新琴似屯田兵中隊本部
名所・史跡
3.29
クチコミ・評判
1~7件(全7件中)
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新琴似の開拓の歴史を伝える『新琴似屯田兵中隊本部』
- 4.0
- 旅行時期:2020/09(約5年前)
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入植者の本部として使われた立派な建物
- 4.0
- 旅行時期:2020/07(約5年前)
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新琴似の屯田兵の業績を詳しく知る
- 3.5
- 旅行時期:2016/10(約9年前)
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札幌への屯田兵の入植は明治7年に始まったとのことですが、新琴似では、明治20年に屯田兵が入植し、中隊本部の建物はその1年前... 続きを読む、明治19年(1886年)に建てられたそうです。
琴似にも駅の南側に屯田兵屋がありますが、新琴似のものは中隊長が入っていただけあって、もっと立派です。
新琴似神社の隣にあり、駐車場などもあります。
無料で入れますが、開放日が火・木・土に限られています(開放は4月から11月)。
建物の中には新琴似の屯田兵の業績が解説展示してあり、中隊長の席や当時の礼服の展示、それに屯田兵だけに、農機具類の展示もありました。
番をしているお年の嘱託の方がいて、自分の昔話を交えながら、昔の様子を聞けるので、屯田兵以外でも興味深いエピソードを知ることができました。 閉じる投稿日:2016/10/24
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屯田兵の活動を再現したジオラマがすばらしいです
- 4.0
- 旅行時期:2014/11(約11年前)
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九州出身者が中心
札幌には合計4カ所の屯田兵村(へいそん)が置かれ、最初に琴似と山鼻に相次いで入植し、10年ほどあ... 続きを読むいてこの新琴似屯田兵が設置されています。
そして、その10年ほどの間に、西南戦争がありました。
琴似と山鼻は、主に会津など東北諸藩の出身者で構成され、その屯田兵が出兵した西南戦争の地域、つまり九州から、この新琴似屯田兵村に入植しました。
その辺りを勝手に想像してみると、西南戦争の勝ち組と負け組の構図になるのでしょうか。もっとも活躍した琴似と山鼻の屯田兵たちも、あまり報われていませんし、その上官たちは主に薩摩の出身ですから、もっと複雑かも知れません。
それはさておき、暖かい九州四国の出身者たちは、北海道の厳しい寒さと雪、そして泥炭湿地のぬかるみとの戦い、夏場の蚊の大発生、ヤチネズミの襲来など、多くの困難を経験し、脱落する人もいたと言います。
募集に当たった役人は、「川には鮭がぎょうさん昇ってくるから、素手でいくらでもとれる。食い物にはけして困らんぞ。」てなことを言って、半分だますようにして連れてこられた人もいたそうです。
とはいえ、厳しい自然に敢然と立ち向かい、原野を開墾し、現在の新琴似の礎となったわけです。
見事な展示物
この屯田兵村本部は、地元の有志の方(屯田兵の子孫も)の協賛の元に資料館として開館したもので、主に民間の力で運営されているということでした。
3000万円の費用を投じて修繕や展示物を整えたそうですから、じつに行き届いています。
実際の屯田兵の生活を今に伝える品々もさることながら、屯田兵の生活を描いた畳二畳ほどもあるジオラマがすばらしいです!(すべて手作りで、残念なことに、これを制作した会社は、いまでは無くなってしまったそうです)
彼らが、軍隊であると同時に農耕も営んでいたという事実が、精巧なミニチュアで表現されています。
さらに、この本部の建物はアメリカで1830年代に開発されたツーバイフォー(バルーンフレーム)を取り入れていて、天井裏には梁はなく広々しています。
その空間を利用して養蚕を行っていた時期もあったようです。
この工法は、アメリカ西部の開拓を大いに推進した要因になったといいます。
あの時計台も同じ構造を採用しています。
※入館無料 4~11月の火、木、土曜日 10~16時のみの開館です。十分な広さの駐車場があります。
閉じる投稿日:2014/11/05
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水辺と開墾の道
- 4.0
- 旅行時期:2014/09(約11年前)
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札幌市の指定文化財にもなっている立派な建築です
- 4.0
- 旅行時期:2014/07(約11年前)
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開館日に注意
- 3.0
- 旅行時期:2013/06(約13年前)
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