フランシスコさんのクチコミ(2ページ)全49件
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投稿日 2004年11月23日
旧市街の入口に安物のみやげ物屋と骨董屋がある。骨董屋の白壁には真鍮の皿や杓、ロバのベルなどをいくつもぶら下げている。さほどのものはなさそうだ。真鍮や素朴なマジョルカ焼きの台所や園芸の日用品が多く、その他はガラクタだ。「本物か」と聞くと正直に「レプリカだ」と言う。「本物はここだ」と指さしたのは、小さなテーブル上の僅かな点数だった。
旧市街の路地に焼き物の店がある。湯飲みをひとつ買った。三日月や星や素人っぽい図柄の素朴な作りのカップだ。ミロ風と言ったらいいのかもしれない。手にして眺めているとほのぼのしてくる。愛想のいい女主人がJuanという造り手のサインを示した。まさかファン・ミロだとは言うまい。100 ペソほどまけてくれた。
旧市街の中を貫く1本道にも真鍮器や瀬戸物、古家具などを扱う店もある。こちらは高級店が多く、いいなと思うものはやはり高い。たらりと垂れた女の手をかたどった真鍮製のノッカーがある。聖堂などあちこち戸口に見かける意匠だが、あまり気持ちのいいものではない。神様の象徴で雲から突き出た手首というのはあるが、これはすんなりした女性の手首らしいなりをしているからよけいに生々しい。- 旅行時期
- 1998年07月
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投稿日 2004年11月23日
バスはセビーヤの南東に向かって走っている。エル・アラハルまでは立派な高速道路(自動車専用道路?)だ。丘の上に巨大な黒いトロ(雄牛)の看板。商業広告を国道からすべて撤去したあとも、いかにもスペインらしいこのトロの看板だけは観光用に残している。ただしメーカー名も何もいっさい入れない約束だという。
『ハモン・ハモン』というスペイン映画で、若いカップルがデートをしていたのが、丘の上のこの看板の下だった。ふられた彼氏(確かバンデラス)がトロのキンタマを遮二無二折り取ってしまうところなどはおかしかった。
いつか知人のスペイン人高校生とこの映画の話をしたら、「その映画はまずいでしょう」という。どうということのない映画だっし、別に成人映画ではないはずだ。若い彼にはセクシーなところばかりが気になったのかもしれない。
『ハモン・ハモン』とはセクシーな女の子という俗語でもあるそうで、そんな意味も掛けた題かもしれない。もっともこの俗語をさっきの高校生は知らなかったから、一般的でもなさそうだ。
喧嘩をする男同士が、何と骨つきのハモン・セラーノをこん棒のように振り回し
て殴り合うところや、生のニンニクを「これがスタミナのもとさ」といってはポリポリ齧っていたところなど、僕にとってはかなりスペイン人というものがわかったような気がして面白かった。- 旅行時期
- 1998年07月
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投稿日 2004年11月21日
日本を通り抜けた季節はずれの大型台風の余波を避けるため、ベトナムに向かう飛行機は、中国沿海部からちょっと大陸に入ったところを南下していきました。
吹き返しというのか、かなりの強風にあおられる空域もあって、鶴のマークも古い30年も前の型の日航機(ベトナム航空兼)は大丈夫だろうかと、内心ひやひやしていたんです。
広東から広西壮族自治区にかかるというあたりでしょうか、窓がパッパッと明るくなります。ひっきりなしに光る稲妻の中を鶴はけなげに飛んでいます。窓からのぞき込むと、闇の中の右手、左手、中央と砲火のような光が上がっているのです。雷が落ちているのでした。音は無論聞こえません。貴州か雲南か、それとも四川? ひっきりなしに中国大陸のあちらこちらで大きな雷光が上がります。地上のシルエットも浮かび上がっているような感じです。
夜間飛行かよ~とちょっと失望していた私は、この雷光ショーに感動していました。いつかシベリアの人跡未踏?の原野の上を飛んだときにも感動というか、呆れたのですが、中国大陸の落雷にも、そのスケールの大きさで圧倒されていたのです。それにしても本当の砲火でなくてよかった。
でも、落雷だって、内心はひやひやさせられます。- 旅行時期
- 2004年09月
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投稿日 2004年11月21日
空から見ると星空のようなハノイの街。真っ暗な中に無数の街路灯や人家の明かりが点々と点っています。
空港も皓々と明かりが点いてという感じではなく、わずかな誘導灯が見えるのみ。なんだかサン・テグジュペリの「夜間飛行」を連想させました。
ついた空港も午後11時という時刻もあるかも知れないけれど、とても暗い。しかも、とてもシンプルで、税関の向こうにターンテーブルが見え、その向こうにお迎えの人々や現地ガイドが群れている、さらにはその向こうにタクシーの客引きが三々五々待ちかまえているのが見えるという具合。
なんだか日本の地方空港のイメージです。ショップも少ないので免税店で買いあさろうなんて方は落胆するかも。レストラン、カフェもあるようなないような。
取り柄は、手続きからゲートを出るまではスムーズで、ヒースローみたくあんまり移動しないですむことかな(出国するときも)。- 旅行時期
- 2004年09月
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投稿日 2004年11月21日
ガイドブックにも書かれていることですが、ベトナムでは大きなホテルのフロントなどの他はトラベラーズ・チェックはほとんど使えません。ハノイのノイバイ空港のショップでさえ、店員が初めて見たというような顔をします。さすがに空港ではカードはOKですが、JCBよりはVISAかな。
- 旅行時期
- 2004年09月
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投稿日 2004年11月17日
ギャンブルの才能がないのに呆れ、疲れてカジノの喫茶でぼんやり。
頼んだアイス・カフェオレのでかいことでかいこと。砂敷いてグリーン育てるガラスのボールみたいなのになみなみ! 両手で抱えて呑む始末。
競馬場もそんな印象あるけれど、なんでも景気のいい方がいいのかなー?- 旅行時期
- 2002年07月
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投稿日 2004年11月15日
グレコの傑作「オルガス伯の埋葬」のあるサント・トメ教会から市庁舎に下りてくると土産物屋が何軒かあります。
ここの特産は刃物。聞けば、模造の日本刀などはほとんどトレド製で、欧米の人には人気なのだそうです。戦国時代の甲冑のレプリカなどもありました。空港で拘束されるのも困るので、私はナイフを一挺買いました。ナバラ男ホセが激情的にカルメンを刺したようなムーア風のやつです! 刃は全然ダメだけれど、拵えがきれいでした。
で、リャドロのドンキホーテです。見てしまったらどうしても欲しくなりました。身の丈30センチ、値もはります。でも、買ってしまいましたね。自分を見るようで、大事に日本に持ち帰りました。「プロフィール」に付けているのが、それです。
あと、店では、立派な彫金の皿とか時計とか勧めますが、私には不要なものでした。- 旅行時期
- 1998年08月
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投稿日 2004年11月09日
マジョルカのポルト・クリスト近くのバルで食べたエビのフリットがスペイン旅の最高の味だった。よせばいいのにこれ以外にパエジャ、シーフードのフリットまで頼んでしまった。フリットの量のものすごさ。直径35~40センチはあろうという大皿にてんこ盛り状態。それでもうまさにつられてやっと半分平らげた。テープルに無造作に置かれた地ワイン(赤)の、洗練されていないけれどうまかったのに助けられながら……。パエジャがまずいはずはない。
石のように堅くて、イエスの使徒たちが食べたようなまずいパンなんぞひとかけら食べておしまい。
ただし、デザートはM乳業製やG製菓のできあいの製品みたいで、これはいただけなかった。得てしてスペインのデザート類、甘味類はいまいちだ。それにテ(紅茶)も。これならフルッタ(果物)とカフェ・ソロ(エスプレッソ)の方がずっといい。- 旅行時期
- 2000年07月
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投稿日 2004年11月14日
旅先では現地の食べ物を食べること、を信条としている私ですが、その時は、下痢が治ったばかりで気が弱くなっていたんでしょう。
カテドラル近くの杭州酒店を見つけて昼飯をとることにしました。
店で、中国人のお姉ちゃんのさっぱりしたアジア顔をみて、自分でもおどろくほどほっと癒されました。
さらにメニューに「杏仁豆腐」なんて漢字を見ちゃったら、もー、感動。炒飯やらスープやら、チンジャオ・ロースーやらがっつりたべてしまいました。もちろんビールもしこたま。
くだんの中国娘はドルの高額紙幣を出したにもかかわらず、嫌な顔一つせず、迅速に釣りを計算できるし……、惚れてしまいそうでした。
とは言え、そのあとヒラルダの塔97.5メートルへ上るのが汗だくで大変でした。
スペインには溶け込んでいたつもりでしたが、長い一人旅、意識しなかったけれど緊張のしっぱなしだったんでしょう。海外での緊急避難先としての中華のありがたさを再認識した私でした。- 旅行時期
- 1997年07月
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投稿日 2004年11月16日
有名なボティン。マドリードのダウンタウンのようなところです。なにしろ創業が16世紀という店です。ヘミングウエイも常連にしていた店で、外観も内装もひと昔、ふた昔前を連想させます。彼がいつも座っていたという席に案内してくれました。路地を見下ろせる窓枠もゆがみ、ペンキもはげていました。
ここの名物料理が生後二週間の仔豚の丸焼き(コチニーニョ・アサド)。銀のお盆にアジのひらきのようになってのってきます。もちろん切り分けてあって、普通はひとり1ピース。
豚肉の香りって思い出せますか? 食べながら、牛肉やマトン・ラムだけじゃなく、豚肉には特有の香りがあったことを思い出しました。この頃口にする「清浄ブタ」という名の「工場製品」からは消えてしまった香りです。しかも、母ブタのおっぱいしか飲んだことのない仔ブタですよ。北京ダックより高級です。
喜んで食べていた私ですが、連れの中には、噛めず、のみこめず、もどしそうになっている人もいました。見た目にショックを受けたのでしょうか、「清浄ブタ」しか食べたことがないんでしょうか。それとも、「生後2週間」に哀れを催したのでしょうか。
くるくる巻いたしっぽのフライ! をコリコリかじってごまかしている人もいたほどです。特に御婦人。この店を奨めた私を非難するような態度さえ……。ヘミングウエイ文学まで「野蛮なのよネ」なあんて、とばっちりが行きそうな始末。
店の人が険悪な空気を読んで、シェリーを一杯ずつごちそうしてくれましたが……。- 旅行時期
- 1997年07月
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投稿日 2004年11月15日
国立ソフィア王妃センターはミロとかダリとか、現代美術が多く展示されています。なかでもピカソの「ゲルニカ」は有名です。
観に行ったものの、壁の「ゲルニカ」の両脇には軽機関銃を持った兵士がぴったりくっついてにらみをきかせていました。
バスク地方のゲルニカ村をナチスが空爆して、住民の一割が虐殺された悲劇がモチーフになっている有名な作品です。
バスク解放戦線が活発化して、テロ事件などが起きていたときでしたから、この絵に民族意識が暴発するのを警戒していたのでしょう。こういう美術鑑賞は初めてでした。- 旅行時期
- 1997年07月
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投稿日 2004年11月14日
パルマのスペイン広場のすぐ近くのCeller sa Premsa。
その名のとおり、もとはワインセラーで、なかなかの雰囲気。広いフロアー一杯に席があって地元の人で一杯。雰囲気はドイツのビア・ホール。
日本料理屋「侍」のまずさ、高さに懲りて、こちらに移って結果大成功。
エビのフリットからブイヤベースなど魚介中心。ハウスワインもおいしい。パエリアだって1人前で頼むこともできる。
活気もあって、こっちの席のじいちゃんと娘・孫との素朴なやりとり、あっちの席の学生のグループのちょっとスノッブなやりとり等々を聞きながら、思う存分楽しみました。これで2000円程度だったかな。給仕をする人たちもてきぱきとして気持ちがいい。
やっぱり地元パルマっ子に人気の店というのが、間違いないところ。- 旅行時期
- 1997年07月
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投稿日 2004年11月12日
夜になって、グランビア通りに繰り出しました。あんまり暑いので甚兵衛と下駄履きです。
タクシーに乗ったら、運転手の視線が気になります。そのうちもごもごと言ったのは、
「ペルーから来たのか? それともアルゼンチナ?」
でした。
「いや、日本だ」
と言ったら、
「南米かと思った」
と言うのです。
「?」
と思いつつ、グランビアで降りて、大変な雑踏の歩道を闊歩していたのです。
するとモーセじゃないのに、私の進行方向は海が割れるように避けるのです。向こうから来る人間がおびえたように私を凝視して、脇へ詰めます。通りの向かいの映画館に群がっている人々もびっくりして、目引き袖引きこっちを観ています。
やっぱり甚兵衛と下駄カランコロンは、相当違和感があったようです。無遠慮なのは子どもです。
「ペル、ペル」
とはやしたり、下駄のことを
「これは何?」
と聞いたり、ぷっと吹き出したりします。
それにしても、ペルーとか南米とかいうのは何でだろうと思って、はたと気づいたのは、甚兵衛の柄。一面に蚊取り線香のような大きな渦巻き模様が染めてあります。インカの模様とかナスカの地上絵に見えなくもありません。
スペイン人は新大陸で原住民をさんざん殺戮した報いでこの模様が怖いのかもしれないなどとと、勝手に想像しました。
とにかく、その晩から、甚兵衛は寝間着代わりになりました。- 旅行時期
- 1998年08月
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投稿日 2004年11月12日
パセオ・レイナ・クリスティーナ通りのホテル・アグマールから、王立タペストリー工場の間を下りた突き当たりがSEGOVIANOというリストランテ&バル。
ホテルの人に教えてもらって行ったのですが、エビなんかのシーフードのフリットだとか、ガスパチョだとか、リーズナブルでとてもうまかった。滞在中はしょっちゅう通っていました。マドリードのサッカーチームの年代物の写真なんかが壁にはいっぱい。サッカフリークの根城になっているらしい。
ただし、8月に行った時には、例によってバカンスシーズンでバルしか明いていず、トルティージャ程度。「シェフが9時になったら来る」とか言うが、出てきたエビは去年とは別物。ガスパチョも今回はおろしニンニクが多すぎて今ひとつ。やっぱり8月なんかに行くもんじゃないですね。- 旅行時期
- 1998年08月
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投稿日 2004年11月12日
降りようとする時、昨年もそうだったが、気流が悪いのか、機がひどく揺れる。酔いそうだ。
空港のトイレはタイルを貼りなおして、見違えるほどきれいになっていて驚いた。男子トイレも、去年まではゴムまりを踏んで水を流すような拙い設備だったが、真新しい自動水洗トイレになっていた。ただし、キャパシティは相変わらずで、特に女性トイレの方は、20人ほどが並んで順番を待っている。
空港の売店もちょっときれいになっているが、例によって何も買う気も起こらない。ここのはサンドイッチやジュースも食欲なくすから不思議だ。
店員は相変わらずというか、ショーケースにもたれかかったり、おしゃべりしたり、鏡を覗いていたりで、ますます売る気なし。気を引くのはキャビアだけ。- 旅行時期
- 1998年07月
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投稿日 2004年11月09日
マジョルカ多国籍ツアーには、ドラックの鍾乳洞が含まれていた。
鍾乳洞好きの私だが、洞の入口から最初の間のラッシュ並みの人混みにはいささか嫌気がさした。けれど、奥へ奥へといくうちに人もバラけてくるし、ひんやりと涼しいし、鍾乳石やたたえた水は美しいしで気に入った。
圧巻は洞内のコンサート。広い鍾乳洞のホールに客席が設けられている。闇に沈む正面の川?の向こうから灯火をともしたボートが3艘しずしずと現れる。オルガンを積んでいるボート。それにチェロ、ヴァイオリン。演目はもちろん、この島にジョルジュ・サンドと恋の逃避行を敢行したショパンだ。幻想的でいい雰囲気だ。ストロボたくカメラに再三再四のブーイング。
終わって出ようとすると、寒いくらいの鍾乳洞なのにマイクロビキニのお嬢ちゃんが二人いたのに気づいてびっくりした。
地上に上がって見えた地中海の眩しくも真っ青だったこと。ドラック鍾乳洞はお勧めだ。駐車場近くでテ(茶)もできる。- 旅行時期
- 2000年07月
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投稿日 2004年11月09日
マジョルカ島の多国籍ツアーで島を縦断した時、途中革製品の店に寄りました。そこでちょっと奮発して仕事用の鞄BOLSOS BAGSのMATIAS SALVAを買いました。とは言え、2万円くらいかな。牛革でショルダー兼用。
これが7年経ってもどこもほつれてこないし、肩ひも引っかけるところも痛んでこないし、ずいぶん気に入っていて、常時手放さないで重宝しています。
もちろん革は擦れてくるので、年に一度くらい保革油を擦り込みますが。
いい買い物しました。- 旅行時期
- 1997年08月
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投稿日 2004年10月01日
アメリカ人なんかがよくトラブっているのが路上の占い。
おばさんが、ハーブの一枝かなんかをフレンドリーに通行人の手のひらに当てて、「あなたはお金が入る」とか「神のご加護で、ますます健康だ」なんていいこと言っています。
で、お金ということになります。
「金取るの?」「当たり前だろ、占ってやったんだから。ハーブも取ったろ」「ハーブなんていらない。払わない」「払わないのは泥棒だ、アメリカ人は泥棒だ」「サービスだと思った」「んな訳ないだろ。ジプシーをだますなんて、悪魔以下だ」とかなんとか。
どっちもどっちと、見ていておかしいけど……。
レース編みを羽織らせてってこともあります。こちらの方が高くつきます。- 旅行時期
- 2000年08月
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投稿日 2004年09月17日
今でもあったら要注意。
店先に日本語のメニュー−寿司、てんぷら、刺し身等々。べらぼうに高い。
入ってみて驚いた。店員が甚兵衛の上だけ着て、日の丸鉢巻きをしてこちらを見る。うんざりさせられた。注文を取りにきた女の子にメニューの内容を聞こうとするが、日本語が通じない。英語ももちろん駄目。
コックらしい男が現れる。「『魚介類の盛り合わせ』とあるが、これはどうやって食べるのか」というのが通じない。生か、茹でるのか、焼くのか……? ようやく鉄板焼きだと分かってそれを待つ間、ビールを飲む。ビールはサッポロだ。
お盆に箸置き、なんとなく日本風だ。ただし、ナプキンが真紅で、漬物がザーサイ。なんとなく妙だ。メニューをもういっぺん見ると、キムチとかナムルとか出てくる。中・韓・日合作だ。
出てきた鉄板焼きに、また、驚いた。えびを焼いているがガーリック風味。それにカニかまの「アラスカ」。日本でも私が最も憎んでいる食い物だ。ピーマンのかけら。やたらと脂っこいツナをさらにオイルで焼いている。
皿の上の風景もよくない。悪くいえばフライパンのカスみたいな食い物で、私は呆れてしまった。被害を最小限に食い止めるために、ほうほうのていで逃げだした。これでも3980PTSだった(当時)。
勘定を待つ間、店内を見回すと、リゾートの欧米人で混んできている。小さなザルの上に盛られた揚げた稲穂(?)なんかを得意気に箸でつまんで感心している。刺し身のつけ台(ゲタ)はシミだらけで、おそろしく不潔そうだが喜んでいる。勇気のある外国人だ。
日本食がこんなものだと思われたらたまらないと思った。土地のものを食べるのが一番おいしいし安心なんだと、痛感した。- 旅行時期
- 1997年08月
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投稿日 2004年09月21日
ホテルのモーニング・ビュッフェも飽きたし、あわただしかったりで、現地のビジネスマンが出入りする、立ち食いに近いファースト・フード店に飛び込みました。
ヌードル頼んで、「馬鹿に安いな。これじゃ出勤前の人に人気あるわけだ」と、食べて「?」。「こりゃ、チ○○ラーメンじゃないか」。と、レジ上のメニューを見直すと、インスタントのカップヌードルだった。
夕べの広東宮廷料理との落差が……と思いつつ懐かしかった自分が哀しい。 別に香港で「チ○○ラーメン」食べなくてもよかったんだけどね。- 旅行時期
- 2002年08月












