クリスさんへのコメント一覧全112件
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考古学博物館
クリスさん こんにちは。
アンダルシア地方は38年前にツアーで一度だけさらっと訪れました。
メスキータや内部のカテドラルは大変印象に残っています。
考古学博物館を見せていただき、興味津々でした。
ずいぶんローマ時代のものも保存されているのですね。
イベリア半島におけるミトラ教信仰を示す、最高峰の保存状態と芸術性を持つ傑作といわれるミトラ神の彫刻、素晴らしいですね。
一昨年、タルクィニアで首が欠けたものを見たり、カプアでミトレオの壁画は見ましたが、彫刻とても美しいです。
私には行けないディープなスペインの続きも楽しみにしています。
マリアンヌ
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トレド
セゴビア、アビラ、トレドとかなり一般的な観光地が続きますね。しかもトレドではソコトレンまで乗って、定番のビューポイントで写真撮影。普通に観光してますね。
私はただ今マラガからイスタンブールに向かう飛行機に乗ってます。若干(?)のトラブルは有りましたが、念願のアルハンブラ宮殿に行けたし、カルモナのパラドールに泊まれたし、まあ概ね満足な旅でした。Re: トレド
お帰国便の中ですか。旅に多少のトラブルは付きものですが飛行機に乗っているという事は無事に戻れるという事でもあります。あと少しの辛抱ですね。カルモナに泊まったという事はヒマワリ見れましたか?開花時期ですから。見れたらさぞ圧巻でしょう。連日の猛暑は大丈夫でしたか?
2026年06月24日07時19分 返信するRe: トレド
お帰国便の中ですか。旅に多少のトラブルは付きものですが飛行機に乗っているという事は無事に戻れるという事でもあります。あと少しの辛抱ですね。カルモナに泊まったという事はヒマワリ見れましたか?開花時期ですから。見れたらさぞ圧巻でしょう。連日の猛暑は大丈夫でしたか?
2026年06月24日07時19分 返信する -
セゴビア
ようやく知っている(行ったこともある)セゴビアです。
それにしても数人から100人程度の村で古い教会をこの状態で維持するのは大変なことだと思います。国中に同じような貴重な古い教会が残っているので、国からの援助だけでは無理でしょうし。
今晩の飛行機で出発します。まずはポルトガルなので、スペインに着くのは、19日の深夜23時(現地時間)頃です。日本時間では20日の早朝6時頃です。家を出てから丸2日がかりです。 -
スペイン
私ももうすぐスペインに行きます。何故かポルトガル半日観光もするのでアンダルシアの一部のみですが。アルハンブラ宮殿がメインなので朝一番のチケットを予約しています。グラナダは6年前、コロナ禍で行けなかった時と比べてホテル代が高くなっていました(その時泊まろうとしたアルハンブラ宮殿近くのホテルは1万円程値上がり)。クリスさんの旅行記がアンダルシアに差し掛かる頃には出発していると思います。Re: スペイン
早速書き込みありがとうございます。まだ時差ボケが抜けなくて昼夜の生活が逆転しています。グラナダ6月ですか?まだ5月だったというのに記録的な猛暑という事ですでに37°Cありました。暑さ対策大切です。ホテルすでにとったとは思いますが私の泊まったHotel Plaza Nueva凄くお勧めです。昔からの古いホテルですがヌエバ広場という場所が観光拠点として最適です。値段もそれほど高くありませんし。観光名所も徒歩圏内。アルハンブラへのバスも出発地点ですから。グラナダのバスは市街地の狭い通りを走るので、小型のバスです。当初観光には途中下車。乗車を繰り返し使えばと思ってましたが、満車になると途中駅は完全スルーして通過されてしまいます。結果ほとんどの観光は徒歩となりました。年寄りには辛かったな。アルハンブラの予約は私は半年以上前に10時でとりました。全て歩くにしても、バスにしても下車してからも歩くので、9時は自信がなかったから。最初だとタクシーが一番安心かも。また宮殿一部は改修工事中です。といろいろ伝えたい事がありますよ。何かあったら聞いてね。2026年06月01日17時08分 返信するRe: スペイン
5月で37℃...。日傘を持参します。朝はそこまで暑くないことを願います。グラナダの宿はNueva広場から徒歩5分程のアパートホテルです。アルハンブラ宮殿までも徒歩20分のはずです。2026年06月01日18時32分 返信する -
獅子が守る
クリスさん、
今晩は。
山中深く、ロマネスクのサン・ロマン・デ・モロソの庵を見るために、此処まで行くのかと、少々驚きました。
ロマネスクの文様は時代と共に摩耗も激しく、写真でも定かでない部分もありますが、実に素朴感があって興味深いですね。
さらに聖ユリアナとは何者か?と、検索してみました。聖女と言わずに、聖人のように表現するのは何か意味があるのでしょうか?(聖女エリザベートの事績はドイツ各地で見かけます)
また、「左右に2頭の獅子が、教会を守るように階段の手前に置かれています」の写真を拝見。
なにやら日本の神社の狛犬を連想しました。文化は伝播すると聞きますが、これもその一つなのですかね。
たいへん勉強になりました。
それではまた。
jijidarumaRe: 獅子が守る
jijidarumaさん、書き込みありがとうございます。ニコメディアのジュリアナの件ですが、San,Santaで男女の違いはあきらかですので聖女と書くのがよろしいのでしょうけれど、ジェンダーの議論を踏まえると聖女の表記にこだわる必要はないのかと思います。私の旅行記でも表記が揺れていますのでお許しください。名前についてもユリア、ユリアナ、ジュリアナと国によって呼び方に違いが出るのも他の聖人と同様、日本では統一する事が難しい問題かと認識(論点が少しずれるかも)しています。
ニコメディアのジュリアナは東方正教会やオランダ等で人気のある聖人だと認識しています。ドイツでは少数ですけれど彼女を守護聖人とする教会が存在しています。
狛犬の件仁王像もそうですが、面白いことに口の開け閉めも含めで、東西での共通性が伺える問題です。おそらく起源は同じ所から来ている可能性がありますが、謎につつまれ正解はいまだに見つかっていませんね。2025年02月13日08時42分 返信する -
ドイツワイン街道とワインの門
クリスさん、
今晩は。
素晴らしいレンタカーの旅をされてますね。
2010年ドイツの秋ではドイツワイン街道を南に走りました。
この時はドイツの南西部・ラインラント・プファルツ州 & ザールラント州を巡りましたから、Alzeyアルツァイからドイツワイン街道の北のスタート地点の町Bockenheimボッケンハイムに至り、そこから南下しました。
イギリス国王リチャード獅子心王を幽閉していたというTrifelsトリフェルス城などを見て、フランスの国境にも近い、小さなワイン村 Dörrenbachデーレンバッハで昼食を終え、独仏国境を目指しました。
本編にも出てまいりますSchweigen-Rechtenbachシュヴァイゲン・レヒテンバッハというワイン村であり、独仏国境の町でした。
こんな言葉が記憶にあります。
*Das Deutsche Weintor, offen nach beiden Seiten: zur Pfalz und zum Elsass.(ドイツワインの門はどちらの側にも門を開いている。その一つはプファルツであり、もう一方はエルザス(アルザス)である)
仏側から見た門の壁には威圧するかのような大きな鷲の姿がある。そこにはナチスの象徴であるHakenkreuzハーケンクロイツがついていたと云うが、今は無い。
その昔に訪れた頃は勿論、フランスとの国境線が引かれ、厳重とは言わないまでも、国境は管理されていた。
今は周辺がきれいになり、隣町に行くような形で、国境を越える。
仏側の隣町Wissembourgヴィサンブールは、かつてWeissenburgヴァイセンブルクと呼んだ14~17世紀の間は帝国自由都市でした。ワイン街道沿いの町の名が、この町のKloster Weissenburg ヴァイセンブルク僧院の古い文献によく出てくると云う。
私共もちょっと往復!と国境を越え、ヴァイセンブルクの町に行ってみた。
やはり住宅、道路の様子をみると、ドイツに軍配が上がる。
以上のようなわけで、結局ヴァイセンブルクの町はサラッと見ただけに終わりました。今回、クリスさんの本編でこの町の様子がよく分かりましたし、大変魅力的であるのが理解できました。
もう行くチャンスもないでしょうね。
ありがとうございました。
それではまた。
jijidaruma
RE: ドイツワイン街道とワインの門
いいねと書き込み、ありがとうございます。
まずお断りを、昔のブログは消えてしまいましたので古い物は残っていないのです。
Alzeyは交通の要衝ですのでわかります。私の場合はマインツから下ってWorms、LorschやMichelstadtへの旅行経路としての認識でしょうか。この旅行記のヴァイセンブルクへの時も通過しています。
旅行記を拝見しようと思い探しましたが、全部見ていると大変そうなので先にレスだけしておきます。後ほどゆっくり拝見させていただきます。
ヴァイセンブルクはエルザスでは歴知的に最もドイツ色の濃い町だと思います。フランス化への抵抗が最も強かった地域でしたので。
この町でフランスとドイツを比較するのは町民にとっては複雑な心境ではないかと思います。彼らにとってはエルザスこそが唯一のアイデンティティだと思います。
それでも、残念なのは昔に比べドイツ語の比重が落ちている事かな。宿の両親の会話はドイツ語でしたが、二人の娘さんたちの会話はフランス語でした。朝レセプションに座っていた母親に散歩に行きますとドイツ語で話したら驚かれました。
(ドイツワインの門はどちらの側にも門を開いている。その一つはプファルツであり、もう一方はエルザス(アルザス)である)というのは門の碑文として残されている言葉ではなかったかと記憶しています。
私個人としてこの文章は、プファルツワイン街道の終点でもなくアルザスワイン街道の始まりでもなく共通するワイン街道の中心だと認識しています。
貴殿のプロフィルを拝見しましたが小生は1953年生まれなので、小生より年長ですね。貴兄と書かれては恐れ多いです。2024年12月07日10時20分 返信する



