往年の将軍道はいま
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- 旅行時期:2015/03(約11年前)
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by 楽翁さん(男性)
神田・神保町 クチコミ:22件
江戸時代、徳川家将軍が、江戸城から上野の寛永寺に向かう道でした。この街道は現在の中央通りとほぼ同じですが、中央通りと明神下通りとの交差点より神田側は、中央通りより御茶ノ水寄りの道であったようです。それでも中央通りに架かる総武線のガードは御成街道架道橋とされています。当時の神田川には、今の昌平橋の50メートルほど下流に筋違橋(すじかいばし)が架かっており、その場所に御成道の碑があります。神田から御茶ノ水に向かう中央線が通る赤レンガの壁脇にひっそりと立っていて、ほとんど気づかないほどの碑です。
- 施設の満足度
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3.0
クチコミ投稿日:2015/03/19
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