩道。
コヒマルの小さい港を守る砦の左側に、ヘミングウェイの胸像がある白いパビリオンも見えてきた。 -
ん? 砦があるとは聞いていなかったけど…、
と、まずはこちらに近寄っていくと…、 -
…ここは一般の立ち入り禁止。
軍が管理しているみたい。 -
ロープが張ってあるから、ここから先に入るのはご法度。
砦の中も見てみたかったけどなあ。
中で働く人が乗ってきたらしいサイドカー付きのバイク。
ちょっと前までは、中国でもカーキ色のをよく見たっけ。 -
そして、その砦のそばには、文豪アーネスト・ヘミングウェイの胸像が据えられたパビリオンが。
1899年にシカゴ郊外で生まれたアメリカ合衆国人のヘミングウェイが、なぜこのキューバの小さい港町で胸像になっているのかと言うと…、
ヘミングウェイの『老人と海』がこのコヒマルを舞台として書かれ、1953年にはピューリッツァ賞を受賞したということ以外に、フィデル・カストロの革命政権を支持していた、という信条の故もあるようです。
1954年に、それまでの文学的功績でノーベル文学賞を受賞した時も、キューバでの非公式の祝いの席で
「『老人と海』は、コヒマルで発想が浮かび書かれた物であるから、この賞はキューバに与えられた賞である。」と言ったのだとか。 -
キューバでヘミングウェイが暮らしていたのは、生涯のほぼ三分の一の22年ほど。
その間のヘミングウェイの伝記や記録はほぼ空白、と言うのもミステリー。
これも、ヘミングウェイがアメリカ合衆国人でありながら、キューバの革命政権を支持していたという事と無関係ではなさそう。 -
あれ? ヘミングウェイの生年は、1899年だとばかり思っていたのに、ここには1898年って彫ってある。
ミステリ〜。
あとで調べてみても、1899年と出ていましたが…。(・・?
晩年の数年をアイダホ州で過ごしたヘミングウェイは、キューバとの関係でFBIにスパイされているという被害妄想(?)にも悩まされたのだとか。
実際、ヘミングウェイは共産主義のシンパとしてマークされていたらしい。
自殺未遂を繰り返したヘミングウェイは、1961年にアイダホ州の自宅で猟銃自殺を遂げる。
その知らせを受けたコヒマルの漁師たちが、ヘミングウェイを悼み、自分たちの舟の碇を溶かしてこの胸像を作った、という由来。 -
ヘミングウェイの胸像が据えてある台座とパビリオンも、コヒマルの住民たちによって造られたのだそう。
青と白に塗り分けられた部分が、ヘミングウェイの愛したカリブ海の波を象徴しているみたい。
海からの潮風と太陽の光の中、ヘミングウェイの魂はこのコヒマルの町に留まっているに違いない。 -
『老人と海』の出だしをちょっと言うと…、
年老いた漁師サンチャゴが、長い不漁にも負けず単独で出漁。
前代未聞の巨大なカジキマグロを遂に仕留めるが…、
…と言うストーリー。
SUR SHANGHAIは、ヘミングウェイの人生観や宇宙観がサンチャゴのつぶやきの中に凝縮されているような感想を持ちました。
短編なので、まだ読んでいない方は是非どうぞ。 -
イチオシ
寂れた港町、と言った感じの今のコヒマルも、ワンちゃんたちがこの胸像の周りに集まってくるのを見ると、のどかな田舎町のように見えてくる。
『老人と海』のサンチャゴの住処を髣髴とさせてくれる家がこのあたりに無いかなあ。
ちょっと周辺を見てみます。 -
ヘミングウェイの胸像がある周辺を歩いてみると…、人が住んでいるのかいないのか分からない家も混じる。
このお宅は、レンガのほかにサンゴ石も積み重ねて造ってある。
その上からセメントで塗り固めたんだろうけど、サンゴ石の塩分や潮風で剥げてしまった、という感じ。
サンゴ石を積み重ねて造った家や塀は、台湾周辺の島々でもよく見かけたっけ。 -
嗅ぎ慣れない匂いを感じたらしく、門番のワンちゃんが出て来て、不思議そうにSUR SHANGHAIと旦那を見つめる。
-
鎧戸の色も潮風と太陽の光で褪せてしまったこのお宅の戸口には、小さなキューバ国旗が差してあった。
12月2日が革命軍の日だったからかな。 -
ここはまだ新しく見えるお宅。
手摺の無い階段が危なっかしい。
ワンちゃんはその陰に陣取って早くもお昼寝。 -
木立の影が剥げかけた白壁に映る。
日差しは強いけど、12月初めで暑くも寒くも無いこの日。 -
これは方位図を装飾に使ったのかな。
カリブ海と同じ青い青い空が屋根の上に広がる。
さ、そろそろ≪ラ・テラサ≫に戻ります。 -
イチオシ
10時半もちょっと過ぎて、≪ラ・テラサ≫は開いていた。
カウンターの中でこの日の準備をするお店の人がポツリ。まだお客が来るにはちょいと早い時間。
カウンター先の光が差し込む辺りが、小さな港に面したレストラン。
風がよく通って爽やか。
休憩前に、お店の中を見学させてもらいます。 -
カウンターの棚の上には数枚の絵。
あ、さっき見た港入口の砦も絵の中に。
この画像では見えにくいですが、右側の白い船にはカジキマグロが積んであって、港に戻ってくる場面。
白髭の男性二人が乗り込んでいるので、船はピラール号で、ヘミングウェイとサンチャゴのモデルになった人かなあ、と思ってじっくり見てみたら、≪7513 HABANA≫と書かれていました。
ピラール号は、あとで調べてみたところ黒い船で、今はヘミングウェイ博物館にあるらしい。
この博物館も、かつてはヘミングウェイが住んでいたフィンカ・ビヒア邸だったのだとか。
SUR SHANGHAIたちは行きませんでしたが、ハバナ市街からこれも15分くらいの所にあるらしいので、行ってみては?
所在地はFINCA LA VIGIA, SAN FRANCISCO DE PAULA -
カウンター前の通路を隔てた壁にはヘミングウェイの肖像画が。
右下に、はっきりと読み取れぬながら年号らしき1969(?)という数字が入っていたので、これはヘミングウェイの死後に描かれた物なのかも。
間違っていたら、すみません。m(__)m -
カウンターの先にあるレストランの一部。
ヘミングウェイがよく食事をしたというテーブルは、この画像だと、湾に面した奥の席かな。
二方向に窓が付いてるし。 -
≪ラ・テラサ≫のレストランの奥の方。
まだ昼食が始まらない時間帯でガラ〜ン。
壁にヘミングウェイの写真も多数というので、近寄って見てみます。 -
壁に並ぶヘミングウェイの写真。
ピラール号らしき船に乗ってカジキマグロ漁に出た時のものや、そのほかの人々の写真も。
ただ、説明が全く付いていないのが残念。 -
これは、ヘミングウェイ・カップ(国際トローリング大会)の時にフィデル・カストロとのツーショット。
一言二言説明が付いていたらもっとうれしいんだけど…。
11時を回ったら、この≪ラ・テラサ≫を訪れるツアー客が出たり入ったり。
SUR SHANGHAIたちは、静かに店内を見学できてラッキー! -
お昼の食事はまだ出せないけど、サラダやスープ、コーヒーくらいなら…、ということで、バー・カウンター脇の席で出してもらったのは…、
フィッシュ・スープとミックス・サラダを各一つ、それに清涼飲料水×2+エスプレッソ一つでCUC8.15。
もう少し本格的な食事もしてみたかったけど、さっき電話して空きがあるのを確かめた今日の引越し先のホテルには12時半頃までには行くって言ってしまったし。
スープはお米も入ったおじや風で○、でした。 -
≪ラ・テラサ≫で簡単な食事の後は、またハバナ旧市街へ。
左の車の前方に、さっき罰金を払った検問所。
慎重に走らなくっちゃ。(^^ゞ
元は料金所だったらしいゲート右側に≪26・7≫と書かれてあるのは、7月26日の革命記念日の日付。
これは、バティスタ政権にとって重要だったサンチャゴ・デ・クーバのモンカダ兵営を、フィデル・カストロらが1953年7月26日に襲撃したのを記念しています。
あちこちに、この数字がスローガンとなって出ていますよ。 -
これはモロ要塞側の海底トンネルの入口。
このあとSUR SHANGHAIとその旦那は、無事にハバナ旧市街側に出て、引越し先のホテルと市街見学へと向かいます。
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この旅行記へのコメント (4)
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- さすらいおじさんさん 2007/01/28 15:36:55
- キューバのコヒマル
- SUR SHANGHAIさん
キューバのコヒマルは私も昨年5月に行きましたので、レストラン、ヘミングウエイ像、要塞、海岸など懐かしく拝見しました。
私は宿泊したプライベートルームの主人の車で運転してもらったので、罰金はありませんでしたが、レンタカーで知らない国を運転する難しさ、とても情報が役に立ちます。
私は運転が下手なので、他に選択肢がない場合を除いて、レンタカーは使わないと思ってはいるのですが。
キューバは確かに外国人だけでなく、観光中にガイドからも、お金をいろんなところで取るところを見ましたし、国のやりかたをぼやいてもいました。
国民の不満が潜在している国のように思いました。
- SUR SHANGHAIさん からの返信 2007/01/30 01:25:14
- RE: キューバのコヒマル
- 万人が総満足という言う状況は他でもありえませんが、これから大きな変化を迎えるかもしれないこの国では、これまでの不満にこれからへの不安が交じり合っているような気がしました。
行くまでは他国のイメージや自分自身の想像が混乱して、今ひとつピンとくる物が湧いてきませんでしたが、行ったあとでは、どう変化していくのか見守っていきたい国の一つになりました。
-
- Rockyさん 2007/01/27 14:16:06
- 『老人と海』
- SUR SHANGHAIさんの精力的な旅に毎回驚きです!1票。
>コヒマルは、文豪アーネスト・ヘミングウェイの
>『老人と海』の舞台となった小さな港町。
...その一端を楽しめました。
青が綺麗に撮れてますね。何か秘訣は有りますか。
Rocky
- SUR SHANGHAIさん からの返信 2007/01/30 01:06:08
- RE: 『老人と海』
- おひさしぶりです。
こちらでは、昨年末の台湾地震のあと、ネット接続がボロボロになっていましたが、一ヶ月が経ち、どうにか復旧したような感じです。
最初の数日は4トラもメールもアクセスすらできず、一時はどうなるかと思っていました。
現代の利器も案外脆い物だと実感しました。
レンズ保護のためも兼ねてフィルターを付けてるんですが、そのせいなのかどうか、画像全体が肉眼で見るより青っぽくなるなあ、という気がしています。
よく、モードの切り替えを忘れて、昼に夜景モードで撮ったり。(^^ゞ
カメラについてはド素人のわたくしめです。
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