2014/05/06 - 2014/05/10
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台南市にある鄭成功縁の延平郡王祠の紹介です。祠の中央には鄭成功の座像が祀られ、後殿には彼の母『翁太妃』の位牌が安置されています。『翁太妃』は、長崎県の平戸生まれの日本人、『田川松』です。
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延平郡王祠の中庭を囲む建物光景です。青色の屋根瓦が印象的な鄭成功に因む建物です。創建は1662年ですが、現在の建物は第二次大戦後に建替えられたものです。中国北方式建築様式とされます。
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『甘輝将軍』の塑像です。大事そうに黄色の箱包みを手に持った像です。近松門左衛門の人形浄瑠璃、国性爺合戦では、和藤内(鄭成功)が同盟を結んだ、異母姉の夫で韃靼の将軍の甘輝として登場します。
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『萬礼将軍』の塑像です。神格化された鄭成功(開台聖王)の脇侍のようです。ネット情報では、鄭成功の腹心の将軍の一人との情報がありました。
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『鄭成功の歴史と伝説』のタイトルがあった説明パネルです。鄭成功の台湾における評価は、①歴史の英雄、②民族の祖先、③地方の祭神、④神話的人物と列挙されていました。異なる王朝(明朝、清朝)から官位を授けられたことでも特異です。更にその功績は、中国、日本と台湾に及んでいます。
下半分の『出身とその教育』の説明パネルでは、1624年長崎の平戸で生まれ、幼名が福松であったことなどが紹介されていました。家族で福建に渡った後、15歳で科挙に合格し、南京の大学に進んだことなども祖愉快されていました。名前は鄭森と改めました。 -
前段は、『国姓爺』と『延平王』という名の由来の説明文です。1644年、呉三桂が清軍を中国に引き入れ、明朝が滅亡、東南沿海地区では明朝政府の延命が図られました。鄭成功の父、鄭芝龍は福州で唐王の朱を隆武帝に擁立しました。この時、鄭芝龍は平国王に、鄭森は朱成功の名前と忠孝伯に封じられました。この後、民間では鄭成功を『国姓爺』と呼ぶようになりました。
隆武帝が清軍に捕らえられ、鄭芝龍は抵抗を諦めましたが、鄭成功は数百隻の船と10万の兵を集め抵抗を続けました。この時、南明朝の桂王(永歴帝)から、『延平王』に封じられました。
後段の『鄭成功の台湾攻略の理由』では、1658年、鄭成功は南京に向けて北伐を決起しましたが、清軍の籠城作戦の前に兵站が維持できず、厦門に引き返しました。この後、清朝の『海禁政策』に対抗するため、台南の地図と海図を入手し、台湾のオランダ軍を駆逐しました。 -
『オランダ人を駆逐し、台湾の開拓に尽くす』のタイトルの説明文です。鄭成功は2万5千の兵を率い、1661年に金門を出発し、台湾に上陸しプロヴァンシア城(赤嵌楼)を攻め落しました。この際、父・芝龍の部下だった人がオランダの通訳を務めていたことで密かに入手できた、海図と地図がオランダ攻略の鍵になりました。承天府を設けて天興と万年の2県を管轄すると、次はゼーランジア城(安平古堡)を包囲し、1662年2月に開城させ、和議となりました。オランダ軍は2千人余りを引き連れバタビア(ジャカルタ)に引き上げ、38年に及ぶオランダの台湾統治は終焉しました。鄭成功が台湾の英雄とされる由縁です。
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前段が『鄭成功早すぎた死』、後段が『鄭成功墓址』のタイトルの説明文です。鄭成功が亡くなったのは、1662年6月末のことです。台湾からオランダを駆逐してまだ4か月ほど語っていない時です。死因にはマラリアなど諸説があります。享年39歳でした。
鄭成功は1662年6月23日に亡くなり、現在の永康氏塩行里に葬られました。その後、この鄭経も傍に葬られましたが、故郷の福建省に改葬され、元の墓は荒廃しました。1980年、その墓跡と思われる場所に記念碑が建てられました。 -
『王城(現在の安平古堡)』のタイトルの説明文です。オランダは1624年、現在の台南安平に城砦を築き、オランジ城と命名、1627年にゼーランジア城と改名しました。1662年、鄭成功が攻め落としてからは、安平鎮城と改称されました。鄭成功は亡くなるまでの5か月間、この城砦に滞在していたため、『王城』と呼ばれたことが紹介されていました。
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『承天府(現在の赤嵌楼)』のタイトルがあった説明パネルです。オランダ人が赤嵌一帯にプロヴァンシアと呼ぶ街を築いたのは1652年頃です。植民地政策の軋轢が原因の暴動が1652年に発生し、そのことがきっかけで、オランダは台江を隔てゼーランシア城とプロヴァンシア城を築き、守りを固めました。
1662年、鄭成功がプロヴァンシア城を攻め落とすと、承天府と名前を改め、天興と万年の2県統治の拠点としました。その後、子の鄭経が即位し、名を東寧府と改めました。
同治年間(1862〜1874年)以降、敷地内に大士殿、海神殿、署員、文昌閣、五氏祠等が建てられました。 -
『台南市内の鄭成功を祀る廟』のタイトルがあった説明パネルです。台南市北区にある『開元寺』が紹介されていました。元は、鄭成功の子の鄭経の台湾での住居址です。清代の1690年に改築されて、台湾最大の仏教寺院となりました。名は『海会寺』、あるいは『開元寺』と呼ばれました。『開山堂』には、延平郡王の位牌が置かれ、鄭氏時代の多数の遺物が保存されています。
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日本統治時代の開山神社時代の神輿などです。鄭成功の子孫らしい人の落款がある民国46年(1957年)の扁額も飾られていました。
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神輿の説明看板です。漢文だけの説明でした。毎年の農歴(旧暦)3月に、台南の媽祖祭りの時に開山王廟から担ぎ出されたようです。日本土地時代の開山神社時代にも担ぎ出されたようです。
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き上げて、バケツに水を汲む旧式のものです。次の写真には、綱を巻き上げる心棒にハンドルが付いていました。
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井戸の横に置かれていた大きな甕です。汲み上げた水を貯めておくもののようです。上の小さな甕には、小さな管が付けられていました。勝手な推測ですが、不純物を濾す目的の装置でしょうか。
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建物と建物の隙間の光景です。左側の建物の基礎が、一段高い基壇を設けてありました。本殿の建物だったかもしれません。
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明の寧靖王とその五人の妃の神位です。清朝に攻められ、自決したのは1683年のこととされます。現在、墓は高雄にあります。
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イチオシ
鄭成功の実母、田川マツ(1601〜1646年)の肖像画です。江戸時代の肥前国平戸藩士田川七左衛門の娘です。明国福建省の海商、鄭芝龍の妻となり、後の英雄・鄭成功を生みました。鄭芝龍の故郷の福建省に、親子ともども移り住みましたが、1646年、清による福建侵攻の際、邸内に攻め込まれ自害しました。鄭芝龍は、当時の福建省周辺でもっとも強い勢力をもった武装商団を率いていました。
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鄭成功の母の田川マツを祀った位牌が置かれた祭壇の光景です。高貴な感じがする、落着いた黄色系統の祭壇です
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鄭成功の母の田川マツを祀った位牌のアップ光景です。『翁太妃田川氏之神位』と記してあります。以前、現地ガイドさんから、父が海賊だったため、母だけを祀ってあるとの説明を受けましたが、真偽のほどは分かりません。
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左の位牌には、『明●靖郡王五妃之神位』、右の位牌には『明●靖郡王●術桂神位』の文字が記されていました。読めない文字がいくつかありました。
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『嘉義渓口開元殿田川氏雕像』の説明文が記された写真です。田川マツの若い頃を模した和服姿の彫像のようです。嘉義溪口開元殿は、民族英雄としての鄭成功を祀る廟です。
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右端に、『祝成功祖復台320周年記念』の文字が記された扁額です。鄭成功の子孫たちが集まった催しの際に掲げられた扁額のようです。民国70年(1981年)の日付がありました。
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延平郡王祠の境内光景です。日本ともよく似た、5月の新緑の光景でした。新緑の淡い緑と、常緑の濃い緑の光景です。
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立派な天井装飾が施された回廊の光景です。描かれているのは、龍の絵のようです。両側の柱や壁は朱色で統一されていました。
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『王平延明』の扁額が懸った、模擬の建物風の祭壇の中に坐した鄭成功の像です。扁額の落款は、台南市14〜15代市長の許添財氏です。
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イチオシ
鄭成功の座像のアップ光景です。鄭成功の父、鄭芝龍(1604〜1661年)の紹介です。中国明朝末期に中国南部および日本などで活躍した貿易商、海賊で官員です。千隻単位の船団を率いたとされます。語学に優れ、剣道を得意とし、ギター演奏も出来たようです。
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一度紹介した、延平郡王祠の建物光景です。最初は振り返って眺めた入口門の光景です。青色の屋根瓦は、瑠璃瓦と呼ぶようです。瑠璃色の釉薬を施した瓦です。
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中から眺めた入口門と、それに続く回廊風の建物光景です。木造建築とは少し違った色彩感覚の装飾でした。
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イチオシ
正面に戻って、正殿の建物光景です。一見木造建築ですが、ネット情報では、戦後に建替えらえられた鉄筋コンクリート造りの建物です。外観は中国北方式建築様式です。
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この写真では、マメ科の植物の中央の樹木の方を紹介します。英名では『インディア・コーラル・ツリー』の表示がありました。日本では沖縄に自生するデイゴの仲間のようです。
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