2026/08/14 - 2026/08/14
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worldspanさん
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旅の一番の目的は、1日のお参りで千日分の功徳が得られるとされる清水寺の「千日詣り(8月9日~16日)」への参拝だ。
最大の特別体験は、普段は入ることができない国宝・本堂の「内々陣(ないないじん)」へ足を踏み入れられる点にある。通常の拝観では見られない内々陣で献灯を行い、御前立の観音様や二十八部衆といった重厚な仏像群を間近で拝む貴重なひとときを味わった。
清水寺参拝の前後には東山の街並みをのんびりと散策。八坂神社で旅の無事を祈願し、八坂の塔として親しまれる法観寺を望む石畳の小路を歩くなど、京都らしい風情を存分に満喫した充実の夏旅となった。
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夏の風物詩、千日詣りを目指す朝。目的地は、特別なご利益があるとされる清水寺。旅の始まりは阪急京都線のホーム。緑の案内板と、紫色のシックな「PRiVACE)」のサイン。京都河原町へ
大阪梅田駅 駅
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今回は阪急電鉄の特急で行くが、有料座席をはじめてりようする。
阪急京都本線 乗り物
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阪急京都線の特急系車両(特急、準特急など)に連結されている、1両(4号車)だけの特別な座席指定車両である。コンセプトは「“自分時間”にこだわる、阪急らしい特別な一両」であり、落ち着いた木目調のインテリアと上質な空間が特徴
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どの区間でも一律500円(税込)の座席指定料金が必要だが、立っている人を気にせず乗車できるのが嬉しい。
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各席にコンセント完備、Wi-Fi利用可能、収納式テーブルを備え、2人掛け席の間にはパーティションがあり、プライベート感に配慮されている。また、各席ごとに窓が設けられており、沿線の風景を楽しめる。
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電車がいよいよ大阪梅田を出発し、京都河原町へ。車窓からは、梅田エリアの象徴である高層ビル群や、特徴的な輪っかのある「梅田スカイビル」の姿が遠くに見える。都会のビル群から徐々に緑豊かな風景へと移り変わっていく
梅田スカイビル 空中庭園展望台 名所・史跡
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そしてあっという間に河原町へ。京都の目抜き通りである四条通と河原町通が交差する、まさに京都の中心地。この薬 マツモトキヨシ 京都四条河原町店が位置するのは、古くからの商業の歴史とモダンな街並みが交ざり合う、観光客や地元の人々で常に賑わうエリアである。
河原町通 名所・史跡
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四条大橋の西詰めに佇む、目を引く豪華な洋館。それが、北京料理の老舗「東華菜館 本店」である。大正時代に建てられたスパニッシュ・バロック様式の建築は、京都の街並みの中でひときわ異彩を放つ。鴨川のほとりに刻まれた、時代を超えて愛される歴史ある佇まい
東華菜館 本店 グルメ・レストラン
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高四条大橋の西詰めに佇む、目を引く豪華な洋館。それが、北京料理の老舗「東華菜館 本店」である。大正時代に建てられたスパニッシュ・バロック様式の建築は、京都の街並みの中でひときわ異彩を放つ。鴨川のほとりに刻まれた、時代を超えて愛される歴史ある佇まいく広がる夏空の下、鴨川に架かる四条大橋の上。涼やかな風が吹き抜け、川面に映り込む白い雲が美しい。橋を行き交う人々の活気、そして正面に見える京都らしい伝統的な佇まい
四条大橋 名所・史跡
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八坂神社の西楼門。四条通の東端に凛と佇む。青空を背景に、その鮮やかな朱塗りの姿がひときわ力強く映える。清水寺へと向かう道すがら、京都の歴史と信仰の息吹を間近に感じる場所の一つでもある。
八坂神社 寺・神社・教会
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八坂神社の境内、参拝客の目を引くのがこの「舞殿(ぶでん)」。軒下を埋め尽くすように吊るされた、無数の提灯。その一つひとつに、寄進した店や人々の名が記され、祇園という街の結束と信仰の深さを物語る。夏の日差しを受け、風に揺れる提灯が描き出す京都らしい光景。静かに佇む舞殿の、厳かなる存在感がある。
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本殿は承応3年(1654年)に再建されたもので、その地下には青龍が住むという龍穴の伝説も残されている。長い年月を経てなお変わらぬ信仰の深さを物語る荘厳な佇まい。
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平安京遷都以前からの歴史を有し、京都の街の守り神として深く崇敬されてきた八坂神社。その境内奥深くに鎮座する国宝の本殿は、ただならぬ威厳を放つ。本来別々であった本殿と拝殿を1つの大屋根で覆う「祇園造」と呼ばれる独特の建築様式を持ち、厄除けや疫病退散の神として古来より多くの人々が参拝した
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東山に位置する高台寺(こうだいじ)の表門である。慶長11年(1606年)、豊臣秀吉の正室である北政所(ねね)が、亡き秀吉の菩提を弔うために建立した由緒ある寺院の正門にあたる。
構造は切妻造・瓦葺きの「薬医門(やくいもん)」様式をとっており、国の重要文化財に指定されている。伏見城の城門を加藤清正が移築したものとも伝えられ、桃山時代特有の力強く豪壮な建築美を今に伝えている。
門に掛けられた白い幕には、豊臣家の象徴である「五七の桐」と皇室ゆかりの「菊紋」が描かれており、政権の中心にいた秀吉とねねの権威の高さを物語っている。ねねの道の東側にどっしりと佇み、かつて彼女が歩んだ歴史の息吹を色濃く残す格調高き名門である。大雲院 (京都市) 寺・神社・教会
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都のランドマークの一つである「八坂の塔」ですね。正式には法観寺。
周囲の木造家屋に溶け込むように建つこの五重塔は、飛鳥時代に聖徳太子によって創建されたと伝えられる歴史ある場所です。現在の塔は室町時代に足利義教によって再建されたもの法観寺 (八坂の塔) 寺・神社・教会
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町並みの間から見上げる、法観寺の「八坂の塔」。青空を背景に、幾重にも重なる五重塔の屋根と精緻な木組みが圧倒的な存在感を放つ。飛鳥時代に聖徳太子によって創建されたと伝わるこの塔は、幾多の戦火や災難を乗り越え、室町時代に再建された当時の姿を今に伝える。
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八坂の塔周辺から清水寺へと続く、京都・東山の伝統的な町並み。美しい木造の町家が軒を連ね、石畳の小道と豊かな緑の山並みが一体となって、古都ならではの風情ある景観を作り出している。空高く広がる夏空の下、伝統的な家屋の屋根が連なる姿は、訪れる人々をタイムスリップしたかのような穏やかな気持ちにさせてくれる
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八坂通。古くから京都の観光名所としてだけでなく、人々の信仰と生活が息づくエリアとして発展してきた。特に八坂通は、清水寺へと至る重要な参道の一つとして古来より多くの参拝客が行き交い、周辺には伝統的な町家や寺院が建ち並ぶ、歴史的景観が今なお色濃く残る場所
八坂通り 燕楽 グルメ・レストラン
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産寧坂(三年坂)は歴史的に、清水寺への参詣道として整備された。石畳の両脇に伝統的な京町家が並び、現在はお土産屋や甘味処が軒を連ねる非常に人気の高いスポット。「三年坂」という名の由来には諸説あり、古くからこの坂で転ぶと三年以内に亡くなるという怖い言い伝えも有名ですが、同時に「ここで転ぶと三年寿命が延びる」というユニークな逆説も広く知られている。
三年坂 (産寧坂) 名所・史跡
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石畳と伝統的な京町家が織りなす景観は、多くの観光客を惹きつけてやみません。この坂道には、先述の通り「ここで転ぶと三年寿命が延びる」というユニークな言い伝えがあり、清水寺への参詣道として古くから多くの人々に親しまれてきた
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風情ある町並みが続く京都・東山の「二年坂(二寧坂)」、大正時代からの趣を残す京町家や瓦屋根が連なり、伝統的な日本の美しさが今なお大切に守られているエリア
二年坂 名所・史跡
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清水坂、産寧坂や二年坂から登ってきた道と合流し、清水寺の門前へと続くこの坂道は、両側に土産物店、漬物店、甘味処などが立ち並び、一年を通して多くの参拝客や観光客で賑わうエリア。
清水坂 名所・史跡
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「ひょうたん屋」という甘酒屋として始まった「七味家本舗」、清水寺の参拝客に薬として白湯に入れた七味を振る舞ったことが評判となり、以来、名物の七味唐辛子店として親しまれいる
七味家本舗 グルメ・レストラン
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清水寺の境内へと足を踏み入れると迎えてくれる、鮮やかな朱塗りの「西門(さいもん)」と、青空へ向かって高くそびえ立つ「三重塔(さんじゅうのとう)」。
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西門は寛永6年(1629年)の大火で一度焼失しましたが、その後、江戸幕府第3代将軍・徳川家光の命により、寛永8年(1631年)に再建された。
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随求堂(ずいぐどう)、大随求菩薩(だいずいぐぼさつ)が祀られており、人々の願いや求めを何でも叶えてくれる功徳があるとされている。
このお堂の大きな特徴として、地下の真っ暗な回廊を手すり頼りに進む「胎内めぐり」が有名。暗闇の中で「随求真言(ずいぐしんごん)」を唱えながら進み、途中にある「大随求菩薩」の梵字が刻まれた大きな石(数珠)を回すことで、心願成就や生まれ変わりのご利益があるとされている -
西門の鮮やかな朱塗りと檜皮葺の屋根の脇からは、京都の街並みや遠く連なる山々が一望でき、夏空に浮かぶダイナミックな入道雲が古都の景色をより一層引き立てている。
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京都・清水寺の「三重塔」、高さは約31メートルを誇り、国内最大級の大きさを誇る三重塔として知られている。平安時代初期の宝亀11年(780年)に創建されたと伝わり、現在の建物は江戸時代初期の寛永9年(1632年)に再建された。
十三重塔 名所・史跡
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京都・清水寺の境内にある経堂。経典を収めるために建てられたもので、内部には釈迦如来を中心に文殊菩薩、普賢菩薩が祀られている。また、かつてはここで経典の書写や研究が行われていた
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清水寺の多くの伽藍と同様に、寛永6年(1629年)の大火によって一度焼失したが、その後、江戸幕府第3代将軍・徳川家光の寄進により、寛永10年(1633年)に再建されました。現在の建物もその時のもので、国の重要文化財に指定されている。
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普門閣。清水寺の多くの堂塔と同様に、寛永6年(1629年)の大火によって一度焼失したが、その後、江戸幕府第3代将軍・徳川家光の寄進により、寛永10年(1633年)に再建された。門に掲げられている「普門閣」という額は、観音菩薩の慈悲の門(普門)を意味しており、本尊である千手観音菩薩を祀る本堂(舞台)へと参拝者を迎え入れる重要な門であることを示している。
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朝倉堂。室町時代の永正7年(1510年)、越前の守護大名であり強力なパトロンであった朝倉貞景らによって、法華三昧堂として寄進・建立された。寄進者の名にちなんで「朝倉堂」と呼ばれている。
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創建当時は本堂を少し縮小したような「舞台造り」の建物だったが、寛永6年(1629年)の大火で焼失した。その後の再建時に崖地が平地に整地されたため、現在は平地建ての落ち着いた佇まいとなっている。
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清水寺の本堂、建物全体を支える太く丸く削り出された巨木(ケヤキなど)の柱や、幾重にも組まれた梁(はり)が、釘を一本も使わない「木組み」の伝統技法によって組み上げられている。ご本尊である「十一面千手観世音菩薩(秘仏)」が安置されている内陣へと続く空間であり、幾たびの火災を乗り越えて江戸時代初期(寛永10年・1633年)に再建された当時の重厚な佇まいを今に伝わる
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本堂は、寛永6年(1629年)の大火災で焼失したあと、江戸幕府第3代将軍・徳川家光の寄進により、寛永10年(1633年)に再建されたもので、国宝に指定。本堂の前面に張り出した「清水の舞台」は、険しい崖に一本足の巨木(ケヤキ)を縦横無尽に組み上げた「懸造り(かけづくり)」という伝統構法で作られている。一切の釘を使わず、木同士の噛み合わせだけで数十メートルの高さを支える、日本の古建築の粋を集めた構造
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写真中央に写る重厚感のある大きな建物が清水寺の本堂。檜皮葺(ひわだぶき)の美しい大屋根と、歴史を重ねた木造の佇まいが圧倒的な存在感を放っている
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阿弥陀堂、平安時代の長期元年(847年)、法上(ほうしょう)によって創建された日本最古の常行念仏道場としての歴史がある。
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清水寺の多くの堂塔と同様に、度重なる火災で焼失し、現在の建物は江戸時代初期の寛永10年(1633年)に、江戸幕府第3代将軍・徳川家光の寄進によって再建された
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内部にはご本尊として阿弥陀如来が祀られており、法然上人が日本で最初に常行念仏を始めた場所としても知られる、浄土信仰において非常に重要な意味を持つお堂
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「清水の舞台」です。険しい崖に沿って、一切の釘を使わずにケヤキの巨木を縦横無尽に組み上げる「懸造り」という伝統構法で作られている
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江戸時代、この舞台から実際に飛び降りて命が助かったら願い事が叶うという信仰があり、実際に多くの人が飛び降りたという記録(江戸時代を通じて約230件、生存率は約85%だったと言われている)から、現在でも「思い切って大きな決断をする」ことの比喩として使われている
清水寺 寺・神社・教会
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高さ約15メートルにおよぶ朱塗りの三重塔であり、国の重要文化財に指定されている。
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聖武天皇の皇后である光明皇后の祈願によって建立されたと伝えられ、名前が示す通り安産祈願(子安観音)の信仰を集める場所として広く知られている。かつては仁王門の南側に存在していたが、明治時代に現在の南丘の地へ移築された歴史を持つ。
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音羽の滝。清水寺の創建(宝亀11年・780年)以前から、行叡居士(ぎょうえいこじ)という僧がこの清らかな滝水を求めて修行をしていた。のちに坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)がこの地を訪れ、観音の慈悲を伝えるために寺を建立したことから、音羽山清水寺という名前の由来となった
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滝から流れ落ちる3本の水には、それぞれ「学問成就」「恋愛成就」「延命長寿(健康長寿)」などのご利益があると古くから伝えられている。参拝者は柄杓(ひしゃく)に水を受け、自身の願いを込めていただくのが恒例だ。
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忠僕茶屋 で休息
忠僕茶屋 グルメ・レストラン
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清水寺の境内、緑に囲まれた静かな場所にたたずむ「忠僕茶屋」を訪れた。歴史を感じさせる木造の店構えと、軒先に掲げられた「忠僕茶屋」の暖簾が迎えてくれる。
?店内は、赤い毛氈が敷かれた小上がりの席があり、そこには和柄のクッションと小さなちゃぶ台が用意されている。壁には清水寺にまつわる古いカレンダーや、色鮮やかなかき氷のメニューが貼られており、まるで時が止まったかのような、古き良き日本の風情が漂っている。
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今回は、夏にぴったりの「かき氷」を注文した。運ばれてきたのは、鮮やかな紅色をしたいちご味と、深い緑色の宇治抹茶味の2種類。どちらも氷がふわふわで、口の中でスッと溶ける優しい食感だ。甘すぎず、素材の味がしっかりと感じられ、歩き疲れた体に心地よい清涼感を与えてくれた。
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茶わん坂。江戸時代中期頃から、この一帯で「清水焼(きよみずやき)」の窯元が多く営まれるようになったことから「茶わん坂」と呼ばれる。かつては陶器を積んだロバや人々が行き交い、京都の焼き物文化を支える重要な拠点として発展してきた
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六波羅蜜寺。天慶3年(940年)、空也上人(くうやしょうにん)によって開創されました。「西国三十三所」の第17番札所としても知られ、古くから庶民信仰の中心地として栄えた
六波羅蜜寺 寺・神社・教会
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平安時代末期、この一帯(六波羅)は平氏一門が邸宅を構えた政治・軍事の中心地でした。平清盛をはじめとする平家一門の全盛期を物語る史跡でもある
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六波羅蜜寺の境内にある「一願石(いちがんせき)」。自分の願い事を心に強く念じながら石を回すことで、仏様との縁を結び、願いを叶えてもらうためのユニークな参拝スポット。
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白壁と鮮やかな朱色(丹塗り)のコントラストが美しく、平安時代から続く古刹の厳かな雰囲気を漂わせ、堂内には、国宝である十一面観音立像(秘仏)が安置されている。
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現在の本堂は、室町時代の1463年に再建されたもので、京都市内に残る数少ない室町時代以前の本格的な仏堂建築として、国の重要文化財(または国宝)に指定されている。
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建仁寺の境内にある重要文化財の勅使門。門の柱や扉に、戦乱の矢傷が今も残っていることから「矢の根門(やのねもん)」や「矢立門」とも呼ばれている
建仁寺 寺・神社・教会
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もともとは、平安時代末期に平清盛の長男である平重盛(あるいは平教盛)が六波羅に構えた邸宅の門を移築したものと伝えられている。六波羅蜜寺とも深い歴史のつながりを感じさせるスポット
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建仁寺の境内にある三門。禅宗の伽藍配置において重要な役割を持つ門であり、現在の建物は、大正12年に静岡県の安寧寺から移築されたもの。楼上には釈迦如来像や迦葉(かしょう)・阿難(あなん)両尊者像、さらに十六羅漢像が安置されている。
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建仁寺の法堂。禅宗寺院において仏殿と並び最も重要な建物の一つであり、現在の法堂は正和4年(1315年)の創建以来、度重なる被災や再建を経て、江戸時代の正徳5年(1715年)に再建されたもの。
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祇園の象徴とも言える花見小路通。祇園のメインストリートとして古くから栄え、建仁寺の門前へと続くこの通りは、現在も京都市の「歴史的景観保全修景地区」に指定されている。沿道には格式高い料亭や茶屋が立ち並び、運が良ければお座敷へと向かう芸妓や舞妓の姿を目にすることができる、京都の情緒を色濃く残した通り
花見小路 名所・史跡
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(旧弥栄会館)は、国の登録有形文化財としての歴史的な外観や意匠をそのまま活かし、改修を経て「帝国ホテル 京都」として新しく生まれ変わった。昭和11年(1936年)に竣工されたこの建物は、かつて京都の伝統芸能を広く紹介する場として親しまれ、長く「祇園コーナー」の拠点として舞妓や芸妓の踊りをはじめとする舞台芸術が披露されてきた
帝国ホテル 京都 宿・ホテル
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格式高いお茶屋や料理屋が軒を連ね、京都ならではの上質な和の趣や、芸妓・舞妓が行き交う雅な雰囲気を今に伝えている
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美しい格子戸や日除けのすだれが並ぶ、京都・祇園の歴史的な町並み。歴史的な茶屋や料亭が建ち並び、美しい木目の格子や出格子(犬矢来)など、京都ならではの伝統建築の様式が守られている。
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安井金比羅宮。藤原鎌足が庫内に一族の繁栄を祈って藤を植えたことに始まり、のちに崇徳天皇を合祀したことで「日本一の縁切り・縁結び神社」として全国的に有名になった。
安井金比羅宮 寺・神社・教会
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壹銭洋食 本店。?店頭に佇む個性的な人形やレトロな装飾に迎えられ、一歩足を踏み入れると昭和初期へタイムスリップしたかのような独特の世界観が広がった食堂。
壹銭洋食 本店 グルメ・レストラン
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店内には着物姿のリアルなお店の人形が客席に腰掛けており、なんともカオスでユーモラスな空間だ。
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?看板メニューの「壹錢洋食(950円)」は、お好み焼きの原型とされる伝統の一品だが、広島や大阪を経験していた自分からすると、!?とおもった。薄く伸ばして香ばしく焼いた生地の中には、九条ねぎ、竹輪、天かす、紅生姜、牛肉はよくわからなかったが、刻んだこんにゃくは多く入っていた。
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?冷えた生ビールとの相性は抜群である。しかし、かつて「駄菓子感覚の安価なおやつ」として親しまれ、以前は600円~700円台で食べられた記憶からすると、1枚950円という現在の価格にはかなり割高感を否めない。手軽な「一銭」のルーツを思うと、お得感や庶民的なコスパを期待して行くと。。。お好み焼きでももう少し安いけどなー。
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京都市内を流れる鴨川と、夏の風物詩である納涼床(床)が立ち並ぶ西岸の景色。
豊臣秀吉の時代に三条橋や四条橋周辺で架橋整備が行われたことなどを契機に鴨川の河原で興行や商売が盛んになり、江戸時代初期から納涼の場として茶屋などが立ち並ぶようになった。鴨川 自然・景勝地
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先ほど歩かれていた花見小路通などと同様に、石畳が敷かれ、周辺には飲食店や風情ある建物が並ぶ京都らしい情緒豊かな通り
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鴨川に近い繁華街の一角にあり、石畳や伝統的な建物が残る京都らしい街並みを形成している
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高瀬川。江戸時代初期の慶長16年(1611年)、角倉素庵・与一父子によって開削された運河であり、京都の中心部と伏見を結ぶ重要な水運の要路として物資の輸送に大きく貢献した。
高瀬川 自然・景勝地
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京都の先斗町(ぽんとちょう)。鴨川と高瀬川にはさまれた南北約500メートルの細い通りであり、江戸時代初期に鴨川の護岸工事(堤防築造)が行われたあと、その埋立地に茶屋などが並び始めたことで発展した花街。
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先斗町の路地裏に続く、隠れ家的な小道。先斗町特有の「鰻の寝床」と呼ばれる細長い敷地構造の一部であり、江戸時代からの伝統的な町家が密集するエリアの隙間を縫うようにこうした風情ある路地が張り巡らされている。
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先斗町歌舞練場。大正10年(1921年)に建てられた歴史ある建物であり、先斗町の芸妓・舞妓による春の風物詩「鴨川をどり」の舞台として長く親しまれてきた
先斗町歌舞練場 名所・史跡
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三条木屋町にある「串×肉×寿司 酒場ごはん すみか 三条木屋町店」を利用した。
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店舗は地下1階にあり、木屋町通に面した入口から階段を下りて入店する形となる。
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料理は刺身の盛り合わせ、肉料理、唐揚げなどを注文した。刺身の盛り合わせはマグロ、サーモン、白身魚などが皿に盛られて提供される。肉料理は鉄板の皿にのせられたカットステーキで、スライスされたオニオンが添えられている。唐揚げは一口サイズに切り分けられたものがボウル状の器に入っており、レモンが添えられている。
価格設定は全体的にやや高めの印象を受けた。 -
旅も終わり、あっという間の滞在だった。阪急梅田駅へ。
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旅行記グループ 年末の京都・嵐山を散策
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