かつどんさんのクチコミ全202件
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投稿日 2018年09月29日
総合評価:5.0
“音楽の都”ウィーンのランドマーク。9月から翌年6月まで質の高いオペラ、バレエが鑑賞できる。
チケットは事前にクルトゥラル www.cultural.comでネット購入、クレジット決済が便利。サイトは日本語も対応しています。チケットはプリントアウトできるのでそれを持って当日直接劇場へ。
演目、出演者、座席によって料金は千差万別だが、日本の引越公演が良い席で5万円弱することを考えれば、1万円台でまあまあの席で鑑賞できるのは安いもの。個人的にお勧めは3階正面ゾーンにあたるバルコン・ミッテの最前列。オーケストラ・ピットもよく見えます。
座席には1席ずつ専用小型モニターが配備され、日本語対訳も表示される他、作品、出演者情報も確認できます。- 旅行時期
- 2018年09月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- 観光の所要時間
- 半日
- アクセス:
- 5.0
- コストパフォーマンス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 施設の快適度:
- 4.0
-
投稿日 2018年09月30日
総合評価:5.0
ハンガリー出身の大貴族、エスターハージ―家の本拠地。この家の宮廷楽長だった作曲家ハイドンの聖地でもあります。館内のハイドン展でハイドンとエスターハージ―家の関係を知り、ハイドン作品のレコーディングも行われたコンサート・ホール(ハイドン・ザール)を見学し、侯爵夫人の部屋も見学。ここには日本人スタッフもいて、事前にWEBで問い合わせをしたり、日本語ガイドのコーディネイトをしてくれたりもするので、至れり尽くせりです。
- 旅行時期
- 2018年09月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 4.5
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 展示内容:
- 5.0
-
投稿日 2018年10月14日
総合評価:4.5
ショプロン 駅を出て北へ歩くこと7、8分でセーチェニ広場に到着。ここがショプロン 旧市街の南の入口。ここから山羊教会の尖塔を 目指して歩いて行きましょう。
旧市街はラグビーボール型。その北側に中央広場があってその周りに旧市街の主な観光ポイントはありますが、そこへ至るまでの通りの感じも鄙びていて風情があるので、ゆっくり中央広場を目指しましょう。- 旅行時期
- 2018年09月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- 観光の所要時間
- 半日
- アクセス:
- 4.0
- 景観:
- 4.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
-
投稿日 2018年10月14日
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投稿日 2018年10月14日
総合評価:3.0
ショプロン 駅を出て徒歩8分程度にある開けた広場。
名前の由来にもなっているセーチェニ・イシュトヴァーンの立像が中央に堂々とした姿を見せる。
セーチェニは19世紀に活躍した貴族で、ブダペストの鎖橋(セーチェニ橋)も彼の名が由来である。
この公園を背に北に伸びている道を進めば旧市街中心部へ行くことができる。- 旅行時期
- 2018年09月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 4.0
- 景観:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.5
-
投稿日 2018年10月14日
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投稿日 2018年10月02日
総合評価:4.5
1911年5月18日に50歳で亡くなったマーラーのお墓がここにある。
場所は6グループ7列1/2番。
グリツィングのバス停から東へ7,8分、少し坂を上ったところにある。地図で見るより実際に歩いてみると少し遠い感じ。
墓地入口の掲示板に全体の見取り図があり、また著名な方の墓の場所については場所がわかるよなリストが掲出されている。
マーラーは生前、自分の墓について「私の墓を訪ねてくる人は私が誰かを知っているし、そうでない人々にはそれを知ってもらう必要はない」と言い残し、墓石には名前のみが刻マーラーの妻であったアルマのお墓は、マーラーのお墓の裏手、6グループ6列7番にある。
アルマはマーラーが亡くなった4年後の1915年に、バウハウス様式で有名な建築家、ワルター・グロピウスと再婚したが、1918年には離婚し、翌年に3回目の結婚をする。
そして1964年12月11日、ニューヨークで85歳の長寿を全うした。
2人目の夫であったグロピウスはアルマと共に眠り、三角形の墓標がアルマのお墓の元に置かれている。
マーラーの妹であるユスティーネと、その夫で1881年~1938年の57年間という長きに渡り、ウィーン宮廷歌劇場(現在の国立歌劇場)とウィーン・フィルハーモニーの第一コンサートマスターに君臨した名ヴァイオリニスト、アルノルト・ロゼ、その夫妻の娘アルマもグリンツィング墓地に眠る。- 旅行時期
- 2018年09月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 展示内容:
- 5.0
-
投稿日 2018年10月12日
総合評価:4.0
オーストリアから帰国して成田エクスプレスで東京駅に出たあと、周辺でよさげなピッツェリアがないかと思い探した丸の内南口KITTEにあるピッツァメインのイタリアン。食材の良さを生かした調理に好感が持てる。この立地でこの価格、この味なら充分合格点。ランチはセットメニュー3種類のみだが、ランチ営業が他の店より長いので助かる。
- 旅行時期
- 2018年09月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- 一人当たり予算
- 2,000円未満
- 利用形態
- ランチ
- アクセス:
- 5.0
- コストパフォーマンス:
- 3.5
- サービス:
- 3.0
- 雰囲気:
- 4.0
- 料理・味:
- 4.0
-
投稿日 2018年10月12日
総合評価:4.0
コンサートに足を運ばずとも、楽友協会内部はガイドツアーで見学できる。チケットは事前に楽友協会のWEBで予約、クレジット決済もできる。当日、会館の北側(裏側)にあるチケット・センターで予約確認メールを見せ、チケットと交換。料金は大人一人8.50ユーロ。
チケットは「黄金のホール」と呼ばれるに相応しいリッチ感。
私が参加したのは13:00からの英語ツアー。ツアー時間は50分程度とのこと。
見学するのは順に、小ホール(ブラームス・ザール)→大ホール→2004年、地下に完成したグラス・ホール/マグナ・オーディトリウム。
いずれも会場の客席に座るよう促され、説明を受けるスタイル。落ち着いて話が聞けるのは良いが、勝手に歩き回れる雰囲気ではないので、例えば大ホール特有の柱の彫刻などを間近に見たり、ステージ側からホール全体を見渡したり、その逆で客席最後方からホール全体を眺めることができない。少しフラストレーションが溜まるのは事実。
大ホールでの説明でガイドさんは、このホールの音響の良さとその訳、そしてここで行われるおなじみニューイヤー・コンサートの座席を確保することがいかに大変であるかを、熱弁していた。
チケットにもしっかりと記されており、ガイドさんからもツアー開始時に強くアナウンスされたが、館内はホールに限らず一切写真撮影禁止である。
ガイドツアーに参加して思うのは、良くも悪くも楽友協会(建物の意味)やスタッフに、プライドが漲っていること。写真撮影の件にしても「フラッシュなしでOKにすればよいのでは?」と思わないでもない。しかし、それはここに関わる人には許されることではないのかもしれない。「コンサートを聴きに来ずに、ここに来た気になりなさんな。貴方たちに許されるのは、じっとここに座って話を聞くことだけなのよ。」ということではないかと思う。
もし、そういう考え方、気概であったとしても私はそれを悪くは受け止めない。むしろ、世界中にひとつくらい、そんな音楽施設があっても良いのではないか・・・と。文化というのはそういう一面を持っているものだ。- 旅行時期
- 2018年09月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 4.5
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投稿日 2018年10月12日
総合評価:5.0
「ザッヒャー」「デメル」「モーツァルト」・・・。ウィーンを代表するカフェだが、観光客に人気が故に行列ができる店。「そんなツーリスティックな店はどうも・・・」という方に是非お勧めしたいカフェ。静かでほの暗い店内、観光客よりも地元の方々憩いの場・・・。さらにチョコレートケーキ、ここの一押しアプフェルシュトゥルーデルがとにかく美味。
- 旅行時期
- 2018年09月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- 一人当たり予算
- 1,000円未満
- 利用形態
- その他
- アクセス:
- 5.0
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- サービス:
- 5.0
- 雰囲気:
- 5.0
- 料理・味:
- 5.0
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投稿日 2018年10月12日
総合評価:4.5
ベートーヴェンはこのアパートの最上階4階(日本式で言うと5階)に1804年から15年の間、断続的に暮していた。いわゆる「ベートーヴェン 傑作の森」の時代に丁度重なる。
現在はベートーヴェン博物館として内部が公開されて、ゆかりの品々が展示されている。
ハイリゲンシュタットの博物館より、ここに展示されているものの方が興味深いものが多いように思う。ショッテントーア駅からすぐなので、見学も便利。- 旅行時期
- 2018年09月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- コストパフォーマンス:
- 4.5
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 展示内容:
- 4.5
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投稿日 2017年07月09日
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投稿日 2018年10月02日
総合評価:3.5
大聖堂の前にすぐそばのドームガッセ5番地にある。
ここは1784年から1787年、絶頂期のモーツァルトが住んでいた住居で、今は博物館になっている。入場料はオーディオガイド(日本語も)付き大人一人11.00ユーロ。館内は写真撮影禁止。
モーツァルトがウィーンで住んでいた家で現存するのはこの家のみ。
モーツァルト一家はこの建物の1階と2階(日本式で言えば2階と3階)に住んでいた。
歌劇「フィガロの結婚」はここで作曲された。
かの映画「アマデウス」では、「フィガロの結婚」がモーツァルトの生涯のピークの作品として捉えられている。
この映画の印象的なシーンとして、父レオポルトと妻コンスタンツェが些細なことで揉めて口喧嘩をしているのを横目に、モーツァルトが作曲部屋に入り、ビリヤード台で球を転がしながら、「フィガロ」を作曲している場面がある。何でもないシーンだが、モーツァルトが自分の音楽に生きていたことを感じさせ、じわじわ感動を呼ぶ。
正にここがその場所だ。- 旅行時期
- 2018年09月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 4.0
- コストパフォーマンス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 展示内容:
- 3.0
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投稿日 2018年10月09日
総合評価:5.0
ここには19世紀に活躍したウィーンゆかりの作曲家の像が3体ある。
まず金色のヨハンシュトラウス像、続いてフランツ・シューベルト像、そして最後にアントン・ブルックナー像。これは人気順ですね。
ブルックナーは他の2つに比較して目立たない場所にあって、気を付けていないと通り過ぎて行ってしまう可能性大。ここで立ち止まる人も少ない。ブルックナーに評価、人気がわかるというものだが、これがブルックナーには似つかわしいとも思ってしまう。- 旅行時期
- 2018年09月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 4.5
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 展示内容:
- 5.0
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投稿日 2018年10月09日
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投稿日 2018年10月09日
総合評価:3.0
市立公園には19世紀に活躍したウィーンゆかりの作曲家の像が3体ある。
その中で一番有名なのはこのヨハン・シュトラウス像でしょう。ウィンナー・ワルツのレコード・ジャケットにもたびたび登場します。
シュトラウス像はその姿、立像の黄金色、大きさ、周りの装飾、設置場所、観光客の集まり具合からしてもこの公園の中心的存在だろう。観光客もこの像の前に群がり、ツーショット写真を撮っていきます。- 旅行時期
- 2018年09月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- 展示内容:
- 3.0
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投稿日 2018年10月09日
総合評価:5.0
1790年、エスターハ―ジー家のアントン候が宮廷楽団を解散させ、名ばかりの楽長で年金暮らしとなったハイドンは、逆に自由のみとなりロンドン、ウィーンで活躍する機会を得た。
1793年、ハイドンはこのお屋敷(と言うにふさわしい立派な建物)を購入し、当初平屋だったものを2階建てに改築し、1809年5月31日に亡くなるまでの12年間ここに住み、晩年の二大傑作オラトリオ「天地創造」「四季」、弦楽四重奏曲集 作品76「エルデーディ四重奏曲」の6曲などを作曲した。
館内は広く、展示品n数多い。肖像、楽譜をはじめ、ハイドンが使っていた鉛筆まである。面白かったのは「ハイドンの一日の生活」を記した説明パネル。ハイドンの規則正しい生活ぶり、人柄が偲ばれる。
一角にはハイドンを敬愛したブラームスの展示コーナーもある。- 旅行時期
- 2018年09月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 4.5
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 展示内容:
- 5.0
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投稿日 2018年10月09日
総合評価:5.0
地下鉄u4のケッテンブリュッケンガッセ駅下車、南東へ3区画ほど歩いた所にあるアパートの3階がシューベルト終の棲家。
1828年月19日、フランツ・シューベルトは、兄フェルディナンドの住まいであるこのアパートの3階で31歳という短い生涯を閉じた。
他のウィーンゆかりの作曲家の住まいと比較するとここは明らかに質素である。ブルックナーやマーラーもアパート住まいだったが、アパートはアパートでも「高級」アパートである。ここは「下宿」のような趣きさえある。
内部には楽譜、手紙、ピアノのなどシューベルトゆかりの品が展示されている。
シューベルトは貧しかったし、生前彼の作品は公の場で演奏される機会は少なく、家族や友達という仲間とのこじんまりとしたサークルや、学生オーケストラで演奏されることがほとんどだった。よって、彼はウィーンの音楽界で知られておらず、作品も評価されていなかったのでは?という識者もいる。
事の真偽は定かではないが、このアパートにいると、なんだか少しだけ淋しい気持ちになった。- 旅行時期
- 2018年09月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 4.0
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- 展示内容:
- 4.0
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投稿日 2018年10月09日
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投稿日 2018年10月09日
総合評価:4.0
上宮ミュージアムについてはたくさんの口コミがあるので、別の情報を。
上宮南側を背にして、左脇にある宮殿の管理人住居だった建物。
この住居こそ、作曲家アントン・ブルックナーの終の棲家となったところである。
70歳を超えたブルックナーにとって、ヘスガッセ7番地の高級アパートの最上階は昇り降りするだけでも大変で、稀に外出する時は籠椅子で運び出されるほどだったという。ブルックナーに近しい人々は、新しい住まい探しに奔走したという。
結果、ブルックナーの請願はいろいろな人の手を介し、最終的にはフランツ・ヨーゼフ帝の下に届き、皇帝はブルックナーの願いを聞き入れ、ベルヴェデーレ宮殿上宮の管理人用住居を1895年の夏の間無償で提供し、のちにこれは無期限となった。
1895年7月4日、ブルックナーはここへ引っ越した。
ブルックナーは結果未完となった交響曲第9番の作曲をここで続けたが、引っ越しから約1年3か月後の96年10月11日午後3時半ごろ、お茶を飲もうとしてカップを受け取ろうとしたブルックナーの両手はだらりと下がり、息絶えたという。享年73歳だった。
独身老人の一人暮らしにしては立派な建物で、皇帝から無償で与えられたというのだから、最晩年のブルックナーは世間に認められた大作曲家になっていたということだろう。
ここは上宮の外なので入場料を払うことなく見学できる(外部のみ)。
クラシック音楽が好きな方なら絵画鑑賞のついでに訪れてみてはどうだろう。- 旅行時期
- 2018年09月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- 観光の所要時間
- 半日
- アクセス:
- 5.0
- コストパフォーマンス:
- 4.5
- 人混みの少なさ:
- 1.5
- 展示内容:
- 5.0