板橋宿には、近藤勇の墓のほか、監禁された脇本陣、取り調べを受けた本陣の跡もあります。
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- 旅行時期:2017/01(約7年前)
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by 元カニ族さん(男性)
王子・十条 クチコミ:1件
新選組局長近藤勇は、下総流山で官軍に捕らえられ、官軍の本営があった板橋宿へと連行されました。そこで取り調べを受け、慶応4年(1868年)4月25日、平尾一里塚付近に設けられた刑場で斬首され、首級は京に送られ、胴体がここに埋葬されました。
明治九年(1876年)五月に、数少ない新選組の生き残りである永倉新八らが尽力し、現在の近藤勇および土方歳三の立派な供養塔が建てられました。後に永倉新八のお墓もここに作られました。
近藤勇が処刑されるまで、監禁されたのは「板橋宿平尾町脇本陣」、官軍の本営は「板橋宿本陣」で、ここで取り調べを受けたと思われます。板橋宿の本陣、脇本陣跡には、碑がありますので、近藤勇の墓とあわせて、尋ねてみてはいかがですか。
なお、近藤勇が処刑されて場所は、「平尾一里塚」付近というだけで、特定されていません。また「平尾一里塚」の場所も確定「されていませんが、中山道の埼京線の踏切あたりと推定されています。
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4.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
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- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 4.0
クチコミ投稿日:2017/02/09
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