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本居宣長先生修学之地

名所・史跡

本居宣長先生修学之地 クチコミ・アクセス・周辺情報

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クチコミ・評判

1~20件(全20件中)

  • ビルの敷地内に石柱のみ

    • 3.0
    • 旅行時期:2023/03(約3年前)
    • 0

    四条烏丸の交差点から南西、綾小路通室町を西に入ったビルの敷地内(大原神社の斜め向かい)に「本居宣長先生修学之地」の石柱があ...  続きを読むります。「古事記伝」などで知られる国学者・本居宣長が若き日に京都で5年に渡って学問を修めた場所です。  閉じる

    投稿日:2023/03/23

  • 江戸時代の国学者

    • 2.5
    • 旅行時期:2022/11(約3年前)
    • 0

    四条烏丸の交差点から斜め左下方向。「四条通り」の一本下の「綾小路通り」に「ひっそり」と建っている小さな石碑が、江戸時代に活...  続きを読む躍した国学者であり医師の「本居宣長先生 修学之地」碑です。
    ただ そこにあるのは「石碑のみ」で、特に説明版もなく、本居宣長師の生い立ちについてはWiKiなどを見ないとですね…。


      閉じる

    投稿日:2023/01/08

  • 若かりし頃に学んだ場所

    • 3.0
    • 旅行時期:2022/09(約3年前)
    • 0

    本居宣長は、江戸時代に活躍した国学者であり医師で、歴史の授業でも習う人物です。
    「本居宣長先生修学之地」を記す石碑は、四...  続きを読む条通りの一本南を東西に走る綾小路通り沿いに設置されています。 医師を志し、京都へ遊学したのは22歳の時ということで、宣長の基礎が築かれたのが京都だと考えられます。この石碑を見て、本居宣長という人物についてより知りたくなりました。  閉じる

    投稿日:2022/11/20

  • 著名な国学者が若き日に学んだ場所

    • 3.5
    • 旅行時期:2022/09(約3年前)
    • 0

    四条通りの1本南にある綾小路通り沿い新町通りと室町通りの間に碑があります。江戸時代の国学者として歴史的にも大変有名な本居宣...  続きを読む長が23歳から5年間この地で学んだことが書かれている碑でした。堀・武川両名の塾がここにあり、堀氏からは儒学を、武川氏からは医学を学んだそうです。今は碑が残るのみです。  閉じる

    投稿日:2022/10/13

  • 解説板がなくて、よくわかりませんでした。

    • 3.0
    • 旅行時期:2022/06(約4年前)
    • 0

    勿論、こういうのは検索して調べたりするとわかるものだと思うのですが、一旅人的な見解としては、この石碑の前には解説板などが設...  続きを読む置されておらず、その由来などが全く学べない風情だったのは残念に感じました。勿論、人物としては著名な方で、松阪などでは氏に関しての色々な名所を見たことがあっただけに、余計に物足りなく感じてしまいました…。  閉じる

    投稿日:2022/06/24

  • 綾小路通を挟んで大原神社の筋向い

    • 3.0
    • 旅行時期:2022/05(約4年前)
    • 0

    綾小路通を挟んで大原神社の筋向いにあたる場所です。烏丸通に向かって進んでいって、株式会社枡儀(枡谷儀兵衛)のビルの敷地の一...  続きを読む角に駒札を見つけました。医師を目指した若き日の宣長が学んだ場所だそうです。説明がないのでわかりませんが、「修学の地」という表現なので、当時師事した相手がいた場所なのかもしれませんね。  閉じる

    投稿日:2023/02/16

  • 普通気づかないと思います

    • 1.0
    • 旅行時期:2022/04(約4年前)
    • 0

    四条烏丸の駅から徒歩5分くらいの路地にある碑
    です。碑のみで説明書きもありませんので、
    普通に歩いていると確実に見過ご...  続きを読むします。
    この地で江戸時代の学者さんである本居宣長
    が儒学や医学を学んだそうですが、施設としては
    地味過ぎです。  閉じる

    投稿日:2022/04/24

  • 石碑が残っているだけです

    • 3.5
    • 旅行時期:2022/01(約4年前)
    • 0

    烏丸駅の近くに、「本居宣長先生修学之地」と書かれた石碑だけが残っています。非常にわかりにくい場所にありますが、枡屋儀兵衛と...  続きを読むいうお店の前に石碑があります。本居宣長といえば松坂市というイメージですが、ここ京都でも本居先生は教えられていたのですね。  閉じる

    投稿日:2022/08/06

  • 地下鉄の四条駅から、宿泊したホテルに行く途中にありました。
    通りの端に石碑が建っていました。
    小さな小さな、背が低くて...  続きを読む細い目立たない石碑です。
    よく気が付いたと自分を褒めてあげたいほどです。
    本居宣長先生が、ここで学んだという事です。  閉じる

    投稿日:2021/12/18

  • 儒学と医学を

    • 3.0
    • 旅行時期:2021/06(約5年前)
    • 0

    大原神社からすぐです。そのままですが、国学者として名高い本居宣長が儒学と医学をそれぞれ堀景山と武川幸順に学んだ場所です。一...  続きを読む応内容は字だけ見てもわかりますが、せっかく功績のある人なので、せめて説明文くらいはあってもと思いました。  閉じる

    投稿日:2021/10/05

  • 本居宣長が学んだ場所

    • 3.0
    • 旅行時期:2021/01(約5年前)
    • 0

    もう文そのまんま。本居宣長が学んだ場所。この石碑が街中になじみすぎて、事前に調べてないと見過ごしてしまうと思う。案外ビルの...  続きを読む色なんかと合っていて違和感がないから。この石碑だけがたっていて駒札とか解説はないからここをみただけでは詳しいことまではわからない。あとは自分で調べるしかない。大原神社を見に来た人はついでにここもさくっと見ていくとよいと思われる。神社でて東へ少し進むとある。  閉じる

    投稿日:2021/01/03

  • 本居宣長が学問を修めた場所

    • 3.5
    • 旅行時期:2020/09(約5年前)
    • 0

    地下鉄四条駅近くに本居宣長先生修学之地の石碑がたっていました。
    ビル敷地の片隅にひっそりとあって、見落としてしまいそうで...  続きを読むす。
    この場所は、国学者・本居宣長が若き日に京都で5年間にわたって学問を修めた場所。
    儒医・堀景山と医師・武川幸順の塾で儒学と漢文学、歴史、医学などを学んだそうです。
      閉じる

    投稿日:2021/01/21

  • この地で儒学と医学を学んだ

    • 3.0
    • 旅行時期:2020/08(約5年前)
    • 0

    阪急烏丸駅、地下鉄四条駅の近くに碑があります。ビルの敷地内の端にあります。本居宣長は江戸時代中期の国学者です。古事記や源氏...  続きを読む物語を研究・発表し、江戸時代に国学において大きな実績を残した荷田春満や賀茂真淵、平田篤胤とともに「国学の四大人」の一人です。
    宣長は享保15年(1730年)、伊勢の商家に生まれました。家業にはあまり関心がなく医学を学ぶため京都へと向かいました。宣長はこの地で堀景山に儒学を、堀元厚と武川幸順から医学を学んで医師となりました。5年いたそうです。当時の面影がなにもないのが残念です。  閉じる

    投稿日:2020/08/05

  • 江戸時代に京都に遊学!

    • 3.5
    • 旅行時期:2020/03(約6年前)
    • 0

    「本居宣長先生修学之地」は綾小路通新町から東へ入った南側にある呉服屋枡屋儀兵衛の前にありました。
    本居宣長は江戸時代の国...  続きを読む学者です。1730年に伊勢国松阪の商家に生まれ1752年から7年間を京都で過ごし、堀景山に儒学を、武川幸順に医学を学びました。この石碑はその修学した場所を示すものです。簡素な石碑ですが歴史を語るものです。
    ちなみに京都から松坂に帰った宣長は医師を開業し活躍、また「源氏物語」の講義や「日本書紀」の研究に励んだとのことです。  閉じる

    投稿日:2020/04/11

  • 若き日の宣長

    • 3.0
    • 旅行時期:2019/01(約7年前)
    • 0

     街中にちょこなんと石碑があるだけだが、前後の事情を掘り下げれば、興味深い場所だ。実家の商売を一度は継いだ宣長だったが、興...  続きを読む味が持てず、学問の道で再出発することに。23歳で京都に遊学した宣長はこの碑がある地で医学と漢学を5年間学んだ。ここで宣長は国学の道に入ることを決めるとともに、京都の王朝文化への憧れを抱く。これがのちの国学の発展につながっていくのだと思えばこの地にオーラを感じる。碑文によると、宣長死後150年を期して地元の顕彰会が建立した。  閉じる

    投稿日:2019/06/18

  • ビルの間に石碑があった

    • 3.0
    • 旅行時期:2018/11(約7年前)
    • 0

    東京の下町に本居宣長のゆかりの地がたくさんあって、伊勢松坂から直接、江戸に来たものと思っていたら、京都で5年も学んでいた。...  続きを読む
    その学塾の跡が、烏丸を渡って綾小路室町の西にあった。
    ビルの合間に石碑があるだけで、気を付けていなければ見過ごす。
    たまたまホテルに戻る途中目についた。
      閉じる

    投稿日:2019/10/07

  • この場所で学んでいたのですね。

    • 3.5
    • 旅行時期:2018/11(約7年前)
    • 0

    毎年のように京都に行くようになってずいぶんいろいろな場所にであったが、あちこち歩いていると、「あら、こんなところにも」とい...  続きを読むうように石碑が建っていたりして面白い。

    四条通りから駅の方に一本入った通り沿いのビルの前にも、この碑が立っていました。。

    歴史上の有名な人物がかつてここで学んでいたと知ることもたのしいですね。

      閉じる

    投稿日:2018/11/27

  • 本居宣長が京都で学んでいたとは・・・

    • 3.5
    • 旅行時期:2017/07(約8年前)
    • 0

    綾小路通りにひっそりとありました。本居宣長は確か三重の生まれだったかと記憶しています。場所的には遠くは無いですが、京都で学...  続きを読むんでいたとはつゆ知らず。
    当時の京都の医学は進んでいたんでしょうか。
    ちょっとびっくりです。  閉じる

    投稿日:2017/08/29

  • 本居宣長の若かりし日

    • 3.5
    • 旅行時期:2017/07(約8年前)
    • 0

    本居宣長先生修学之地は、四条通りの一本南、綾小路通に石碑がポツンと建っていました。
    ここに儒学・漢文学の堀景山、医学の武...  続きを読む川幸順の塾があり、本居宣長の若かりし日、5年間勉強に励んだのだそうです。その後の古事記解読の基礎の一つが京都にもあったと思うと、ちょっと楽しい気分になりました。  閉じる

    投稿日:2017/08/14

  • 京都にも居たんですね

    • 2.0
    • 旅行時期:2014/08(約11年前)
    • 0

    烏丸四条に地階綾小路通りの南側に、壁に寄り添う様な形で本居宣長先生修学之地はたっています。このため気付かない人も多いはず。...  続きを読む
    本居宣長と言うと三重の松阪の印象が強いのですが、京都に5年間も儒学、医学を学ぶために居たとは知りませんでした。  閉じる

    投稿日:2016/06/14

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基本情報(地図・住所)

施設名
本居宣長先生修学之地
住所
  • 京都府京都市下京区綾小路通新町東入南側
カテゴリ
  1. 観光・遊ぶ
  2. 名所・史跡
登録者
エロシ さん

※施設情報については、時間の経過による変化などにより、必ずしも正確でない情報が当サイトに掲載されている可能性があります。

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