楽翁さんのクチコミ(9ページ)全316件
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投稿日 2015年04月02日
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投稿日 2015年04月02日
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投稿日 2015年04月02日
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投稿日 2015年04月02日
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投稿日 2015年04月02日
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投稿日 2015年04月02日
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投稿日 2015年04月01日
総合評価:4.0
この建物は、江戸時代より神田鎌倉町で「井政」の屋号で材木商を営んできた遠藤家が、関東大震災後に建てた店舗併用住宅で、「遠藤家旧店舗・住宅主屋」が正式名称です。伝統技術を受け継いだ職人たちが、腕によりをかけ、銘木や良材をふんだんに用いて建てています。幸いに戦災で焼失することもなく、都心部の木造住宅としては貴重な存在として残りました。神田明神の屋上庭園の隣の静かな場所に、近在のビルを背にして建っています。
- 旅行時期
- 2015年03月
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投稿日 2015年04月01日
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投稿日 2015年04月01日
総合評価:3.0
御社殿の左脇にある朱色の資料館。神田明神と神田祭の歴史や江戸東京文化に関する絵巻、古文書、浮世絵などを多く所蔵・展示しています。本殿と隣り合わせなので、本殿の続きかと思っていましたが、齋館・資料館の看板があることで気づきました。
- 旅行時期
- 2015年03月
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投稿日 2015年04月01日
総合評価:3.0
国学は、京都伏見の神宮で国学者であった荷田春満により江戸において始められた学問であり、古事記や日本書紀などの古典の研究を通じて、日本古来の道を説く学問です。荷田春満が、江戸で初めて国学の教場を開いた場所が神田神社境内であることから、、昭和53年12月に碑が建立されました。国学は、日本中心の復古主義に発展し、幕末の尊王攘夷運動に影響を与えましたが、その碑は銭形平治の記念碑と共に、本殿の横に静かに並び建っています。
- 旅行時期
- 2015年03月
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投稿日 2015年04月01日
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投稿日 2015年04月01日
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投稿日 2015年03月19日
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投稿日 2015年03月19日
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投稿日 2015年03月19日
総合評価:3.5
JR秋葉原駅徒歩5分ほどの和泉公園に設置されています。関東大震災のときに神田区佐久間町、和泉町などの町民が協力して防火に努め、甚大な被害をうけた神田にあって奇跡的に焼失を免れた事を記念した石碑があります。ここは商家と下町独特の長屋が軒を連ねた住宅密集地でもありました。多くの人命が失われた関東大震災にあって奇跡を生んだ地であります。
- 旅行時期
- 2015年03月
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投稿日 2015年03月19日
総合評価:3.0
江戸時代、徳川家将軍が、江戸城から上野の寛永寺に向かう道でした。この街道は現在の中央通りとほぼ同じですが、中央通りと明神下通りとの交差点より神田側は、中央通りより御茶ノ水寄りの道であったようです。それでも中央通りに架かる総武線のガードは御成街道架道橋とされています。当時の神田川には、今の昌平橋の50メートルほど下流に筋違橋(すじかいばし)が架かっており、その場所に御成道の碑があります。神田から御茶ノ水に向かう中央線が通る赤レンガの壁脇にひっそりと立っていて、ほとんど気づかないほどの碑です。
- 旅行時期
- 2015年03月
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投稿日 2015年03月19日
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投稿日 2015年03月19日
総合評価:4.0
JR秋葉原駅昭和通り口を出て、目の前の昭和通りを渡り上野方面に200mほど進み、5つ目の角を右に曲がり浅草橋方面に50mほど行くと右手にレンガ造りの建物があります。このポンプ所は、大正11年に建てられた鉄筋コンクリート造2階建ての建物で、外装は煉瓦風タイルを貼り付け新しくなっていますが、関東大震災や東京大空襲に耐え、元の形状を保っています。関東大震災では、町内に発生した火災を、住民がこのポンプ所の水を放水し、守ったと伝えられてます。付近は会社関係の小規模ビル群で、妙な立地ですが、
近くの和泉公園には、これを伝える「防火守護地」の碑が残されています。- 旅行時期
- 2015年03月
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投稿日 2015年03月19日
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投稿日 2015年03月19日





























































































