2026/03/20 - 2026/04/03
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danteさん
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※先にお断り。
一部「旅ブログ」含む 日本語サイトやガイドブック・旅行会社の情報及び
説明とは異なっています。
世界中からアヤ・ソフィアを訪れる何百万人もの観光客は、この教会で起こった「残虐行為と恐怖の光景」を想像するは出来ないであろう。アヤ・ソフィアに入り、複雑な心境になるのは、「ギリシャ人と事件を知っている人だけだ」という。
アヤ・ソフィア(ギリシャ語で「聖なる知恵」)は、6世紀(西暦532~537年)に東ローマ帝国(ビザンチン帝国)のユスティニアヌス1世の指揮の下、コンスタンティノープル=(現イスタンブール)に建立された世界最大の教会だった。
コンスタンティノープルは、西暦284年から337年にかけてコンスタンティヌス大帝によって築かれた。この都市は「東方の経済と文化の中心地であり、ギリシャ古典とキリスト教の理想の中心地」となった。
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1453年5月29日、オスマン帝国によって、ギリシャ人が大虐殺された。
1453年5月29日の朝、アヤ・ソフィアは礼拝の為に人が溢れていた。そこにオスマン帝国軍が叫び声を上げながら押し入り、剣や殴打での殺戮を始めた。その為、床や階段はギリシャ人の血が川のように流れた。最初に殺された人々は幸運だった。彼らの苦しみはほんの少しの間しか続かなかったからだ。アヤソフィア 寺院・教会
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【現在は、非イスラム教徒は2階しか入れない】
生き残った人々も(は)、青年男性や高齢者・病人は殺され、幼い子供は奴隷に・女性は性奴隷として売られた。正午までに虐殺は終わり、物音一つ聞こえなくなった。ギリシャ人の死体とむき出しの壁だけが残り、他のものはすべて略奪されていた。
【尚、当時は、この2階での虐殺が1番酷かったらしい】 -
2階の壁画
もしかして、上の白い穴は、当時の銃弾跡? -
2階から見えた【セラフィム】
セラフィムは、キリスト教の天使で最高位。
旧約聖書:イザヤ書( 6:2ー3 )では神の玉座の周りを飛び回り「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな」と叫ぶ6つの翼を持つ存在が記されている。また新約聖書ヨハネの黙示録(4:6ー8)にも記されてある。 -
【スペイン・サクラダファミリアの生誕の門】
「Sanctus」の文字がある。
「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな」これは至聖三者に対して祈る正教会の祈祷文であるが、カトリック教会でも取り入られている。モーツァルトのレクイエムの中にも、「Sanctus」が入っている。
※至聖三者(しせいさんしゃ)とは、キリスト教における三位一体の神を表す言葉で、(父なる神・神の子イエスキリスト・聖霊)です。 -
セラフィムは、イスラム教でも「天界を象徴するもの」としている…らしい。イスラムでは、しばしば動物の姿で描かれ、鷲・雄牛・ライオン・人間…って、パクってんじゃねぇ~よ!!
鷲=ヨハネ 雄牛=ルカ ライオン=マルコ 人間=マタイ -
その後教会は、オスマン帝国のメフメト・ムハンマド2世によってモスクに改築され、コンスタンティノープルは、オスマン帝国の首都となった。1923年、現在のトルコ共和国となり、首都はアンカラになった。
※ 尚、イスタンブールの景観は、非イスラム教徒から没収した財産で賄われたそうです。 -
トルコを旅する多くの人は、「ヨーロッパとアジアが融合された異国情緒の風景」や「パムッカレの石灰棚」「カッパドキアの奇岩」を見たいというのが目的なのだと思う。また、ツアー利用だと、「比較的安価で行ける国」というのも (←これが最大の決め手だろう) 理由なのではないかなぁ?
で、私。今回は《真面目に半分、余暇も半分》です。
以上、前置きです。 前置き長~(^_^;) -
戻り、2026年3月19日
前泊の為、成田空港第1ターミナルに寄ってみたが、展望台は閉鎖中。
よって、第2ターミナルの展望台へ。
が、殆ど離発着の機体が見えず(:_;) -
さて、2026年2月末、アメリカとイランの戦争が始まり…って、(イスラエルは陰になっちゃったなぁ~)原油高になってしまった。今回の旅、既に旅行代金は支払っていたものの、もし出発日が数週間遅かったら、燃油サーチャージが上がっていただろう。
ある意味、ギリチョン・セーフ!! -
しかし、エミレーツ航空始め、中東系の航空会社が飛べなくなり、ターキッシュ・エアラインズは連日ほぼ満席となっていた。
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成田からイスタンブールまでの直行便とはいえ、なにせエコノミーなので、トイレに行き易い通路側席を自腹&有料で確保。片道5,600円。
※「自腹・有料」…これには、(トイレに近い)以外の理由があって、そうせざるを得なかった。その理由は後程。 -
2026年3月20日
ANAの上空をスクート航空(シンガポール航空系LCC)が飛んでいる。 -
先程飛んでたスクート航空機が到着ゲートに向かっています。後ろのANAのほうが大きい。
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今日もラニ君が見えました。(お尻だけ)
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さてさて、機内に乗り込みます。
エコノミーは3-3-3
かなり混んでるけれど、私の隣は未だ現れず。
このまま誰も来なければいいなぁ~と願っていたら、来なかった!
私・ラッキー!! (有料座席指定が功を奏す)
勿論〔なんちゃってフルフラットシート〕ですわ(#^.^#) -
1回目の機内食
メインは白身魚の和食。
これが結構美味しかった!! -
2回目の機内食
今度はヌードルにしてみた。これも美味しい!!
尚、間食はギャレーにあった〈おにぎりと一口サイズのお菓子〉を頂いた。
話は前置きに戻る。 ※写真はランダムです。 -
【アヤ・ソフィア 2階壁画】
左 聖母マリア 中央 イエス・キリスト 右 洗礼者ヨハネ
キリスト教というと、イスラエル【エルサレム】スペイン【サンティアゴ・デ・コンポステーラ】イタリア【ローマ】をはじめ、西ヨーロッパに行くとキリスト色が強いけど、史実は東ヨーロッパのほうが圧倒的に多い。特にトルコは、キリスト教の歴史が長い。 -
【通りがかりの湖畔】
トルコでは〈宗教に関する国勢調査が実施されてない〉らしいので正確な数は不明だが、〈国民の大半がイスラム教徒で、70%がスンニ派・25%がスンニ派以外のイスラム教徒〉だとされている。 -
【どこかの、昼食レストランの控え室】
とはいっても、1928年の憲法改正以来、トルコは【国教を持たない世俗国家】になった。ただ、1982年以降、すべての小中学校で宗教の授業が義務付けられており、カリキュラムは主にスンニ派に焦点を当てているらしい。 -
【通りがかりに見掛けた白馬】
そもそもトルコ国民は、出生時・自動的に「イスラム教徒」として登録されるのだという。(※現在は廃止になったそうです。) なので、例え他の宗教を信仰している人や、どの宗教も信じていない人も、当人が反対の主張をしない限り、公式記録では「イスラム教徒」となるらしい。しかし、多くの国民が「イスラム教の文化的規範を遵守していない」のだそうだ。 (なんだ、これ(-_-)?) -
【通りがかりの建物】
キリスト教徒の人口は圧倒的に少ないそうだ。これはオスマン帝国による虐殺によるものだとされている。また、トルコ人の、元イスラム教徒からキリスト教に改宗した人の多くは、家族からの圧力・宗教的差別・迫害を恐れて、キリスト教の信仰を隠していることが多いという。
また、トルコ国内の非イスラム教徒に課された税金〈経済的破滅が目的〉で、必然的に去ったか、イスラム教に改宗してしまったと言われている。 -
【アヤ・ソフィア 2階の壁画 左右の人物に興味なし】
キリスト教を国教にした最初の国はアルメニアで、301年だという。ローマ帝国は392年。『ギリシャはローマ帝国の一部であったものの、50年頃には福音を受け入れていた』
(伝承では、直弟子・12使徒のタダイとバルトロマイが宣教し、アルメニアで殉教したことになっている)
オスマン帝国が、非イスラム教徒&他国を脅かし始めたのは8世紀頃からだとされるが、最大の残虐行為があったのは19世紀からだとされている。「バタクの虐殺1875年=ブルガリア人」や、特に犠牲になったのが、アルメニア人とギリシャ人。 -
【通りがかりの民家】
19世紀まで、多くのアルメニア人が、オスマン帝国領内アナトリア地方に住んでいた。
オスマン帝国は、アルメニア人を壊滅させて、オスマン帝国外のイスラム教徒を再定住させ、トルコ人とイスラム教徒の中流階級のための場所を作り、イスラム教徒のトルコ人が、国家経済を管理することを目的にした。 -
【通り掛かりの湖]
オスマン帝国は数十万人のアルメニア人を拘束し、シリア砂漠へ徒歩で移動させた。アルメニア人は食料や水を与えられず、飢餓や極度の疲労、あるいは病気で死亡した{意図した計画であった}。男性のアルメニア人(12歳以上)の大多数は、数日後に殺された。遺体を隠蔽または処理しやすいように、主要道路に近い起伏のある地形・湖・井戸・貯水槽がある場所が選ばれた。東アナトリア地方にある、ハザル湖に訪れたアメリカの外交官は、(近くの峡谷が死体で埋め尽くされ、湖には数百体の死体が浮かんでいるのを発見した)と証言している。
※ この湖はハザル湖ではありません。 -
[コンヤの眺め]
移送者の大多数を占める女性や子供は、すぐに処刑されることはなく、食料や水もないまま歩かされ、ついていけない者は見捨てられて死ぬか、銃殺された。生き残った若い女性や少女は、「性奴隷として」トルコ人やクルド人などのイスラム教徒に売られるか、自殺するしか無かった。少年はイスラム教徒の個人のために強制労働者として扱われた。生き延びたアルメニア人の子供は、無給の重労働・イスラム教への強制改宗など、身体的および性的虐待に遭った。
アルメニア人の財産没収と虐殺により、多くの下層階級のトルコ人(農民・兵士・労働者など)が中流階級に昇格した。アルメニア人の資産の没収は20世紀後半まで続いた。 -
【エーゲ海の桟橋?】
また同じ時期に、ギリシャ人も虐殺された。
こちらは、オスマン帝国政府と、〈ムスタファ・ケマル・アタチュルク(1923年にトルコ共和国を建国した初代大統領)〉率いる大国民議会政府によって、アナトリアに住むギリシャ人に対して行われた。
こちらもアルメニア人同様のジェノサイドと、東方正教会の聖職者・文化的・歴史的・宗教的建造物の破壊が含まれていた。生き残った人々は、1923年後半にギリシャとトルコの間で行われた住民交換の条件(ローザンヌ条約)に基づきギリシャに移送された。
オスマン帝国の高官だった〈ラフェト・ベイ〉は、「アルメニア人と同じようにギリシャ人も始末しなければならない…今日、私は内陸部に部隊を派遣し、ギリシャ人を皆殺しにした」と報告している。 -
トルコで起きた出来事は、1890年代から1920年代、そしてそれ以降も続いた「大規模な民族宗教的虐殺」だった。迫害され・殺害されたのは、数十万人のアルメニア人に加え 、同数のギリシャ人やアッシリア人(あるいはアッシリア教会やシリア正教会の信者)だった。
さらに、数万人ものキリスト教徒がイスラム教への改宗を強制され、何千人もの女性や少女がイスラム教徒によって強姦された。トルコ人はキリスト教徒の少女を「性奴隷」として売る市場さえ開設していた…という。 -
これらの残虐行為は、3つの異なる政権によって相次いで行われた。〈スルタン・ アブデュルハミト2世〉の権威主義的イスラム主義政権、第1次世界大戦中の〈タラート・パシャとエンヴェル・パシャ〉率いる統一進歩委員会(青年トルコ党)政権、そして〈ムスタファ・ケマル・アタチュルク〉による戦後の世俗主義国家主義政権です。
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【マルマラ海】
ところがまだ終わらない。
1955年9月6日から7日に、イスタンブールのギリシャ人を標的とした虐殺があった。トルコ国家が支援した攻撃である。この事件は、ギリシャのテサロニケにあるトルコ領事館への爆破事件がきっかけだった。この領事館は、 1881年に〈ムスタファ・ケマル・アタチュルク=トルコ共和国初代大統領〉が生まれた家であった。爆弾は、【実際には、領事館のトルコ人によって仕掛けられ、後に逮捕され自白した】トルコの報道機関は逮捕について沈黙し、代わりにギリシャ人が爆弾を爆発させたとほのめかした。
(なんか、ローマ皇帝ネロの「ローマの大火」と似てるなぁ~) -
ともかく、これが原因でイスタンブールに住むギリシャ人が標的になった。これは「イスタンブールのギリシャ人を絶滅させる」という、トルコの首相〈アドナン・メンデレス1950~1960年在職〉率いる政府によって画策されていた。
〈メンデレスは、1961年に虐殺を命じた罪で処刑された〉 -
トルコ人暴徒は、ほとんどが事前に (意図した計画だったので) イスタンブール市内に流れ込み、「ギリシャ人を虐殺せよ。まず財産を、それから命を」と叫びながら、9時間にわたってイスタンブールのギリシャ人コミュニティを襲撃した。トルコ警察や民兵は、ギリシャ人への暴動を阻止するのではなく、暴徒外のトルコ人を保護する為に立ち会った。犠牲者・死亡人数は記録されてない為・わからないが、少なくても50人以上と推測されている。
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目撃者であるトルコ人作家アジズ・ネシンの証言。
「暴動のさなか、自分がトルコ人であると同時にイスラム教徒でもあることを証明させられた者もいた。暴徒は1人の男に(それを引っ張り出して見せろ)というと、哀れな男はズボンを脱ぎ「イスラム教徒であること」と「トルコ人であること」を示した。では、その証拠は何だったのか?割礼を受けていたことだった。割礼を受けていれば助かったが、そうでなければ、路上で割礼を施した。9月6日の夜、多くの男たちが、ナイフによって強制的にイスラム化させられた」 -
ロンドン・デイリー・メール紙の記者・ノエル・バーバーの目撃証言。
「イェディクレの教会は完全に破壊され、1人の司祭がベッドから引きずり出され、頭髪はむしり取られ、顎ひげは引き抜かれた。教会にいたもう1人のギリシャ人の老司祭(マンタス神父)は、具合が悪く動かすこともなか出来なかった為、ベッドに放置され、家に火が放たれ、生きたまま焼き殺された。。
ボスポラス海峡の端にあるイェニコイの教会では、75歳の司祭が通りに連れ出され、衣服を剥ぎ取られ、車に縛り付けられ、引きずられて殺された。
※イェディクレ=イスタンブール・ファティ地区
※イェニコイ=イスタンブール・サルリエ地区 -
以上、かなり端折ったけど (うん、これでも(:_;)) 恐ろしい国だなぁ。
下調べをすると、既視感が強くなって楽しめないかも知れない。でもそういう訳には、いかんのよ。 -
ところで当のトルコ人は、日本人観光客は大好きらしい。
日本人は、説明を鵜呑みにするだけで、質問をしないから扱い易い。ショップでは値引きをしても儲けられる。おまけにチップまでくれる。
要は「良質のカモ」って事だ。(私も他人様を見て、そう思う。)
ごめんよ。私は「カモ」にはなれないし、無駄なお金は使えないの。 -
思うに、日本人って、世界各国へ旅出来る・珍しい国民なのかもしれない。お金や時間はさておき、「無宗教」の人が多いからだと思う。だから、深くは知ろうとせず、(あら、綺麗ね~。コレ、いいわね~。ふ~ん、そうなんだ~) で、終われるのだろう。
逆に、日本に来る外国人も、来易い国だと思っているだろう。何せ、宗教に無関心な国は、そうあるものではないからね。
と、「困った時は神様にお願いするから、私は神を信じていない訳では無い」という輩がいるけど、それ全く違いますからっ!!
で、イスタンブールに到着。
現地ガイドはギリシャ系の人だった。
この「ギリシャ系」というのが、私にとっては大ラッキーだった!!
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