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元カニ族さんのトラベラーページ

元カニ族さんのクチコミ(8ページ)全479件

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  • 集落内を悪神から守るために建てられたもので、市に来た市商人を守るためでもありました。

    投稿日 2016年05月14日

    道祖神塔 港北・長津田・青葉

    総合評価:3.0

    川和宿の下(しも)の入り口脇に、双体立像の道祖神が建っています。
    これは、寛政元年(1789年)に建てられたもので、この道祖神は、集落内を悪神から守るために建てられたもので、市に来た市商人を守るためでもありました。
    なお、川和宿の上(かみ)の入口には、道祖神と庚申塔が建っいるとのことですが、確認はできませんでした。


    旅行時期
    2016年05月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    5.0
    見ごたえ:
    3.0

  • 川和富士は、都筑区で最も高いところです。

    投稿日 2016年05月14日

    川和富士公園 港北・長津田・青葉

    総合評価:4.5

    この公園には標高74mの「川和富士」があり、都筑区で一番高い所となっています。
    元は川和高校寄りの地点にあったものが、港北ニュータウン建設のため、現在の場所に再現されました。
    頂上から、港北ニュータウンが良く見えますが、天気が良ければ富士山、ベイブッリジ、ランドマークタワーなどが見えます。

    旅行時期
    2016年05月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    5.0
    バリアフリー:
    3.0
    見ごたえ:
    4.0

  • 幕末、官軍の江戸攻めによる戦乱から難を逃れるために引き取った大神輿、御神体として祀っています。

    投稿日 2016年05月14日

    八坂神社 (天王様) 港北・長津田・青葉

    総合評価:3.5

    川和宿の通りの中央に鎮守である天王様があります。
    幕末の時代、官軍の江戸攻めによる戦乱から難を逃れるため、知人を通して大神輿を引き取り、御神体として祀っています。
    境内には二十三夜塔と、力比べをした「天王様の石」といわれる24貫(90kg) の力石がります。

    旅行時期
    2016年05月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    3.0
    人混みの少なさ:
    5.0
    見ごたえ:
    3.0

  • 3月から4月にかけて黄色の菜の花と、桜とのコントラストは見事で、川和町の魅力的なポイントになっています。

    投稿日 2016年05月14日

    ポトマック河畔の里帰り桜 港北・長津田・青葉

    総合評価:4.0

    横浜市営地下鉄「川和町駅」の東側の菜の花畑の中に桜並木があります。
    桜は「越の彼岸」といって、江戸彼岸と近畿豆桜を交配したものですが、ポトマック河畔の里帰り桜(愛称 シドモア桜)とも呼ばれています。

    都筑区作成のマップのこの桜が咲いた写真です。その説明によると
    「ポトマック河畔の里帰えり桜 (愛称 シドモア桜)」と題して次のように書かれています。
    「明治45年(1912)、東京からワシントンへ友好・親善のため桜の苗木(ソメイヨシノ)が3000本送られた。その桜はポトマック河畔一帯に植えられ、世界的な桜の名所となった。桜の植樹にあたり、大きく貢献したのがアメリカ人のエリザ・R・シドモアである。シドモアは紀行作家で、度々日本を訪れた親日家であり、日本に関する記事や著作を残している。そのシドモアは現在、横浜の山手外人墓地に眠っており、その墓碑の傍らに、昭和62年(1987)にポトマック河畔から里帰りした桜が植えられた。
    川和町駅近くの桜は、横浜に眠るシドモアのエピソードを伝えるため、ボランティアが接つぎ木により苗を作り、菜の花畑で育てたものである。」

    なお、ポトマック河畔の桜については、私の旅行記「アメリカ大陸横断バスの旅(23)<<付録>>ポトマック河畔・ハドソン河畔の桜物語」
    http://4travel.jp/travelogue/11049545
    に書いてありますので、ご覧ください。

    旅行時期
    2016年05月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    5.0
    人混みの少なさ:
    5.0
    見ごたえ:
    3.5

  • 川和町の氏神として祀られ、長い参道や境内の桜は見事です。

    投稿日 2016年05月13日

    川和八幡神社 港北・長津田・青葉

    総合評価:4.0

    この神社は、貞観1 7年(875)武蔵野国河輪神社は従五位を授けられたといわれています。現在は川和八幡神社となり川和町の氏神として祀まつられています。
    長い参道や境内には、桜が植えられており、桜のシーズンには見事です。
    また参道の脇には、日露戦争の記念碑や、忠魂碑など、戦没者の関係の記念碑があります。

    旅行時期
    2016年05月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    5.0
    見ごたえ:
    4.0

  • 徳川家康が鷹狩りの時、鷹が戻らないので、この寺の薬師如来に祈願したところ、たちまち戻ったと伝えられています。

    投稿日 2016年05月13日

    瑞雲禅寺 港北・長津田・青葉

    総合評価:4.0

    瑞雲禅寺は、横浜市営地下鉄の川和町駅前にある臨済宗円覚寺派のお寺で、境内は簡素で落ち付いた雰囲気です。
    徳川家康が鷹狩りのとき、寵愛していた鷹が戻らないので、この薬師如来に祈願したところ、たちまち手元に戻った霊感に帰依して、鷹薬師如来として祀られていると伝えられています。

    旅行時期
    2016年05月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    5.0
    人混みの少なさ:
    5.0
    見ごたえ:
    4.0

  • 天文9(1540)年、村民・岩澤伊佐衛門の開山といわれている簡素な寺です。

    投稿日 2016年05月13日

    天宗寺 港北・長津田・青葉

    総合評価:3.0

    天宗寺は、天文9(1540)年、村民・岩澤伊佐衛門の開山といわれている簡素な寺です。
    この寺の本尊は観音菩薩ですが、広島県尾道村法輪寺の本尊であったものが、信者安丸が背負って勧講のため諸国を巡っている時、賊に襲そわれ菩薩に助けられたと伝えられて、身代わり観音として親しまれています。
    寺の境内は檀家のボランンテアの方が、綺麗にされています。

    旅行時期
    2016年05月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    3.0
    人混みの少なさ:
    5.0
    見ごたえ:
    3.0

  • 蓮華院は、原三溪が大正6年(1917年)に三溪園内に建てた茶室です。

    投稿日 2016年05月11日

    三溪園 本牧・根岸・磯子

    総合評価:4.0

    蓮華院は、原三溪が大正6年(1917年)に三溪園内に建てたもので、六畳と二畳中板の茶室があります。
    土間の中央にある太い円柱と、その脇の壁にはめ込まれている格子は、宇治平等院鳳凰堂の古材と伝えられています。 蓮華院という名は、三溪が茶会を催した際に広間の琵琶床に、奈良東大寺三月堂の不空羂索観音が手に持っていた 蓮華を飾ったことに由来しています。

    旅行時期
    2015年12月
    利用した際の同行者
    友人
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    5.0
    見ごたえ:
    4.0

  • 横浜市都筑区では、代表的なサクラの名所です。

    投稿日 2016年05月09日

    中川八幡山公園 港北・長津田・青葉

    総合評価:4.0

    早淵川沿いの小高い丘の上にある公園です。
    桜の時期には、大きなソメイヨシノの下で花見を楽しむことが出来ます。
    ここには縄文早期・中期、弥生時代の遺跡が、昭和52年に発見されましたが、遺跡の発掘は行わず、未来の人々への遺産として残してあるようです。

    旅行時期
    2016年04月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    5.0
    見ごたえ:
    5.0

  • 野球だけじゃない!世界最大級の蘭の祭典「世界らん展」の会場

    投稿日 2016年05月07日

    東京ドーム 水道橋

    総合評価:4.0

    世界らん展日本大賞実行委員会主催の洋蘭、東洋蘭、日本の蘭など世界各地のさまざまなジャンルの蘭を一堂に集めた「世界らん展日本大賞2016」が2016年2月13日(土)~19日(金)までの7日間、東京ドーム(東京都文京区)で開催されました。世界20数か国が参加し、約3000種、約10万株、250万輪以上の蘭が展示され、世界を代表する蘭の祭典です。

    2016年2月17日、友人の奥さんの実家が、らんの栽培をしていて、この展覧会に出店するので、見に行ってきました。会場には、いろいろな部門の展示や、ディスプレイ、販売ブースなどがあり、広い東京ドームが埋め尽くされていました。

    旅行時期
    2016年02月
    利用した際の同行者
    友人
    アクセス:
    5.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    バリアフリー:
    4.0
    見ごたえ:
    5.0

  • 原三溪が隠居所として建てた数寄屋風建築です。

    投稿日 2016年05月05日

    三溪園 本牧・根岸・磯子

    総合評価:3.0

    白雲邸は、大正9(1920)年に造られた建物で、原三溪が、家族と暮らした鶴翔閣から離れ、亡くなるまでのおよそ20年を夫人と過ごした住まいです。
    高い塀で囲まれて、内部をうかがうことが出来ませんが、隠居所として建てた数寄屋風建築で、建物の構造は単に居宅としてだけでなく、美術品の鑑賞や接客などの目的を兼ね備えた配置や間取りになっているようです。

    旅行時期
    2015年12月
    利用した際の同行者
    その他
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    見ごたえ:
    3.0

  • 三溪園にある建物のなかで、最も古くからある建物の一つです。

    投稿日 2016年05月05日

    三溪園 本牧・根岸・磯子

    総合評価:4.0

    三溪園の外苑が一般に公開さたのは、明治39(1906)年です。旧東慶寺仏殿が三溪園に移築されたのが、明治40(1907)年ですから、正門の門柱と並び、三溪園に最も古くからある建物です。
    この建物は、縁切り寺に名で知られる鎌倉の東慶寺にあった仏殿で、 禅宗様(ぜんしゅうよう)の特色を色濃く残す数少ない建物です。

    旅行時期
    2015年12月
    利用した際の同行者
    友人
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.5
    見ごたえ:
    4.0

  • 三溪園の内苑の一番奥にある建物で、原家の持仏堂とされていました。

    投稿日 2016年05月05日

    三溪園 本牧・根岸・磯子

    総合評価:4.0

    三溪園の内苑(原家が私庭として使っていたエリア)の一番奥にある建物で、原家の持仏堂とされていました。
    もとは、建長寺の近くにあった心平寺の地蔵堂で、1916年(大正5年)に移築されました。 建築様式は禅宗様(ぜんしゅうよう)を主体になっています。

    旅行時期
    2015年12月
    利用した際の同行者
    友人
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    5.0
    見ごたえ:
    4.0

  • 奈良の法華寺から移築された素朴な趣のある茶室で、もの悲しい雰囲気が漂います。

    投稿日 2016年05月05日

    三溪園 本牧・根岸・磯子

    総合評価:4.0

    横笛庵は奈良の法華寺から移築された素朴で趣のある茶室で、もの悲しい雰囲気が漂います。
    「横笛」は、高倉天皇の中宮 建礼門院に仕えた女性で、平清盛の従者である斉藤時頼(滝口入道)と悲恋に終わった女性です。
    横笛は寺にこもり、入道から送られた千束の恋文をもって、自分の像を作りました。この像はこの庵に安置されていましたが、第二次世界大戦中の空襲で、焼失してしまったようです。

    旅行時期
    2015年12月
    利用した際の同行者
    友人
    アクセス:
    3.5
    人混みの少なさ:
    5.0
    見ごたえ:
    5.0

  • 信長の弟・織田有楽斉が建てたと伝えられている三畳台目の茶室です。

    投稿日 2016年05月04日

    三溪園 本牧・根岸・磯子

    総合評価:3.5

    春草廬は信長の弟・織田有楽斉が建てたと伝えられている三畳台目の茶室です。
    この茶室は、京都府宇治市にある三室戸寺金蔵院にあった月華殿に付属して建てられていた茶室で、三溪園には大正7(1918)年に、月華殿とともに移築されました。

    旅行時期
    2015年12月
    利用した際の同行者
    友人
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    5.0
    見ごたえ:
    4.0

  • 江戸・慶長年間に、伏見城内に建てられて、大名来城の際の控え所として使われていた建物といわれています。

    投稿日 2016年05月04日

    三溪園 本牧・根岸・磯子

    総合評価:4.5

    月下殿は、臨春閣、または聴秋閣から、石段を登った奥にあります。月華殿の前から振り返ると、三溪園が見下ろせます。
    この建物は、江戸時代慶長5(1603)年、伏見城内に建てられて、大名来城の際の控え所として使われていたものと伝えられています。
    その後、京都府宇治市の三室戸寺金蔵院に移され、大正7(1918)年に三溪園に移築されました。


    旅行時期
    2015年12月
    利用した際の同行者
    友人
    アクセス:
    3.0
    人混みの少なさ:
    5.0
    見ごたえ:
    5.0

  • 原三溪が大正7(1918)年に建てた一畳台目の小さな茶室です。

    投稿日 2016年05月04日

    三溪園 本牧・根岸・磯子

    総合評価:4.0

    月華殿の横にひっそりと佇む小さな茶室です。この茶室は原三溪が大正7(1918)年に建てた一畳台目の茶室です。
    「金毛(きんもう)」の名前は、千利休が修造した京都大徳寺の山門(金毛閣)の高欄の手摺をこの茶室の床柱に使っていることに由来しています。

    旅行時期
    2015年12月
    利用した際の同行者
    友人
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    5.0
    見ごたえ:
    4.0

  • 旧燈明寺三重塔が大正年間に移築されたのに比べ、本堂が移築されたのは昭和62(1987)年とごく最近です。

    投稿日 2016年05月04日

    三溪園 本牧・根岸・磯子

    総合評価:4.0

    旧燈明寺三重塔が、三溪園に移築されたのは大正3(1914)年ですが、この旧燈明寺本堂が三溪園に移築されたのは、昭和62(1987)年と、かなり後になって移築されました。
    燈明寺は、現在廃寺になっていますが、近年まで京都府相楽郡賀茂町にあった日蓮宗のお寺です。昭和22年の台風で、被害を受けた後、解体されて保存されていたものが、昭和62(1987)年三溪園に移築されたようです。旧燈明寺三重塔から本堂を見下ろすことが出来ます。また本堂の中には、仏像も祀られています。

    旅行時期
    2015年12月
    利用した際の同行者
    友人
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    5.0
    見ごたえ:
    4.0

  • 全国から歴史的建造物を集めた三溪園にあって、鶴翔閣は原三溪が住まいとして建てたものです。

    投稿日 2016年05月04日

    三溪園 本牧・根岸・磯子

    総合評価:4.0

    三溪園の建物は、ほとんどが外部から集めた歴史的建物ですが、鶴翔閣は原三溪が、自分の住まいとして建てたもので、延べ床面積950?の規模を誇ります。
    第二次世界大戦中に改築されましたが、近年の復旧整備により、創建当時の姿に戻されました。現在では、さまざまな利用に対応可能な貸し出し施設として活用されています。

    旅行時期
    2015年12月
    利用した際の同行者
    友人
    アクセス:
    3.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    見ごたえ:
    4.0

  • この建物は、京都大徳寺内の天瑞寺にあった豊臣秀吉の母大政所の寿塔を覆うために建てものです

    投稿日 2016年05月03日

    三溪園 本牧・根岸・磯子

    総合評価:3.5

    この建物は、京都大徳寺内の天瑞寺にあった寿塔(じゅとう)の覆堂です。寿塔とは長寿を祝って生存中に建てる墓のことです。
    説明板によると、豊臣秀吉は、その母大政所が大病にかかった時、その平癒祈願のため京都大徳寺内に天瑞寺を立てました。その功験あって平癒したのを悦び、母の長寿を祝って石造の寿塔を立てました。この建物はその寿塔の覆堂です。
    なお寿塔は現在、大徳寺にあり、ここにはありません。

    旅行時期
    2015年12月
    利用した際の同行者
    友人
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    見ごたえ:
    3.5

元カニ族さん

元カニ族さん 写真

4国・地域渡航

9都道府県訪問

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元カニ族さんにとって旅行とは

50~60年前の私の学生時代、ザックをかついで、全国を旅行して回る若者達がいました。彼らを「カニ族」といいました。私もカニ族になって、全国を旅行して各地の社会を見ようとしました。北は北海道、利尻・礼文・知床半島から南は奄美大島・徳之島・沖永良部まで歩きました。旅行は当時の私にとって社会を知る勉強でした。
上のプロフィール写真は、1961年7月、私がカニ族となって最初に北海道旅行した時の礼文島での姿です。当時のザックはキスリングザックといい横に長く、後ろから見た歩く姿がカニのように見えたので、カニ族と呼ばれたました。
当時、海外旅行は夢のまた夢でした。

海外に行きたくて、貿易商社に就職し、ようやく海外出張、海外駐在などで海外に行くことが出来ました。会社時代、旅行は国内・海外を含め、仕事の一環で、自由な海外旅行は、休暇が取れず不可能でした。

退職して何度か自由な海外旅行をしましたが、現在の老いたカニ族は、体力的にも限られた小さな旅行しかできません。しかしその旅行を歴史的、文化的、社会的に色づけして、内容の濃い旅行にすることはできます。「元カニ族」の精神を忘れずに、老いてもカニ族を続けようと思っています。加えて旅行で歩くことが健康の維持に役立てばしめたものです。

自分を客観的にみた第一印象

大好きな場所

北海道 知床半島

大好きな理由

学生時代、羅臼から定期船に乗って、知床岬まで往復しました。
定期船は知床半島で夏の間、昆布採りの人々に物資を輸送、人の往来のための船でした。定期船が洋上で停まり、陸に向かってマイクで「〇〇さん!お客さんです」、「〇〇さん!荷物が届いています」などというと、陸から小舟が近づいてきて、荷物の受け渡し、人の乗り降りがありました。
往時の知床半島の厳しい景色と、のどかな人々の生活が、今も脳裏に焼き付いています。

行ってみたい場所

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