屯田兵の活動を再現したジオラマがすばらしいです
- 4.0
- 旅行時期:2014/11(約10年前)
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by ちびのぱぱさん(男性)
琴似・発寒中央 クチコミ:1件
九州出身者が中心
札幌には合計4カ所の屯田兵村(へいそん)が置かれ、最初に琴似と山鼻に相次いで入植し、10年ほどあいてこの新琴似屯田兵が設置されています。
そして、その10年ほどの間に、西南戦争がありました。
琴似と山鼻は、主に会津など東北諸藩の出身者で構成され、その屯田兵が出兵した西南戦争の地域、つまり九州から、この新琴似屯田兵村に入植しました。
その辺りを勝手に想像してみると、西南戦争の勝ち組と負け組の構図になるのでしょうか。もっとも活躍した琴似と山鼻の屯田兵たちも、あまり報われていませんし、その上官たちは主に薩摩の出身ですから、もっと複雑かも知れません。
それはさておき、暖かい九州四国の出身者たちは、北海道の厳しい寒さと雪、そして泥炭湿地のぬかるみとの戦い、夏場の蚊の大発生、ヤチネズミの襲来など、多くの困難を経験し、脱落する人もいたと言います。
募集に当たった役人は、「川には鮭がぎょうさん昇ってくるから、素手でいくらでもとれる。食い物にはけして困らんぞ。」てなことを言って、半分だますようにして連れてこられた人もいたそうです。
とはいえ、厳しい自然に敢然と立ち向かい、原野を開墾し、現在の新琴似の礎となったわけです。
見事な展示物
この屯田兵村本部は、地元の有志の方(屯田兵の子孫も)の協賛の元に資料館として開館したもので、主に民間の力で運営されているということでした。
3000万円の費用を投じて修繕や展示物を整えたそうですから、じつに行き届いています。
実際の屯田兵の生活を今に伝える品々もさることながら、屯田兵の生活を描いた畳二畳ほどもあるジオラマがすばらしいです!(すべて手作りで、残念なことに、これを制作した会社は、いまでは無くなってしまったそうです)
彼らが、軍隊であると同時に農耕も営んでいたという事実が、精巧なミニチュアで表現されています。
さらに、この本部の建物はアメリカで1830年代に開発されたツーバイフォー(バルーンフレーム)を取り入れていて、天井裏には梁はなく広々しています。
その空間を利用して養蚕を行っていた時期もあったようです。
この工法は、アメリカ西部の開拓を大いに推進した要因になったといいます。
あの時計台も同じ構造を採用しています。
※入館無料 4~11月の火、木、土曜日 10~16時のみの開館です。十分な広さの駐車場があります。
- 施設の満足度
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4.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 新琴似駅から歩いて5分
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- すばらしく空いています
- 見ごたえ:
- 4.0
クチコミ投稿日:2014/11/05
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