jmleedoさんのクチコミ(2ページ)全69件
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投稿日 2018年03月09日
総合評価:3.5
訪問した日は引退相撲が行われていたため、付属する相撲博物館や売店に入るには相撲の観戦チケットが必要であり、残念ながら内部に入ることは叶いませんでした。相撲博物館は化粧回し、錦絵、番付など大相撲に関する資料が展示されており、国技館ならではの資料館と言えます。また、売店は複数あり、贔屓力士の名前や手形が入ったタオルや団扇などのグッズが手に入ります。
当日は、夕方のイベント終了後に大勢の観戦客が通りで出待ちをしていました。ファンの方に混じって待ってみましたが、力士は誰も来ませんでした。相撲に限らずファンの熱気や愛情の強さには驚かされます(自分が一つのものに熱を上げるタイプではないので特に・・・)。
また、国技館のメインイベントは1月、5月、9月に行われる相撲の東京場所ですが、芸能人のライブ、音楽コンサート、プロレスなどの会場としても、多くの人々を集めています。- 旅行時期
- 2018年02月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 2.5
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- バリアフリー:
- 2.5
- 見ごたえ:
- 4.0
-
投稿日 2018年03月07日
総合評価:3.0
1993年に創立され、江戸から第2次大戦後の東京の歴史や文化を体験して楽しめる博物館です。コンセプトは「失われつつある江戸東京の歴史遺産を守るとともに、東京の歴史と文化を振り返る」とのことです(至って普通ですが・・・)。
2017年10月から改修工事のため長期休館しており、常設展示室は18年4月から、特別展示室などはそれ以降に再開される予定のようです。このため、訪問した日は独特な外観の建物を見学しただけですが、この建物は菊竹清訓氏が設計し、来館者に江戸城天守の高さを感じてもらうため、高さ(62メートル)を同じにしたそうです。屋根のような勾配があるのも、城の造りを意識しているのかなと思いました。隣接する両国国技館と並び、両国のランドマークになっています。
館内は、隅田川に架かる日本橋の原寸模型(長さは半分)など模型のレベルが高いことで有名で、江戸、東京の庶民の住まいなど暮らしぶりも再現されており、再開されたら丸一日を使ってじっくり見学したいと思います。- 旅行時期
- 2018年02月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 2.0
- コストパフォーマンス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 展示内容:
- 3.5
- バリアフリー:
- 2.5
-
投稿日 2018年02月28日
総合評価:3.5
相撲の開祖野見宿禰を祀る神社です。訪問時には通りに面した北側、東側の鳥居の前に柵が設けられ、境内に入れないようになっていました。
民家をすぐ裏手に1953年に日本相撲協会が建立した「歴代横綱碑」が2基立ち、1基は初代明石志賀之助から46代朝潮太郎、もう1基は47代柏戸剛以降の横綱の名が刻まれています。
64代曙太郎(横綱昇進1993年)が初めての米国(ハワイ州)出身の横綱、68代朝青龍明徳(同2003年)が初めてのモンゴル出身の横綱ですが、2016年には外国人力士の割合は3割強に達しており、国籍も多様化しています。いつか新たな国の力士の名がこの石碑に刻まれることになるのでしょう。もちろん日本人力士の活躍も大いに期待しています。
非常に小さな神社ですが、横綱が新たに誕生した際には神前土俵入りの儀式が執り行われ、横綱の巨体を取り巻く大勢の関係者らで活気に溢れるそうです。- 旅行時期
- 2018年02月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 1.5
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- バリアフリー:
- 2.5
- 見ごたえ:
- 4.0
-
投稿日 2018年02月25日
総合評価:3.0
小ぢんまりした境内には、伝説の大泥棒と言われた日本左衛門(1719~47)の「首洗いの井戸」が残されています。日本左衛門の本名は浜嶋省兵衛といい、最期は江戸市中引廻しの上獄門となりました。歌舞伎「青砥稿花紅彩画」には、義賊「日本駄右衛門」として登場します。
元々この地は本所築地奉行で道路や河川下水の整備に尽力した徳山五兵衛重政が屋敷を賜った場所であり、屋敷で祀られて来た稲荷社に重政の死後重政自身の霊を合祀して「徳之山稲荷」としました。さらに重政の孫徳山五兵衛秀栄が日本左衛門の召捕方を命じられ、見事功績を上げました。これがこの神社と日本左衛門に繋がりが生じる理由です。
1965年に「徳之山講、町内有志」が建てた「日本左衛門首洗い井戸跡之碑」が立っています。
毎年5月頃に「徳之山まつり」が開催され賑わいを見せますが、訪問当日は人一人おらず、表通りから入った住宅地にあるため静寂が漂っていました。- 旅行時期
- 2018年02月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 1.5
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- バリアフリー:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 3.5
-
投稿日 2018年02月25日
総合評価:4.0
東京都復興記念館は、1923年9月1日に発生した関東大震災、45年3月10日に発生した東京大空襲の惨禍を後世に伝えるとともに、震災からの復興事業について学ぶことが出来る資料館です。
清澄通りから見ることの出来る外観はテラコッタタイルの落ち着いた色彩が特徴的で、正面の付柱上には妖怪のような彫刻がこちらを睨み付けており、作家の独特な美学が貫かれています。
内部に展示されている写真や展示物は、震災と戦災の両方を取り扱っている割にはそれ程大量ではなく、あまり時間を掛けずに見廻ることが出来ます。
また、前庭など屋外にも火災の熱で溶解した車両やビルの鉄柱などが展示され、生々しい被害が分かります。
東京に住む我々は、懸念される首都直下型地震により大きな被害が起こる可能性と隣り合わせにいます。震源が離れていた2011年の東日本大震災でも東京の交通・電力網は麻痺しました。今後予測される地震の際に少しでも被害が少なくなるよう、行政機関が実例を踏まえて災害予防計画を充実させて行くことや、我々一人一人のしっかりした備えが必要だと感じました。- 旅行時期
- 2018年02月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 2.0
- コストパフォーマンス:
- 4.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 展示内容:
- 4.5
- バリアフリー:
- 2.5
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投稿日 2018年02月23日
総合評価:4.0
1930年震災記念堂の名で完成しましたが、51年太平洋戦争末期の東京大空襲の犠牲者も合わせて弔うこととなり、東京都慰霊堂と改称されました。建坪は約377坪(約1246㎡)です。
裏手は高さ約41メートルの三重塔で、基部が関東大震災死者約5万8000人分の骨壺を納める納骨堂となっています。5万8000人というのは東京市内で火葬された死者数だそうですが、横網町公園のあるこの地だけで4万人を超える人が亡くなったことを想うと、被害がいかに集中したかが分かります。
死者は露天で荼毘に付され、遺骨が山のように積み上がったそうです。堂内には、震災の悲惨な場面を描いた絵画が多く掲げられ、当時の様子に対する想像を助けてくれます。
また、反対側の壁には東京大空襲後の市内の写真が飾られており、震災・戦災とこれだけの悲惨な出来事が僅か20年の間に相次いだことに悲しみを感じます。一方で、震災は天災(そうとは言い切れない部分もありますが)、戦災は人災であり、歴史を学ぶ場合にいくらか区別して捉える必要があるとも感じました。- 旅行時期
- 2018年02月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 2.0
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- バリアフリー:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2018年02月22日
総合評価:3.0
この地には1919年まで陸軍被服廠が存在していました。そして、関東大震災が発生した23年9月1日の時点では、東京市が公園の造成を進めている最中でした。
市内の混乱を逃れて来た4万人もの人々が集まり、皆がここは大丈夫だと安心していた矢先に、三方から三度にわたり猛烈な火災旋風が襲いました。震災予防調査会報告「大地震による東京火災報告」には、旋風が襲って来た「第三回の時には寂として音無き有様であった。多分第一回で殆ど全ての人が生命を失ったのであろう」と書かれています。阿鼻叫喚すら起こらない地獄の光景であったと思います。
このような凄惨な出来事が発生した地にメモリアルパークとして造られたのが横網町公園であり、関連する資料館やモニュメントが建ち並んでいます。
ただ、園内には遊具や日本庭園も整備されており、楽しそうに遊ぶ子供たちや散歩する人々の姿が見られます。庭園の池には鯉も泳いでおり、のんびり散策することが出来ます。20世紀前半の苦難を想うと、これからも今の平和が続いて行くことを心から祈る気持ちになります。- 旅行時期
- 2018年02月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 2.0
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- バリアフリー:
- 4.5
- 見ごたえ:
- 3.5
-
投稿日 2018年02月21日
総合評価:3.5
明治から大正時代にかけてこの庭園は、安田財閥の創設者で東京帝国大学に安田講堂を寄附したことで知られる(実際には本人の遺志を長男が実行した)安田善次郎(1838~1921)によって所有されていました。安田は匿名で学校や病院を寄附するなど、陰徳の士であったことで有名です。
また、かつては庭園に隣接して1926年に安田財閥が寄附した「両国公会堂」の赤壁のモダンな建物が佇んでいましたが、老朽化に伴って2015年に解体され、渋谷区にあった刀剣博物館が跡地にオープンしました。公会堂の丸屋根は庭園のシンボルで、改修した上での継続利用が模索されていたようですが叶わず、解体が惜しまれます。
なお、池の水は元々は隅田川の水を引き入れることで干満による風景の変化が楽しめるようになっており、西門を入ってすぐの所に水門の遺構が残っています。現在は水の引き入れは行っておらず、地下の貯水槽からポンプで水量を調節し、干満を再現しているとのことです。- 旅行時期
- 2018年02月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 2.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 4.5
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2018年02月20日
総合評価:3.0
法恩寺は、江戸に所在する日蓮宗の十か寺を巡ると日蓮の御利益に与れるとされ、江戸時代に庶民の間に隆盛した江戸十大祖師の一つに数えられる大寺で、墨田区太平にあります。
火付盗賊改方の長官長谷川平蔵を主人公とする池波正太郎の「鬼平犯科帳」を構成する一話「尻毛の長右衛門」(題名が凄いですが・・・)に登場し、「法恩寺の大屋根」、「塔中が押しならび」などと当時の繁栄が記述されています。
蔵前橋通りから100メートル程の距離がある参道に沿って法泉院、陽運院、千栄院、善行院の4つの塔中が残っていますが、江戸時代には20か寺を擁していたとのことです。正に「押しならぶ」光景だったのでしょう。
訪問時は本堂改修中であったため全体の姿を眺めることは出来ませんでしたが、境内は気持ちよく整えられていて、さすが歴史ある寺だと感じました。
鐘楼は白壁の三重塔で、1932年に建造されたものです。境内で一際存在感を放っていました。- 旅行時期
- 2018年02月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 1.5
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- バリアフリー:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2018年02月18日
総合評価:2.0
江戸時代初期に何度か移転を繰り返した寺で、1601年の神田駿河台での創建以後、35年湯島、57年明暦の大火の影響で浅草、89年現在地と移っています。明暦の大火は江戸城天守閣が焼失する(その後再建せず)程で「江戸の三大火」と呼ばれていますが、本郷丸山(現文京区西片)にある本妙寺が出火元とされ(諸説あるようですが)、霊山寺のあった湯島も延焼により大きな被害を受けました。
また、明譽遊安廓榮和尚の時代の1686年には、1寺欠けていた「関東十八檀林」の一つに霊山寺が選ばれました。「十八檀林」は江戸時代に浄土宗の僧侶の養成を行うことを幕府によって指定された寺院で、大きな影響力を持っていたことが分かります。
境内では地元の方と思わしき方々がのんびりお話しておられました。正面から見ると、寺院の背後にスカイツリーが天空に向かって大きく突き立っているのが見え、迫力を感じました。- 旅行時期
- 2018年02月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 1.0
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- バリアフリー:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 2.5
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投稿日 2018年02月17日
総合評価:2.5
本法寺は日蓮宗に属する寺院で、1595年に日慶上人が神田に創建し1689年に現在地に移転しました。かつては脇寺として6つの寺を持っていたようですが、現在は全て廃絶しています。
墓地には、狩野派の二代目として当時の日本画界を制覇した狩野元信(1477?~1559)の高さ1メートル程の墓碑があり、正面に「善巧院殿元信法眼日到大居士」と戒名が刻まれています。1955年に子孫の狩野文氏が再建されたものとのことです。昨年末に六本木のサントリー美術館で開催された「天下を治めた絵師狩野元信展」を参観して間もなくであったので、父から教えられた漢画の画風に大和絵の手法を取り入れ、狩野派発展の基礎を作った元信の功績の大きさを感じながらお参りしました。
その近く、墓地の中心となる通路の突き当りにはより目立つ形で観音像が立っており、安らぎに満ちたお顔を湛えています。
本堂はコンクリート造りですが、軒下を飾る組物の部分が特徴的でこだわりを感じました。- 旅行時期
- 2018年02月
- アクセス:
- 1.0
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- バリアフリー:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2018年02月17日
総合評価:2.5
1615年浅草森田町に創建され、1667年に押上村に移転した歴史ある寺で、2001年に現在地である業平2丁目の近代的なビルに拠点を移しました。
ホームページを見てみると、ビル内部には、自動納骨堂「えにしの苑」、様々な形態の葬儀に対応した葬儀場など設備が完備されているようで、当日も遺族と思わしき家族連れの方々が出入りしていました。同じ日に訪問した亀戸の普門院とは同じ寺院なのに雰囲気などが真逆で、非常に面白く感じました。
春慶寺の文化財として最も有名なのは、四世鶴屋南北(1755~1829)の墓でしょう。南北は下積み生活が非常に長く、1811年56歳になってようやく南北の名を名乗りました。代表作「東海道四谷怪談」が彼が70歳の時の初演というのは本当に驚きます。墓は往来激しい浅草通りに面して、ショーウィンドウのように立っています。分かり易いですが、少し落ち着かないような気もしました・・・。- 旅行時期
- 2018年02月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 2.0
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- バリアフリー:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2018年02月15日
総合評価:3.0
山門には松尾芭蕉、榎本其角らの句が刻まれ、境内には石田波郷、落合直文、螺舎一堂ら多くの歌人の碑が建っている。門壁に句が刻まれているというのも、なかなか珍しい。
江戸初期に住職が諸国から萩を集めて植えたことから、「萩寺」の通称でも知られる。萩の見頃は9月頃なので、訪れた時期は全く季節外れであり観光客もほぼいなかったが、次は蝶形の花が賑やかに咲き乱れる様を見てみたい。前述の落合直文(1861~1903)は与謝野鉄幹らを門下に持つ近代日本の代表的歌人であるが、彼も「萩寺の萩おもしろし つゆの身の おくつきどころ こことさだめむ」と、この寺の萩を愛でている。
また、発見されているものでは江東区内最古(1629年)の建立といわれる庚申塔が境内に建っている。庚申信仰は江戸時代に庶民の間に隆盛し庚申塔も多く建てられたが、明治以降道の辻などに建っていたものは撤去が進み、当寺に残る庚申塔は庶民の信仰を伝える貴重な存在となっている。- 旅行時期
- 2018年02月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 1.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2018年02月15日
総合評価:3.0
香取神社は、千葉県にある香取神宮の社領が存在していた関係で、亀戸、大島、立石などを含む旧南葛飾郡一帯に多く分布しているといわれ、本社もその一つである。
鳥居は、参道と明治通りに面した入口にそれぞれ建つ。明治通りに面した鳥居(東鳥居)から境内に入ると、目線の先に東京スカイツリーの雄姿がそびえ立っている。スカイツリーと神社の組み合わせは自慢出来る東京の風景だと思う。
境内には、近隣で幕末頃から明治時代にかけて盛んに栽培された「亀戸大根の碑」が立っている。大根の根元を下にして立てた形をしており、目を引く。今では宅地化により栽培量が激減し、貴重な存在になっているという。
参道の商店街は「亀戸香取勝運商店街」という名で、「勝運」とは、939年に起こった「平将門の乱」の際に藤原秀郷がこの神社に戦勝を祈願し無事乱を平定したことを起源とし、現在はそれに関連してスポーツ振興の神としても崇められている。- 旅行時期
- 2018年02月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 1.0
- 人混みの少なさ:
- 2.5
- バリアフリー:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 3.0
-
投稿日 2018年02月09日
総合評価:2.5
松本荘一郎が設計し1878年に架設された橋で、元は京橋楓川(中央区)に架かっていたが、1929年に当地に移設された。現存する日本最古の鉄橋として価値が高い。
この橋が元々架けられていた楓川は埋め立てられ、頭上には首都高速道路が走り周辺はコンクリートジャングルと化している。八幡橋にとっては、深川の住宅地で静かに現役として生き永らえている今の方が幸せなのかも知れない。さらに現在の橋の下も、元は八幡堀という掘割で材木問屋が立ち並んでいたというが、埋め立てられ八幡橋遊歩道に様変わりしている。今年140歳を迎える八幡橋は、歴史と人の変遷を見て来たことだろう。
八幡橋遊歩道には、大正時代に近くに住む医師新田清三郎氏が大横川に架けた「新田橋」遺構も残っており、現在は2000年に架け替えられた赤塗りの橋が大横川に架かっている。- 旅行時期
- 2018年02月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 1.0
- 人混みの少なさ:
- 2.5
- バリアフリー:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2018年02月14日
総合評価:2.5
JR総武線亀戸駅北口から徒歩900メートル程度の住宅地にあり、亀戸天神社に隣接した区画に建つ。
明治時代に歌人・文人として精力的に活動した伊藤左千夫(1864~1913)の墓所(江東区登録文化財)があることで知られる。「野菊の墓」は青春時代の男女に芽生えた純粋な悲恋を描いた作品だが、伊藤の写真を見た時は、(失礼ながら)この人がこれ程までピュアな小説を描けた人なのか、と驚いた記憶がある。
境内は樹木が鬱蒼と茂っており、都会とは全く思えない雰囲気であった。本堂に上がる石段にも伐採した木が置きっ放しになっているなど、少なくとも観光地として整備することは寺にとっては後回しのようだ・・・。個人的には、余りに商業主義を追い求めるのも興醒めしてしまうので、これはこれで面白かった。
真冬に訪問したので虫はほとんどいなかったが、元々墓地は蚊などが発生しやすいので、夏場は参拝する方も大変だろうと思った。- 旅行時期
- 2018年02月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 1.0
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- バリアフリー:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 3.5
-
投稿日 2018年02月12日
総合評価:3.5
亀戸天神社は、1646年に九州太宰府天満宮神官の菅原大鳥居信祐が亀戸村に天神像を祀ったのが起源と言われ、関東三大天神、東京十社巡りの一つにも数えられるなど、多くの崇敬を集めて来ました。
JR総武線亀戸駅から亀戸十三間通り商店街を抜けて徒歩15分程度掛かり、表通りに面している訳ではないので場所が分かり辛く、少し戸惑いました。
天神様(菅原道真)が梅をこよなく愛したことに因んで、境内には300本を超す複数の種の梅が植えられており、訪問した当日は「梅まつり」が開催されていましたが、初日の訪問だったせいかほとんどつぼみの状態でした。それでも多くの人々で賑わい活気を感じました。
また、拝殿に向かう途中には心字池が配されて藤棚が設えられており、4月下旬から「藤まつり」が開催されます。池の畔が紫に染まった様子も本当に美しいことと思います。
大規模な神社ではその傾向が強いですが、亀戸天神社にも時代も内容も様々な100を超える石碑が残されており、「書道の神」とされる天神様に捧げられた「筆塚」、うそ替え神事で知られる「鷽の碑」、井原西鶴らの句が認められた「松梅両殿落成記念三翁句碑」などが有名です。- 旅行時期
- 2018年02月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 1.0
- 人混みの少なさ:
- 2.5
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 4.0
-
投稿日 2018年02月11日
総合評価:3.0
1954年3月1日に米国がビキニ環礁(現マーシャル諸島)で実施した核実験の際に、危険水域の設定に不備があったことにより、日本の第五福竜丸を始めとする何百隻もの周辺で操業していた漁船が被曝した事件を伝える資料館です。
1階では、世界で実施された核実験の経緯とそれに反対する市民や科学者らの運動について、まとめて紹介されています。誰でも被害者になるかも知れないという恐怖から一般の人々も積極的に反対運動に参加し、冷戦下での世界の核競争の流れの中で必死に対抗する力を結集しようとした様子が分かります。
また、この事件では、漁船だけでなく周辺の島々にも放射能が降り注ぎ、ロンゲラップ環礁などでは未だに放射能汚染が続いており、島民たちは故郷に帰れていないといいます。
入場は無料なので気軽に訪れることが出来、広島・長崎とともに日本人が核兵器の犠牲になった事件について学べる貴重な場となっています。
「夢の島公園」内の「夢の島熱帯植物館」の並びにあり、園内は広大なので、散歩や運動がてら訪れてもいいかも知れません。- 旅行時期
- 2018年02月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 1.5
- コストパフォーマンス:
- 4.5
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 展示内容:
- 3.5
- バリアフリー:
- 3.5
-
投稿日 2018年02月10日
総合評価:2.0
洲崎の地は元禄時代に埋め立てられ、海を間近にした景勝地として有名でしたが、大正時代以降は洲崎遊郭が興隆し、芝木好子の小説「洲崎パラダイス」や永井荷風「断腸亭日乗」にも往時の状況が描かれています。
神社は、徳川第5代将軍綱吉の母桂昌院(1624~1705)の護持仏である弘法大師作といわれる弁財天が祀られたことを起源とする由緒ある神社です。
神社の社殿奥は最近まで池であり、そこに弁天様が祀られていたそうですが、現在は埋め立てられて駐車場となっています。
1791年にこの地一帯が高潮により被害を受け、多くの死者が出たことから、居住禁止区域とされて空地となり、その東北隅に当たる境内には「波除碑」(東京都指定有形文化財)が残てられました(もう一体が平久橋に残っています)。碑は砂岩造で脆いため、かなり破損しているようです。
当時はここが海岸線であったと思うと、3キロ近く先の辰巳、東雲まで海が遠のいた今、先人の開拓努力に敬意を表さずにいられません。- 旅行時期
- 2018年02月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 2.0
- 人混みの少なさ:
- 2.5
- バリアフリー:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 2.5
-
投稿日 2018年02月08日
総合評価:3.0
訪ねた日は第1日曜日であったので、境内で恒例の骨董市が開かれており、大鳥居から西側の鳥居にかけて様々な品物が並べられていた。店主も客もよく知った間柄といったような人達が、思い思いに過ごしていた。
昨年12月に不幸な事件が発生してしまったが、1627年当時永代島と呼ばれていたこの地に創建された江戸を代表する神社であり、それぞれ1991年、97年に製作された御本社神輿は日本有数の規模と絢爛さを誇る。神輿庫に存置され、ガラス越しに見学することが出来るが、ガラス面の反射で少し見辛かったのが残念であった。
また、1684年に勧進相撲が初めて行われ、正に今日の大相撲の基礎が築かれた地としても有名で、横綱力士碑等、相撲関連の石碑がいくつも立っている。現在では、新横綱誕生の度に横綱力士碑(今は裏面に刻名)への刻名式が行われており、相撲と社の縁の深さが窺われる。- 旅行時期
- 2018年02月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 1.5
- 人混みの少なさ:
- 1.5
- バリアフリー:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 3.5























