エスターハージー宮殿 Schloss Esterhazy
城・宮殿
3.31
施設情報
クチコミ(6件)
1~6件(全6件中)
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ハイドンザールあり
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- 旅行時期:2018/10(約7年前)
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ハイドン好きは必ず訪れましょう
- 5.0
- 旅行時期:2018/09(約7年前)
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エスターハージー宮殿
- 4.0
- 旅行時期:2014/08(約11年前)
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音楽とワインがメイン
- 4.0
- 旅行時期:2010/09(約15年前)
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ハイドンゆかりのアイゼンシュタットには美しいエステルハージ宮殿がある。
- 5.0
- 旅行時期:2004/04(約22年前)
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≪南ドイツとオーストリア周遊≫
*ドイツ・バイエルン国王 ルードヴィヒ2世 と
オーストリア皇妃 エリザベート・・... 続きを読む・・愛称 “シシィ”を 巡る旅*
( 2004年4月21日-5月4日)
2004年4月25日(日)晴、夕方より曇り、242km
朝食8:00、グラーツ9:15スタート、ATB A2-(Wr.Neustadt) S4-Eisenstadt 11:00 = 160km 、アイゼンシュタット観光:Schloss Esterhazyエステルハージ宮殿12:00-12:50、ハイドン博物館、昼食“Café Esterhazy“13:30-14:30、A3/A2―Wien15:30 = 50km、シェーンブルン宮殿見学:Imperial Tour・庭園 16:00-17:30、古城ホテルHotel Schloss Wilhelminenbergヴィルヘルミネンベルク(4星・2泊)18:00、
*ハイドンゆかりのハンガリー風な町であるEisenstadtアイゼンシュタットはブルゲンラント州の州都です。といっても人口は13千人というもので、わが故郷青梅市よりもずっと少ない(人口比で十分の一)町です。
オーストリア東部からハンガリーに広がるPannoniaパンノニア地方の平野の中に、この魅力的な町はあります。周辺にはブドウ畑が広がり、温暖な気候にも恵まれて、良質なワインが生産されるとの事です。
あの Wolfgangseeヴォルフガングゼーにあるホテル白馬亭で飲んだ赤ワインも州は違いますが、大雑把には地域的にここに近いものと言えましょう。
町には予定時刻に着きましたが、道を間違い、更に悪いことに市民マラソンの眞最中です。一方通行道路を待たされて、何とか宮殿の地下駐車場に車を入れる事になりました。
【ハイドンゆかりのアイゼンシュタットには美しいエステルハージ宮殿がある。】
エステルハージ宮殿は1672年にバロック方式で建てられたエステルハージ侯爵の城です。富を背景とした侯爵家のコレクションは見事なものでした。
又、宮廷文化の担い手として、ハイドンはここの宮廷の楽長を務め、ハイドン廟、ハイドン博物館、ハイドン音楽祭と、今、この町はハイドン抜きでは語れません。
宮殿内のハイドン広間では地元中学生のオーケストラが熱心に練習をやっていました。
しばしの音楽鑑賞です。
<エステルハージ家の歴史>
Haus Esterházyエステルハージ家 は、中世から続くハンガリーの貴族である。いくつもの分家がある。
17世紀からハプスブルク帝国、オーストリア・ハンガリー帝国末まで、ハンガリー王国最大の大地主であり、事業家であった
元はハンガリー王国の北にあるガランタ(現在のスロヴァキア南西部にある一都市)にあるジェントリであった。一族は、エステルハージ・ニコラウス伯爵(1583–1645)と息子のエステルハージ・パール(1635–1713)侯爵の代で台頭する。
ハンガリーでは姓名の順で名を表す慣習があるため、それに倣った。
1626年にニコラウスは伯爵の地位を授けられ、1712年にエステルハージ本家は侯爵の地位を与えられた。エステルハージ家の成功は、着実な土地の蓄積と、カトリック教会とハプスブルク家への忠誠に起因する。
<ハイドンの事>
Franz Joseph Haydnフランツ・ヨーゼフ・ハイドン( 1732年~1809年)は交響曲の父と呼ばれる。ハイドンはエステルハージ家に楽長として仕えた。
現在のオーストリア出身の音楽家であり、古典派を代表する作曲家で、数多くの交響曲、弦楽四重奏曲を作曲し、交響曲の父、弦楽四重奏曲の父と呼ばれている。
特筆すべきは弦楽四重奏曲第77番(第62番)の第2楽章にも用いられた皇帝讃歌『神よ、皇帝フランツを守り給え』の旋律は、現在ドイツ国歌に用いられている。
<エステルハージートルテの事>
Eszterházy Torteエステルハージートルテはハンガリーのケーキの一種。
オーストリア帝国の外交官であったPaul Anton、Fürst Esterházy de Galantha パウル・アントン・エステルハージ・ガランタに因んで名付けられた。
19世紀後半にブダペストの菓子職人によって考案され、すぐにオーストリア・ハンガリー帝国で最も有名なケーキの一つとなった。
見物後、宮殿前の“Café Esterhazyカフェ・エステルハージで昼食(EURO 42・・・13:30~14:30)し、その後は一気にウィーンに向かった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 閉じる投稿日:2024/08/22
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ハイドンが楽長を務めたエスターハージー家の居城
- 4.0
- 旅行時期:2003/06(約23年前)
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エスターハージィー宮殿は、オーストリアの東、ハナガリーと国境を接するブルゲンランド州の最も重要な文化遺産です。
私たちは... 続きを読む、ウイーンからハイヤーを雇って、日帰りでこの宮殿と近所の観光スポットを訪れました。
この宮殿は、バロック様式とオーストリア・ビーダーマイヤー様式が混在して華やかな雰囲気を見せています。内部には、フレスコ画の天井をもつハイドンホールがありますが、音響の優れたコンサートホールとして、毎年ハイドン音楽祭が開かれているようです。
尚、宮殿の周囲はブドウ畑となっており、お土産店のワイナリーで上質なワインをテイスティングすることもできます。
閉じる投稿日:2016/07/20
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