2026/03/30 - 2026/03/30
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danteさん
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一部「旅ブログ」含む 日本語サイトやガイドブック・旅行会社の情報とは異なっています。
11日目、カッパドキアの1日観光です。
昨日のコンヤから、ポピュラーなトルコツアーと同じ行程になりました。
カッパドキア地方は、アレクサンドロス大王によるアナトリア征服後、アレクサンドロス大王の後継者で・ギリシャ将軍でもある<エウメネス>がカッパドキアの総督に任命され、同地にギリシャ人居住地を設立した。
その結果、この地域はギリシャ人口が増え・共通語もギリシャ語となりました。この地域は兵士募集の地〔ロンギヌスもその1人〕として人気が高かったそうです。
その後ギリシャ貴族の<アルケラオス>が、カッパドキア王として統治しましたが、ローマ時代になると<ティベリウス帝>によって退位させらた…と、このような歴史があります。
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2026年3月30日月曜日
今日の観光は カイマクル地下都市からです。カイマクルの地下都市 史跡・遺跡
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左から矢印の順に ①
この地下都市はヒッタイト時代 (前1750年~前1190年頃) に建設され、ローマ時代とビザンツ時代には拡張され、さまざまなエリアが追加された。
地下都市は、〈主に防御のための避難所であり、侵略の際にコミュニティを隠すために建設された〉と考えられているそうで、ビザンツ帝国の史料には、7世紀以降のアラブ人の襲撃により、カッパドキアのキリスト教徒が数ヶ月間地下に避難せざるを得なかったことが記録されている…そうです。 -
左から矢印の順に ②
1階には厩舎。厩舎の左側には教会。厩舎の右側には、居住スペースが配置。2階にも洗礼盤がある教会があり、埋葬室もある。ここに埋葬されていたのは、敬虔な信者のものであったと考えられている。3階はワイナリーや厨房。4階は陶器や様々な物の保管場所。
と、説明書きを何処かで見たけど、半分ぐらいしか覚えていません。
狭い空間に人が集まるので、あまりゆっくり出来ないんだよね。
しかも平面なフロアーではないから、何階にいるのかも判らない(^_^;) -
左から矢印の順に ③
で、〈ここで生活していた〉とか〈2万人が暮らした〉という話があるけど、実際は「敵が来た時に隠れる」という程度で、普段は地上で暮らしていたそうです。
〈そりゃそうだよね~、ここで生活は・しかも2万人? 、逆に死んでるワ(笑)〉
見学後、(娑婆を出た気分だ~!!) の私の発言に、皆爆笑。(拘置所等、入った事ないです(;_:) 〈しゃばを出た〉なんて良い意味では使われないけど、娑婆(しゃば)とは、本来は仏教では「苦しみを堪え忍ぶ世界」らしいですね。
じゃ、やはり当たってんじゃん(笑) -
【カイマクル地下都市の近くの建物】
現在は、カイマクル料理芸術センター。元は1912年に建てられたギリシャ人司祭の家。後に〈ウズン・アリ邸〉となった。
この建物の物語
「ウズン・アリは、聖ジョージ教会の司祭の使用人でした。司祭には〈テドラ〉という1人娘がいて、テドラとアリは恋人同士。しかし、1923年のギリシャ人とトルコ人の住民交換により、司祭一家は立ち退きという運命に。アリは、いつの日かテドラと暮らせる事を望み、この屋敷を買い取りました。2人は再会を願い・離れましたが、テドラは船上で疫病にかかり、亡くなってしまいました。」
屋敷は放置され、数十年後、カイマクル市によって修復され、カイマクル料理芸術センターとして運営を開始。
ただ、ガイドさんが言うには、(開いてるの、見た事ないよ。ずっと閉まってる)だって(^_^;) -
イチオシ
【車窓から】
こんな感じに小さい街が点々とありました。よくよく見ると、岩穴も。 -
イチオシ
【車窓から】
前の写真に続き、こういった風景が好きです。
1本の糸杉の周りに石垣があった。もしかしたらお墓なのかも。 -
【車窓から】
珍しくガイドさんが、〔あれは刑務所〕と。ガイドさん、質問すれば答えてくれるんだけど、観光地区を抜けると、車内ではあまり話さない。
トルコでは1984年以降、死刑は実施されず、【EU加盟の調和の一環】を理由に、死刑制度は2004年に廃止された。殺人を犯しても・あらゆる行為で終身刑になったとしても、服役最長期間は36年なのだとか。
因みにトルコの女子刑務所では、0歳から6歳までは母親と一緒に刑務所に滞在でき、学びは勿論・遊び場も完備されているらしい( ゚Д゚) その後は、家族や里親制度・施設などに移される。これは子供にとっても良いかも(:_;) -
【車窓から】ギュヴェルジンリク渓谷
遠くにウチヒサル城が見えた。 -
本日2つ目の下車観光は「鳩の谷」でした。右、大規模な「鳩の小屋」
紀元前のヒッタイト時代から9世紀頃まで鳩を飼育し、糞をブドウ畑などの農業生産や、卵をフレスコ画の漆喰に利用していたそうです。
ヒッタイト人は、鳩の糞が土壌を肥沃にする効果があることを知っていたそうで、盛んに飼育されたようです。この頃には、鳩は〈神々に捧げられる神聖な動物〉とされていたようです。
旧約聖書にある『ノアの箱舟』でも、洪水後に放たれた鳥も〈鳩〉されてますね。鳩の谷 自然・景勝地
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ナザール・ボンジュウが沢山括り付けられている「木」
邪視から災いを跳ね返すと信じられているお守り。
が、敬虔なイスラム教徒は「イスラムの教えに反する」として拒否しているらしい。 -
今度は壺が。 壺って、よく思いつくよなぁ~。
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イチオシ
ウチヒサル城の下にある集落や奇岩が可愛い。
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奇岩の置物が売られていた。(買いません(;_:))
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【車窓から】
この辺りは、ウチヒサル地区らしい。ウチヒサル 散歩・街歩き
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ここ、何だっけ(^_^;) 本日3つ目の下車観光。
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取りあえず、10分程フリータイムになり、下まで降りた。
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ここはあまり人が来なく、暫し気分転換。
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如何やらここには人が居るようです。窓越しに洗濯物や手入れされた鉢植えの花が見えました。
そういえば、この後「洞窟民家に訪問」となっているのでした。 -
このポニーは乗馬用? この1頭しか見かけなかったけど。
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ラクダを撮るとチップを要求される…という話を聞いたけど、お客どころかスタッフも居なかった。
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場所を変え、他の角度から半景。
この道路、車の往来が激しい。しかもかなりの速度で走っているので横断注意。 -
次に移動となったところで、青空になった(-_-)/~~~ピシー!ピシー!
しかも先程と違って、欧米人が沢山下りてった(^_^;) -
この岩、メレンゲのお菓子に見えるのは、私だけ?
岩の上に車が停まってますね。 -
さて、お決まりの絨毯店です。
で、思うのです。<価値が判る人・目が利く人〉って、意外と少ないんだなぁ~と(^_^;) そもそも手織りの絨毯が「ロール状になって立てかけてある」なんてあり得ないし、カッパドキアで「ヘレケ」は無い。まして日本人客目当ての店で・・・まぁいいか。
長~い説明の後に、商談会になりますが、買う気が無い私を判ってか、1人の若い女性スタッフが付きました。この方、大阪万博に出張されたようで、ずっ~と日本の話題で盛り上がる。2カ月間日本に滞在したそうですが、観光は京都の金閣寺しか行けなかったそうです"(-""-)" 日本は初めてだったそうで、〔いつか北海道に行きたい〕と。ただ(若い人は、お金無いです~!!)と愚痴ってましたねぇ。
この後私は、スタッフ・ルームでティータイム。外に出たかったんだけど、スタッフ・ルームに通されちゃった(笑) -
結局絨毯は、予想通りBさんがお買い上げ。買う気は全くなかったけど、店員に負けました(笑) 店員は〈押しに弱そうな人〉ちゃんと見抜いてます。いいんです、お金があるから買えちゃうんです。 まぁ、自己満足だし、自己責任ですからね。(半額にしてくれたらしいけど、実際は「その半額の・半額以下」だろう) ホントに良い<かも>です(;_:)
日本人ツアーがほぼ毎日来るこの絨毯店。店ではその日、どのような客層が来るのか判っている。過去のデータもあるしね。店としては、何が何でも売りつけたい(笑) そもそも、買って欲しいと思っているのは、絨毯店よりも ズバリ主催旅行会社。 -
ちょいと寄り道。
遠くに エルジェス山〈標高3,917 メートル〉が見えた。 -
ココで見つけた花
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場所を変えてエルジェス山 (ズーム撮り)
エルジェス山 山・渓谷
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反対側
ウチヒサルが遠くに見えた。 -
昼食のレストランに。
お客、我々のみ。 それもあって広々としてるんだけど、中々雰囲気は良かったです。スタッフの対応も良かった。 -
本日のメニュー
メインを取り忘れたけど、左下でお判りかと。はい、肉です。
サラダにはザクロの実、フレンチポテトもめちゃくちゃ美味しかった。
デザートは甘過ぎて、パス。 -
ローカルな風景
次の観光は…、 -
【洞窟民家】訪問でした。
笑えたのが、ガイドさんのほうが、足を延ばし寛いでいた。【中央右】
案内人男性、ちょこんとソファーに座る 【中央左】
【民家】といっても観光施設なのでしょう。 我々だって、見ず知らずの観光客を自宅に訪問はさせないからね。それに帰り、ちゃんと物販があった。〔土産にナザール・ボンジュウを買ってこい〕と言われていたので、ここで購入。 -
(ここから真面目にいくよ~!)
カッパドキアは、奇岩や地下都市・熱気球で人気があるが、ここでも「其の筋」の人達には大人気な場所。(其の筋って何だよ? ) そう、ここは隠れた聖地であります。
まず、キリスト教徒にとって絶対譲れない「至聖三者=三位一体(父と子と聖霊)」を打ち出した「バシレイオス・ニッサのグレゴリオ(バシレイオスの弟)・ナジアンゾスのグレゴリウス=カッパドキア3教父」、また、キリスト教信仰がある殆どの国で 守護聖人となっている〈聖ジョージ=ゲオルギウス〉の出身地となっている。
因みに、〈聖ジョージ=ゲオルギウス〉とは別に、「カッパドキアのゲオルギウス」も居た。彼は「三位一体=カルゲドン派〔ニカイア派〕」を否定したアリウス派の司教で、361年エジプト・アレクサンドリアで、暴徒によって殺害された。 -
さらに、エピクテトス【5日目のヒエラポリスで記載】の弟子・アリアノスは、ハドリアヌス帝から元老院議員・執政官に任命され、その後カッパドキアで総督として6年間務めた。
イエスの磔刑時に槍で脇腹を刺したというローマ兵士の〈ロンギヌス〉は、「イエスの脇腹を槍で刺した際にイエスの血が眼に入り、視力を取り戻した。その後キリスト教に改宗し、カッパドキアで約30年間信仰を広め・この地で殉教した」とされています。 -
カッパドキアにおける初期キリスト教は1世紀に伝わり、〔ペテロとパウロがこの地に訪れ〕…と書かれているサイトがあるんだけど、どちらも訪れていないようです(ペテロとパウロ、仲悪かったしね(:_;))
実際には、33年にエルサレムを訪れたユダヤ人が、ペテロの説教を聞き・聖霊を受け・カッパドキアに戻り・広めたそうです。ペテロもカッパドキアの教徒たちに手紙を書いていますね。【ペテロの手紙 第1】 -
ギョレメ博物館にやって来ました。
4世紀頃からギョレメ峡谷には、数十もの教会や修道院が建てられた。(洞窟自体は、紀元前ヒッタイト時代には存在した) その後、侵食や自然災害で崩壊し、更に、アラブ人によって侵略される。
9世紀にビザンツ帝国の皇帝ニケフォロス・フォカスとヨハネス・ツィミスケスが、アラブの征服者をカッパドキアから追い出し、この地を軍事貴族に領地として与えた。
元々この地は、聖人が輩出した地でもあり・また埋葬された場所であったため、「聖地」とみなされていた。それ故に、多くの人々が記念礼拝堂や修道院が欲しいと願った。
貴族たち(権力者)は修道院や教会を復活させ、コンスタンティノープルから芸術家を集め、教会の装飾を行わせ、支援した。その中心地となったのが、ギョレメ渓谷の中心部・現在の「ギョレメ野外博物館」。
しかし、<教会そのもの・それらを建立し利用した共同体〉については、1923年の住民交換で、カッパドキアに関する文献が失われてしまったので、ほとんど何も判らないそうです。その結果、現在の教会名は、そこに最もよく見られる「絵」に基づいて付けられている。
尚、教会内の装飾は、「主に9世紀から13世紀にかけてのもの」で、最古の洞窟は7世紀の物だそうです。ギョレメ野外博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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園内マップ
歩くのは、逆さにした右のほうが判り易いです。 -
ここは「女子修道院」とされています。中には入れなかった…と思う。
ビザンチン時代の修道院を思い浮かべると、ギリシャのアトス山・メテオラの修道院群、そしてカッパドキアの3か所になる。残念ながら、アトス山は「女人禁制」の為、私は行けない。(コレ、痛恨の極み)
この後、本来なら回った順に載せるべきですが、意図的に逆にしますね。 -
【暗闇の教会】(別途料金)
ここは、日本人には1番人気らしい。
1923年の住民交換後、トルコ人はこの部屋を{鳩の糞を採取するための鳩小屋}にした。その為、外からの光が入りづらくなり、内部に描かれた色鮮やかなフレスコ画が、良好な状態で保存され、洞窟教会の中でも屈指の美しさを誇る教会となった。
写真撮影不可の為、中はこのような感じです。
1050年頃、コンスタンティノープルからプロの芸術家を雇い装飾された。デイシスの場面には、イエスの足元にひれ伏す2人のパトロン(ニケフォロスとバシアノス=暗闇教会の支援者)が描かれている。 -
【マルタ十字軍教会】
こちらの内装は至ってシンプルでした。 -
【サンダル教会】
こちらのフレスコ画は、あまり保存状態がよくありませんでした。
装飾は【りんごの教会】と似ています。 -
教会内部の装飾は、3つの異なる様式がある。
これは《誰が教会を支援したか》によって異なり、
①資金に余裕があれば、漆喰の上に絵を描くために、プロの職人をコンスタンティノープルから呼び寄せた。
②資金があまりない場合は、地元の優秀な職人が起用され、シンプルながらも魅力的な絵が描かれた。
③資金も才能もない場合は、落書きで、幾何学模様を描いた……そうです。 -
【リンゴの教会】
福音書記者の4人
教会内部は「撮影不可」となってますが、撮れる場合もあります。こちとら、単に遊びに行く(行った)わけでは無いので、下調べは万全です! 現場でも確認をとり「OK!」との事。 やったね!(^^)!
※「原則撮影禁止」です。 -
【リンゴの教会】
リンゴの教会の壁画は、キリストの生涯を描いた場面で構成されている。
ほとんどの場面は、「正教会の重要な祝日を象徴するもの」だそうです。 -
【リンゴの教会】
正面の壁には、中央・イエス、左・マリア、右・洗礼者ヨハネ。
下には、ナジアンゾスのグレゴリウス、カイサリアのバシレイオス、ヨハネス・クリュソストムス(金口イオアン)、ニコラウス、ブラシウス の5人の教父が描かれている……、らしいのだけど、お顔が潰されて判らない((+_+))
恐らく中央が バシレイオス、その左右は ナジアンゾスのグレゴリウス と 金口イオアン、左右の端が ニコラウスとブラシウス だと 私は思う(;_:) -
リンゴの教会のハイライトは、この「イエスの磔刑」。
白の矢印→ イエスの足元には頭部がある。これはイエスの死が、「死」そのものを滅ぼし、生命が誕生したことを示す為に描かれたらしい。 -
で、「リンゴの教会」の謂れは、「ミカエルの手にある物が、リンゴに見えた」説と、「かつて教会の前に立っていた リンゴの木にちなんで名付けられた」説があるそうです。
因みに「暗闇の教会」と「サンダル教会」、「リンゴの教会」は、<コンスタンティノープルから呼び寄せた同じ職人によって描かれた>と考えられているそうです。確かに似てました。サンダル教会にも、この「ミカエルの絵」と同じものがあった。 -
パックツアーで来ようが・現地ツアーで来ようが・個人で来ようが、恐らく殆どの人が (ふ~ん、洞窟にこんな絵が描かれてたのね~)で終わると思うし、壁画やフレスコ画を見ても判らないと思う。
なので、(人物や背景が判ったほうが、楽しめるのではないかなぁ~?)と思い、書き込んでいます。
既に行かれた人は、(そうだったのね~!)と思い返してくれたらいいなぁ~。
(現場でも説明したのか?) って? 勿論しないよ。はなから興味ない人達に話しても、意味ないもん(;_:)
次、行きます! -
【ヘビの教会】
ココは未完成で終わってしまったらしい。
内部はこじんまりとしています。 -
1番奥にイエスと、この教会の寄進者「テオドロス」が描かれています。
その下(白の矢印)にスペースが。
実はココ、テオドロスの埋葬場所だったそうです。 -
これは、隠者・使徒・教父という、3つの階級の聖人を表したそうです。
隠者 オヌフリウス 砂漠の教父の1人
砂漠の教父とは、3世紀頃からエジプトのワディ・エル・ナトルンを中心に生活していた、初期キリスト教の隠修士や禁欲主義者たち。(エジプトはローマ領だった)初期の信仰を守るために、社会から身を引く必要性を感じた人々が、イエスが荒野に隠遁したように、エジプトの砂漠で隠遁生活を送った。
使徒トマス 何故にここでトマスなのか、サッパリわからん(^_^;)
教父 バシレイオス バシレイオスとゲオルギウスは後で。 -
右 <コンスタンティヌス大帝> キリスト教を公認し、キリスト教に改宗した最初のローマ皇帝。コンスタンティノープルをローマの新首都とした。
尚、ローマ帝国を キリスト教に国教化したのは「テオドシウス1世」。
左 <コンスタンティヌス大帝の母 ヘレナ> 生涯キリスト教徒で、聖地エルサレムに巡礼した際、「イエスの磔刑に使われた十字架を発掘した」とされている。
コンスタンティヌスと母ヘレナの間の十字架は、ちゃんと八端十字になってますね~。 -
聖オネシモス 聖ゲオルギウス 聖テオドロス・ティロン
オネシモス
パウロの友人・ピレモンの元奴隷。オネシモスがピレモンから逃亡した後、ローマでパウロと出会い・キリスト教に改宗。後に、エフィソスで殉教したテモテの後釜として、エフィソスの司教になるが、トラヤヌス帝の治世中、石打ちの刑後、斬首され殉教。【ピレモンの手紙・参照】
テオドロス・ティロン
ギリシャ人・ローマ軍人でキリスト教徒。棄教を拒み、火刑され殉教。381 年の冬に、「ニッサのグレゴリウスが、テオドロスを称える賛辞を行った」と証明されている。(ゲオルギウスよりもテオドロスのほうが、記録が多い) テオドロスの「ドラゴン退治」の話は、9世紀には存在していたそうです。
で、【ヘビの教会】の謂れとなったヘビが、ココに描かれています。
尚、ここでのテオドロスと、先ほどの「寄進者テオドロス」は別人です。 -
5日目のヒエラポリス以降、(なんだかなぁ~)の旅が続いていますが、ココではご満悦の私。
ってか、ギリシャ系のガイドさん、実は「非キリスト教徒」だった。なので質問できず(笑)
興味が無い人にとっては、ココはツラいかも。かなり歩くしね(^_^;)
はい、次行きます! -
お待たせしました~! トリの【バシレイオス教会】
周り順で行くと、ここがスタート地点ですが、恐らく殆どのキリスト教徒が、この教会を目的として、ギョレメ博物館に訪れるのだと思われます。
ここの壁画は至ってシンプル。上の骸骨は、勿論イミテーションですわよ~ん。
「バシレイオス教会=バジル教会」の謂れ。これは単に、<カイサリアの司教・カッパドキア地方の教父・正教会の修道院制度の創始者の一人>であるバシレイオスが描かれているため。つまりバシレイオス自身とは、全く関係ない(>_<) -
メインの部分は、こんな感じです。
-
聖バシレイオス 330年頃~379年
カッパドキアの裕福なギリシャ人、キリスト教徒の家庭に生まれる。初めは法律家および教師だったが、神に人生を捧げる決意をし、禁欲主義と修道生活を研究…〈と 端折り〉
三位一体神学と修道制の基礎を築いた大教父で、正教会・カトリック教会などの、聖人概念を持つ、ほぼすべての教派で聖人として崇敬されている。
ついでに…。
普段は「バシレイオス」とは言わず、「ワシリイ」と言っています。「ワシリイ」と聞くと、ロシア・モスクワの豪華絢爛で玉ねぎドームの「聖ワシリイ大聖堂」が浮かぶと思いますが、モスクワのワシリイは、この「教父・ワシリイ」では無く、「農家生まれで、貧者ではあったが、予知能力が優れ、数々の奇跡を行った」という人物です。 -
幼子イエスを抱く聖母マリア。 現在はこのように大部分が色褪せているが、1920年代には、より完全な姿があったそうです。
右には小さくデメトリオスが。やはりギリシャ人が多い場所だったから、デメトリオスは必須だったのだろうなぁ~。そんなわけで、先にデメトリオスから。 -
聖デメトリオス
ギリシャ・テサロニキの、ローマ軍総督で、キリスト教徒。
しかし、テサロニキのキリスト教徒を虐殺するよう命じられ、拒否。(自分もキリスト教徒だ)とカミングアウトした。その結果、ディオクレティアヌス帝の怒りを買い、306年に槍で刺されて殉教。
右上 ギリシャ・テサロニキの「聖デメトリオス教会」
右下 「聖デメトリオス教会」にあるデメトリオスの描写 -
2枚戻り、1920年代はこのようだったそうです。で、この絵の重要なところは、マリアの足元にひれ伏す男性。
これはイグナティオス修道士だそうで、かつては壁画に「主よ、あなたの僕・イグナティオス修道士を助けたまえ」と記された碑文があったそうです。
名前の後に称号(この場合「修道士」)が記されることは稀であるため、イグナティオスは、おそらく修道院共同体の創設者か修道院長と考えられているそうです。 -
片手を上げ祝福をし、もう片手に書物を持つ像が描かれている。これは「言葉が肉となった=イエスが旧約聖書のすべての預言を成就した」という意味です。
『全知全能の神・キリスト』というこのモチーフは、当時広く普及し、やがて正教会やビザンチン様式の教会において、欠かせなくなりました。
後陣によく描かれています。あっ「リンゴの教会」にもありましたね。シチリア島のパレルモ大聖堂(カトリック)などが判り易いです。 -
こんな感じです。
左下、パレルモ大聖堂。 他3つ、イスタンブール、アヤ・ソフィア -
聖ゲオルギウス
ゲオルギウス(303年没)は、カッパドキア出身のローマ軍将校で、ローマ皇帝ディオクレティアヌスの親衛隊の一員だった。父親(ギリシャ人・ローマ軍人)は異教徒だったが、母親はキリスト教徒だったため、洗礼を受けさせ、密かにキリスト教徒として育てた。ディオクレティアヌス帝の迫害は、「ローマ軍兵士の、キリスト教徒」を標的としたらしい。ゲオルギウスは棄教を拒み、斬首され殉教した。
と、この話が残っているだけで、有名な「ドラゴン退治伝説」はじめ、諸々の話は後から作られたらしい。逸話が無い分、様々なストーリーが出来たんだろうなぁ~。おかげで、知名度が高くなった。
聖ゲオルギウスと竜の伝説に関する最も古い記録は、11世紀のジョージア語の文献だそうです。 -
聖テオドロス・ストラテラテス(←おそらく)
エウカイタ出身の、ローマ軍・ヘラクレア市の軍司令官。こちらもキリスト教徒で、リキニウス皇帝の迫害で棄教を拒み、319 年 2 月 8 日斬首で殉教。
尚、ストラテラテスにも、ヘビ退治伝説あり。
ってか、バシレイオス教会なのに、バシレイオスのほうが小っちゃ~(笑) -
再び「ヘビの教会」教会の壁画。
聖テオドロスと聖ゲオルギウスは、一緒に描かれることがよくあるそうです。
戦士の聖人、特に騎乗した聖テオドロスと聖ゲオルギウスは、カッパドキア美術において重要な人物だった。カッパドキアは辺境の地であり、多くのビザンツ軍が駐屯し、地元住民も軍事化されていたため、戦士の聖人は人気があった。
ゲオルギウスも、2人のテオドロスも、ローマ皇帝による迫害で殉教した為、蛇 (誇張されドラゴンになった)は、恐らくローマ皇帝を指しているのかも知れませんね。 -
以上、ギョレメ博物館でした。
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ローズバレー 【車窓から】
ローズバレーは、日の出と日没時に岩壁がバラ色に染まることから名が付けられた。
日の出と日没…って、個人で行かないと、ココの良さは判らないって事か"(-""-)"ローズ バレー 旧市街・古い町並み
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イチオシ
次の見学地に到着。
おまちしてましたわん、と ワンちゃんが。 -
【ラクダ岩】
上は車窓から撮ったもので、下が下車してから見えたもの。
岩のそばまで、登ってみた。らくだ岩 (デヴレント渓谷) 山・渓谷
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あら、ビックリ!
遠目に見ると大きな岩かと思ったら、意外と薄かった(^_^;) -
こういうところもサー、
旅の目的が違うと、見方も・発見も・感動も違くなるんだよね~(^_^;)
と、ワンちゃんが言った。 -
奇岩にお花…、中々綺麗です。
本日のラストは、 -
イチオシ
【3姉妹の岩】でした。
雲がかかっている為か、時間的な日の光で、このように見えたのか、とにかく綺麗だなぁ~と思ったのでした。スリーシスターズ 建造物
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どう見ても エリンギに見える。
真ん中の岩には、穴がありますね~。中に入れるのかなぁ~? -
そろそろ帰ります。見納めのラスト。
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【車窓から】
大きなポットの置物。
ツアー行程に入っている「陶器店」は明日に持ち越し。 -
ホテルの敷地を車窓から。
冗談抜きで、このホテルのドアにも泣かされた~(>_<) 鍵穴に鍵が絡まない。
翌日、「添」の部屋は、ドアノブごと取れたそうだ((+_+))カルセドン ケーブ スイーツ ホテル
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本日の夕食もブッフェで、メニューは昨夜とほぼ同じ。
ガイドさんが、何処で買っていたのか、ヨーグルトを差し入れしてくれた。
(このヨーグルトは美味しいんです! 皆、食べてみて!)…と。 -
明日は午前中カッパドキアの観光後、イスタンブールに戻ります。
11日目、終了。
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この旅行記へのコメント (2)
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- さつまおごじょさん 2026/08/23 11:48:04
- 歴史の先生?
- danteさん、何か歴史に携わる職業に就かれているのですか?
歴史に弱い私に理解しろ!と言われてもまず無理なのですが・・・
歴史は抜きにして、やはりトルコの風景は壮大で美しいです。
ウチヒサル城の麓に広がる集落の風景は、まるでおとぎ話ですね。
壮大なエルジェス山も、ワンポイント添えています。
質問すれば答えてくれるガイドさん(笑)
そもそもガイドという職業向いてないかも( ´艸`)
ツアーのガイドさんって、鬱陶しいほどですよね、普通。
買う気の無い迷惑(?)な客はスタッフルーム送りでしたか。
もし私がその場に居ても、同じだったと思います。
定価の何倍もの値段を吹っ掛けられ、やれやれです(>_<)
私はトルコでは、ナザール・ボンジュウさえ買っていません(-_-;)
そう言えば、ギリシャでも売っていたなぁ。
鍵穴に鍵が絡まないのは、旅あるあるですね。
お手上げでフロントへ行こうと決めた途端、開くんですよ。
なので、キーカードだとほっとします。
トルコのおやつ(スイーツ)はどれも砂糖の塊ですよね。
見るだけで、虫歯になりそうですよね( ´艸`)
- danteさん からの返信 2026/08/23 16:54:40
- こんにちは! コメント頂きありがとうございます。
- カッパドキアの奇岩は面白いですね。
他の国&場所だと、アメリカのブライスキャニオンも、なかなかです。
ガイドさんは、(車内では、あまり話さない)です。見学中は、勿論話しますよ。もっとも「添」含む他のメンバーも、車内ではお昼寝タイムでしたしね(笑)
スタッフルームはですね、単に(一服の為)です。
外に出たかったんだけど、「ここで済ませろ」と。勿論、お茶付きです(笑)
で、スタッフルームから出たら、Bさんが「添」と共に、購入手続きをしてました。
でも、こういう人がいるからこそ、トルコツアーが「比較的安価」なのも確かなので、いいんです。「取れる人から取る」…商売の鉄則ですね(笑)
ギリシャで、ナザール・ボンジュウですか?
今回・海外初めての「鍵」でした。私は、カードキーは、紛失しそうで苦手なのですが、今回ばかりは、カードキーにホッとしました。
で、(歴史の先生?) …うっ、残念。宗教学です。
そうそう、「G」と未だ普通に話していた時、「G」が当てましたよ。(肯定も否定もしなかったけど)「添」は私の素性を知りません。知ったらコロッと態度を変えたでしょうね(笑)
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