御成道 (千代田区)
名所・史跡
3.31
クチコミ・評判
1~20件(全21件中)
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徳川将軍が通った道
- 3.5
- 旅行時期:2021/10(約4年前)
- 0
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将軍の豪華な行列が通過していた道
- 2.0
- 旅行時期:2021/09(約4年前)
- 0
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看板があります
- 3.0
- 旅行時期:2021/09(約4年前)
- 0
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当時の面影はなく解説板があるのみです。
- 3.0
- 旅行時期:2021/06(約5年前)
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普通の道
- 3.0
- 旅行時期:2020/05(約6年前)
- 0
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御成道(筋違門跡)
- 3.0
- 旅行時期:2019/09(約6年前)
- 0
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解説板があるのみで今は普通の通りになっています
- 3.0
- 旅行時期:2019/06(約7年前)
- 0
地下鉄・淡路町駅から神田川に架かる万世橋方面に向かう折寄り道してみたのが、当時の写真と地図が載っているこの 御成道 (筋... 続きを読む違門跡) の解説板で、旧万世橋駅 (現マーチエキユート神田万世橋) 付近の高架橋沿い歩道の車道側に立ててあります。
その解説板を見ると、
御成道とは、徳川将軍が参詣などで通る道筋のこと。
江戸時代、この場所には江戸城外郭門のひとつ筋違門があり、上野寛永寺の将軍家墓所への参詣と日光東照宮への社参の際に、この門を抜けて上野に向かったこと。
筋違門の名の由来。
などが記されています。
今は、ビルが建ち並び当時のことは分からないが、解説板に載っている写真と地図を見ると当時の様子が窺えます。
ここには解説板があるのみだが、近くを通った折などに一寸眺めては如何でしょう。 閉じる投稿日:2019/07/04
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旧万世橋駅の近くです
- 3.5
- 旅行時期:2019/02(約7年前)
- 0
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昌平橋と万世橋の中間に御成道の解説板があります。中山道との交点の筋違門跡の場所です。
- 3.5
- 旅行時期:2019/02(約7年前)
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昌平橋と万世橋の中間に御成道の解説板があります。中山道との交点の筋違門跡の場所です。
解説板のある場所には、筋違門があり... 続きを読むました。
筋違門は、御成道と中山道の交点で、筋違状に交差していた関係で、筋違門と呼ばれていましたが、現在は、全くその面影はありません。
しかし、安藤広重の浮世絵に、筋違門広場の絵が残されています。
安藤広重の名所江戸百景「筋違内八ッ小路」に描かれている広場は、八ッ小路と言われ、八方向への分かれ路があったためです。
現代風に言えば、ロータリーという感じなのでしょう。
安藤広重の浮世絵にも、ロータリー的な広い広場が描かれています。
現在は、鉄道ができたため、道路も狭くなっているため、当時の広場の感じは全くありません。
筋違門の場所は、須田町に在りとの記述がありますが、現在の住居表示でも、須田町です。
町名は、歴史を語る重要な名称なのかもしれません。
歴史を大事にしなくてはならないと、再認識した次第です。 閉じる投稿日:2019/03/05
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江戸時代の歴史
- 3.0
- 旅行時期:2019/02(約7年前)
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史跡が残っています
- 4.0
- 旅行時期:2018/12(約7年前)
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江戸時代に東京大学赤門近くにあった本郷追分から幸手宿までつながっていた道で、日光街道と共に、将軍が日光詣でする際に使用され... 続きを読むていました。全行程を歩いたことはありませんが、本駒込に建つ天栄寺前には駒込土物店跡の碑が立っていて、幕府公認の市場が開かれていた歴史がわかります。駒込富士と呼ばれ、富士信仰の神社だった富士神社も残っています。北区内には西ヶ原一里塚や桜の名所・飛鳥山公園、江戸中期の道しるべが残る宝憧院などの見どころもあります。さらに埼玉県に入ると川口には、将軍が日光詣での際に昼食をとった錫杖寺も建っています。かつての御成道周辺には数多くの歴史的遺産があり、散策するのに楽しいエリアだと思います。 閉じる
投稿日:2018/12/27
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昔賑わっていたという小路のある御成道
- 2.5
- 旅行時期:2018/08(約7年前)
- 1
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将軍が、日光東照宮におもむく際に通る道を、御成道と言います。万世橋の傍に解説板があります。
- 3.5
- 旅行時期:2018/05(約8年前)
- 0
将軍が、日光東照宮におもむく際に通る道を、御成道と言います。万世橋に傍に解説板があります。
将軍が参拝する際、神田橋門か... 続きを読むら筋違門を経て、上野に向かう道筋が、御成道となっていました。
万世橋から昌平橋に進む際、赤レンガが続く道の途中に、御成門に関する解説板が立てられていました。
解説板には、万世橋周辺において中山道と御成道が、筋違的に交差していたため、御門を筋違門と呼ばれていたと記載されています。
いずれにしても、御成道と中山道が交差していたことは、間違いないようです。
天皇が進む道を、行幸道と称し、銀座にあり、将軍が進む道を御成道と称し、万世橋近傍にあることになり、道の名称の使用区分が興味深いです。
歌舞伎等で、「○○の御なり」と称せられていたことと、同じ語源かと思われます。
天皇や将軍のように高位にある方々の動きに関する言葉使いの差異は、いろいろ歴史や言い伝えがあるものだと、感心しています。
今回の御成道の解説板を見て、さらなる勉強の必要性を感じています。 閉じる投稿日:2018/07/14
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煉瓦の壁が良い雰囲気の道
- 3.5
- 旅行時期:2018/04(約8年前)
- 0
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歩道に立札がある
- 3.0
- 旅行時期:2016/03(約10年前)
- 0
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説明板があります
- 2.5
- 旅行時期:2016/02(約10年前)
- 0
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寛永寺に行くのに通った道
- 3.5
- 旅行時期:2015/03(約11年前)
- 0
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往年の将軍道はいま
- 3.0
- 旅行時期:2015/03(約11年前)
- 0
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将軍の通る道
- 3.0
- 旅行時期:2014/11(約11年前)
- 0
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徳川家御用達の道
- 3.0
- 旅行時期:2014/08(約11年前)
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