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元カニ族さんのトラベラーページ

元カニ族さんのクチコミ(14ページ)全479件

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  • 観光スポット
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  • 保税倉庫であった赤レンガ倉庫2棟を文化施設、商業施設に整備し、広場と公園を備えるパークとなっています。

    投稿日 2015年09月20日

    横浜赤レンガ倉庫 横浜

    総合評価:5.0

    横浜新港の保税倉庫であった赤レンガ倉庫2号館は1911年(明治44年)、1号館は1913年(大正2年)に竣工され、保税倉庫としての役割は1989年(平成元年)までに終え、しばらく放置されていました。

    2002年(平成14年)に、1号館は展示スペースやホールなどの文化施設として、2号館は商業施設としてショップやレストランが整備されました。

    付近一帯は広場と公園を備える赤レンガパークとして整備され、横浜みなとみらい21地区の代表的な観光施設となりました。休日には、広場で様々なイベントが行われ、たくさんの人が押し寄せています。

    旅行時期
    2015年09月
    利用した際の同行者
    その他
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    見ごたえ:
    4.0

  • 「新港橋梁」は、旧山下臨港線の橋梁で、「山下臨港線プロムナード」にあります。

    投稿日 2015年09月20日

    新港橋梁 横浜

    総合評価:4.0

    「新港橋梁」は、旧山下臨港線の橋梁で、「山下臨港線プロムナード」にあります。
    この橋梁は旧臨港線の港1号、2号、3号橋梁に続いて、1912(大正元)年に竣工しました。トラス型の橋で、現在、橋の上には線路も残っています。
    ミナト・ヨコハマの面影をしのぶことが出来ます。

    旅行時期
    2015年09月
    利用した際の同行者
    その他
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    見ごたえ:
    4.0

  • 「象の鼻パーク」は「象の鼻防波堤」を明治中期の形状に復元し、横浜港開港150周年となる2009年に開園しました。

    投稿日 2015年09月20日

    象の鼻パーク 横浜

    総合評価:4.0

    「象の鼻パーク」は「象の鼻防波堤」を明治中期の形状に復元し、横浜港開港150周年となる2009年(平成21年)に開園しました。
    その位置は、図の通りで、細長い防波堤が「象の鼻」のような形をしていることから、このように呼ばれるようになりました。
    山下臨港線プロムナードの沿った場所にあり、みなとみらい地区や、ピア象の鼻、横浜港大さん橋国際客船ターミナルを見渡すことが出来ます。

    旅行時期
    2015年09月
    利用した際の同行者
    その他
    アクセス:
    3.5
    人混みの少なさ:
    4.0
    見ごたえ:
    3.0

  • 関東大震災の時に被災したインド人に対し日本人が援助の手を差し伸べたお礼に、在日インド人協会が寄贈したものです。

    投稿日 2015年09月20日

    インド水塔 横浜

    総合評価:3.5

    山下公園に入ってすぐ、休憩所の前に、一風変わった異国的な建物があります。
    この建物は、「インド水塔」といって、関東大震災の時に被災したインド人に対し日本人が援助の手を差し伸べたお礼に、在日インド人協会が寄贈した意義のあるもので、中に水飲み場があります。

    旅行時期
    2015年09月
    利用した際の同行者
    その他
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    見ごたえ:
    4.0

  • 横浜市民の憩いの場「山下公園」は、関東大震災の瓦礫で海を埋め立て造成された公園です。

    投稿日 2015年09月19日

    山下公園 横浜

    総合評価:4.0

    横浜市民の憩いの場「山下公園」は、関東大震災の復興事業として、瓦礫などを使って海を埋め立て造成された公園です。東日本大震災を契機にして、その歴史的背景が広く知られるようになりました。
    公園内には、インド水塔や、赤い靴はいてた女の子像、係留された氷川丸などがあり、近くにマリンタワー、ホテルニューグランドもあります。休日には多くの家族ずれで賑わっています。

    旅行時期
    2015年09月
    利用した際の同行者
    その他
    アクセス:
    5.0
    人混みの少なさ:
    3.0
    バリアフリー:
    2.5
    見ごたえ:
    4.0

  • 赤レンガパークから山下公園の入口まで、貨物線の旧山下臨港線の高架を利用して造った遊歩道です。

    投稿日 2015年09月19日

    山下臨港線プロムナード 横浜

    総合評価:4.0

    「山下臨港線プロムナード 」は、よこはま 2015 ワールド・ウオークのコースになっていました。赤レンガパークから山下公園の入口まで、貨物線の旧山下臨港線の高架を利用して造った遊歩道です。
    途中に新港橋梁が残されており、象の鼻パーク、象の鼻テラスを経由し、横浜の三塔や、大桟橋を眺めながら、山下公園の入口に至ります。昔は、この先も山下公園の上空を高架線が通っていましたが、この部分は撤去されています。

    旅行時期
    2015年09月
    利用した際の同行者
    その他
    アクセス:
    5.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    バリアフリー:
    3.0
    見ごたえ:
    4.0

  • 汽車道はミナト・ヨコハマの面影が残る、散策に最適な海上に浮かぶ遊歩道です。

    投稿日 2015年09月19日

    汽車道(港1号 2号 3号橋梁旧臨港線護岸) 横浜

    総合評価:5.0

    「汽車道」はよこはま 2015 ワールド・ウオークのコースになっていました。
    ホテル「ナビオス横浜」の背後にある「運河パーク」から、日本丸メモリアルパークまで、海上にある旧臨界線の護岸が遊歩道になっていました。遊歩道には線路が残っており、港1号、2号、3号の橋梁も残されていました。
    汽車道はミナト・ヨコハマの面影が残る、散策に最適な海上に浮かぶ遊歩道でした。

    旅行時期
    2015年09月
    利用した際の同行者
    その他
    アクセス:
    5.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    バリアフリー:
    3.5
    見ごたえ:
    4.5

  • 日本人の海外移住の歴史をはじめ、移住者とその子孫である日系人などについて展示されています。

    投稿日 2015年09月19日

    海外移住資料館 横浜

    総合評価:5.0

    「海外移住資料館 」はJICA横浜の中にあります。日本人の海外移住の歴史、そして移住者とその子孫である日系人について、広く一般の方々(とくに若い人たち)に理解を深めてもらうことを目的として、開設されました。

    私は、よこはま 2015 ワールド・ウオークの時にここを訪れましたが、展示では、JICAが、戦後、主に中南米への移住事業の一翼を担ったことから、中南米とそれに先行するハワイを含む北米への移住が主な対象になっていました。

    旅行時期
    2015年09月
    利用した際の同行者
    その他
    アクセス:
    4.0
    コストパフォーマンス:
    5.0
    人混みの少なさ:
    5.0
    展示内容:
    5.0
    バリアフリー:
    5.0

  • JICAとは 「Japan International Cooperation Agency=国際協力機構」の略で、JICA横浜は神奈川県におけるJICAの総合的な拠点として開設されました。

    投稿日 2015年09月19日

    JICA横浜 横浜

    総合評価:4.0

    JICAとは 「Japan International Cooperation Agency=国際協力機構」の略です。JICA横浜は、神奈川県におけるJICAの総合的な拠点として2002年に開設されました。

    よこはま 2015 ワールド・ウオークのチェック・ポイントの一つがここにあったので、訪れました。その時は、「海外移住資料館 」に日本から南米に移民した人々の歴史に関する展示がされていました。また「終戦70年企画 海を越えたヒロシマ・ナガサキ」展もありました。

    旅行時期
    2015年09月
    利用した際の同行者
    その他
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    バリアフリー:
    4.0
    見ごたえ:
    3.0

  • 「パシフィコ」は「Pacific + Convention」を略した造語で、(株)横浜国際平和会議場が運営しています。

    投稿日 2015年09月19日

    パシフィコ横浜 (横浜国際平和会議場) 横浜

    総合評価:4.0

    「パシフィコ横浜」は、その名前から実態がわからない名前です。括弧して(横浜国際平和会議場)となっていて、ようやくその内容が想像できます。「パシフィコ」は、「Pacific + Convention」を基にした造語で、運営は株式会社「横浜国際平和会議場」によって行われているようです。

    この施設に全貌は、図のように、インターコンチネンタルホテルを中心に、会議センター、国立大ホール、展示ホール、アネックスホールなどがあり、屋外には、臨港パーク、ぷかり桟橋などがあります。臨港パークからは、ベイブリッジの全貌がよく見えます。

    会議センターに、国際熱帯木材機構(ITTO)の本部があり、私は毎年秋に行われる総会に参加していました。横浜に本部がある数少ない国際機関として、注目を浴びていました。

    旅行時期
    2015年09月
    利用した際の同行者
    その他
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    バリアフリー:
    4.0
    見ごたえ:
    4.0

  • 館内には、さまざまな港や船舶などに関する展示がされています。

    投稿日 2015年09月18日

    横浜みなと博物館 横浜

    総合評価:4.0

    「横浜みなと博物館 」は「帆船日本丸」のすぐ前にあります。
    よこはま 2015 ワールド・ウオークのチェック・ポイントの一つになっていたので、無料で入ることが出来ました。館内には、さまざまな港や船舶などに関する展示がされていました。

    旅行時期
    2015年09月
    利用した際の同行者
    その他
    アクセス:
    4.0
    コストパフォーマンス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    展示内容:
    5.0

  • 「太平洋の貴婦人」と呼ばれた「帆船日本丸」美しい姿を眺めながら、ゆっくりくつろぐことが出来ます。

    投稿日 2015年09月18日

    日本丸メモリアルパーク(旧横浜船渠第1号ドック) 横浜

    総合評価:3.5

    「帆船日本丸」が浮かんでいるのが「旧横浜船渠第1号ドック」です。
    そのドックを囲んだスペースが公園になっていて「日本丸メモリアルパーク」と呼ばれています。
    「太平洋の貴婦人」と呼ばれた「帆船日本丸」美しい姿を眺めながら、ゆっくりくつろぐことが出来ます。

    旅行時期
    2015年09月
    利用した際の同行者
    その他
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    見ごたえ:
    5.0

  • 船内は現役時代のままに保存され、海の男たちを育てたなごりを実感できます。

    投稿日 2015年09月18日

    帆船日本丸 横浜

    総合評価:5.0

    「日本丸」は、スコットランドのラメージ・エンド・ファーガッソン社の設計、神戸の川崎造船所が建造し、1930年(昭和5年)1月27日に進水しました。同型の姉妹船「海王丸」は、同年2月14日に進水しました。

    この「日本丸」は海洋練習船としての役割を果たして、1984年(昭和59年)9月16日退役し、横浜の現在の場所に係留されています。
    船内は当時のままに保存され、海の男たちを育てたなごりを実感できます。また月に一度、すべての帆を張る総帆展帆がボタンティアの人々により行われています。

    旅行時期
    2015年09月
    利用した際の同行者
    その他
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    5.0
    見ごたえ:
    5.0

  • ランドマークタワー、パシヒコ横浜など、近代的な都市機能に加え、ショッピングや観光・娯楽施設も充実しています。

    投稿日 2015年09月18日

    みなとみらい21 横浜

    総合評価:5.0

    1980年代、工場跡地や国鉄(JR)の操車場跡地の再開発する「みなとみらい21」計画が始まりました。1989年には、横浜市制100周年、横浜港開港130周年を記念して開催された「横浜博覧会」が開催されました。開発当初から35年間、開発の状態を見続けてきた筆者には、現在の状況を見ると隔世の感がします。
    ランドマークタワー、パシヒコ横浜など、近代的な都市機能に加え、ショッピングや観光・娯楽施設も充実しています。

    「みなとみらい21」に、大桟橋、山下公園など、横浜中華街など昔からの横浜を加えると、見どころ満載です。

    旅行時期
    2015年09月
    利用した際の同行者
    その他
    アクセス:
    5.0
    人混みの少なさ:
    3.5
    見ごたえ:
    5.0

  • 大きな「ASUKA?」や、氷川丸の戦時中の模型や、海運関係の資料などが、展示されています。

    投稿日 2015年09月18日

    日本郵船歴史博物館 横浜

    総合評価:4.0

    「よこはま 2015 ワールド・ウオーク」のチェック・ポイントがここにあったので、訪れました。
    博物館は古い重厚な建物の一階にあり、無料部分と、有料部分に分かれていました。大きな「ASUKA?」や、氷川丸の戦時中の艤装などの模型や、海運関係の資料などが、展示されていました。

    旅行時期
    2015年09月
    利用した際の同行者
    その他
    アクセス:
    4.0
    コストパフォーマンス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.5
    展示内容:
    4.0

  • 赤い靴はいた女の子は、異人さんに連れられて行ったはずでしたが、本当は行っていなかったのでした。

    投稿日 2015年09月18日

    赤い靴はいてた女の子像 (山下公園) 横浜

    総合評価:4.0

    赤い靴はいた女の子は実在の人物で、その名を岩崎きみちゃんといいました。

    きみちゃんは明治35年7月15日、静岡県旧不二見村(現 静岡市清水宮加三)で生まれ、赤ちゃんの時、母親「岩崎かよ」に連れられて北海道に渡りました。かよはそこで鈴木志郎と再婚し、一緒に開拓農場 (現北海道、留寿都村)に入植しました。当時の開拓地の状況は厳しく、夫妻は3歳のきみちゃんを函館のアメリカ人宣教師チャールス・ヒュエット夫妻の養女に出しました。

    その後鈴木志郎が札幌の新聞社へ入社し、同じ新聞社に勤めていた野口雨情(作詞家)と出逢い、両家族が親しくなったある日、かよがきみちゃんへの思いを雨情に打ち明けたことからこの童謡が生まれました。

    ヒュエット夫妻が任務を終え帰国する時、きみちゃんは結核に冒されていて身体の衰弱がひどく、長い船旅が出来ないので、鳥居坂教会の孤女院に預けられました。閉ざされた部屋の中できみちゃんは病魔と闘い続け、一人寂しく明治44年9月15日の夜、9歳の生涯を閉じたのでした。きみちゃんは今、青山霊園にある鳥居坂教会の墓地に眠っています。

    母親のかよは、きみちゃんはヒュエット夫妻と一緒にアメリカに渡ったものと、思いこんだまま一生を過ごしたといわれています。

    旅行時期
    2015年09月
    利用した際の同行者
    その他
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.5
    見ごたえ:
    3.0

  • よこはま・ ワールド・ウオークに参加して、ここに行くと500円の入場料が免除されます。

    投稿日 2015年09月17日

    カップヌードルミュージアム 横浜 横浜

    総合評価:5.0

    よこはま 2015 ワールド・ウオークに参加して行くと、500円の入場料が免除されて入場できました。

    さて、カップヌードルは、日清食品の製品です。
    創業者の安藤百福氏は、私が大学に入ったころに、お湯をかけて3分で食べられる「チキンラーメン」を発売しました。50年以上昔、下宿をしていた私は、大学の生協で3袋100円で買ってきて、良く食べました。コンビニや、スーパーのない時代、大変お世話になった思い出の品です。今その復刻製品が、当時の袋を再現して販売されています。懐かしいです。

    安藤百福氏は、インスタントラーメンを箸を使わない世界の人々普及させるために、フォークで食べられるカップヌードルを開発しました。私は、ユニークな発想で、日清食品を育て上げた経営者、安藤百福氏を尊敬しています。

    カップヌードルを食べながら、その歴史と再認識出来るミュージアムです。

    旅行時期
    2015年09月
    利用した際の同行者
    その他
    アクセス:
    4.0
    コストパフォーマンス:
    5.0
    人混みの少なさ:
    3.0
    施設の快適度:
    4.0

  • 太平洋戦争の始まる10年前に、このビルは出来ていました。

    投稿日 2015年09月15日

    エンパイア ステート ビル ニューヨーク

    総合評価:4.0

    1931年に竣工し、1972年にワールドトレードセンターのノースタワーが竣工するまでの42年間、世界一の高さを誇るビルとなっていました。太平洋戦争が始まる(1941年)10年に、アメリカにはこんなビルが出来ていたのでした。

    2007年4月20日夜、ツアーで自由行動となり、ツアー仲間と夜の展望台に登りました。夜遅かったせいか、待たずに登ることが出来ました。ニューヨークの夜景は東京より暗い感じがしました。
    また泊まったホテルが、エンパイアステイトビルに近かったので、エンパイアステイトビルの朝日を見ることが出来ました。

    旅行時期
    2007年04月
    利用した際の同行者
    その他
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    5.0
    コストパフォーマンス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0

  • アメリカのシンボルとして愛されていますが、その建設にはさまざまな人の思いがこめられています。

    投稿日 2015年09月15日

    自由の女神像 ニューヨーク

    総合評価:4.0

    この巨大な女神像はアメリカの独立から約1世紀後に建てられ、アメリカのシンボルとして愛されていますが、その建設にはさまざまな人の思いがこめられています

    1865年フランスにおいて、アメリカ合衆国の独立100周年を祝い、フランスの法学者で政治家のエドゥアール・ド・ラブライエが南北戦争後の混乱に苦しんでいたアメリカに対し両国の深い友情の証となりうるモニュメントの寄贈を提案し、寄付の募集を呼びかけました。

    この計画を受けて、バルトディという彫刻家が、アメリカに渡り、アメリカの玄関口となるニューヨーク港に巨大な女神像を造ろうと決めました。女神像は鉄骨の骨組みを造り、銅版で覆う仕組みで、この骨組みの設計は後にパリのエッフェル塔を制作した技師エッフェルが担当しました。1884年フランスで仮組み完成した女神像は214個に分解されてアメリカに運ばれました。

    寄贈に際しては、最初から台座はアメリカで造るように、とのことだったようですが、アメリカはこの計画に無関心で、これらの部品を受け取っても放置されたままになっていました。この状況を嘆いた新聞王といわれる「ニューヨーク・ワールド」紙社主ジョセフ・ピューリッツァは台座部分の建設資金集めのキャンペーンを行い、アメリカ国民に寄付を呼び掛けました。そして集めた資金でようやく女神像を置くリバティ島に庭園と台座が造られました。

    そして、1886年10月28日に除幕式が行われました。大統領をはじめ100万人以上の観衆が集まり、顔にかけられたフランス国旗を製作者のバルトルディが除幕しました。計画から完成まで12年もの長い年月ががかかりました。

    旅行時期
    2007年04月
    観光の所要時間
    半日
    アクセス:
    5.0
    コストパフォーマンス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    3.0

  • 「バッテリー・パーク」の名称は「バッテリー」という名前の砲台があったことに由来しています。

    投稿日 2015年09月15日

    バッテリー パーク ニューヨーク

    総合評価:4.0

    「バッテリー・パーク」とは、日本人にとっては奇妙な名称の公園ですが、「バッテリー」という名前の砲台があったことに由来しているそうです。この公園はマンハッタン島の南端にあり、ニューヨークの町を守るための砦が築かれた場所です。その名残として公園内のある「クリントン城」があります。
    現在では、自由の女神像のあるリバティ島とエリス島へ向かうクルーズ・フェリーここの港から出ています。
    また、同時多発テロのモニュメントもあります。

    旅行時期
    2007年04月
    利用した際の同行者
    その他
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    5.0
    景観:
    4.0
    人混みの少なさ:
    3.0

元カニ族さん

元カニ族さん 写真

4国・地域渡航

9都道府県訪問

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元カニ族さんにとって旅行とは

50~60年前の私の学生時代、ザックをかついで、全国を旅行して回る若者達がいました。彼らを「カニ族」といいました。私もカニ族になって、全国を旅行して各地の社会を見ようとしました。北は北海道、利尻・礼文・知床半島から南は奄美大島・徳之島・沖永良部まで歩きました。旅行は当時の私にとって社会を知る勉強でした。
上のプロフィール写真は、1961年7月、私がカニ族となって最初に北海道旅行した時の礼文島での姿です。当時のザックはキスリングザックといい横に長く、後ろから見た歩く姿がカニのように見えたので、カニ族と呼ばれたました。
当時、海外旅行は夢のまた夢でした。

海外に行きたくて、貿易商社に就職し、ようやく海外出張、海外駐在などで海外に行くことが出来ました。会社時代、旅行は国内・海外を含め、仕事の一環で、自由な海外旅行は、休暇が取れず不可能でした。

退職して何度か自由な海外旅行をしましたが、現在の老いたカニ族は、体力的にも限られた小さな旅行しかできません。しかしその旅行を歴史的、文化的、社会的に色づけして、内容の濃い旅行にすることはできます。「元カニ族」の精神を忘れずに、老いてもカニ族を続けようと思っています。加えて旅行で歩くことが健康の維持に役立てばしめたものです。

自分を客観的にみた第一印象

大好きな場所

北海道 知床半島

大好きな理由

学生時代、羅臼から定期船に乗って、知床岬まで往復しました。
定期船は知床半島で夏の間、昆布採りの人々に物資を輸送、人の往来のための船でした。定期船が洋上で停まり、陸に向かってマイクで「〇〇さん!お客さんです」、「〇〇さん!荷物が届いています」などというと、陸から小舟が近づいてきて、荷物の受け渡し、人の乗り降りがありました。
往時の知床半島の厳しい景色と、のどかな人々の生活が、今も脳裏に焼き付いています。

行ってみたい場所

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