2026/08/08 - 2026/08/08
14936位(同エリア15331件中)
へびおさん
7月下旬。
奈良交通のHPを見ていて、『葛城山ナイトウォーク』なるイベントが8月8日(土)から4日間開催されることを知る。
え!
絶対行きたい!!
葛城山からの夜景はいつか見に行ってみたいと思っていたのです。
幼馴染みに声を掛けたら「イイネ」と言ってくれましたが、お互い旅貧乏の身。
私は往復深夜バス+近鉄、友人はJRの青春18切符で奈良入りをして食事とナイトウォークだけ共にしてあとは別行動という謎の旅をすることになりました。
イベントの1週間前に急遽行くことを決めたため、充分な計画が練れなくて。
そこで以前からやってみたかった唐古・鍵遺遺跡周辺にある長い名前の神社を巡ってみることに。
ナイトウォークまでの時間で田原本駅から3時間ほどレンタサイクリングしてきました。
【行程】
近鉄名古屋 → 田原本(奈良)<3時間レンタサイクリング> → 八木西口でランチ → 近鉄御所 → 葛城山ロープウェイ → 京都
【往路・深夜バスさくら観光ミルキーウェイ】
8/7(金)24:00 東京八重洲 → 8/8(土)5:45 名古屋駅前<ミッドランドスクエア前> (4列足下のびのびシート 5000円のところポイント利用で4950円)
【復路・深夜バスみらい観光サンシャインエクスプレス】
8/8(土)23:30 京都駅八条口 → 5:50 バスタ新宿 (WEB割6000円)
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 自転車 私鉄
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
7月下旬。
奈良交通のサイトを見ていたら、こんなものを見つける。
『葛城山ナイトウォーク』だって!!??
ナニコレ、行きたい!
6月の奈良旅で夕飯を共にした地元の幼馴染みにこのイベントのことを教えたら、彼女も行ってくれるということに。 -
このイベントを知ったのが開催の1週間前。
とりあえず近鉄の週末フリーパス(3日間で5000円+送料600円)を注文しました。
名古屋から大阪、京都などの近鉄線がフリーなのに加え、葛城山ロープウェイが半額になるんです。
(ただし後で計算したら、かかった交通費は約4200円。1400円もマイナスだった・・・) -
旅行前の準備で荷物がリュックに入り切らなさそうで、小さい手提げがないかなぁとネットを探していました。
どうせなら奈良に関係のあるもの・・・
で、見つけたのがこれー!
奈良交通さんの鹿マークのトートバッグです。
バッグ代660円+送料385円でした。
もちろん奈良ならお店で販売しています。 -
前回の奈良旅で幼馴染からもらった『柿の葉寿司たなか』のキーホルダーも付けてみました。
溢れ出る奈良愛。 -
8/7(金)
東京駅 23:00
6月に奈良に行ったばかりだし、11月に費用のかかる旅行を控えているため今回の旅費はできるだけ抑えたい。
ということで真夏なのに往復深夜バスで旅することに・・・
今回は目一杯の旅ではないのでゆっくりスタート。
東京八重洲バスターミナルです。
東京駅24時出発のバスに乗ります。 -
8/8(土)
2時過ぎに「バスがなかなか動かないな~。渋滞してるっぽいなぁ」と思っていたら、まだ神奈川を脱出していない!
え!?
2時過ぎててこれはマズくない!!??
5時前にやっと静岡の浜名湖SAに到着です。
どうやら元々の通行止めの迂回運行にプラスして、東名高速で事故があった関係で1時間遅れになっているということ。
SAは満車状態でした。 -
6:45
ぴったり1時間遅れて名古屋駅に到着。
10時に奈良の田原本駅で自転車をレンタルする予約をしているので間に合うようにしなければいけませんが名古屋からの特急にギリ、間に合わなかった・・・。
どうにか伊勢中川行きの急行に間に合ったので、伊勢中川から大和八木までの特急をネット予約。
貧乏旅行のはずがどんどん費用が嵩むことに。
因みに『 特急ひのとり』は満席でした。 -
幼馴染みがJRの青春18切符で埼玉から名古屋で一泊して奈良に向かうルートということだったので、私が深夜バスで名古屋入りするなら名古屋モーニングを一緒にしようかとも言っていたのですが、深夜バスって到着が凄く早くなったりして予定を合わせるのが難しいので止めていたんです。
こんなに遅れるとは思わなかったから、約束しないでおいて良かった。
名古屋駅を出ると外は曇天。
三重に入ると激しい雨の降った痕跡もありました。 -
名古屋 6:51 → 伊勢中川 8:07
ホームには台湾由来のデザインの車両がいました。
近鉄は台鉄や台北メトロと友好協定を締結しているんだそうです。 -
伊勢中川駅から特急に1時間乗るので朝食を買えるようなコンビニを探しに改札を出ます。
でもお店は西口・東口ともなんにも無かった・・・
地域としては、4世紀に造られたとみられる「田」と筆で書かれた土師器が見つかっているそう。 -
駅周辺にコンビニはなかったけど、ホームにキオスクがあったのでそこでパンを1つ購入しました。
乗った特急電車はガラガラ!
座席の表示が分かり辛く、7Aと書かれた席に座って荷物を広げていたら予約した席の1つ後ろ・8Aに座っていたことに気づき慌てて移動。
この表示分かり辛くないですか!? -
三重に入ったばかりの頃の天気は良くなかったけど、奈良に近付くにつれ青空に!
こういう風景が大好き★
素晴らしい景色を眺めながら朝食を摂り、お化粧をして。
予定外の出費(と言っても920円)でしたが、たまには心にゆとりのある旅もイイヨね。 -
良い眺めだけど・・・
暑そう。。 -
三重県名張駅を通過。
ここまで来れば奈良入りはもうすぐ。
奈良県の曽爾村や御杖村にバスで行く際の起点となる駅です。 -
奈良の榛原駅を通過した辺り。
-
榛原駅周辺(宇陀地方)の雰囲気が凄く好きでまた歩き旅をしたいのですが、最近熊の目撃情報があってなかなか行けないんですよね。
-
(近鉄特急)伊勢中川 8:19 → 大和八木 9:12 / 9:17 → 田原本 9:23
奈良の田原本に到着。
急行+特急利用でも名古屋から約2時間半かかりました。 -
線路を渡ります。
あ!
近鉄の新車両が来ました。
近鉄と言えばこの渋い臙脂色ですが、最新の車両には青く塗装されたものもあるんですよね。
奈良旅をしていく中で近鉄のファンにもなったんだよな。 -
田原本駅からすぐのところにある観光案内所『磯城の里』。
今回は急に決めた旅行なので行き先がなかなか決まらなくて。
行きたい場所はたくさんあるのだけど暑いから歩き旅は無理だし。
調べたら観光案内所でレンタサイクルをしていたのでこちらで電動自転車を借りて周辺散策することにしました。
田原本駅で下車するのは2019年の『奈良旅12ヵ月完全制覇の旅』最終日以来です。
その時もこちらでパンフレットをいただいていましたが、自転車の貸出もされていたなんて知らなかった。
自転車を借りる方にはスーツケースなどの荷物をこちらで預かっていただけるようでした。 -
自転車はネットで予約ができます。
3時間利用までは30分ごとの金額なので短時間だけ利用したい方にも良いですね。
電動自転車もお安い!
↓観光案内所HP
https://tawaramoton.com/renta/
私は10時~13時まででネット予約をしていましたが、特急を使ったことで予定より早く着いたので9時半~の利用でレンタル開始。 -
9:40
サイクリングスタート! -
田原本町のマンホール。
北部にある『唐古・鍵(からこ・かぎ)』遺跡の楼閣と町の花・スイセンが描かれています。 -
今回の旅前半は「長い名前の神社」巡り。
日本一長い名前の神社も奈良にあります。
明日香にある『飛鳥川上坐宇須多伎比売命(あすか かわかみにいます うすたきひめのみこと)神社』には以前行ったことがありましたが、奈良には他にも長い名前の神社がたくさん! -
スイカ畑を通りかかりました。
このように捨てられているスイカの皮(?)がたくさんあったけど、なんだろう? -
9:50
最初の目的地、
『多坐弥志理都比古(おおにいます みしりつひこ)神社』に到着。
「多」はこの辺の地名で、古事記編纂者である太安万侶の「多氏(太氏)」の拠点でもありました。 -
社号碑は珍しい木製。
神社名は薄れていてほぼ読めませんでした。
御由緒書で神社名を確認。 -
長い名前の神社ですが、地元では『多(おお)神社』と呼ばれているようで、観光案内所でもらったMAPにも「多神社」と記されていました。
-
神社の向かいに「古事記1300年記念」の石碑がありました。
太安万侶を祀る小杜神社が近くにあるよう。 -
では神社にお参りをしに行きます!
参道には燈籠がたくさん。 -
多坐弥志理都比古神社の御祭神の中に神八井耳命(かんやいみみの みこと)が居ますが、この方は初代神武天皇の皇子で第2代綏靖天皇の同母兄とされています。
多氏がその末裔ということのようです。
神武天皇の長子でありながら弟に皇位を譲ったので「身を退いた」という意味で「弥志理(ミシリ)都(ツ)比古(ヒコ)」とも呼ばれているのだとか。 -
ただ、平安時代に神社の禰宜が国司が提出した古文書には「水火知男女神(みひしり ひこひめの かみ)」の男女神が祀られているともあるそうで、個人的には「みひしり」が現在の神社名「みしり」に変化したのではないかとも考えてしまいます。
-
神社の御本殿は改修中のようで見ることができませんでした。
御拝殿は改修が先に終わったのか、柱や屋根が綺麗でした。 -
観光案内所でお借りした電動自転車。
パワーも申し分なく運転しやすかったです。
日焼け対策にアームカバーをしてましたが・・・
長さが足りて無くて変な日焼けをしてしまった。 -
10:00
次の神社に移動します。
史跡案内板を発見。
団栗山古墳、気になるなぁ。
屋就(やつぎ)神社も珍しい名前の神社ですね。 -
青い空が眩しい。
-
ん?
田んぼの中に不自然なこんもりを発見。
奈良で「こんもり」と言えば、大概そこは古墳です。 -
案内板があるのが見えますね。
地図を見たら『多(おお)観音堂』というお堂があるよう。
木造十一面観音立像がご本尊。 -
県道50号に出ました。
右を向くと二上山! -
でも今回は二上山方面には行きません。
二上山と向かいあうのはどこの山だろう。 -
しばらく行くと、凄い道路が見えてきました。
あそこ自転車で行けるの!?
よく見ると歩道があるっぽいから行けるのかな。
電動自転車でよかった~ -
上り坂を走っていると市町村の案内標識がありました。
この道路を境に、進行方向左が田原本町で右が橿原市となります。
道路の下を近鉄橿原線が通っていました。 -
ならクルC-5のルートなんですね。
ならクルは31のルートがあり、このC-5は奈良盆地を南北に貫く古代の官道「下ツ道」を楽しめる『南下ツ道ルート』になります。
↓ならクルMAP
https://tabi-rin.com/archives/article/20995 -
お目当ての神社がある十市町にやってきました!
この先に「トイチパンケーキ」の看板があって気になったのだけど、スルーしてしまいました。
後で調べたら口コミ評価の高いスフレケーキのお店でした。
食べてみたかったなぁ。
↓食べログ
https://tabelog.com/nara/A2903/A290302/29013547/
↓インスタ
https://www.instagram.com/toichipancake/ -
10:18
『十市御縣坐(とおいちの みあがたに います)神社』に到着。
奈良時代以前にある古社です。
神社のある場所は橿原市十市町。
「十市」と言えばすぐに思い浮かぶのが悲劇の皇女・十市皇女。
天武天皇の第一皇女で母は額田王。
夫が天智天皇の皇子・大友皇子です。
「十市」の読み方は皇女の名前は「とおち」ですが、地名は「といち」、そして神社名は「とおいち」です。 -
入口すぐに神池があります。
大友皇子と大海人皇子(=天武天皇)の闘いは古代日本最大の内乱である壬申の乱。
闘いの中で大友皇子の正妃であり大海人皇子の第一皇女という立場はとても辛かったでしょう。 -
乱後、父である天武天皇のもとに戻ったとも言われていますが急死しており、自死だったのではないかとも考えられています。
「十市」という名前からこの辺で生まれ育ったのでしょうか・・・
この神社は長い名前の神社ではありませんが、十市皇女に想いを馳せたくて来てみました。 -
神社の扁額には「豊受大神」の文字。
トヨウケビメは食物を司る女神様です。 -
境内には遙拝所がありました。
-
方角的に橿原神宮を遙拝しているのでしょうか。
-
玉垣に囲まれた御拝殿。
珍しい造りですね。
上りには「十市城跡」の文字が。
ここら辺にお城があったんですね。
下り藤の紋から藤原氏に関係しているのかな? -
鮮やかな朱塗りの本殿が女神っぽさを感じる。
因みに神社名の「御縣(県)」(みあがた)とは古代日本において、天皇の食事にお供えする野菜などの作物を育てた朝廷の直接の土地(直轄地)のこと。
大和国に伝わる6つの式内社=大和国六御縣神社があり、特に重要な「大和の六県(添、山辺、磯城、十市、高市、葛城)」が置かれたのこと。 -
ファニーフェイスな狛犬さん。
-
ご本殿の両脇に末社・摂社があります。
向かって右にある四柱神社。
この小さいお社に四柱の神さまが祀られているって考えると、ギュウギュウ過ぎやしませんかね。 -
ご本殿左には小さいお社がいくつもありました。
石には「金比羅大権現」と彫られていたけど、大権現は仏教ですよね。 -
1番奥にあった朱塗りのお社は五社神社。
四柱神社よりも更に1柱多い五柱の神様がお祀りされています。
「狭いわ~」とか言ってそう。 -
10時半過ぎ、3つめの神社を目指してスタート。
四方を山に囲まれた土地を走り抜けます。 -
あ!
二上山。 -
仕事を辞めたら奈良に移住したいなぁ。
こういう風景を見ながら生活したら、心が豊かになりそう。 -
田んぼに稲が反射していました。
トゲトゲw -
走っていて、たまたま目に入ってきた案内板に足を止めます。
『中ツ道』と『郡分観音』の碑。
中ツ道は奈良盆地を南北にはしる古代官道の1つで、南の藤原京から北の平城京を結んでいます。
壬申の乱では大海人皇子軍と中ツ道を攻め下った大友皇子軍が戦っているそう。 -
自転車を走らせていると正面に森が見えてきました。
きっとあれが目指していた神社!
森の中に入っていくと「村屋神社」の案内板が。 -
10:48
十市御縣坐神社から自転車で15分。
『村屋坐彌冨都比賣(むらやにいます みふつひめ)神社』に到着です。 -
この長い名前がしっかり石の社号碑に彫られていました。
-
村屋坐彌冨都比賣神社。
通称を村屋社、又は森屋社(守屋社)と言うそうです。 -
「坐(います)」は「~にいらっしゃる」の意味ですが、では「村屋にいらっしゃる」『彌冨都(みふつ)姫』とは??
どうやら大国主命の后神である「三穂津姫命」のことらしいです。
三穂津姫命は各地で祀られていて、静岡県・三保の松原の「三保」も、島根県・美保関の「美保」も三穂津姫命が由来。 -
早速お参りをしに参道を歩きます。
-
御拝殿。
御祭神の三穂津姫命は大国主命の后神。
古事記・日本書紀では大物主と大国主を同じ神としています。
大物主は三輪にある大神神社の主祭神で蛇の化身とも。
大国主は須佐之男命の子孫です。
何がどうして同化してしまったのでしょうか。 -
御拝殿には和傘が飾られていて華やか。
-
杏かな?
-
ご本殿。
神社の創建は不明らしいですが、壬申の乱(673年)のときに村屋神が大海人皇子方の軍に「敵が来るので中ツ道を防げ」と神託をした功績により神階が授与されたと日本書紀にあるそうです。 -
境内には他にも神社があります。
ん?
『村屋神社』?
勘違いしていましたが、先ほどお参りをした大きい本殿があるのは村屋坐弥冨都比売神社で、幟にある村屋神社とはこちらのことを指しているみたい。
村屋神社は摂社です。 -
「壬申の乱で大海人皇子軍に神託を授け勝利に導いた神」をお祀りしている村屋神社。
社伝には天武天皇がこの社に行幸し、森の中の屋に籠られたことが「森屋(もりや)」の由来とあるようです。
「もりや」→「むらや」に転じたということでしょうか。 -
神社周辺地図がありました。
『岐多志太(きたした)神社』が気になるなぁ。
奈良には長い名前以外にも珍しい名前の神社が多くて、ついつい行ってしまいたくなります。 -
万葉集1-79、80の歌。
藤原京より寧楽宮(平城京)に遷った時の歌です。
内容は、
「大君のご命令を畏れ多くもつつしんで馴れ親しんだ家を後に、初瀬から流れる川に船を浮かべて私は川を下っていく。
その川の幾つもの曲りごとに常に振り返りながら、青土美しい奈良の都の佐保川に到着して野宿する自分の衣を通して朝の月光の中に見ると、一面にまっ白な霜が薄明の中に輝き、川面は氷が岩床のように張りつめている、そんな寒い夜も安らかに寝ることなく出かけて来ては作った宮に末永くお住みください大君よ。私も通ってまいりましょう」
この時の「大王」は女帝・元明天皇です。
民は慣れ親しんだ藤原京から平城京に遷るのを悲しんだと言います。
この遷都は藤原不比等が主導したんですよね~ -
参道入口付近まで戻って来ました。
脇に朱塗りの鳥居があり「物部神社」の幟があります。
物部氏は神武朝より大王家に仕えた古い氏族。
日本古来からある霊的信仰、神祇を祭る氏族で、崇仏派の蘇我氏と対立をします。 -
物部神社は物部守屋を祀っているそう。
物部守屋は蘇我馬子によって滅ぼされています。 -
橋を渡った先に小さいお社がありました。
これが物部神社。
あれ、ちょっと待てよ。
・村屋坐彌冨都比賣神社の通称を村屋社、又は森屋社(守屋社)と言う。
・村屋神社の社伝には天武天皇がこの社に行幸し、森の中の屋に籠られたことが「森屋(もりや)」の由来とある。
・「もりや」→「むらや」に転じた可能性がある
もしかして、この一帯の神社が物部守屋に纏わる神社なのでは!? -
なーんて予想をして独り興奮したりw
地面を見ると綺麗に丸くくり抜かれた穴がいくつもあります。 -
これ全部セミが出てきた穴なのかな。
凄い数です。 -
神社を後にします。
前方には行きに気づかなかった一の鳥居がありました。 -
村屋坐彌冨都比賣神社、とても興味深い神社でした。
来て良かった♪ -
11:05
せっかくなので境内図にあった初瀬川(大和川)沿いを走って行きます。
暑さのせいか川の水が片側無くなっていました。 -
田原本のマンホール、カラーVer.
-
11:20
汗拭きシートを使いながらここまで来ましたが、流石に涼しいところで一休みしないと死んでしまう。
と言うことで立ち寄ったのが『田原本青垣生涯学習センター』。
センター内には図書館や唐古・鍵考古学ミュージアムが入っています。
自動ドアに勾玉のマークw -
広くて立派な建物です。
1階が図書館・公民館。
広すぎて思ったほど冷房は効いていない。
2階の唐古・鍵考古学ミュージアムへ行きます。 -
上段:和鏡「洲浜双草双雀文鏡」(すはま そうそう そうじゃく もんきょう)
薬王寺遺跡出土で室町時代のもの
下段:蓋付きの無頸壺。唐古・鍵遺跡出土、弥生時代のもの
洲浜双草双雀文鏡が美しくて魅入ってしまいました。
無頸壺も弥生時代に造られたとは思えないほど優美です。 -
馬型埴輪。
唐古・鍵遺跡出土、古墳時代のもの。 -
2019年に田原本に来たときに観光案内所の方から「まずは青垣生涯学習センターに行ってみるといいですよ」と言われていたのに時間が無くて、その時は行けなかったんです。
今回ここまで来たので見学をしようと思っていました。
観覧料200円。 -
中は撮影可。
-
ちょww
-
このミュージアムでは日本を代表する弥生時代の環濠集落である唐古・鍵遺跡の考古資料を中心に展示されています。
-
模型「マツリとイノリ」。
-
鳥のような衣装を纏ったのは女性のシャーマンだったんですね。
男性シャーマンは武闘派に見える。 -
壺の文様が凝っているなぁ。
-
ミニチュア土器!
可愛い!!
何に使ったのだろう。
よく発掘しましたね。 -
逆にこちらは凄く大きい!
この大きさをよく作れたな。 -
太陽のような、ヒトデのようなものは「巴型銅器」と言うそう。
何に使ったのでしょうか。
翡翠の勾玉が神秘的でした。 -
ちょww(2回目)
ミニミニサイズの土製銅鐸や壷などなど。
ミニサイズの銅鐸欲しいなぁ。 -
盾持ち人埴輪。
古墳時代のもの。 -
馬と馬曳きの埴輪。
馬の埴輪は色々な博物館や遺跡で目にしますが、どれも尻尾が短くタテガミがモヒカンみたいなんですよね。
尻尾は切っていたのかな? -
牛形埴輪。
全国的に類例がなく、国の重要文化財に指定されています。
この時代の牛は随分足が長かったのねw -
駆け足で見学しましたが大変面白かったです!
-
11:50
予定していた長い名前神社巡りもあと1社。
頑張るぞー! -
最後の神社は住宅街にあります。
古墳もそうですが、神社のある場所も「コンモリ」を目指せば良いことが分かりました。 -
12:00
とうちゃーく!! -
その名も
『池坐朝霧黄幡比賣(いけにます あさぎり きはた ひめ)神社』。
推古天皇の御代に創建されたと伝わっているそう。
御祭神は日本書紀に出てくる栲幡千千姫(たくはた ちぢ ひめ)。
古事記には万幡豊秋津師比売命(よろづはた とよ あきづ し ひめのみこと)などと記されています。
神名の`万幡(よろづはた)’は「多くの布」、`秋津(あきづ)’を「蜻蛉の羽のように薄い上質なもの」、`師(し)’を「織女」と解し、「多くの布帛で、多くの蜻蛉の羽のように薄い上質なものを作る技師」とされています。
織物の神として信仰されたということ。 -
ん?
燈籠に「天満宮」と刻まれている。
更に「法貴寺」の文字まで。
神社なの?
お寺なの? -
取り敢えずお参りを。
参道には燈籠が並んでいます。
暗くなって灯りが燈籠に灯ったら雰囲気がまた違ってくるんでしょうね。 -
天満宮と言えば菅原道真、そして牛!
平安時代に北野天満宮から天満宮を勧請して相殿に祀ったことから、江戸時代には池坐神社ではなく天満宮と呼ばれていたようです。 -
鐘楼までありました。
調べたら、まずはここの地名が「法貴寺」であること。
そして法貴寺は聖徳太子が創建したと伝わる寺院の名称であることが分かりました。
Wikipediaによると、池坐朝霧黄幡比賣神社は実は法貴寺とともに創建され、その鎮守社として神社も崇敬されたようです。 -
神社の御由緒書は境内奥の木陰にありました。
天平時代に書かれた『大倭国正税帳』には池神と記されているそう。
「池坐(いけにいます)」=池にいらっしゃる神さま。
池坐朝霧黄幡比賣神社の名からイメージすると、「朝霧の立つ中で、黄色い布を機織る池女神さま」ということかな!? -
神社とお寺と菅原道真が混じった古社でした。
玉垣と木に囲われたこの御拝殿の雰囲気が素敵だった! -
12:13
では旅前半の最後の目的地へ向かいます!
・・・②につづく・・・
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