2026/03/21 - 2026/04/03
8位(同エリア48件中)
danteさん
- danteさんTOP
- 旅行記39冊
- クチコミ14件
- Q&A回答7件
- 82,692アクセス
- フォロワー17人
※ 先にお断り。
一部「旅ブログ」含む 日本語サイトやガイドブック・旅行会社の情報とは異なっています。
4日目 エフェソス
昨日に引き続き、今日も《7つの教会の1つ》へ。
エフェソスは、紀元前6000年頃には人類が居住していたらしい。
と、紀元前の話は端折ります。
西暦53年頃に聖パウロがエフェソスを訪れた当時、エフェソスにはユダヤ人共同体が存在していた。パウロがユダヤ教の会堂で、キリスト教を受け入れさせようとし、3年滞在した結果、多くの信者が集まったようです。
ただ…、
当時のエフェソスは、アルテミス信仰の中心地でした。多くの人々の収入はアルテミス崇拝によって支えられていた。銀細工師や職人たちは、アルテミス神殿のミニチュアや像を作り、販売して生計を立てていた。そこにパウロが「人間の手で作られた神々は実際には存在しない」と発してしまった。その結果、銀細工師たちは商売を失い、アルテミス崇拝も批判されたことで、パウロはエフェソス市民の怒りを買い、町中で暴動を引き起こしてしまった。(パウロはエフェソスから追い出された)
が、しかし、パウロの発言とは裏腹に、キリスト教も同じことをしている。「像」を神としている人は居ないと思うけど、イエス像・マリア像をはじめ、パウロ像だってあるじゃない。ローマの教会なんて「像」だらけ。聖画も沢山ある。これで生計を立てている職人・画家が沢山いるんですけど(笑)
だからパウロは、あちらで喧嘩を売られたでしょうね~。
おまえサ~、俺たちの仕事奪ったのに、今はなんだよ!
おまえらだって同じ事してんじゃねぇ~かよ!
なんで、おめぇ~の像が沢山あんだよ!
おかしいだろ!!
バカヤロー!!
と、絶対言われてる(笑)
まぁ~ね、当時は後世のことなんて判るはずがない。私だって、この旅が後味悪いものになったなんて、この時は思わなかったもん(>_<)
因みに、エフェソスの最初の司教は、パウロの弟子である《テモテ》で、エフェソスで殉教。テモテの遺体は暫くエフェソスに安置され、その後コンスタンティノープル(イスタンブール)に移され、最終的に十字軍によってイタリアへ運ばれた…とされています。
- 航空会社
- ターキッシュ エアラインズ
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
-
イエス・キリストの磔刑後、エルサレムの初期キリスト教徒の多くは、迫害から逃れるために小アジア(トルコ)に渡り、カッパドキア・ヒエラポリス・エフェソスといった、様々な地に住んだ。
パウロは宣教の為に各地へ赴いた。 -
今回の旅は、パウロが辿った順とは逆回り。
※巡礼ツアーではないので、全地に行くわけではありません。
海外の旅行会社では「パウロ巡礼ツアー」を取り扱っているのだけど、そのようなツアーは、本当にそれだけ…なんだよね。それではあまりにも重すぎる(退屈)ので、「真面目に半分、余暇も半分」にしました。 本日後半から、余暇編に入ります。 -
8:00ホテル出発
イズミールからエフェソスまで 約1時間30分の移動。
今日の観光は【アルテミス神殿跡】から。
※現在残っているのは、柱が2本 (1本は半分しか残っていない) 以上(;_:)
アルテミス神殿は、紀元前7世紀以前からあったと言われていますが、紀元前7世紀の洪水によって破壊したらしい。その後、紀元前550年頃、エフェソスの支配者クロイソス王によって、大理石の柱で造られた長さ115メートル・幅46メートル神殿に再建されたそうです。
ところが紀元前356年に、ヘロストラトスという人物が、木製の屋根や梁に火を放ち焼失したんだとか。
更に…というか、最終的には西暦267年、ゴート族がエフェソスを襲撃した時に、神殿はまた放火されたらしい。以降、都市は閉鎖され衰退し、現在の姿になってしまった…との事。
後程、考古学博物館で。アルテミス神殿跡 史跡・遺跡
-
車窓から (写真違うけど)
エフェソス遺跡に移動と思いきや、ここでツアー恒例のショッピングへ
エフェソスだと「革製品の店」が多いみたいだけど、我々は「トルコ石」に。4人しか居ないけど、勿論行きます。
説明&宣伝は、30代ぐらいの日本人女性が担当。
オーナーがトルコ人で・御主人だという。
今やトルコ石ならぬターコイズというのは周知。
トルコで採れるのは、ズルタナイト。…と説明はどうでもいい。
今回1人の女性が買う気満々だったので、スムーズに事が運びました。
よって、ココでは大した話は無し。 -
車窓から
エフェソス遺跡に移動中 -
着きました。入場料40ユーロだって! この時のレートは1ユーロ・180円ぐらいだったかなぁ? (両替をしてないので判りません) 円換算7,200円! たかっ!
エフェス遺跡 史跡・遺跡
-
主な遺蹟のマップ。見学は左側から だっちゃ。
-
この並木は当時は勿論なく、最近(っと言っても数10年前?)植えられたのだそうです。写真右側にトイレがありました。
-
石棺が多いですね~。
-
【大劇場】
修復中です。 -
【アルカディアン通り=ハーバー通り】
※ 当時はこの先に港があった。現在は地形変動によって、海から遠ざかってしまった・との事。
この通りは、395年から408年まで統治したアルカディウス帝にちなんで名付けられた。かつては、周囲の建物の高い壁によって通りの外の景色は遮られていたそうですが、街で最も壮大な通りだったそうです。
[アルカディウス]
ローマ皇帝テオドシウス1世の長男=東ローマ帝国テオドシウス王朝の初代皇帝。
アルカディウスは、皇后アエリア・エウドクシアの讒言により、コンスタンティノポリス大主教 《ヨハネス・クリュソストモス=金口イオアン》をその地位から追放したことで知られる。 -
ここで映像を見るそうです。
-
私達の他に個人客が3人しかいません。空いてます。
-
3D映像で、音も凄い!
内容はエフェソスの歴史を搔い摘んだものでした。 -
紀元前356年、ヘロストラトスがアルテミス神殿を焼き払ったシーンかなぁ?
左にパウロらしき人物が演説しているので、時代が合って無いですね~(^_^;) -
この動画ではあまり音が聞こえませんが、ヘッドホンから流れてくるので実際は迫力があります。ここは本当にお勧めです。
https://www.youtube.com/watch?v=aDabSwmCEI0 -
映像が終わり、遺跡見学に戻ります。
-
この劇場、古代劇場ではトルコ最大で収容人数は24,000席との事。
元々は紀元前4世紀に建設されたらしい。
パウロが抗議を受けた場所でもあるらしいんだけど、諸説あり('_') -
商業アゴラ
現在残っているのは、紀元前3世紀頃のものだそうですが、発掘調査により、紀元前8世紀にまで遡る層状の建造物が発見されたらしい。
パウロがここで「テント職人として働いていた」と言われていますが…。
「テント職人=Tent maker」という言葉は「報酬や支援・献金などを受け取らず、自分が働いたお金で生活を支え、宣教活動をする」…という「クリスチャン活動」を指します。
ペテロや他の使徒たちは「宣教に専念し、献金や支援で生活していた」のに対し、パウロは「経済的な負担をかけたくない」という思いから、自ら働き稼いだ。
実際パウロは、ギリシャのコリントで、テント作りで生計を立てていた同胞と共にしていた事から、「テント職人」という用語が出来たのだそうです。 -
商業アゴラ
エフェソスの商業と公共生活の中心地。
一辺が110メートルの正方形で、周囲を円柱が囲んでいたとの事。 -
【マゼウス・ミトリダテス門】
マゼウスとミトリダテスは、アウグストゥス帝の奴隷であった。アウグストゥス帝から自由を与えられた彼らは、彼への忠誠と感謝の象徴として、西暦40年にこの門を建てた。ケルスス図書館と商用アゴラを隔てている門の上には、ラテン語で書かれた碑文がある。 -
エフィソス遺跡のメインとされるケルスス図書館。
ケルスス図書館は、ローマ元老院議員ティベリウス・ユリウス・ケルスス・ポレマイアヌス (名前長いし、言い難い~!)を称え、息子であるガイウス・ユリウス・アクイラによって、西暦117年に建てられた。ケルススは西暦92年に執政官、115年にはアジア総督を務めた…そうです。 -
柱の裏側です。(図書館内部)
両側の柱の壁に、なにやら文字が彫られている。
左側は(ドイツ語だ)って事は、わかった。 -
【ドイツ語版】
「ティベリウス・ユリウス・ケルスス・ポレマイアヌスの図書館兼記念碑。トルコ博物館・古物総局の同意を得て、オーストリア考古学研究所は建設業界と協力し、1970年から1978年にかけてこの記念碑の修復を行いました。現在からの調査と建設により、この過去の建造物が目に見える形で再建出来たのは…[ドイツの考古学者フォルカー・ミヒャエル・ストロッカとフリートムント・ヒューバー]のおかげです」…みたいな説明文。
※右側はトルコ語で、同じ内容らしい。 -
図書館の中へ入るものの本は無し。
内部も本も、262年から263年にかけての火災で焼失したが、この火災が自然災害によるものかゴート族の侵略によるものかは不明なのだとか。 -
当時はパピルスに書かれた巻物で、推定1万2千冊が収蔵されていたと考えられている。尚、貸し出しは許可されていなかった…そうです。
-
クレテス通りにある、売春宿の道案内の足跡。
よく耳にするのが、
ケルスス図書館の下には、売春宿へと続く秘密のトンネルがあった。男性は妻に(図書館で過ごす)と告げたが、トンネルを通って売春宿に通っていた。
という話なんだけど、これは作り話らしい。
地理的にも建築的にも、図書館と売春宿は異なる高さにあり、道路で隔てられているため「トンネルは造れるはずがない」のだそうです。 -
ガイドさんが(ここから見るのも良いよ!)と、横道…というか対面にある遺蹟の端っこに。 ん、(・_・D フムフム。
-
岩陰で日除けをしていた犬。
-
ケルスス図書館よ、サヨウナラ。
私ら上り道。結構大変(笑) -
【ハドリアヌス神殿】
西暦128年にアテネから訪れたハドリアヌス帝に捧げられた。
トラヤヌスの従兄弟でもあるハドリアヌスは、イギリスにある《ハドリアヌスの長城=全長約117kmの城壁跡》で有名だけど、同性愛・既婚女性との不倫などと、性的に多様な関心を持つ人物だったようだ。また旅好きでもあったようで、ローマ帝国領の各地を訪れたのだそう。
皇帝としては評価が高いが、裏の顔も持ち、掴みどころがない人物だったらしい。 -
奥のは〈メドゥーサ〉だそうで、〈アカンサス=西洋アザミがモチーフの装飾〉と共に彫刻されている。
-
アーチの中央は〈勝利の女神テュケー〉のレリーフが飾られている。
-
たまに横道にそれる私。
-
【クレテス通り】
このあたりは紀元前1世紀頃の住居跡で、富裕層の人達が住んでいたという説があるそうです。地面にはモザイク画がありました。 -
【ニケのレリーフ】
当時ヘラクレス門のアーチとして飾られていたらしい。
シューズメーカー・ナイキが、《スピーディーで勝利をもたらすシューズを作りたい》という思いで、ギリシャ神話の勝利の女神「Nike」を社名にしたという話は有名だけど、ニケの『神話』は無いらしい。ただ、ゼウス神がティターン神(オリンポス神の先祖)を倒した際に最初に支援した神々の一人で、《翼を持ち、猛スピードで移動した》とされている。
先程<勝利の女神テュケー〉が出てきたけど、テュケーは運や偶然によって勝利を司る女神で、ニケは努力や実力によって勝利を司る女神らしい。 -
【ドミティアヌス宮殿】
ローマ時代、エフェソスの人々はローマとの良好な関係と支援を確保するため、多くの建物や神殿を建て皇帝に捧げた。ドミティアヌス宮殿もその1つで、1世紀の建造物なのだとか。 -
柱の上部には「人」の彫刻がある。
ドミティアヌス[51年から96年]は、ローマ皇帝の中でも最も残忍な皇帝の一人として知られ、特に元老院や上流階級の人達から憎まれていたもよう。ドミティアヌスに反対する者を処刑し、その財産で財政を賄っていたらしい。最終的に家臣の一人によって殺害された。
彼の死を知ると、エフェソスの住民は街中の碑文からドミティアヌスの名を消し去った。彼らは神殿をドミティアヌスの父である、ウェスパシアヌス帝に捧げ直した。しかし、4世紀以降キリスト教が国教となったため、神殿は最終的に破壊された。 -
こんな彫刻も残っている。よくわからないのが、何故全裸なんだ?(;_:)
-
トラヤヌスの噴水
-
クレテス通り
上地区と下地区を結ぶ主要の道
クレテスとは、高貴で有名な司祭だったそうで、後から付けられたそうです。
元々は エンボロス通り。 -
小劇場
主に元老院の会議場として使われた。
当時は木造の屋根があり、2階建ての建物で1400人を収容できたそうです。
階段状の座席は、2つのセクションに分けられ、下段の座席は要人用で、上段の座席よりも幅が広くなっている。使われた石も違う。 -
小劇場、サヨウナラ。
-
【ヴァリウス浴場跡】
2世紀、ウェスパシアヌス帝の指示により、大理石で造られた浴場。冷水・温水・熱水と3セクションに別れていたらしい。で、ウェスパシアヌス帝がココに来たか?…というのは、記録に無いようです。ただ、(お風呂好きであった)事は確からしい。ウェスパシアヌス帝は、温厚でユーモアもあり、健康的な生活をしていたようです。
意外なことに、円形劇場は、当時のローマ市内には無かったんだとか。ただ完成する前にウェスパシアヌス帝は没した(;_:) -
マグネシア門から退場
エフェス遺跡 史跡・遺跡
-
バスのお迎えが来るまで待機。
駐車場にいた馬車。
観光客用なんだろうけど、乗っている人見掛けなかったなぁ~。 -
今日の昼食です。
これ1人分。完食できず。
店の周りも撮ったのだけど何故か画像が無い(>_<) -
ネコは昼寝中。
昼食後はエフェソス考古学博物館ヘ
当初の行程では、後日行くアンタリアの「考古学博物館に入場」だったのだけど、修復工事で閉館した為、急遽代替になってしまった。 -
エフェソス考古学博物館の周りの写真も何故か無い(>_<)
で、館内で撮ったのは数枚だけ。
左のパネル、エフェソスに、ルカも来てたんだ!
右は8世紀頃に使われていた十字架など でした。エフェス考古学博物館 博物館・美術館・ギャラリー
-
エフェソス考古学博物館の目玉、アルテミス像
1956年に発掘されたそうで、1世紀のものらしい。 -
この像の印象的な装飾は頭部なのだそうで、神殿(1番上)・スフィンクス・動物の彫刻が施されているそうです。
-
下は、神話の動物と実際に居た動物の装飾
左には蜂が確認出来ます。 -
こちらもアルテミス像。これは2世紀頃のものだそうです。
2体の像の胸にある突起は、女神に捧げられた蜂の卵という説があるそうです。 -
アルテミス神殿の模型
-
エフィソス見学が終わり、ボドルムへ移動。
写真飛び、海が見えてきました。
他社でも15日間で類似したツアーがありましたが、ボドルムに行くツアーは、このコースしか無かったのです。ボドルム…何があるのって? よくわからないけど、海です(^_^;) -
ボドルム
ボドルムはギリシャ人によって建設された。その後、ペルシャ・ローマ・オスマン帝国の支配下になった。ボドルムは20世紀初頭まで漁師と海綿採取者が暮らす静かな町だった。だが「海綿採取の禁止」により衰退。現在は観光業が経済を支えている…らしい。
ボドルムには、目立った政治的・宗教的の歴史はないらしいです。 -
ポドルム城。
ボドルム城は1824年のギリシャ反乱の際にトルコ軍の軍事基地として利用され、1895年には監獄となった。第一次世界大戦中で、フランス軍の砲弾によって破壊されたが、1997年に再建された…そうです。 -
現在はトルコ唯一の水中考古学博物館があるそうですが、時間的に閉まっていた。
-
近すぎて、城が見えず(笑)
-
ところで今日で4日目なんだけど、添乗員からは最低限の話しか、声を掛けられていない。ホテルの部屋の鍵や翌日の予定表を渡すなどの事務的な事だけだった。
他の3人は、このツアーブランドの常連客で、1人の女性は今回の添乗員とは初めてとの事。だから余計に手厚い。後の2人も今回の添乗員とは2回目との事。それはそれで、やはり手厚い。だから自然に、観光云々よりも過去の話や他の添乗員の話で花が咲く。
ガイドさんは何処かに消え、4人も消えた。(4人はお店に寄り道したらしい) -
そんなわけで、適当に1人で散策中。
南国…ではないけれど、今までの風景と違って、遊びに来ました感が感じられる。
「2026」の文字も、記念になりそうで良かった。 -
リゾート地という事で、個人用のボートが沢山ありました。
恐らく、トルコ国民外の人のも多いんだろうなぁ~。 -
4人(5人)と合流。1人の女性と、いつの間にか戻っていたガイドさんは、私がハグれてしまったと思ったらしく心配していた。添乗員…私が居なかった事に全く気付かず(>_<)
※ そもそも今回の旅は、初日から有り得ないことが起きていた。
その話は、また後日。
ここでの見学は1時間くらい。これから今夜のホテルに移動します。 -
と、バスに乗り込んだところで ふと思った。
ポドルム城の姿が結局判らず仕舞い。
で、ガイド&ドライバーに直談判! -
(ポドルム城を眺められる場所、無いの~?)
今回のガイド&ドライバー、超~ラッキー! 連れてきてくれた! -
ほぉ~、眺めいいじゃん!
ここは展望台ではなく、城が見えそうな位置を探して・停めてくれた場所。
(勿論、最終日にチップを弾みました) -
ボドルム城 「聖ペテロ城」
聖ペテロ城(ボドルム城とも呼ばれる)は、半島の主要な観光名所の一つで、15世紀に聖ヨハネ騎士団によって建てられ、ヨハネ騎士団時代のデザインと特徴を保持し、ゴシック建築になっているそうです。ボドルム城 城・宮殿
-
道路の反対側の景色。夕陽も綺麗に見えた。
-
18:00前、4日目のホテルに到着
ドリアホテル・ポドルムドリア ホテル ボドルム ホテル
-
こっ、これは貸し切りか?
シーズンオフの為か、時間が早かった為か、我々しかいない。
(遅い時間になってから、数名到着したようです) -
今日の夕食。
あっさりしていますね。実は本来チキンがメインだったのだけど、1人が肉を食べれず、事前にパスタに変更になっていた。で、昼食も肉だったので、全員パスタにしましょう…と急遽変更になった。
まぁね、作る側も同じメニューのほうが効率的です。 -
ホテルからの眺望
ここはリゾート地といっても、砂浜は…見てないなぁ~。
ヨットハーバーがある事から、クルージング専用なのかも。 -
ポドルムの夕陽
4日目終了です。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
旅行記グループ
《真面目に半分、余暇も半分》
-
前の旅行記
《真面目に半分、余暇も半分》クリスタルハート・トルコ15日間、ボテボテの旅 4 【3日目】
2026/03/20~
ベルガマ
-
次の旅行記
《真面目に半分、余暇も半分》クリスタルハート・トルコ15日間、ボテボテの旅 6【5日目 前半】
2026/03/24~
アフロディスィアス
-
《真面目に半分、余暇も半分》1 成田 前泊編
2026/03/19~
成田
-
《真面目に半分、余暇も半分》 2 出発〔前置き〕編 【1日目】
2026/03/20~
イスタンブール
-
《真面目に半分、余暇も半分》クリスタルハート・トルコ15日間、ボテボテの旅 3 【2日目】
2026/03/20~
ブルサ
-
《真面目に半分、余暇も半分》クリスタルハート・トルコ15日間、ボテボテの旅 4 【3日目】
2026/03/20~
ベルガマ
-
《真面目に半分、余暇も半分》クリスタルハート・トルコ15日間、ボテボテの旅 5 【4日目】
2026/03/21~
ボドルム
-
《真面目に半分、余暇も半分》クリスタルハート・トルコ15日間、ボテボテの旅 6【5日目 前半】
2026/03/24~
アフロディスィアス
-
《真面目に半分、余暇も半分》クリスタルハート・トルコ15日間、ボテボテの旅 7【5日目 後半】
2026/03/24~
パムッカレ
-
《真面目に半分、余暇も半分》クリスタルハート・トルコ15日間、ボテボテの旅 8 【6日目】
2026/03/25~
フェティエ
旅行記グループをもっと見る
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったホテル
-
ドリア ホテル ボドルム
3.24
この旅行で行ったスポット
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ 《真面目に半分、余暇も半分》
0
73