台中旅行記(ブログ) 一覧に戻る
台湾鉄道(台鐵)の全ての駅を訪問(乗車か下車をする)というチャレンジをしています。今回の旅行で全駅の74.6%が訪問済みとなりましたが、寄り道が多くて完了にはまだまだ時間がかかりそうです。<br />全ての駅で観光をしているとぜんぜん進まないので、多くの駅では乗り降りするだけの訪問になっていますが、魅力的な街では積極的に寄り道観光をするようにしています。<br /><br />今回最初の寄り道は、大甲の街となりました。

台中苗栗駅訪問の旅 03 大甲

4いいね!

2026/07/15 - 2026/07/19

1813位(同エリア1839件中)

旅行記グループ 2026-07 台中苗栗駅訪問

0

59

binchanさん

台湾鉄道(台鐵)の全ての駅を訪問(乗車か下車をする)というチャレンジをしています。今回の旅行で全駅の74.6%が訪問済みとなりましたが、寄り道が多くて完了にはまだまだ時間がかかりそうです。
全ての駅で観光をしているとぜんぜん進まないので、多くの駅では乗り降りするだけの訪問になっていますが、魅力的な街では積極的に寄り道観光をするようにしています。

今回最初の寄り道は、大甲の街となりました。

旅行の満足度
5.0
同行者
一人旅
交通手段
鉄道 徒歩
旅行の手配内容
個別手配
  • 7月16日木曜日、観光初日の午前中です。<br /><br />9:25、大甲站着。

    7月16日木曜日、観光初日の午前中です。

    9:25、大甲站着。

    大甲駅

  • ホームとの行き来は地下道。名所のパネル展示があります。

    ホームとの行き来は地下道。名所のパネル展示があります。

  • 駅舎は1966年建築。

    駅舎は1966年建築。

  • 時には對號列車(特急)も停まる比較的大きな駅です。

    時には對號列車(特急)も停まる比較的大きな駅です。

  • 駅舎内にコンビニ。子供用のベンチもかわいいですね。

    駅舎内にコンビニ。子供用のベンチもかわいいですね。

  • 鎮瀾宮という媽祖廟で有名なので、駅の飾りもそれっぽい。

    鎮瀾宮という媽祖廟で有名なので、駅の飾りもそれっぽい。

  • おっと、例の馬がコンビで登場。

    おっと、例の馬がコンビで登場。

  • 駅舎外側

    駅舎外側

  • 駅前にかつては鉄道関連の施設であったろう建物が保存されています。何の建物かは不明。

    駅前にかつては鉄道関連の施設であったろう建物が保存されています。何の建物かは不明。

  • 側面のアップ。

    側面のアップ。

  • もう少し先にあった建物。こちらはもう少し新しそう。

    もう少し先にあった建物。こちらはもう少し新しそう。

  • 駅前、中山路沿のバス停。<br />先ほどの建築物があったような場所をバスターミナルにしたら便利だろうなと思うのですが、多くの駅でそうはなってないのが不思議。台湾ってよほど大きな駅でない限り、駅前にバスターミナルを作らないですよね。駅の多くに広い敷地が残っているのに、なぜそうならないんだろう。

    駅前、中山路沿のバス停。
    先ほどの建築物があったような場所をバスターミナルにしたら便利だろうなと思うのですが、多くの駅でそうはなってないのが不思議。台湾ってよほど大きな駅でない限り、駅前にバスターミナルを作らないですよね。駅の多くに広い敷地が残っているのに、なぜそうならないんだろう。

  • 大甲市街見物の最初は、蔣公路の老街(古い町並み)から。

    大甲市街見物の最初は、蔣公路の老街(古い町並み)から。

  • バロック装飾が見事に残っています。何の建物だったかは不明ですが、現在はクレーンゲームのお店になっています。華麗な転身ですね。<br /><br />大甲周辺は古くは道卡斯族の住んでいた土地で、本格的に漢人が移入してきたのは清代の1701年以降。当時は漢人同士の勢力争い(械鬥)が激しく、大甲も城壁を巡らした城市になっていたそうです。当時は順天路に沿ってが町が発展していました。日本時代の1922年(大正11年)に駅ができてから、町の中心と駅を結ぶこの道が栄え始めました。

    バロック装飾が見事に残っています。何の建物だったかは不明ですが、現在はクレーンゲームのお店になっています。華麗な転身ですね。

    大甲周辺は古くは道卡斯族の住んでいた土地で、本格的に漢人が移入してきたのは清代の1701年以降。当時は漢人同士の勢力争い(械鬥)が激しく、大甲も城壁を巡らした城市になっていたそうです。当時は順天路に沿ってが町が発展していました。日本時代の1922年(大正11年)に駅ができてから、町の中心と駅を結ぶこの道が栄え始めました。

  • 数歩も歩かないうちにまた古いレンガの建物。

    数歩も歩かないうちにまた古いレンガの建物。

  • こちらは「汾陽」と屋号の残っている建物と、三和帽蓆という麦わら帽子の素材を作る会社だった建物(Tony Huangさんのyou tubeより)。帽蓆は大甲の特産品。

    こちらは「汾陽」と屋号の残っている建物と、三和帽蓆という麦わら帽子の素材を作る会社だった建物(Tony Huangさんのyou tubeより)。帽蓆は大甲の特産品。

  • こちらはそれほど古くないかもしれないけれど、お店のセンスが光る建物。

    こちらはそれほど古くないかもしれないけれど、お店のセンスが光る建物。

  • 改造してあるけれどこれもレンガ造りの建物ですね。

    改造してあるけれどこれもレンガ造りの建物ですね。

  • 「建徳醫院」の文字が残っている建物。大きな病院だったんですね。現在はお店がいくつか入っているようです。

    「建徳醫院」の文字が残っている建物。大きな病院だったんですね。現在はお店がいくつか入っているようです。

  • そこから一区画まるごとが「大甲鎮瀾宮(大甲媽祖)」。1732年創建の歴史ある宮で、大甲のシンボルともいえます。<br />信心がないのにお参りしても仕方ないので私はスルー。

    そこから一区画まるごとが「大甲鎮瀾宮(大甲媽祖)」。1732年創建の歴史ある宮で、大甲のシンボルともいえます。
    信心がないのにお参りしても仕方ないので私はスルー。

    大甲鎮瀾宮 寺院・教会

  • 続いて順天路の老街へ。

    続いて順天路の老街へ。

  • 日本時代の市区改正で古い城壁や門が撤去されてしまい、鎮瀾宮以外の清代の建物はほぼ残っていませんが、この通りは明治38年(1905年)の市区改正で整備が始まっているので、蔣公路よりは古い建物がある可能性があります。

    日本時代の市区改正で古い城壁や門が撤去されてしまい、鎮瀾宮以外の清代の建物はほぼ残っていませんが、この通りは明治38年(1905年)の市区改正で整備が始まっているので、蔣公路よりは古い建物がある可能性があります。

  • 古い建物は中医薬(漢方薬)のお店が多いです。

    古い建物は中医薬(漢方薬)のお店が多いです。

  • 上の写真左のお店。

    上の写真左のお店。

  • 目を引く建物だらけですんなり歩けません。うれしい想定外なんですが、きりがないので文武路までで引き返します。

    目を引く建物だらけですんなり歩けません。うれしい想定外なんですが、きりがないので文武路までで引き返します。

  • 「金聯益商店」の文字が残る建物。こちらもクレーンゲームのお店になってますね。<br />右に見切れている黄色い建物もレリーフの残る建物です。

    「金聯益商店」の文字が残る建物。こちらもクレーンゲームのお店になってますね。
    右に見切れている黄色い建物もレリーフの残る建物です。

  • 「周和發金物店」の文字が残る建物。

    「周和發金物店」の文字が残る建物。

  • 真ん中のお店はクールに改装されてますね。

    真ん中のお店はクールに改装されてますね。

  • 「TONG LENG」の文字が残る建物。

    「TONG LENG」の文字が残る建物。

  • レリーフの中に「劉」の文字。

    レリーフの中に「劉」の文字。

  • 永安堂という名前の中医薬店が現在もここで営業中。

    永安堂という名前の中医薬店が現在もここで営業中。

  • お隣は外装工事中。これも古そうな建物でした。<br /><br />ここで老街探索はひと段落。

    お隣は外装工事中。これも古そうな建物でした。

    ここで老街探索はひと段落。

  • 9:50 林氏貞孝坊<br />清代、7歳で童養媳として余家に入った林春娘は、12歳で夫になるはずだった人に先立たれます。しかしその後も他家へは嫁がず養子を迎え余家の嫁として仕えました。彼女のこの行いを顕彰しようと建てられたのがこの「坊」で、貞節坊とも呼ばれます。台中市の文化資産に指定されています。昭和10年にこの場所に移転しました。<br />(童養媳は将来その家の息子と結婚するために、幼い女の子を引き取って育てる風習)

    9:50 林氏貞孝坊
    清代、7歳で童養媳として余家に入った林春娘は、12歳で夫になるはずだった人に先立たれます。しかしその後も他家へは嫁がず養子を迎え余家の嫁として仕えました。彼女のこの行いを顕彰しようと建てられたのがこの「坊」で、貞節坊とも呼ばれます。台中市の文化資産に指定されています。昭和10年にこの場所に移転しました。
    (童養媳は将来その家の息子と結婚するために、幼い女の子を引き取って育てる風習)

  • 文化資産局のHPによると、道光13年(1833年)にまず顕彰の額が贈られ、1848年にこの坊が建設された、となっていますがこの説明書きでは「道光13年(1831年)」に建てられたことになっていますね。

    文化資産局のHPによると、道光13年(1833年)にまず顕彰の額が贈られ、1848年にこの坊が建設された、となっていますがこの説明書きでは「道光13年(1831年)」に建てられたことになっていますね。

  • 林春娘は雨乞いの能力があったらしく、動乱によって大甲の街が包囲され水源を断たれた際に雨乞いをして成功したそうです。死後にもその力は発揮され、昭和8年の旱魃の際に人々が祈ると、その願いがかなえられたとのこと。

    林春娘は雨乞いの能力があったらしく、動乱によって大甲の街が包囲され水源を断たれた際に雨乞いをして成功したそうです。死後にもその力は発揮され、昭和8年の旱魃の際に人々が祈ると、その願いがかなえられたとのこと。

  • 裏側

    裏側

  • 裏手に記念碑のようなものがいくつも並んでいました。古いものは碑文がほとんど摩耗していてよくわかりませんが、新しそうなものは文化資産となった時の紀念や、修建の紀念碑でした。

    裏手に記念碑のようなものがいくつも並んでいました。古いものは碑文がほとんど摩耗していてよくわかりませんが、新しそうなものは文化資産となった時の紀念や、修建の紀念碑でした。

  • 10:55 順天國小(小学校)<br />この小学校とは2017年夏に雲林縣を旅した際にご縁があったんですよね。大甲に来たら訪れてみたかったんです。<br />中に入れるわけではないので門を撮影して次の見どころへ。

    10:55 順天國小(小学校)
    この小学校とは2017年夏に雲林縣を旅した際にご縁があったんですよね。大甲に来たら訪れてみたかったんです。
    中に入れるわけではないので門を撮影して次の見どころへ。

  • 三民路と復興路の交差点にあったお店。<br />今回の旅では、交差点にあるこんな形の建物を時々見かけました。十字路にこういう建物を建てる決まりでもあったのかな?

    三民路と復興路の交差点にあったお店。
    今回の旅では、交差点にあるこんな形の建物を時々見かけました。十字路にこういう建物を建てる決まりでもあったのかな?

  • その先に古そうな廃屋。ビルにめり込むようにあるのですが、なぜこんな形で残っているんだろう。

    その先に古そうな廃屋。ビルにめり込むようにあるのですが、なぜこんな形で残っているんだろう。

  • 文武路を右折。この通りも歴史がありそうな雰囲気です。レンガ造りの建物を取り壊した跡があります。

    文武路を右折。この通りも歴史がありそうな雰囲気です。レンガ造りの建物を取り壊した跡があります。

  • 10:05、大甲文昌祠。

    10:05、大甲文昌祠。

    大甲文昌祠 寺院・教会

  • 台中市の文化資産に指定されています。

    台中市の文化資産に指定されています。

  • 内部見学します。<br />今まであまり気にしていなかったんですが、向かって右にある「龍門」から入って左の「虎門」から出ないといけないんですよね。門にある龍の飾りを確認して入門。

    内部見学します。
    今まであまり気にしていなかったんですが、向かって右にある「龍門」から入って左の「虎門」から出ないといけないんですよね。門にある龍の飾りを確認して入門。

  • 光緒13年(1887)創建。学問の神様をお祀りする祠なので義塾が開かれていました。現在の建物は1935年の大地震後に再建されたものです。

    光緒13年(1887)創建。学問の神様をお祀りする祠なので義塾が開かれていました。現在の建物は1935年の大地震後に再建されたものです。

  • この大地震はこの地域に甚大な被害をもたらし、この旅行中何度もその影響に接しました。

    この大地震はこの地域に甚大な被害をもたらし、この旅行中何度もその影響に接しました。

  • 日陰に入ると少し涼しいんですが、古い建物だとより涼しい気がする。

    日陰に入ると少し涼しいんですが、古い建物だとより涼しい気がする。

  • 中を参観したのは、主にここを見るため。

    中を参観したのは、主にここを見るため。

  • 教育者だった志賀哲太郎氏の紀念室があるのです。

    教育者だった志賀哲太郎氏の紀念室があるのです。

  • 日本統治初期、明治40年(1907年)に大甲公學校ができるまで文昌祠で子供たちが学んでいました。

    日本統治初期、明治40年(1907年)に大甲公學校ができるまで文昌祠で子供たちが学んでいました。

  • 昭和期に再建されているので、この建物が学校だったわけではありませんが、こんな場所で子供たちが学んでいたのかも。

    昭和期に再建されているので、この建物が学校だったわけではありませんが、こんな場所で子供たちが学んでいたのかも。

  • そんな日本統治初期にこの地で代用教員をしていたのが志賀哲太郎氏。<br />詳しくはこのパンフレットを読むのが一番ですが、拡大がめんどくさいかもしれないので一部抜粋。

    そんな日本統治初期にこの地で代用教員をしていたのが志賀哲太郎氏。
    詳しくはこのパンフレットを読むのが一番ですが、拡大がめんどくさいかもしれないので一部抜粋。

  • 志賀は熊本県出身、政治を志すも挫折。1896年台湾へ。台北や新竹で商売を行うがこれも頓挫。マラリヤに罹患しその治療のため台中で療養中、スカウトされて大甲で代用教員に。<br />ピュアで非常に熱心な教育者で就学率の向上に努めたほか、高等学校生が退学処分になった際には撤回に奔走したりしました。志賀はその後入水自殺しました。教育当局への抗議と思われます。<br />(高等学校生の退学処分の理由は、台湾の文化活動に参加したことによる。wikipediaより)

    志賀は熊本県出身、政治を志すも挫折。1896年台湾へ。台北や新竹で商売を行うがこれも頓挫。マラリヤに罹患しその治療のため台中で療養中、スカウトされて大甲で代用教員に。
    ピュアで非常に熱心な教育者で就学率の向上に努めたほか、高等学校生が退学処分になった際には撤回に奔走したりしました。志賀はその後入水自殺しました。教育当局への抗議と思われます。
    (高等学校生の退学処分の理由は、台湾の文化活動に参加したことによる。wikipediaより)

  • 教え子やその親たちからの信頼は篤く、死後は大甲に墓が作られています。

    教え子やその親たちからの信頼は篤く、死後は大甲に墓が作られています。

  • 志賀と同時期、この地には金子政吉という教育者がいました。代用教員だった志賀とは異なり、金子は大甲公學校の校長でした。彼が校長であった時期には志賀は理想に近い教育を行うことができたようです。しかし志賀同様に台湾人に寄り添った教育を志す金子もまた教育当局とは対立関係にあり、大正3年に停職処分となってしまいました。<br />金子政吉の紀念碑も大甲國小にあるそうですが公開はされていないようです。(その紀念碑も文化資産指定されています)

    志賀と同時期、この地には金子政吉という教育者がいました。代用教員だった志賀とは異なり、金子は大甲公學校の校長でした。彼が校長であった時期には志賀は理想に近い教育を行うことができたようです。しかし志賀同様に台湾人に寄り添った教育を志す金子もまた教育当局とは対立関係にあり、大正3年に停職処分となってしまいました。
    金子政吉の紀念碑も大甲國小にあるそうですが公開はされていないようです。(その紀念碑も文化資産指定されています)

  • よく晴れてます。

    よく晴れてます。

  • 庭にあった石碑。よくわからず写真だけ撮ってきましたが、すぐそばにあった聖蹟亭(文字を敬うために反故紙を燃やす炉)についての碑だそう(TonyHuangさんのyou tubeより)。

    庭にあった石碑。よくわからず写真だけ撮ってきましたが、すぐそばにあった聖蹟亭(文字を敬うために反故紙を燃やす炉)についての碑だそう(TonyHuangさんのyou tubeより)。

  • 10:15、そろそろ駅へと戻ります。<br />文武路も比較的古い時期に発展したため、趣のある建物が見られます。

    10:15、そろそろ駅へと戻ります。
    文武路も比較的古い時期に発展したため、趣のある建物が見られます。

  • 10:30、駅のコンビニでサンドイッチ。こまめに食べておかないと体力が続かないからね。<br /><br />10:59、區間車で大甲発。

    10:30、駅のコンビニでサンドイッチ。こまめに食べておかないと体力が続かないからね。

    10:59、區間車で大甲発。

    大甲駅

4いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

この旅行で行ったスポット

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

台湾で使うWi-Fiはレンタルしましたか?

フォートラベル GLOBAL WiFiなら
台湾最安 254円/日~

  • 空港で受取・返却可能
  • お得なポイントがたまる

台湾の料金プランを見る

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

この旅行記の地図

拡大する

PAGE TOP