2025/12/23 - 2026/01/07
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kankonokiさん
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この旅行記スケジュールを元に
ピラミッドやアブシンベル神殿を一度は観てみたい。しかしハプシェスト女王葬祭殿で起こった非イスラム教徒への残酷なテロはその想いを封印し続けていた。最近二人の知り合いがエジプトへ行ったことで徐々に気持ちが緩和され遂にこの年末年始にその封印が解かれた。ギザ、アスワン、アブシンベル、ルクソールとゆっくり廻ると10日はかかる。出来ればナイル川クルーズもしたかったが観光シーズンは料金が高くて諦めました。その16はカイロに戻ってエジプト旅行お腹いっぱいの状態。大エジプト博物館開館前にはエジプト旅行定番だったエジプト考古学博物館に行ってエジプト古代文明探訪の原点に戻ろうと朝決意します。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 3.5
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 3.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 高速・路線バス タクシー 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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泊まってるホテルからは歩いて10分ほどで来れる
タハリール広場 広場・公園
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1902年に開館した歴史ある建物で、特徴的なサーモンピンク(または赤茶色)のネオ・クラシック様式の外観で知られています。
展示品はかつてはツタンカーメン王の黄金のマスクをはじめとする膨大なコレクションが展示されていましたが、現在はその多くがギザにある「大エジプト博物館(GEM)」へ移送が進められています。正面入り口の上部には、エジプトの女神の浮き彫りや、有名なエジプト学者の名前が刻まれたパネルなど、非常に美しい装飾が施されています。
フランス人建築家マルセル・ドゥルニョンによって設計され、建物自体もエジプトの登録文化財となっています。エジプト考古学博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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ラムセス2世の立像
入り口正面には大きなラムセス2世が置かれ頭上には、上エジプト(白冠)と下エジプト(赤冠)の統一を象徴する二重冠(プスケント)を戴いています。王の正装である縞模様のネメス頭巾と、神性を表す真っ直ぐな付け髭が特徴的です。左足を踏み出すポーズは古代エジプトの立像における伝統的なスタイルで、「生命」や「前進」を象徴しています。エジプト考古学博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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エジプト考古学博物館のフロアマップ
1階が年代順、2階がテーマ別の展示になっているのが特徴です。
1階 (Ground floor):
エジプト史を辿る旅
エントランスから時計回りに進むことで、エジプトの歴史を古い順に見て回ることができます。
入口付近(46-50番): 初期王朝時代。
左側(青・緑・濃い灰色エリア): 古王国時代から中王国時代へ(ピラミッド時代の彫像など)。
右側(薄い青・黄色エリア): 新王国時代からギリシャ・ローマ時代まで。
中央(43番付近): 巨大彫像(Colossal sculpture)が並ぶ、吹き抜けのメインホールです。
2階 (Upper floor): テーマとコレクション
上部(3-10番 / 黒いエリア): ツタンカーメンの墓(Tomb of Tutankhamun)のコレクションは殆ど大エジプト博物館へ移管されて現在はがらんとしています。
右上(15-25番): ユヤとチュユの墓、神々の像。
左側(21-42番 / 緑・オレンジ): 木製の棺やメケトラの墓の模型(当時の生活を再現したミニチュア)。
中央下(53-55番 / 茶色): 動物のミイラ(Animal mummies)。エジプト考古学博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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一階正面右側は多数の石棺が並ぶ。ここは後回しで左側に時計回りで回ると年代を追って行けるようになってます。
エジプト考古学博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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クフアンクの石棺
クフアンク(Khufuankh)は、古代エジプト第4王朝のファラオ、カフラーの治世期(紀元前2500年頃)に活躍した高位の宮廷官僚です。非常に硬い赤色花崗岩(アスワン産)製の石棺(長さ約2.5m、幅1m、高さ1.5m)はその時代を知る重要な遺物とされています。
彼の石棺は精巧に作られており、古代エジプトの高官の墓の様子を示している。彼の名前は「クフ(王)は生きている」という意味を含んでおり、クフ王への忠誠や関連性を示唆する名前です。
側面に彫られた複雑な凹凸のデザインは、「偽扉(ぎひ)」と呼ばれ、死者の魂が行き来するための玄関口と考えられていました。上部の蓋にある2つの大きな突起は、飾りではなく実用的なものです。重い石の蓋をロープで持ち上げたり、位置を調整したりするための取っ手の役割を果たしていました。表面には、クフアンクの名前や「王の全事業の監督官」といった彼の肩書きが深く、美しく刻まれています。エジプト考古学博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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ナルメル王のパレット
紀元前31世紀頃(約5,000年前)のもので古代エジプトの上・下エジプト統一を象徴する歴史的な証拠とされています。
上エジプトの白冠(ヘジェト)を被り、敵を棍棒で打ち据える「打倒する王」のポーズをとっています。これはその後のファラオ像の伝統的なスタイルとなりました。
王の右上に描かれているハヤブサは、王権の守護神ホルスです。パピルスの茂み(下エジプトを象徴)から生えた人間の頭を縄で捕らえており、王による下エジプト征服を神聖化しています。
最上部には女神バト(後のハトホル神とも解釈される)の顔が二つ描かれ、王の権威を四方から守っています。
王のすぐ後ろにいる小さな人物は、王のサンダルを持つ従者です。王が「神聖な場所」で裸足で儀式を行っていることを示唆しています。
このパレットはもともと化粧品を混ぜるための道具(パレット)の形をしていますが、実際には神殿への奉納品として作られた儀礼的なものです。エジプトが一つの国家として歩み始めた第1王朝の幕開けを今に伝える、第一級の史料です。
裏面には、絡み合う2頭の架空の動物(サーポパード)が描かれており、それもまた統一を象徴しています。エジプト考古学博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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古代エジプト第2王朝の最後の王、カセケム(Khasekhem 紀元前2676~2649年)の座像
エジプト史上最初期(約4700年前)の王像の一つとして非常に重要なものです。カセケム王は上エジプトの白冠を被り、セド祭(王位更新祭)の際に着用する独特の儀式用衣装を身にまとっています。緑色のシスト(泥岩の一種)で作られています。
台座の周囲には、王が打ち倒した敵の死体が折り重なる様子が刻まれています。そこには48,205という具体的な数字が記されており、王が反乱を鎮圧し、エジプトを再統一した際に打ち負かした敵の数を示していると考えられています。カセケムは後にカセケムイと名を変え、分裂していた上下エジプトを完全に統一しました。この像はその過渡期の力強さを象徴しています。エジプト考古学博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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ジェセル王の等身大坐像
エジプト古王国時代(第3王朝)に作られた、実物大の王像としては世界最古のひとつと言われています。出土地はサッカラにある「階段ピラミッド」の北側に隣接する、セルダブ(像を納めるための小部屋)から発見されました(サッカラでの旅行記↓でレプリカとは知らずに見た)。
https://4travel.jp/travelogue/12028916
当時、この像の目は宝石(水晶など)で象嵌されていたと考えられており、壁にあけられた小さな2つの穴(のぞき穴)から、王が外の供物や儀式の様子を永遠に眺められるようになっていました。
ヘブ・セドの装束: 王は「ヘブ・セド(王位更新祭)」の際に着用する白いタイトな儀式用ローブを身にまとっています。王権の象徴であるネメス頭巾を被り、立派な付け髭(一部破損していますが)を蓄えた姿で、威厳に満ちています。台座の部分には、王のホルス名である「ネチェリィケト(神聖なる体)」という文字が刻まれています。
背景の青いタイル(ファイアンス)は、階段ピラミッドの地下通路の壁を再現したもので、当時の鮮やかな色彩感覚がよくわかります。エジプト考古学博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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クフ王の像
ギザの大ピラミッドを建設した王として有名ですが、実は彼の姿を今に伝える確実な立体像は、この高さわずか 7.5cm ほどの象牙製の小さな像だけと言われています。
1903年、アビドスで高名な考古学者フリンダース・ピートリーによって発見されました。最初に見つかったのは体のみで、頭部がありませんでした。ピートリーは「これほど重要な像の頭部が近くにあるはずだ」と信じ、作業員に周辺の土をふるいにかけさせ、3週間後にようやく親指ほどの大きさの頭部を発見したという逸話があります。
象牙で作られたクフ王像は下エジプトの象徴である「赤冠」を被り、右手には王権の象徴である「フラゲッルム(連竿)」を持っています。世界最大の石造建築(大ピラミッド)を作った王の唯一の肖像が、手のひらに収まるほど極小であるという対比が、歴史の皮肉を感じさせます。エジプト考古学博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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カフラー王像
ギザの谷間神殿の地下坑道で発見されたこのカフラー王像は、古代エジプトを代表する彫刻の一つです。
カフラー王はギザの第二ピラミッドの建造者です。玉座に座るカフラー王は、王権と守護の象徴である額にコブラをあしらったネメス頭巾を身に着けています。頭の後ろには、ハヤブサの神ホルスが翼を広げ、王権を守り、王としての地位を正当化しています。玉座のシンボルは、蓮の花とパピルスが結びついた形で、上下エジプトの統一を表しています。この像は、アブ・シンベル近郊のトゥシュキで採掘された閃緑岩で作られています。この石が使われていることから、カフラー王の勢力がエジプト南部にまで及んでいたとわかる。エジプト考古学博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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メンカウラー王、女神ハトホル、ジャッカルのノモスの女神の三位一体像
これらの三位一体像は彼の谷間の神殿から出土したもので、二人の女性像の間に立つメンカウラー王を表しています。
メンカウラー王の右側には、太陽の円盤が二頭の牛の角の間に冠をかぶったハトホル女神がいます。メンカウラー王の左側には、エジプトの様々なノモス(地方)の擬人像が描かれ、頭上にはそれぞれのシンボルが刻まれています。この像は上エジプト第17ノモス(キノポリス州)を擬人化した女神です。女神の頭上にある紋章をよく見ると、横たわるジャッカルが描かれています。これは第17ノモスの標章であり、この地域ではアヌビス神(ジャッカルの姿の神)が厚く信仰されていました。メンカウラー王の三尊像は、かつてはエジプト全土の42州(ノモス)分あったという説もありましたが、現在では主要な州を表す8体が存在したと考えられています。上エジプトの白い冠とシェンディト・キルトを身に着けたメンカウラー王は、ハトホル神からの復活と豊穣、そしてノメ神からの尽きることのない供物にあずかろうと願っていました。
メンカウラー王はギザ台地に第三のピラミッドを建立しました。これはクフ王やカフラー王のピラミッドよりも小さかったものの、アスワンからはるばる運ばれてきた花崗岩で覆われていました。
第4王朝(メンカウラー王)、紀元前2490-2472年頃、ギザ(メンカウラー王のピラミッド群、谷の神殿、灰緑色の粘板岩(グレイワケ)という非常に硬い石を彫って作られています。エジプト考古学博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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イハイネスの偽扉(ぎひ、False Door)
貴族、トゥラ採石場の管理者
この偽扉は保存状態が非常に良く、古王国時代の彫刻技術の高さを示しています。力強い線刻(レリーフ)からは、当時のエジプト人の死生観や「名前を永遠に残すこと」への強いこだわりが伝わってきます。
中央のくぼみが「扉」の本体を模しています。碑文の内容は通常、亡くなった人の名前、称号、そして「パンやビール、牛、鳥を千ずつ与えよ」といった、死後の豊かな暮らしを願う供養文(ヘテプ・ディ・ニスウト)がびっしりと刻まれています。下部には、杖を持ったイハイネス本人や、彼の家族、供物を運ぶ人々が描かれ、永遠に供養が続くよう意図されています。
石灰岩、サッカラ、第VI王朝時代エジプト考古学博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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メンチュホテプ・ネベプトレの像
ナルメル王に次いで二度目の上下エジプト統一を果たした王です。赤い王冠を戴き、30年間の治世後に祝われる祝祭であるセド祭の体にぴったりとした衣装を身にまとっています。黒い肌と腕を組んだ姿勢は、死、豊穣、そして復活の神オシリスを連想させます。
この像は、ハワード・カーターがデイル・エル・バハリにあるメントホテプの葬祭殿の前庭を馬で通っていた際に、偶然竪穴に足を踏み入れた際に発見されました。1900年、カーターはこの竪穴を発掘し、亜麻布で精巧に包まれた像と他の遺物が収められた小部屋を発見しました。
彩色砂岩、中王国時代、第11王朝、メントホテプ・ネベプトレ治世(紀元前2030年頃~紀元前2000年)、デイル・エル・バハリ メントホテプ・ネベプトレの葬祭殿、JE 36195エジプト考古学博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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地方行政官と宰相ダギ(Dagi)の石棺の内側
石灰岩の表面に直接、または薄く下地を塗った上に、色鮮やかな供物の図像やヒエログリフが描かれています。左側に見えるのは偽扉(ぎひ)のデザインと、その右側に並ぶ膨大な供物(食べ物、飲み物、リネン、香油など)のリストです。これは死者が来世で飢えないための魔法的なバックアップとして機能しました。(コフィン・テキスト)壁面に書かれた黒い文字は、死者が死後の世界の試練を乗り越えるための呪文です。木製の棺に書かれることが多いですが、ダギのような高官は高価な石製の棺にこれを施しました。
中王国時代(第11王朝、メンチュヘテプ2世の治世、紀元前2000年頃)、ルクソールのシェイフ・アブド・エル=クルナにある彼自身の墓(TT103)で発見。高さ110cm幅126cm長さ292cmエジプト考古学博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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アメンホテプ2世(King Amenhotep II)
歴代のファラオの中でも、特に身体能力が優れていたことで知られています。碑文には「弓の名手であり、疾走する戦車から標的を射抜いた」といった武勇伝が多く残っています。右側の黒い像の片足を前に出した立ち姿(歩進姿勢)で、若々しく引き締まった「アスリートのような体つき」が表現されています。これは彼自身の誇りを反映したスタイルと言えます。左側の白い像は膝をついて供物を捧げるようなポーズ(跪坐像)で、王が神に対して敬意を払っている姿を象徴しています。この王墓(KV35)は、王家の谷で発見された際、他のファラオたちのミイラが略奪から守るために隠されていたキャッシュ(隠し場所)としても有名です。エジプト考古学博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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「愛と美、母性」を司る女神ハトホルを聖獣である牝牛の姿で表現した像
牛の頭のすぐ下、首のあたりに小さな人物が立っているのが第18王朝のファラオ、アメンホテプ2世です。女神が王を背後から守っている様子を表現しています。写真では見えにくいですが、牛のお腹の下(右側)には、王が子供の姿で女神のお乳を飲んでいるレリーフも彫られています。これは王が神からの恩恵と神聖な力を直接受けていることを象徴しています。
像の後ろにあるアーチ状のチャペルはデル・エル・バハリにあるトトメス3世の神殿から発見された祠堂を再現したものです。天井には星が描かれ、壁には鮮やかな色彩のヒエログリフが残っています。3500年以上前の色彩がこれほど綺麗に残っているのは、本当に驚きですよね。エジプト考古学博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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王妃キヤ(Kiya)のカノポス壺
カノポス壺とは古代エジプトにおいて、ミイラ作りの過程で取り出された内臓(胃、腸、肺、肝臓)を保存するための容器です。通常は4つで1セットとなります。
持ち主のキヤは、アマルナ時代を築いたアクエンアテン(アメンホテプ4世)の「愛された第2の妻」です。一説には、ツタンカーメンの生母であるとも考えられています。1907年、王家の谷のKV55と呼ばれる非常に謎の多い墓から発見されました。この墓には、アクエンアテンの母ティイ王妃の遺品や、アクエンアテン本人(あるいはスメンクカーラー)のものとされるミイラも含まれていました。この壺は、発見当初から誰のものかを巡って激しい議論がありました。壺の表面に刻まれていた名前が意図的に削り取られていたためです。赤外線などの最新の分析により、元々はキヤのために作られたことが判明しました。アマルナ時代が終焉を迎えた後、ツタンカーメンが混乱を避けるために、キヤの埋葬品をアマルナから王家の谷のKV55へ移させたと考えられています。
蓋の部分は女性の頭部を象っており、当時の「アマルナ様式」を象徴する写実的で優美な表現が特徴です。切れ長の目、ふっくらとした唇、そしてヌビアの髪型(Nubian wig)と呼ばれる短い独特のウィッグが精巧に彫られています。半透明の美しい質感を持つ高品質なアラバスターが使用されています。エジプト考古学博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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メルエンプタハの石碑(メルエンプタハの戦勝碑)
この石碑は、古代エジプトの記録の中でイスラエルという名前が記された世界最古の(そして唯一の)公的文書として有名です。そのため、別名「イスラエル碑文」とも呼ばれています。第19王朝のファラオ、メルエンプタハ(ラメセス2世の息子で後継者、在位:紀元前1213年頃 - 1203年頃)によって作成されました。主にリビア人や「海の民」に対する勝利を称える内容で、碑文の最後の方に、パレスチナ地方(カナンの地)への遠征で征服した対象の一つとして「イスラエル」が登場します。石碑の上部(半円形の部分)には、ファラオであるメルエンプタハが、エジプトの神々(アメン・ラー神など)から勝利の象徴を授けられている場面が彫られています。
1896年にイギリスの考古学者フリンダース・ピートリーによって、テーベ(現在のルクソール)にあるメルエンプタハの葬祭殿から発見されました。
実は最初にアメンホテプ3世(紀元前1388-1351年)の治世中に制作されたものを後継者であるアクエンアテン王の治世中に、アメン・ラーの像と建物の碑文の大部分が消去されましたが、数年後、セティ1世によって元の装飾で再彫刻され、更に裏面に上記のような碑文をメルエンプタハ王が書き入れて再利用したという数奇な経緯を経ている。エジプト考古学博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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アクエンアテン王(アメンヘテプ4世)
第18王朝のファラオ、アクエンアテン(ツタンカーメンの父とされる人物)、この頃は従来のエジプト美術の様式を打ち破り、細長い顔、厚い唇、突き出たお腹など、写実的かつ独特なプロポーションで描かれているのが特徴です。ルクソールのカルナック神殿にあるアテン神殿の跡地から発見されました。胸の前で交差した腕は、王権の象徴であるヘカ(杖)とネヘハ(旗たたき)を持っていたことを示しています(この像では一部欠損しています)。一神教の宗教改革を断行しアマルナへ遷都した。この辺り一角が彼の専用の展示エリアになっている。エジプト考古学博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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アクエンアテン王の棺
顔の部分が剥ぎ取られ、カルトゥーシュ(名前を囲む枠)も削り取られています。これは、彼が行った一神教的な宗教改革が後の時代に否定され、「異端の王」としてその存在を歴史から抹消しようとした(記録抹殺刑)跡だと考えられています。羽根の模様(リシ)で覆われた美しい装飾が特徴です。元々は別の人物(王妃キヤなど)のために作られたものを、アクエンアテン(あるいは別の王族)のために作り替えたという説もあります。長年、この棺の中にいたミイラが誰なのか議論されてきました。近年のDNA分析では、この人物がツタンカーメンの父親であることがほぼ確実視されており、消去法や歴史的背景からアクエンアテン本人であるという説が最も有力です。
王家の谷の「KV55」と呼ばれる墓から発見されました。この墓は、アクエンアテンの宗教改革(アマルナ時代)に関連する人物たちが急いで再埋葬されたような、非常に混沌とした状態で発見されたことで有名です。一部の学者は、ツタンカーメンがアクエンアテンとスメンフカウラーに続いてアマルナで王位に就き、ルクソールの旧都に戻り、父親のミイラを女性の棺に隠して持ち帰ったと考えています。
第18王朝、(在位 紀元前1351-1334年)
ルクソール、木製で金箔が施され、象嵌エジプト考古学博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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一階中央部には巨大彫像(Colossal sculpture)が並ぶ、吹き抜けのメインホールです。
エジプト考古学博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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1階だけで疲れ果てた。2階は元々ツタンカーメン王の広い展示スペースで人気だったらしいが、大エジプト博物館へ多くの展示物が移管されたためややがらんとした感じではある。
エジプト考古学博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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プスセンネス1世(Psusennes I)の黄金のマスク
非常に精巧な作りで、ツタンカーメンのマスクと並ぶエジプト考古学の至宝の一つです。
純度の高い金で作られ、額には王権の象徴であるコブラ(ウラエウス)があり、顎にはつけ髭がついています。これらはファラオが神聖な存在であることを示しています。目の周りや眉毛には、深い青色が美しいラピスラズリなどの貴石が象嵌(はめ込み)されています。
このマスクが発見されたのは1940年、ピエール・モンテという考古学者によってタニスという場所の湿地で発見されました。これほど豪華な遺物でありながら、一般的に知名度が低いのは発見されたタイミングが理由です。1939年から1940年にかけて発見されましたが、ちょうど第二次世界大戦が勃発した時期と重なり、世界的なニュースとして大きく報じられる機会を逃してしまったのです。 -
プスセンネス1世の銀の棺
プスセンネス1世 (Psusennes I, 在位:前1039 - 前991年頃)は古代エジプト第21王朝(第3中間期)の第3代ファラオ。
古代エジプトでは銀は金よりも貴重であったため、銀製の棺は非常に特別です。この棺は、古代エジプトの職人技術の高さを示すもので、非常に精巧な装飾が施されています。古代エジプト人は、冥界の神オシリスが黄金の肌、銀の骨、ラピスラズリの髪を持っていると信じており、死者が再生復活するために神の姿に似せようとしました。エジプト考古学博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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カルトナージュで胴体中央部と下半身を覆われた、タレピットという名の成人女性のミイラ(Cairo 21/11/16/13, SR/11324/4)
カルトナージュ(Cartonnage)は、亜麻布やパピルスを漆喰(プラスター)で固めて何層にも重ね、彩色を施したミイラの覆いや棺。木棺が不足・高騰した時代に普及し、死者を守る神々の絵や金箔で装飾され、蘇りを願う神聖な「第二の肉体」として機能しました。 後期(第22王朝など)に、木棺の代わりに広く使われた。
この遺体には、黒い石棺(プトレマイオス朝時代の石棺ではこのような色使いは珍しくない)に加え、ミイラ、頭上に被せられたマスク、上半身(ウセクの首飾り)、中央部、そして下半身(足)を覆ったカルトナージュの被せ物、ビーズ細工の網、そして遺体に複数回巻き付ける細長い布製のベルト(植物の葉が留められている)が施されている。
2階にも大量の展示があるがとてもじゃないけど見切れませんのでもうそろそろ撤退です。エジプト考古学博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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近くのエジプト料理店 ジャド(GAD)で食べたもの
ローストチキン(ファラウェル): 香ばしく焼かれたメインの鶏肉。パセリが敷いてあるのがエジプトスタイルですね。
• ライス(ロズ・ベッ・シェレヤ): パスタの一種「シェレヤ(細い麺)」と一緒に炊き込んだ、エジプトの家庭やレストランで最もポピュラーなご飯です。
• ターメイヤ(エジプト風ファラフェル): 空豆で作られた揚げ物。
• アエシ(エジプトのパン): カゴに入っている平たいパン。これにチキンやターメイヤを挟んで食べるのが最高です。
• スープ(野菜スープ): 茶色の器に入っているのは、具だくさんのショルバ(スープ)。
• サラダ: 手前のボウルにある、トマトやキュウリを細かく刻んだ「サラダ・バラディ」。酸味があって口直しにぴったりです -
マニアル王子モハメドアリ宮殿 モスク、博物館、市場など回ってあとは宮殿くらいかなと...とても歩けないんでUberタクシーで来ました
マヌアル宮殿 城・宮殿
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外国人は220ポンド
マヌアル宮殿 城・宮殿
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入り口から左右に分かれるのでまずは左側から。
マヌアル宮殿 城・宮殿
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豪華ホール
マヌアル宮殿 城・宮殿
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応接間
マヌアル宮殿 城・宮殿
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天井も豪華
マヌアル宮殿 城・宮殿
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ダイニング
マヌアル宮殿 城・宮殿
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別の建物に移動。謁見の間
マヌアル宮殿 城・宮殿
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王様ですね、コリャ
マヌアル宮殿 城・宮殿
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今度は一回入り口まで戻って右側を観に行く。いっぱい案内あるけど入れたのは4箇所だけだった。
マヌアル宮殿 城・宮殿
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たぶん時計台だと思うけど、改修中でした
マヌアル宮殿 城・宮殿
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隣がモスク
マヌアル宮殿 城・宮殿
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モスク内部 奥にミフラーブ(Mihrab)があってメッカの方向を示している
マヌアル宮殿 城・宮殿
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ミフラーブ(Mihrab)
マヌアル宮殿 城・宮殿
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モスクを出てさらに隣の狩猟博物館へ
マヌアル宮殿 城・宮殿
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こちらが狩場の地図
マヌアル宮殿 城・宮殿
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こちらがまさにトロフィー
マヌアル宮殿 城・宮殿
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植物園のような庭園も外から見るだけです
マヌアル宮殿 城・宮殿
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ホテルに戻って来ました。一階にあるパティスリー アブドでお土産や話題のアイスを買いに行きます
アブド カフェ
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フルーツが入ったアイスがとても安くて美味しい。レジでアイスと言ってお金を先払い。レシート持って外で指差して注文します
アブド カフェ
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連れが先に帰国するので空港までお送りします
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夕方の空港なのでターミナルの車寄せは混みます
カイロ国際空港 (CAI) 空港
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お見送りして帰りはウザいタクシーは乗らずに公共バスで戻ります。
カイロ国際空港 (CAI) 空港
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公共バス乗り場は三つあるターミナルの中間にあって、殆ど走ってないターミナル間の無料のシャトルバスなど待たずに歩きます。第一乗り場がわからない。
カイロ国際空港 (CAI) 空港
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これが公共バス乗り場です。
カイロ国際空港 (CAI) 空港
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こちらが系統と営業時間と料金(常に値上がりしてるので参考値)
カイロ国際空港 (CAI) 空港
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ラッキー 数字はアラビア文字じゃなかった。聞けばみんな教えてはくれます。
カイロ国際空港 (CAI) 空港
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車内 切符は走り出してから車掌さんらしき人が席まで来て売ってくれます。値段は値上がりしてます。
カイロ国際空港 (CAI) 空港
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これがチケット
カイロ国際空港 (CAI) 空港
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ターミナルには見かけないシャトルバスは公共バス乗り場でずっと待機しています(働かない人だらけ)
カイロ国際空港 (CAI) 空港
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まあ、急いでなかったら気楽でいいですね。
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翌日ホテルの朝食は連れの分と二人分食べれた。今日はこれから2泊3日のアレキサンドリアへ行ってみようと思います。
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