1. ホーム
  2. 国内旅行
  3. 関東地方
  4. 東京
  5. 神田・神保町
  6. 神田・神保町 観光
  7. 御成道 (千代田区)
神田・神保町×
旅行ガイド
観光
グルメ
ショッピング
交通
ホテル
旅行記
Q&A

御成道 (千代田区)

名所・史跡

御成道 (千代田区) クチコミ・アクセス・周辺情報

クリップを編集する

ラベルを選ぶ

  • ラベルはまだありません

公開設定

クチコミ・評判

1~20件(全21件中)

  • 徳川将軍が通った道

    • 3.5
    • 旅行時期:2021/10(約4年前)
    • 0

    万世橋の近くにある赤レンガ造りの「マーチエキュート神田万世橋」の前に説明板がありました。セピア色?の写真とカラーの地図がつ...  続きを読むいていて見やすいです。御成道とは、徳川将軍が参詣などで通る道のことです。江戸時代、この場所には江戸城外郭門の一つである筋違門がありました。上野寛永寺への参詣などの際にこの道を通ったそうです。  閉じる

    投稿日:2021/11/10

  • 将軍の豪華な行列が通過していた道

    • 2.0
    • 旅行時期:2021/09(約4年前)
    • 0

    神田近辺を散策していた時に、道路沿いに案内板が立てられていたので立ち寄ってみました。江戸時代にこの辺りを将軍が通った道筋だ...  続きを読むったようです。将軍のお出ましなので、きっと警備も厳しい中、豪華な行列が通過していたのだろうと、想像が膨らみました。
      閉じる

    投稿日:2021/10/09

  • 看板があります

    • 3.0
    • 旅行時期:2021/09(約4年前)
    • 0

    9月に近辺を散策した時に、御成道(筋違門跡)の看板があるのを見つけました。説明文と地図、古い写真からなるものでした。御成道...  続きを読むとは、徳川将軍が上野寛永寺の将軍家墓所、日光東照宮への参拝の時に通る道とのことです。  閉じる

    投稿日:2021/09/10

  • 当時の面影はなく解説板があるのみです。

    • 3.0
    • 旅行時期:2021/06(約5年前)
    • 0

    秋葉原駅電気街口から秋葉原ラジオ会館の先中央通りを神田方面に進むと神田川の先にあるマーチエキュート神田万世橋の直ぐ前に御成...  続きを読む道 (千代田区)案内板がありました。御成道は徳川将軍が参詣などで通る道筋のことで江戸時代この場所には江戸城外郭門のひとつ筋違門があり上野寛永寺の将軍家墓所への参詣と日光東照宮への社参の際にこの門を抜けて上野に向かったことです。当時の面影は全くありませんが解説板に載っている写真と地図を見ると当時の様子が窺えます。歴史ロマンを感じました。   閉じる

    投稿日:2021/06/13

  • 普通の道

    • 3.0
    • 旅行時期:2020/05(約6年前)
    • 0

    徳川将軍が参拝のため通る道で、江戸時代には門があったようですが、今は何処にでもあるような道でした。車道と歩道の間には木が立...  続きを読むち並び良い雰囲気でしたが、何故だか清掃車がやたら止まっていました。説明の看板もありました。  閉じる

    投稿日:2020/06/01

  • 御成道(筋違門跡)

    • 3.0
    • 旅行時期:2019/09(約6年前)
    • 0

    万世橋のたもとにある商業施設(マーチエキュート神田万世橋)の直ぐ近くに案内板がありました。御成道とは、徳川将軍が参詣などで...  続きを読む通る道筋のことを言い、江戸時代、この場所には江戸城外郭門のひとつ筋違門があり、上野寛永寺の将軍家墓所への参詣などの際に、将軍はこの門を抜けて上野に向かったそうです。現在、当時の面影は全くありませんが、この辺りを将軍が通っていたと思うと歴史ロマンを感じる場所でした。  閉じる

    投稿日:2019/10/07

  •  地下鉄・淡路町駅から神田川に架かる万世橋方面に向かう折寄り道してみたのが、当時の写真と地図が載っているこの 御成道 (筋...  続きを読む違門跡) の解説板で、旧万世橋駅 (現マーチエキユート神田万世橋) 付近の高架橋沿い歩道の車道側に立ててあります。
     その解説板を見ると、
     御成道とは、徳川将軍が参詣などで通る道筋のこと。
     江戸時代、この場所には江戸城外郭門のひとつ筋違門があり、上野寛永寺の将軍家墓所への参詣と日光東照宮への社参の際に、この門を抜けて上野に向かったこと。
     筋違門の名の由来。
     などが記されています。
     今は、ビルが建ち並び当時のことは分からないが、解説板に載っている写真と地図を見ると当時の様子が窺えます。
     ここには解説板があるのみだが、近くを通った折などに一寸眺めては如何でしょう。  閉じる

    投稿日:2019/07/04

  • 旧万世橋駅の近くです

    • 3.5
    • 旅行時期:2019/02(約7年前)
    • 0

    秋葉原駅の近く、旧万世橋駅付近の商業施設の近くに、案内板が建てられていました。
    秋葉原でも、こちら、神田川に面している方...  続きを読むには、観光客も少なく、立ち止まって読んでいる人は、他にいませんでした。この案内板の辺りには、筋衛道と御成道の交差点があったそうで、当時は、多くの行き交う人で、賑やかだったのだろうと想像しました。  閉じる

    投稿日:2019/03/29

  • 昌平橋と万世橋の中間に御成道の解説板があります。中山道との交点の筋違門跡の場所です。
    解説板のある場所には、筋違門があり...  続きを読むました。
    筋違門は、御成道と中山道の交点で、筋違状に交差していた関係で、筋違門と呼ばれていましたが、現在は、全くその面影はありません。
    しかし、安藤広重の浮世絵に、筋違門広場の絵が残されています。
    安藤広重の名所江戸百景「筋違内八ッ小路」に描かれている広場は、八ッ小路と言われ、八方向への分かれ路があったためです。
    現代風に言えば、ロータリーという感じなのでしょう。
    安藤広重の浮世絵にも、ロータリー的な広い広場が描かれています。
    現在は、鉄道ができたため、道路も狭くなっているため、当時の広場の感じは全くありません。
    筋違門の場所は、須田町に在りとの記述がありますが、現在の住居表示でも、須田町です。
    町名は、歴史を語る重要な名称なのかもしれません。
    歴史を大事にしなくてはならないと、再認識した次第です。  閉じる

    投稿日:2019/03/05

  • 江戸時代の歴史

    • 3.0
    • 旅行時期:2019/02(約7年前)
    • 0

    万世橋と昌平橋の間、神田川の南に沿って走る通りに「御成道」の案内板があります。
    江戸時代には、徳川将軍が参詣の際にこの道...  続きを読むを通ったという事です。案内板には明治初期に撮影された写真がありましたが、現在の光景とあまりにも違うのが驚きでした。  閉じる

    投稿日:2019/02/23

  • 史跡が残っています

    • 4.0
    • 旅行時期:2018/12(約7年前)
    • 0

    江戸時代に東京大学赤門近くにあった本郷追分から幸手宿までつながっていた道で、日光街道と共に、将軍が日光詣でする際に使用され...  続きを読むていました。全行程を歩いたことはありませんが、本駒込に建つ天栄寺前には駒込土物店跡の碑が立っていて、幕府公認の市場が開かれていた歴史がわかります。駒込富士と呼ばれ、富士信仰の神社だった富士神社も残っています。北区内には西ヶ原一里塚や桜の名所・飛鳥山公園、江戸中期の道しるべが残る宝憧院などの見どころもあります。さらに埼玉県に入ると川口には、将軍が日光詣での際に昼食をとった錫杖寺も建っています。かつての御成道周辺には数多くの歴史的遺産があり、散策するのに楽しいエリアだと思います。  閉じる

    投稿日:2018/12/27

  • 昔賑わっていたという小路のある御成道

    • 2.5
    • 旅行時期:2018/08(約7年前)
    • 1

    八月の暑い日であったが、昌平橋から万世橋に向けて御成道を歩いた。ここは江戸時代、江戸城から上野寛永寺へ向かう道とのことで賑...  続きを読むわっていた場所らしく、案内標識が出ていた。残念ながら、現在では中央線高架沿いの路に風情はあまり感じられなかった。  閉じる

    投稿日:2018/08/19

  • 将軍が、日光東照宮におもむく際に通る道を、御成道と言います。万世橋に傍に解説板があります。
    将軍が参拝する際、神田橋門か...  続きを読むら筋違門を経て、上野に向かう道筋が、御成道となっていました。
    万世橋から昌平橋に進む際、赤レンガが続く道の途中に、御成門に関する解説板が立てられていました。
    解説板には、万世橋周辺において中山道と御成道が、筋違的に交差していたため、御門を筋違門と呼ばれていたと記載されています。
    いずれにしても、御成道と中山道が交差していたことは、間違いないようです。
    天皇が進む道を、行幸道と称し、銀座にあり、将軍が進む道を御成道と称し、万世橋近傍にあることになり、道の名称の使用区分が興味深いです。
    歌舞伎等で、「○○の御なり」と称せられていたことと、同じ語源かと思われます。
    天皇や将軍のように高位にある方々の動きに関する言葉使いの差異は、いろいろ歴史や言い伝えがあるものだと、感心しています。
    今回の御成道の解説板を見て、さらなる勉強の必要性を感じています。   閉じる

    投稿日:2018/07/14

  • 煉瓦の壁が良い雰囲気の道

    • 3.5
    • 旅行時期:2018/04(約8年前)
    • 0

    昌平橋から万世橋の方向へ歩いているときにこちらの道を通りました。JR線の南側の通りでエキュート神田万世橋沿いになります。江...  続きを読む戸時代に徳川家の将軍が江戸城から上野寛永寺へ向かう道として使われていたと案内板にありました。  閉じる

    投稿日:2018/05/10

  • 歩道に立札がある

    • 3.0
    • 旅行時期:2016/03(約10年前)
    • 0

    JR秋葉原の南西、マーチエキュート神田万世橋前南側の道路にこちらの立札がある。立札は新しいが、JRのレンガ側でなく、車道寄...  続きを読むりの歩道に立っている為、わかりにくい。平日夕方、前の歩道は人が行き来していたが、こちらの立札を見ている人はいなかった。御成道は筋違外広小路の東から上野広小路に至るの道で、将軍が上野の寛永寺に墓参のため、江戸城から神田橋を渡り、この道を通ったことからこの名前がついた。江戸時代やこの界隈に関心や知識のある方は訪問するのもいいかもしれない。  閉じる

    投稿日:2016/03/25

  • 説明板があります

    • 2.5
    • 旅行時期:2016/02(約10年前)
    • 0

    レンガ造りが特徴である旧万世橋駅跡を利用しているマーチエキュート神田万世橋の前を秋葉原から御茶ノ水方面に向かうと、途中に説...  続きを読む明板があります。千代田区が書いた説明板の文章は稚拙でとてもわかりにくいですが、将軍が上野の寛永寺に墓参のため、江戸城から神田橋(神田御門)を渡り、この道を通って行ったから御成道という名がついたことだけは分かりました。  閉じる

    投稿日:2016/02/09

  • 寛永寺に行くのに通った道

    • 3.5
    • 旅行時期:2015/03(約11年前)
    • 0

    旧中央線神田~御茶ノ水間にあった万世橋駅跡にできた商業施設mAAch ecute神田万世橋の赤レンガ沿いに説明板だけがあり...  続きを読むます。御成道とは、江戸幕府の将軍が、徳川家の菩提寺である上野の寛永寺に行くのに通った道のことです。  閉じる

    投稿日:2015/04/05

  • 往年の将軍道はいま

    • 3.0
    • 旅行時期:2015/03(約11年前)
    • 0

    江戸時代、徳川家将軍が、江戸城から上野の寛永寺に向かう道でした。この街道は現在の中央通りとほぼ同じですが、中央通りと明神下...  続きを読む通りとの交差点より神田側は、中央通りより御茶ノ水寄りの道であったようです。それでも中央通りに架かる総武線のガードは御成街道架道橋とされています。当時の神田川には、今の昌平橋の50メートルほど下流に筋違橋(すじかいばし)が架かっており、その場所に御成道の碑があります。神田から御茶ノ水に向かう中央線が通る赤レンガの壁脇にひっそりと立っていて、ほとんど気づかないほどの碑です。

      閉じる

    投稿日:2015/03/19

  • 将軍の通る道

    • 3.0
    • 旅行時期:2014/11(約11年前)
    • 0

    秋葉原駅電気街口から、万世橋を渡り、マークエキュート万世橋に沿っていくと、説明板があります。将軍が、上野寛永寺に参詣する際...  続きを読むに、必ず通るため、御成道と呼ばれたそうです。そのため、このあたりは、当時、大変に賑わっていたそうです。
      閉じる

    投稿日:2014/11/19

  • 徳川家御用達の道

    • 3.0
    • 旅行時期:2014/08(約11年前)
    • 0

    江戸時代に徳川家将軍が出かけるには、いつも決まった道があり、御成道と言われていたようです。
    その中で上野の寛永寺に向かう江...  続きを読む戸城から北東に延びる道がこの秋葉原の隅の御成道のようです…面影は全くありませんが…  閉じる

    投稿日:2014/08/05

1件目~20件目を表示(全21件中)

  1. 1
  2. 2
クチコミを投稿する

投稿写真

写真をもっと見る(50枚)

基本情報(地図・住所)

施設名
御成道 (千代田区)
住所
  • 東京都千代田区神田須田町1-25 
カテゴリ
  1. 観光・遊ぶ
  2. 名所・史跡
登録者
tyatya さん

※施設情報については、時間の経過による変化などにより、必ずしも正確でない情報が当サイトに掲載されている可能性があります。

このスポットに関するQ&A(0件)

御成道 (千代田区)について質問してみよう!

神田・神保町に行ったことがあるトラベラーのみなさんに、いっせいに質問できます。

  • とらきのこ2さん

    とらきのこ2さん

  • densukeさん

    densukeさん

  • BENさん

    BENさん

  • chokotanさん

    chokotanさん

  • teraさん

    teraさん

  • KTさん

    KTさん

  • …他

このスポットで旅の計画を作ってみませんか?

行きたいスポットを追加して、しおりのように自分だけの「旅の計画」が作れます。
クリップ したスポットから、まとめて登録も!

周辺スポット

周辺のおすすめホテル

価格.com旅行・トラベルホテル・旅館を比較

神田・神保町 ホテルランキングを見る

東京 ホテルランキングを見る

PAGE TOP