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浅見絅斎邸址

名所・史跡

浅見絅斎邸址 クチコミ・アクセス・周辺情報

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クチコミ・評判

1~18件(全18件中)

  • 立ち止まってご覧なってね

    • 3.5
    • 旅行時期:2023/03(約3年前)
    • 0

    京都の台所といわれる「錦市場」を散策しアーケード街を抜け大丸の北側、はなまるうどんの横に「浅見絅斎邸址」の石標が建っていま...  続きを読むす。良く知らなかっら方で後で調べますと近江国高島郡太田村の出身で京都で医学を山崎闇斎に学び門人三傑の一人となった人物のようで、朱子学者として大義名分論を説きその著「靖献遺言」は幕末の志士にも読まれ影響は大きかったようです。この石標は浅見絅斎が開いた私塾錦陌講堂の跡を示すものです。ポツンと建っているだけで観光客は錦市場が気になるようで通り過ぎるだけですね。是非立ち止まってご覧なってくださいね。  閉じる

    投稿日:2023/04/05

  • 江戸時代前期に活躍した儒学者であり思想家

    • 3.0
    • 旅行時期:2022/09(約3年前)
    • 0

    浅見絅斎は、江戸時代前期に活躍した儒学者であり思想家です。その邸宅跡であることを示す石碑が、錦小路通りの一画にあります。石...  続きを読む柱型の碑ですが、刻まれた文字が読みにくく、また詳しい案内書きなどがないので、正直分かりにくい史跡でした。  閉じる

    投稿日:2022/11/20

  • 朱子学者の家と私塾があった場所

    • 3.5
    • 旅行時期:2022/09(約3年前)
    • 0

    錦小路の中、高倉通の近くに碑があります。江戸時代の著名な儒学者であり思想家の浅見絅斎の屋敷があったそうです。私塾錦陌講堂を...  続きを読むこの場所に開き、幕末の多くの志士に影響を与えた書物なども書いたそうです。京都にはこういった多くの私塾跡の石碑があり、京都が、思想や文化の大事な発信地であったことを感じさせられます。  閉じる

    投稿日:2022/10/13

  • 邸宅跡

    • 3.0
    • 旅行時期:2022/09(約3年前)
    • 0

    夕食後のウォーキングで訪れた名所旧跡です。

    江戸時代の思想家であった浅見絅斎(あさみけいさい)の邸宅跡です。
    場所...  続きを読むは大丸京都ビルの脇に置かれています。

    解説プレートを読んで初めて知った人で、医学に関する著名な方だったんだなぁ~ぐらいの感じでした。

    チラ見で充分ですね。  閉じる

    投稿日:2022/09/29

  • 大丸裏手の錦小路通り

    • 3.0
    • 旅行時期:2022/05(約4年前)
    • 0

    浅見絅斎は江戸中期の儒学者です。山崎闇齋に入門し、崎門三傑とされた人物です。石碑はけっこう古いようで、裏にまわって説明文を...  続きを読む読まないと判然としません。大丸裏手の錦小路通り、はなまるうどんが目印になりました。  閉じる

    投稿日:2023/02/15

  • 宿泊したホテルから、錦天満宮に行く途中にありました。
    小さな細い目立たない石碑です。
    浅見絅斎は、京都で医学を学んだ人...  続きを読むで、朱子学者でもあり、幕末の志士が、この方の著作を好んで読んだそうです。
    彼が開いた私塾の跡に石碑が建っています。  閉じる

    投稿日:2021/12/18

  • 買い物客で賑わう大丸京都店の北側

    • 3.0
    • 旅行時期:2021/10(約4年前)
    • 0

    大丸京都店の北側入り口の脇にぽつんと「浅見絅斎邸址」と彫られた小さな石標が立っています。浅見絅斎(あさみけいさい)は江戸中...  続きを読む期の儒者で、医家の生まれで京都に出て医学を学んだのですが、「山崎闇斎」に入門し、門人三傑の一人となった人です。また、朱子学者として「大義名分論」を説き、その著書である「靖献遺言」は幕末の志士に広く読まれました。石標の裏にはちゃんと説明書きがあり、ここは「浅見絅斎」が開いた私塾「錦陌講堂」の跡だそうです。  閉じる

    投稿日:2021/11/17

  • 江戸の儒学者

    • 3.0
    • 旅行時期:2021/06(約5年前)
    • 0

    錦市場の西端からもう少し歩いたところ、大丸の裏手にあります。単に石碑があるのみで、文字もかすれ気味でした。江戸の儒学者であ...  続きを読むり思想家です。著作である靖献遺言は江戸末期の尊王思想の大きな影響を与えたらしいですが、説明書きはやはりほしいですね。  閉じる

    投稿日:2021/10/06

  • 浅見絅斎邸址

    • 3.0
    • 旅行時期:2021/01(約5年前)
    • 0

    錦小路通りがわの大丸、はなまるうどんの横あたりにこの石碑が立ってる。浅見絅斎というひとの邸址。大正五年って書いてあるから結...  続きを読む構古い。これだけで、解説ないから何もわからないってそのときは思ったのだけど、帰宅して他の人の写真目に入ったときに、え、石碑の裏側に解説ついてるわって気がついた。表と横しか見てなかった。。
      閉じる

    投稿日:2021/01/16

  • 私塾「錦陌講堂の跡」でもあります

    • 3.0
    • 旅行時期:2019/10(約6年前)
    • 0

    設置場所は中京区錦小路通高倉西入南側となっていますが、わかりやすく言うと錦市場を西へ行き左側に「はなまるうどん」が、その先...  続きを読むには「大丸への入口」があります。その間にあります。へぇーこんなところに? と見逃し安いのでキョロキョロみて歩いてください。
    浅見絅斎は京で医学を学び、その後山崎闇斎の門下となりました。1684年から1687年に書かれたと言われる「靖献遺言」は幕末の志士に広く読まれ影響を与えています。
    この石碑は、浅見絅斎が開いた「私塾錦陌講堂の跡」を示すものです。
    錦小路通りにあります、車両通行時にはぶつけない様にお願いします。   閉じる

    投稿日:2020/01/26

  • 塾のあと

    • 3.0
    • 旅行時期:2019/01(約7年前)
    • 0

     浅見絅斎(1652~1711)は江戸時代中期に活躍した儒学者だ。近江の出身で京都の山崎闇斎に入門。崎門三傑といわれるほど...  続きを読む英才ぶりを発揮したが、尊王論者で武家には一生仕官せず、市井の塾で研究と子弟の育成に努めた。その思想は幕末の志士に影響を与えたという。この碑は大正5年に建立されているが、明治維新の立役者らがその功績をたたえたのだろう。  閉じる

    投稿日:2019/06/15

  • 人が多い場所にぽつんと

    • 3.0
    • 旅行時期:2018/10(約7年前)
    • 0

    京都大丸の北側の、飲食店などが並ぶ賑やかな通りに碑だけぽつんとありました。碑に書かれた字は古くて読みにくかったです。人がと...  続きを読むても多いのに、気が付く人はあまりいなさそうでした。浅見絅斎(けいさい)は近江生まれの江戸中期の儒者です。幕末の尊王思想に多大な影響を与えたとのことです。当時のこのあたりは今の賑わいとは違う趣だったのかなと思いました。  閉じる

    投稿日:2018/10/31

  • 私塾の跡でもあります。

    • 3.0
    • 旅行時期:2016/08(約9年前)
    • 0

    浅見絅斎とは京都で医学を学び、山崎闇斎に心服し入門して、門人三傑の一人となった人物です。
    朱子学者として大義名分論を説き...  続きを読む、浅見氏が開いた私塾の錦陌講堂の跡を示すものですが、京都大丸百貨店の近くにひっそりとある様子が、京都らしくて、良いです。  閉じる

    投稿日:2017/06/23

  • 京都御所へ向かうので大丸京都店の北側から出るとすぐ右に建てられていた石碑、浅見絅斎という名前は初めて聞く、石碑には次のよう...  続きを読むに刻まれていた、江戸中期の儒者で名は安正,望南楼と号した、近江の国高島郡の医家に生まれ京都の山崎闇斎に入門、そこでは山崎三傑と言われていた、一生任官せず京都の油小路に講舎を設けて研究と子弟の教授を務めたとされている、参考資料:大正五年に京都市教育会が設置の石碑の碑文  閉じる

    投稿日:2015/04/26

  • 浅見絅斎が開いた私塾錦陌講堂の跡

    • 3.0
    • 旅行時期:2015/03(約11年前)
    • 0

    大丸百貨店の北側入り口に近く、錦小路に面した通りに「浅見絅斎邸址」と彫られた小さな石標が立っています。
    江戸時代の儒学者...  続きを読む・思想家で、幕末の尊王思想に多大な影響を与え、明治維新の原動力の一人である浅見絅斎が開いた私塾錦陌講堂の跡を示すものです。
    単に、目立たない石標が立っているだけで、ほとんどの人が気づかずに通り過ぎるだけです。幕末の歴史に興味のある方は、錦市場に来たついでにでもご覧になればよいでしょう。



      閉じる

    投稿日:2015/03/19

  • 幕末の志士たちに影響を与えた人物

    • 3.5
    • 旅行時期:2015/01(約11年前)
    • 0

    浅見絅斎邸址は、大丸の裏手側の錦市場に近い方に石の杭が立っていました。
    ちなみに、浅見絅斎は、滋賀県出身。徹底して説いた...  続きを読む尊王斥覇論は、武力で天下を取った徳川幕府を否定するものであり、江戸時代の思想家で幕末の志士たちに影響を与えた人物のようです。  閉じる

    投稿日:2015/02/10

  • 大丸の入口付近に建つ朱子学者の石碑

    • 3.0
    • 旅行時期:2014/03(約12年前)
    • 0

    錦市場の入口近く、大丸デパート京都店の入口付近にある小さな石柱です。
    ちょっと色あせた感じの柱なのと、デパートの敷地内な...  続きを読むので柱のそばには歩道との区切りのパイロンなどが並び、見落としそうな、殺風景な感じの場所です。
    江戸時代の有名な朱子学者で、私塾「錦陌講堂」をこの地に開いたことを伝えています。
    柱だけですので、錦市場などでの買い物ついでにでも見ていってはいかがでしょう。  閉じる

    投稿日:2014/04/06

  • 京都大丸入口にあります

    • 3.0
    • 旅行時期:2014/01(約12年前)
    • 0

    幕末の志士に影響を与えた浅見絅斎は近江出身の江戸時代の儒学者、思想家。その浅見絅斎邸址は今の京都大丸の所にあり、大丸の錦小...  続きを読む路側の入り口の左手にひっそりと石碑が建立されています。浅見絅斎を知る人はあまりいなので、近寄って見る人はほとんどいません。  閉じる

    投稿日:2014/01/21

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基本情報(地図・住所)

施設名
浅見絅斎邸址
住所
  • 京都市中京区錦小路通高倉西入南側
公式ページ
詳細情報
カテゴリ
  1. 観光・遊ぶ
  2. 名所・史跡
登録者
エロシ さん

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