2021/12/27 - 2021/12/27
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worldspanさん
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天龍寺を拝観した後は竹林を抜け寺院を巡った。印象に残ったのは新田義貞の首塚だろう。滝口寺という、今回訪れて初めて知った寺院にひっそりとたたずんでいる。新田義貞といえば日本史を学んでいるものであれば誰もが知っている知名度の高い武将。まさかこんな場所に葬られているとは思いもしなかった。
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竹林を抜けて訪れたのは常寂光寺。その山門をくぐる。山門は江戸時代後期に再建されたものだ。
常寂光寺 寺・神社・教会
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山門をくぐった左手には展示場が作られている。どうやら開いていない。
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山門をくぐりまっすぐ進むと仁王門がある。まるで来るものを跳ね返すような力強さのある仁王が門を守護する。
常寂光寺は1596年に創建されているが、仁王門は1345年 から 1350年に本圀寺の南門として建立されたものを移築したものだ。そのため常寂光寺よりも歴史はある。常寂光寺 寺・神社・教会
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仁王像はなんとあの運慶が仕上げたと言われている。
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本堂は小早川秀秋の助力により、桃山城の客殿を移築し本堂にしたのだという。
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鐘楼。鐘は1973年に再建されたものだ
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妙見堂は北斗を象徴した菩薩なのだという。
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庫裡と書院
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常寂光寺は1596年に創建された寺院だが、平安時代にはこの地に時雨亭があり、藤原定家が小倉百人一首を編纂していたのだという。二尊院にも同様の説明があったがどちらが正しいのだろうか?この地も実は二尊院の敷地であったということだろうか?その点はよくわからなかった。
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多宝塔は1596年に建立されたもの。
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多宝塔は高さが12メートルある。こんな山の中腹にどうやって作ったのだろうか
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多宝塔を横から見ると意外とコンパクトにまとまっている
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開山堂。観覧時にリーフレットをもらえるが開山堂についてはどういったものなのか、記載がなくよくわからなかった。
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多宝塔の北側には薄っすらと雪がかかっている
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歌仙祠には藤原定家像が納められている。
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多宝塔の建つ場所からは京都市内を一望できる古の人たちはここから都を見ていたのだろうか
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常寂光寺をあとにして再び嵐山を散策
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歩いていると茅葺き屋根の建物を見つけ、一体なんじゃろ??と近づいてみることにした。
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その茅葺屋根の隣には鳥居があったので何かなーと見てみた。すると、嵯峨天皇皇女 有智子内親王陵墓と書かれていた。嵯峨天皇はしっていたが、有智子内親王の存在は全く知らなかった。有智子内親王は嵯峨天皇の第8皇女で生涯は807から847年。文才豊かで日本史の試験でも出題される経国集にも10詩の漢詩が編纂されている。陵墓は残念ながら固く門が閉ざされており、入ることができない。円墳のようになっているようには見えるがそれ以上のことはよくわからなかった。
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嵯峨天皇皇女、有智子内親王陵墓のすぐ横に茅葺きの落柿舎がある。ここは、松尾芭蕉の一番弟子でもある向井去来が閉居した場所と言われている。松尾芭蕉もこの地に訪れ嵯峨日記を記したそうだ。漢詩で誉れ高い有智子内親王陵墓の隣を敢えて選んで庵を作るというのは何か意図があるのだろう。
落柿舎 名所・史跡
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落柿舎の前は不思議なことに手つかずの広い空間がある。皇室関係の建物があったのだろうか
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有智子内親王陵墓の横ほそいみちをすすむ。
それにしても文才ある人たちがこの地を選んでいるのはやはり有智子内親王の才能に添うためなのか。この小路は自分の中では「歌人の小路」と定めたい。 -
するとすぐ横に西行井戸があった。西行といえば、平安時代末期から鎌倉時代にかけて活躍し僧侶でもあり歌人でもある。日本史を勉強している人なら誰もが名前を聞いたことがあるだろう。その西行法師がこの付近にすみ、使ったと言われる井戸がここだ。
西行井戸 名所・史跡
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西行井戸のすぐ近くには西行法師が詠んだ歌が刻まれている。
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臨済宗・天龍寺塔頭でもある弘源寺ぎ西行井戸や周辺の墓所を管轄しているようだ。
弘源寺 寺・神社・教会
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「歌人の小路」を進んでいくと左側に二尊院が現れる。二尊院は嵯峨天皇の勅命により834年 から 847年にかけて創建されたと言われる寺院だ。驚くことに小倉あんの発祥がここ、二尊院なのだそうだ。また、藤原定家が小倉百人一首を編纂した場所がここ、二尊院なのだそうだ。
二尊院 寺・神社・教会
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二尊院の入口にあたる総門は、1613年に伏見城から移設されたものでとても立派だ。
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二尊院のすぐ横には申し訳無さそに寺院が建てられている。こちらは妙祐久遠寺。
妙祐久遠寺 寺・神社・教会
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檀林寺の石碑がまず目についたが、その左。??とよく見ると新田公の首塚とかかれている。これはまさか新田義貞??と、こちらに足を向けた。
檀林寺 寺・神社・教会
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其の途中にあった檀林寺。歴史はとても古く創建は815年とも830年代とも言われ嵯峨天皇の皇后でもある橘嘉智子により創建された。
檀林寺 寺・神社・教会
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そのとき唐から僧侶の義空を招聘し檀林寺から禅宗を広めうとしたが広まらず、寺院は荒廃し廃絶。現在の檀林寺は1964年に再建されたもの。紅葉が素晴らしいことでも知られている
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檀林寺のすぐ近くにある祇王寺は、法然の弟子により創建された。法然といえば平安時代末期から鎌倉時代にかけて活躍し、日本史を学んでいるものであれば浄土宗を開宗したことで知られているが、祇王寺の創建年数は不明ではあるものの、法然の時代を考えれば平清盛が隆盛を極めた頃に創建されたことが考えられる。明治時代までには既に廃れていたが、その後現在のように再建された。苔庭があることでよく知られている
祇王寺 寺・神社・教会
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祇王寺を横目に滝口寺へ
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滝口寺の山門はシンプルだ。滝口寺は法然の弟子により創建されたと言われている。
滝口寺 寺・神社・教会
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この寺院のみどころといえば新田義貞の首塚だろう。新田義貞の首塚がなければ気づかず通り過ぎたに過ぎなかった。
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新田義貞の首塚はひっそりとした場所に作られ、討ち死にした配下の武将の墓が両側に道を作るように並んでいる
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滝口寺を散策後、嵐電の嵐山駅方面にむかった。
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14時から遅いランチをとった。入ったお店は赤マンマというお店。
赤マンマ グルメ・レストラン
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嵐山の中心部から少しはなれた場所にあるので、周辺は落ち着いた雰囲気。
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勿論このカフェも落ち着いたおしゃれな雰囲気。
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中は意外に広くサンルーフのようになったところもある。こちらではワインをボトル一本、そしておつまみにサラダをあてにしたが、意外に量が多く驚いた。
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メインのパスタとピザは文句なし。生ハムとか、チーズのようなお酒のあてをメニューに、是非追加してほしい。そうすればもっと食べ方も広がってくると思う
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食事をとったあとは嵐電で京都中心部まで戻ることに
嵐山駅 (京福電気鉄道) 駅
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嵐電はトラムだ。キャラクターにトラッキー、いや、とらじろうが使われている。
嵐電 乗り物
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嵐電は京福電鉄により運営されており、変な都市伝説がある。それは京福電鉄という名前から京福電鉄は福井を目指して作られたが資金繰りにより諦めて現在の路線になったというもの。実際には京福電鉄は福井でも運営されていたためそのような名前がついたのだという。
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嵐電で四条大宮まで戻ってきた。ここから金閣寺へ
四条大宮駅 駅
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