江戸時代は海岸の景勝地
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- 旅行時期:2018/02(約8年前)
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by jmleedoさん(男性)
木場・東陽町・清澄 クチコミ:1件
洲崎の地は元禄時代に埋め立てられ、海を間近にした景勝地として有名でしたが、大正時代以降は洲崎遊郭が興隆し、芝木好子の小説「洲崎パラダイス」や永井荷風「断腸亭日乗」にも往時の状況が描かれています。
神社は、徳川第5代将軍綱吉の母桂昌院(1624~1705)の護持仏である弘法大師作といわれる弁財天が祀られたことを起源とする由緒ある神社です。
神社の社殿奥は最近まで池であり、そこに弁天様が祀られていたそうですが、現在は埋め立てられて駐車場となっています。
1791年にこの地一帯が高潮により被害を受け、多くの死者が出たことから、居住禁止区域とされて空地となり、その東北隅に当たる境内には「波除碑」(東京都指定有形文化財)が残てられました(もう一体が平久橋に残っています)。碑は砂岩造で脆いため、かなり破損しているようです。
当時はここが海岸線であったと思うと、3キロ近く先の辰巳、東雲まで海が遠のいた今、先人の開拓努力に敬意を表さずにいられません。
- 施設の満足度
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2.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 2.0
- 人混みの少なさ:
- 2.5
- バリアフリー:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 2.5
クチコミ投稿日:2018/02/10
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