旅行のクチコミと比較サイト フォートラベル

元カニ族さんのトラベラーページ

元カニ族さんのクチコミ(5ページ)全479件

条件をクリア
エリア
カテゴリ
並び順

  • ホテル
  • ショッピング
  • グルメ・レストラン
  • 交通機関
  • 観光スポット
  • 基本情報
  • 池泉式庭園に関心を奪われ勝ちですが、反対側の枯山水式庭園もお忘れなく!

    投稿日 2017年02月17日

    龍潭寺庭園 浜北・引佐

    総合評価:5.0

    龍潭寺の庭園は、江戸時代初期に小堀遠州によって作られた池泉式庭園で、国の名勝記念物に指定された東海の名園です。
    小堀遠州は、滋賀・長浜の出身で、「遠州流」の茶道を起こし、二条城二の丸庭園の作庭などした当代一の文化人です。井伊家25代直孝(第3代彦根藩主)と親しく、その依頼により作られたといわれています。
    池泉式庭園は、四季折々の変化に富んで見ごたえがあり、こちらに関心を奪われてしまいますが、本堂の反対側の枯山水式庭園もなかなか見ごたえがあります。こちらの写真もアップしましたので御覧ください。

    旅行時期
    2016年11月
    利用した際の同行者
    その他
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    バリアフリー:
    3.0
    見ごたえ:
    5.0

  • 一般に公開されたのは1983年10月で、東海地方最大規模の鍾乳洞です。

    投稿日 2017年02月16日

    竜ヶ岩洞 浜北・引佐

    総合評価:5.0

    竜ケ岩洞(りゅうがしどう)は、東海地方最大規模の鍾乳洞ですが、あまり知られていないと思います。というのもこの洞窟が発見されたのは古くなくて、一般に公開されたのは1983年10月でした。私が最初に「竜ケ岩洞」を訪れたのは1998年でした。当時はまだ開発されたばかりで、回遊ルートは今ほど整備されていませんでした。
    今回(昨年11月)大学の同期生と一緒にここを訪れました。最初訪れたときから、18年!回遊ルートはすっかり整備され、鍾乳石は金網で保護されていました。こじんまりとまとまりすぎて、以前に比べ野性味がなくなったように感じました。

    現地でも貰ったパンフレットには次のようなことが書かれています。
    当初、ここには小さな洞穴があり、その奥まったところに幅50cm高さ10cmの小さな窓があって、そこから風が吹き出していました。地主の戸田貞雄さんが1981年6月から、一輪車で粘土を運び出し整備を進めていると、2人の愛好家が協力を申し出て、3人で手掘りで拡張作業を進めました。そしてこの小さな窓を通り抜けて、その奥の黄金の鍾乳洞を発見し、さらに掘り進んでいきました。2年半の歳月をかけて整備し、1983年10月全洞一般公開となりました。その後の調査で総延長は約1,000mあることがわかりましたが、一般公開は400mです。

    旅行時期
    2016年11月
    利用した際の同行者
    その他
    アクセス:
    4.0
    景観:
    5.0
    人混みの少なさ:
    5.0
    バリアフリー:
    4.0

  • 井伊家の菩提寺で、「おんな城主 直虎」が出家したお寺です。

    投稿日 2017年02月15日

    龍潭寺 浜北・引佐

    総合評価:5.0

    20年前、家族旅行で浜名湖を訪れた時、ロードマップで「井伊谷」の文字を見つけました。井伊家の城下町「彦根市」で生まれた私はすぐに反応し「井伊谷」を訪れました。
    そこで由緒ありそうなお寺を見つけて驚きました。寺の名前は「龍潭寺」、彦根にも同じ名前のお寺があります。寺の中に入ってさらに驚きました。井伊家の歴代の当主の位牌が祀られています。初代から40年間彦根市長だった井伊直愛氏までの位牌が祀られていました。井伊家といえば彦根!と思っていましたが、ここ井伊谷が井伊家の源流だったのです。
    「龍潭寺」は井伊家の菩提寺で、彦根にある「龍潭寺」は初代彦根藩主井伊直政の遺言で、故郷の「井伊谷」にあるこの「龍潭寺」と同じものを造らせたのでした。

    2016年11月、大学の同窓会が浜名湖で行われ、皆で井伊谷の「龍潭寺」を訪れました。2017年に始まるNHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」に関連し、観光客が増えていました。

    NHK大河ドラマは佳境に入って来ました。ここを訪れると、ドラマがさらによく理解できて面白くなると思います。そして機会があれば彦根市にある「龍潭寺」も訪れてみてください。

    旅行時期
    2016年11月
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    バリアフリー:
    3.0
    見ごたえ:
    5.0

  • 天台宗、真言宗豊山派、真言宗智山派、浄土宗により運営されている大学です。

    投稿日 2017年02月11日

    大正大学 大塚・巣鴨・駒込

    総合評価:4.0

    大正大学には、仏教学部の他に文学部、人間学部、表現学部、地域創生学部、心理社会学部があります。
    1925年、仏教連合大学構想に賛同した天台宗・真言宗豊山派・浄土宗の各宗により発足した大学です。後に真言宗智山派が加わり四宗の連合大学となっています。
    堅苦しい仏教教義にとらわれず、地域に開かれた大学を目指して、地域の人々や参拝に来た人々が仏教精神に触れることが出来るように、「すがも鴨台観音堂」が建設されました。
    また、地域交流の場を提供するために、フリースペース「鴨台カフェ<僧話花>」の提供や、毎月の法話の開催なども行われています。

    仏教に触れることの出来る格好の場所です。
    気軽の訪れてみてはいかがですか・・・

    旅行時期
    2017年01月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    5.0
    人混みの少なさ:
    5.0
    バリアフリー:
    4.0
    見ごたえ:
    4.0

  • 円乗寺には、恋人に会いたい一心で放火し、火あぶりの刑に処せられた「八百屋お七」の墓があります。

    投稿日 2017年02月10日

    八百屋お七墓(円乗寺) 大塚・巣鴨・駒込

    総合評価:4.0

    円乗寺の本堂の前に八百屋お七地蔵堂があります。地蔵堂の中央にあるのが寺の住職が建てた供養塔、左右にあるのが、初代岩井半四郎が百十三回忌に建立した供養塔と、昭和27年二百七十回忌の町内の有志が建てた供養等と説明があります。
    一体「お七」って誰?
    「お七」は駒込片町の八百屋の娘で、天和の大火(1682年)で、家が焼け、菩提寺の円乗寺に避難しました。そこで寺の小姓吉三郎と恋仲になりました。再建された家に戻ってからも吉三郎に会いたい一心で、家が火事になれば再び会えると、火付けをしてしまったのでした。それで、鈴ヶ森で火あぶりの刑で処刑されたのでした。

    放火は大罪ですが、火あぶりの刑とは極刑ですね。
    それで、現代になっても、供養を続けているのでしょう・・・・


    旅行時期
    2017年01月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    5.0
    見ごたえ:
    4.0

  • ノスタルジックな赤提灯のゲート(門)が印象的です。

    投稿日 2017年02月14日

    本郷薬師 御茶ノ水・本郷

    総合評価:4.0

    本郷通から、ノスタルジックな赤提灯が飾られたゲート(門)が見えます。ゲートの真ん中に「本郷薬師」と書かれた扁額があるので、すぐにわかります。このゲートから想像し、さぞかし立派な本堂があるのではないかと期待して進むと、小さなお堂がありました。ほかにそれらしきものがないので、これが本堂でした。
    寛文十年(1670年)の創建で、江戸にマラリアが蔓延したところ、ここの薬師に祈願すると治ったといわれています。

    旅行時期
    2017年01月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    5.0
    人混みの少なさ:
    5.0
    バリアフリー:
    3.0
    見ごたえ:
    3.0

  • 享保年間(1716~36年)に荒川の氾濫の被害を受け、現在の地に移転してきました。

    投稿日 2017年02月13日

    氷川神社 (板橋・仲宿) 板橋

    総合評価:3.0

    氷川神社は、蓮沼村の鎮守です。現在の埼京線「浮間舟渡駅」の西にあった浮間村は享保年間(1716~36年)に荒川の氾濫の被害を受け、となりにある南蔵院とともに高台にある現在の地に移転してきました。
    現在の場所は、目立たない奥まった所にありますが、中山道(国道17号線)に面した南蔵院の裏にありますから、こちらを目印にすればすぐにわかります。

    旅行時期
    2017年02月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    5.0
    人混みの少なさ:
    5.0
    バリアフリー:
    3.0
    見ごたえ:
    3.0

  • 江戸時代、八代将軍吉宗が荒川(戸田川)で鷹狩を行う際の御膳所と定められたお寺です。

    投稿日 2017年02月13日

    南蔵院 板橋

    総合評価:4.0

    真言宗智山派寶勝山南蔵院と号します。中山道(国道17号線)に面して、広々とした境内です。江戸時代に、八代将軍吉宗が荒川(戸田川)で鷹狩を行う際の御膳所と定められたところです。境内に枝垂桜の木がありますが、板橋十景に選ばれている桜の名所でもあります。
    境内に不動堂があり「関東三十六不動霊場」の一つになっています。

    旅行時期
    2017年02月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    5.0
    人混みの少なさ:
    5.0
    見ごたえ:
    4.0

  • 文殊院は、板橋宿本陣飯田家の菩提寺です。

    投稿日 2017年02月13日

    文殊院 (幡場山大聖寺) 板橋

    総合評価:4.0

    案内板には、文殊院は、真言宗豊山派、幡場山大聖寺文殊院と号す、本尊は文殊菩薩。江戸初期。本陣飯田家の菩提寺として、古くから信仰を集めていた延命地蔵尊の境内を広げて建立された。・・・と書かれています。
    延命地蔵堂は、山門脇にあります。
    この寺の墓地には、「飯盛り女(遊女)たちの墓」があるとのことで、見たいと思って行ったのですが、境内の本堂前から、墓地に行く道がわからず、あきらめました。

    旅行時期
    2017年02月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    5.0
    見ごたえ:
    4.0

  • 江戸時代には、中山道の清水坂を通る旅人の喉を潤していた泉です。

    投稿日 2017年02月13日

    薬師の泉庭園 板橋

    総合評価:4.0

    案内板には、江戸時代、八代将軍吉宗が志村周辺で鷹狩をした際、大善寺に立ち寄り、境内に湧き出す清水を誉めて、寺の本尊である薬師如来を「清水薬師」と命名したと伝わっている、と書かれています。
    現在の庭園は、写真の「江戸名所図会」の挿絵に基づき、板橋区が庭園整備を行い、平成元年12月に開園したものです。
    江戸時代には、中山道の清水坂を通る旅人の喉を潤していたことでしょう・・・

    旅行時期
    2017年02月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    5.0
    バリアフリー:
    1.5
    見ごたえ:
    4.0

  • 「金座」はどこにあったのでしょうか??・・・それは日本銀行のある場所にありました!!

    投稿日 2017年02月11日

    日本銀行 日本橋

    総合評価:4.0

    東京の「銀座」といえば、誰もが知っている場所ですが、それでは「金座」はどこにあったのでしょうか?と聞かれ、答えることが出来る人は多くはないでしょう・・・「金座」は、現在の日本銀行がある場所にありました!!
    現在の日本銀行旧館は、お札に印刷されてなじみの深い建物です。東京駅や万世橋駅を設計した辰野金吾博士の設計で、明治29年(1896)に竣工しました。
    現在、写真のように改修工事中ですが、予約すれば内部の見学もできます。

    旅行時期
    2017年01月
    アクセス:
    5.0
    人混みの少なさ:
    5.0
    見ごたえ:
    4.0

  • マーチエキュート 神田万世橋は、旧万世橋駅を商業施設に改装したもので、オールド・鉄道フアンにとっては、たまらない施設です。

    投稿日 2017年02月10日

    マーチエキュート 神田万世橋 神田・神保町

    総合評価:5.0

    旧万世橋駅は、中央線の起点として1912年(明治45年)東京駅と同じ辰野金吾の設計により赤煉瓦造りで建設されました。しかし1919年(大正8年)万世橋-東京間が開通し中央線の起終点としての役目は7年で終わってしまいました。駅舎は1923年(大正12年)関東大震災で焼失し、その後簡素な駅舎が再建されましたが、近くに神田駅及び秋葉原駅が出来たため、1943年(昭和18年)万世橋駅は廃止となり駅舎は取り壊されました。
    2013年9月この駅舎跡をリニューアルして、JR東日本のオシャレ系商業施設「マーチエキュート神田万世橋」がオープンしました。

    このような施設ですから、ショッピングのみならず、古い駅舎の内部やホームを見ることが出来ます。さらにお茶を飲みながら、窓から走り去る中央線の電車を見ることもできます。

    旅行時期
    2017年01月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    5.0
    お買い得度:
    3.0
    サービス:
    4.5
    品揃え:
    3.0
    バリアフリー:
    2.5

  • 高札を模した碑に、銅板の「日本橋由来記」と「日本橋の風景画」が埋め込まれています。

    投稿日 2017年02月11日

    日本橋由来記の碑 日本橋

    総合評価:4.0

    日本橋由来記の碑は、日本橋のたもとの高札広場にあります。高札を模した碑に、銅板の「日本橋由来記」と「日本橋の風景画」が埋め込まれていますが、少々読みにくいです。
    また別の記念碑に「日本橋の説明」も埋め込まれていますが、これも読みにくいです。高札を模した碑のよこに、読みやすい説明板がありますので、これがよくわかります。

    旅行時期
    2017年01月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    5.0
    人混みの少なさ:
    5.0
    見ごたえ:
    4.0

  • 湯島聖堂が建設された時、孔子生誕地である魯国の昌平郷にちなんで、「昌平橋」と命名されました。

    投稿日 2017年02月11日

    昌平橋 神田・神保町

    総合評価:4.0

    この橋は、1691年(元禄4年)に徳川綱吉が孔子廟である湯島聖堂を建設した際、孔子生誕地である魯国の昌平郷にちなんで、「昌平橋」と命名されましたが、それ以前は「一口橋(芋洗橋)、相生橋などと呼ばれていました。
    因みに、幕府はその後湯島聖堂の学舎を広げ、官立の大学としましたが、その名も「昌平坂学問所」(昌平黌)としました。

    現在の橋は、昭和3年(1928)に架けられたもので、長さ22.7m、幅30.1m、コンクリート橋で、中の車道を挟み両側に歩道のある幅の広い橋です。欄干の模様がしゃれています。

    旅行時期
    2017年01月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    5.0
    人混みの少なさ:
    5.0
    バリアフリー:
    3.0
    見ごたえ:
    3.0

  • この榎の皮を剥いで水か酒で飲むと「別れられる」と信じられていました。

    投稿日 2017年02月10日

    縁切榎 板橋

    総合評価:4.0

    江戸時代、ここには樹齢数百年になる「大榎」があって、いつしかこの下を通ると「不縁」になると恐れられていたようです。またこの榎の皮を剥いで水か酒で飲むと「別れられる」と信じられていました。
    現在の榎は三代目で、横に小さな祠があって、榎大六天神が祀られています。祠の前には絵馬がたくさん架かっています。今も「別れたい」人が、願掛けしているようです。

    旅行時期
    2017年02月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    5.0
    見ごたえ:
    4.0

  • 日本橋から二里二五町三十三間の距離にあり、板橋宿の名前の由来となった橋です

    投稿日 2017年02月10日

    板橋(橋) 板橋

    総合評価:4.0

    「板橋宿」の名前の由来となった石神井川にかかる橋です。当然江戸時代は名前の通り木でできた橋ですが、現在はコンクリート製です。しかし欄干は木でできたようなデザインが施されています。橋の手前の碑に「距・日本橋二里二五町三十三間」と記されています。
    石神井川の両岸には桜の木が植えられていて、桜の頃はきれいでしょう。

    旅行時期
    2017年02月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    5.0
    見ごたえ:
    4.0

  • 江戸から三番目、国道を挟んで見事な一里塚が残っています。

    投稿日 2017年02月10日

    志村一里塚 板橋

    総合評価:5.0

    江戸から三番目の一里塚で国指定史跡です。国道を挟んで両側に見事な塚が残っています。塚木の榎は三代目で、塚の回りの石積は後世のものです。
    一里塚の横に古風な家屋の材木商「斎藤商店」があり、一里塚と見事に調和しています。両者とも、いつまでも残してほしいものです。

    旅行時期
    2017年02月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    5.0
    バリアフリー:
    4.0
    見ごたえ:
    5.0

  • 地蔵尊の尊影のある紙を飲むなり、患部に貼るなりすれば、トゲを抜いたように痛みが取れるといわれています。

    投稿日 2017年02月09日

    高岩寺(とげぬき地蔵) 大塚・巣鴨・駒込

    総合評価:4.0

    「巣鴨地蔵通り」の地蔵は、真性寺の地蔵ではなく、高岩寺の「とげぬき地蔵」です。
    「とげぬき地蔵」と言われる由縁は、その昔、あやまって口にくわえた針を飲み込んでしまった女中が、地蔵尊の尊影がある紙を一枚、水で飲んだところ、女中は腹の中のものを吐き、その中に飲み込んだ針が、地蔵尊の御影を貫いて出てきたと伝えられています。
    いまも、地蔵尊の尊影のある紙が売られていて、飲むなり、患部に貼ればトゲを抜いたように痛みが取れるといわれています。
    また、境内には自身の患部と同じ個所を洗うと御利益があるという「洗い観音」もあります。
    痛みのある方、試してみてはいかがですか?

    旅行時期
    2017年01月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    バリアフリー:
    4.0
    見ごたえ:
    4.0

  • 板橋宿には、近藤勇の墓のほか、監禁された脇本陣、取り調べを受けた本陣の跡もあります。

    投稿日 2017年02月09日

    近藤勇の墓 王子・十条

    総合評価:4.0

    新選組局長近藤勇は、下総流山で官軍に捕らえられ、官軍の本営があった板橋宿へと連行されました。そこで取り調べを受け、慶応4年(1868年)4月25日、平尾一里塚付近に設けられた刑場で斬首され、首級は京に送られ、胴体がここに埋葬されました。
    明治九年(1876年)五月に、数少ない新選組の生き残りである永倉新八らが尽力し、現在の近藤勇および土方歳三の立派な供養塔が建てられました。後に永倉新八のお墓もここに作られました。

    近藤勇が処刑されるまで、監禁されたのは「板橋宿平尾町脇本陣」、官軍の本営は「板橋宿本陣」で、ここで取り調べを受けたと思われます。板橋宿の本陣、脇本陣跡には、碑がありますので、近藤勇の墓とあわせて、尋ねてみてはいかがですか。

    なお、近藤勇が処刑されて場所は、「平尾一里塚」付近というだけで、特定されていません。また「平尾一里塚」の場所も確定「されていませんが、中山道の埼京線の踏切あたりと推定されています。

    旅行時期
    2017年01月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    5.0
    人混みの少なさ:
    5.0
    見ごたえ:
    4.0

  • 鳥居にかけられた提灯と、狛犬の代わりに左右に祭ってある赤いよだれかけをした猿神が目印です。

    投稿日 2017年02月09日

    巣鴨の庚申塚 大塚・巣鴨・駒込

    総合評価:4.0

    巣鴨の中山道沿い、都電荒川線「庚申塚駅」の近くのビルの隙間にあり、うっかりすると見落としてしまいます。祭神の猿田彦大神にちなんで、狛犬の代わりに猿神が左右に祭ってあります。
    説明板には、庚申塚は江戸時代から近郷近在に聞こえた名所でした。江戸と板橋宿との間にあり、行き交う旅人で賑わっていたと伝えられ、その様子は「江戸名所図会」にも描かれています。・・・と書かれています。

    旅行時期
    2017年01月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    5.0
    人混みの少なさ:
    5.0
    バリアフリー:
    4.0
    見ごたえ:
    3.5

元カニ族さん

元カニ族さん 写真

4国・地域渡航

9都道府県訪問

写真 | QA掲示板 | 行ってきます | 掲示板 クリップ

元カニ族さんにとって旅行とは

50~60年前の私の学生時代、ザックをかついで、全国を旅行して回る若者達がいました。彼らを「カニ族」といいました。私もカニ族になって、全国を旅行して各地の社会を見ようとしました。北は北海道、利尻・礼文・知床半島から南は奄美大島・徳之島・沖永良部まで歩きました。旅行は当時の私にとって社会を知る勉強でした。
上のプロフィール写真は、1961年7月、私がカニ族となって最初に北海道旅行した時の礼文島での姿です。当時のザックはキスリングザックといい横に長く、後ろから見た歩く姿がカニのように見えたので、カニ族と呼ばれたました。
当時、海外旅行は夢のまた夢でした。

海外に行きたくて、貿易商社に就職し、ようやく海外出張、海外駐在などで海外に行くことが出来ました。会社時代、旅行は国内・海外を含め、仕事の一環で、自由な海外旅行は、休暇が取れず不可能でした。

退職して何度か自由な海外旅行をしましたが、現在の老いたカニ族は、体力的にも限られた小さな旅行しかできません。しかしその旅行を歴史的、文化的、社会的に色づけして、内容の濃い旅行にすることはできます。「元カニ族」の精神を忘れずに、老いてもカニ族を続けようと思っています。加えて旅行で歩くことが健康の維持に役立てばしめたものです。

自分を客観的にみた第一印象

大好きな場所

北海道 知床半島

大好きな理由

学生時代、羅臼から定期船に乗って、知床岬まで往復しました。
定期船は知床半島で夏の間、昆布採りの人々に物資を輸送、人の往来のための船でした。定期船が洋上で停まり、陸に向かってマイクで「〇〇さん!お客さんです」、「〇〇さん!荷物が届いています」などというと、陸から小舟が近づいてきて、荷物の受け渡し、人の乗り降りがありました。
往時の知床半島の厳しい景色と、のどかな人々の生活が、今も脳裏に焼き付いています。

行ってみたい場所

現在4の国と地域に訪問しています

拡大ボタンを押すと地図が
動かせます。

現在9都道府県に訪問しています