アメリカのシンボルとして愛されていますが、その建設にはさまざまな人の思いがこめられています。
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- 旅行時期:2007/04(約17年前)
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by 元カニ族さん(男性)
ニューヨーク クチコミ:3件
この巨大な女神像はアメリカの独立から約1世紀後に建てられ、アメリカのシンボルとして愛されていますが、その建設にはさまざまな人の思いがこめられています
1865年フランスにおいて、アメリカ合衆国の独立100周年を祝い、フランスの法学者で政治家のエドゥアール・ド・ラブライエが南北戦争後の混乱に苦しんでいたアメリカに対し両国の深い友情の証となりうるモニュメントの寄贈を提案し、寄付の募集を呼びかけました。
この計画を受けて、バルトディという彫刻家が、アメリカに渡り、アメリカの玄関口となるニューヨーク港に巨大な女神像を造ろうと決めました。女神像は鉄骨の骨組みを造り、銅版で覆う仕組みで、この骨組みの設計は後にパリのエッフェル塔を制作した技師エッフェルが担当しました。1884年フランスで仮組み完成した女神像は214個に分解されてアメリカに運ばれました。
寄贈に際しては、最初から台座はアメリカで造るように、とのことだったようですが、アメリカはこの計画に無関心で、これらの部品を受け取っても放置されたままになっていました。この状況を嘆いた新聞王といわれる「ニューヨーク・ワールド」紙社主ジョセフ・ピューリッツァは台座部分の建設資金集めのキャンペーンを行い、アメリカ国民に寄付を呼び掛けました。そして集めた資金でようやく女神像を置くリバティ島に庭園と台座が造られました。
そして、1886年10月28日に除幕式が行われました。大統領をはじめ100万人以上の観衆が集まり、顔にかけられたフランス国旗を製作者のバルトルディが除幕しました。計画から完成まで12年もの長い年月ががかかりました。
- 施設の満足度
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4.0
- 観光の所要時間:
- 半日
- アクセス:
- 5.0
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
クチコミ投稿日:2015/09/15
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