2025/07/18 - 2025/07/26
8位(同エリア363件中)
noelさん
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2025年の夏は、スロベニア~クロアチア~バルカン半島を周遊しました。
モンテネグロはバルカン半島にある共和制国家です。
首都はポドゴリツァです。
南はアドリア海、北西をクロアチアのドゥブロヴニクとボスニア・ヘルツェゴビナ、北東をセルビア、南東をアルバニア、東部をコソボと5つの国と接しています。
国名は「Montenegro(モンテネグロ)」です。
これはイタリア語のヴェネツィア方言です。
現地では「Crna Gora、Црна Гора(モンテネグロ語 : ツルナ・ゴーラ)」です。
公用語はモンテネグロ語です。セルビア・クロアチア語とほぼ同じです。
「Montenegro」「Crna Gora、Црна Гора」共に「黒い」「山」を意味しています。
黒い山と言っても実際には樹木は少なく、白っぽい山地が多いのですが。
このコトルは、古代ローマ時代はダルマチア州に属していました。
そしてローマが東西に分断された時には、その境界線上にあたりました。
東ゴート時代を経て大きく繁栄しました。
他のモンテネグロの都市とは違い、1420年から約400年の間、ヴェネチア共和国により支配され、その後にはオスマン帝国に占領されました。
そして城壁が築かれたのです。
その後はナポレオン時代となり、更にハプスブルク家の支配下となり、第2次世界大戦の際にはイタリアによって占領され、戦後はユーゴスラビア内のモンテネグロに属しました。
そして1979年にユネスコの世界遺産となりました。
ちなみに、1696年から1852年まで存在した神権国家でした。
名前はツルナ・ゴーラ府主教領(セルビア語: Митрополство Црногорско)でした。
この府主教領はセルビア正教会のツェティニェ主教がオスマン帝国の支配から脱し、ツェティニェの教区を事実上のロシアの保護領に変換し、府主教(vladika)として支配したものでした。
バルカン半島の国々は複雑な歴史があります。
世界遺産などの観光を主に周遊していますが、それぞれの国のスタンスは違います。
このモンテネグロはセルビアと同様、歴史的にはロシアとの結びつきが強いです。日本のような島国では、なかなか理解することが難しいかったと思いました。
【旅程】
7/18(金)
羽田(HND)21:45発(ターキッシュエアラインズ(TK199便))
7/19(土)
イスタンブール(IST) 4:50着
イスタンブール(IST) 7:15発(ターキッシュエアラインズ(TK1061便)
リュブリャナ(LJU) 8:30着【スロベニア】
↓
ブレッド10:00
ブレッド湖
聖マリア教会
ブレッド城
↓
ポストイナ15:00
鍾乳洞
↓
オパティア【クロアチア】18:30
7/20(日)
オパティア8:30
↓
プリトヴィイツェ13:00
プリトヴィッツェ湖群国立公園
↓
ザダル18:00
旧市街
7/21(月)
ザダル9:00
↓
スプリット11:30
ディオクレティアヌス宮殿
↓
モスタル【ボスニア・ヘルツェゴビナ】
スターリ・モスト
7/22(火)
モスタル8:30
↓
ドブロヴニク12:00
セルビア教会
ブラホ教会
スルジ山
城壁
フランシスコ教会
大聖堂
7/23(水)
ドブロヴニク8:00
↓
●コトル【モンテネグロ】11:00
●聖トリプン大聖堂
●城壁内
●海岸沿いドライブ
↓
ティラナ【アルバニア】20:00
7/24(木)
ティラナ8:00
↓
スカンデルベルグ広場
マザーテレサ広場
クロックタワー
↓
ベラート12:30
ベラート市内
ベラート城
↓
オフリド【北マケドニア】19:00
7/25(金)
オフリド8:15
↓
オフリド湖畔
聖ソフィア大聖堂
ローマ劇場
サミュエル要塞
聖ヨハネカネヨ教会
市内
↓
スコピエ15:30
市内
石の橋
マケドニア広場
バザール
↓
スコピエ(SKP) 20:20発(ターキッシュエアラインTK1006便)
イスタンブール(ISL) 23:00着
7/26(土)
イスタンブール(ISL) 2:00発(ターキッシュエアラインTK198便)
羽田(HND) 19:20着
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- エイチ・アイ・エス
-
Hotel Croatia(ホテル・クロアチア)を、8時頃に出発しました。
ホテル クロアチア ホテル
-
クロアチアとモンテネグロの国境には、8時20分頃到着しました。
出入国手続きは、バスの運転手さんが手続きをしてくれました。
パスポートの提出なしで、約1時間後の9時20分には完了しました。
途中渋滞したので、何気なく車窓を眺めていたら、面白い物が。
スイカの冷やし方が独特でした。
アフタヌーンティーの際に使用するスタンドに似た物(スイカが置ける大きなタイプ)にスイカを置いて、上から水を流して効率良く冷やしてました。 -
Marina Zelenika(ゼレニカ港)
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コトル湾の眺めです。
目の前の左右に半島が見えますが、左の半島の奥にはBlue Cave(青の洞窟)があるようです。そしてその先はアドリア海です。 -
ビーチが見えてきました。
モンテネグロのビーチにはセルビア人がバカンスにやって来るのだそうです。
セルビアからは、ドゥブロヴニクも近いのですが、やはり歴史的に敵対関係にありましたので‥‥‥。 -
ヤシの木もあって心地よさそうです。
まさにリゾートです。 -
イチオシ
コトル湾は「ヨーロッパ最南部のフィヨルド」とも呼ばれています。
そして「世界一美しい湾」とも言われています。
一般的にはフィヨルドと言ったらノルウェー・・・でしょうか。
フィヨルドは氷河の侵食によって形成された湾なので。
つまり、厳密に言うと、コトル湾はフィヨルドを思わせますが、川の浸食によってできた谷が海面上昇によって沈んで形成されたリアス式海岸です。
ただ、深く穏やかな入り江と、背後にそびえる険しい山々の対比が美しい景観を生み出しています。(この写真は気に入ってますが、険しい山々は、この反対方向です。)コトル湾 海岸・海
-
湾内に小さな島が2つあります。
左はOtocic Stevi Dorde(聖ジョージ・ベネディクト修道院)
右はChurch of our lady of the Rocks(岩礁の聖母マリア(我らがレディ)教会) -
聖ジョージ・ベネディクト修道院は、船乗りの方々の墓を守る教会のため、一般の観光客は入れません。
ちなみに、この島はジブリ映画「紅の豚」のジーナの隠れ家にそっくりだそうです。 -
聖母マリア教会には、ボートで行くことができます。
1452年7月22日、漁師の方が大きな岩にぶつかりました。
そして一命をとりとめて、聖母マリアのイコンを釣り上げました。
そのイコンを保存するために、聖母マリア教会が建てられました。
イコンは祭壇に飾られているようです。
この島は、ペラストの漁師や地元の方々が近くの山から運んで来た石などで造られた人工の島です。1630年に完成しました。岩礁のマリア教会 寺院・教会
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クロアチア同様に、大型客船もやってきています。
湾内に入ってきました。
観光する身としては、大型客船はちょっと脅威です。
かなりの人々が一挙に押し寄せますので。 -
Kampana Tower(カンパナの塔)
9世紀後半に、コトルの大規模な要塞の一部として建てられました。
この塔はコトルの旧市街の西側に位置しています。
街の入口の監視、陸と海の両方を監視する重要な監視ポイントになっています。
時計塔としても知られています。コトルの自然と文化歴史地区 自然・景勝地
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城壁が見えてきました。
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ヴェネツィア共和国時代、オスマントルコの侵攻に備えて造られました。
堀と城壁です。コトルの城壁 史跡・遺跡
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近郊の村のリサンは、紀元前229年頃にリゾン(Rhizon)と呼ばれたイリュリア人の栄えた都市でした。
そして紀元前168年に古代ローマに従属しました。
そしてAcrivium(アクリヴィウム)=コトルが、この頃に初めて近隣都市として歴史に名前を現すようになりました。 -
Sea Gate(海の門)です。西門でもあります。
海の門は元々1555年、ヴェネツィア共和国時代に建設されたルネサンス様式の城門です。
いきなり大砲がありました。正門 (コトル) 建造物
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海の門(西門)1555年
川の門(北門)1540年
グルディッチ門 13~18世紀
3つの門があります。
城壁にはヴェネチア共和国のシンボルである有翼のライオンのレリーフがあります。
また、海の門の上に「21 XI 1944 」とありますが、これは1944年11月21日のことで、ナチス・ドイツの支配下から解放された日です。
コトルは第二次世界大戦中、イタリア軍、その後、ドイツ軍の支配下にありました。
1944年11月21日、ユーゴスラビアのパルチザン(共産主義系抵抗運動)によって解放されます。
その象徴として日付の上には五芒星が刻まれています。
かつては赤かったかもしれません。
ひょっとして経年で風化したのか、社会主義を強調しすぎないためかもしれません。2006年以降は独立国家となりました。 -
子どもが大砲を覗き込んでいます。
確かに覗きたくなりますね~。 -
大砲を真上から見た様子です。
1860 Wien(ウィーン)とあります。
モンテネグロの独立を支援し、近代化に努めた英雄とも呼ばれる人物がいます。
それはダニーロ1世です。
ダニーロ 1世 ペトロヴィッチ=ニェゴシュ(Данило I Петровић-Његоло)は、モンテネグロの歴史において重要な役割を果たした君主です。
彼は、伝統的な主教君主制を廃止しました。
また、結婚してモンテネグロ公を自称し、領地を世俗的な公国へと変えました。
ただ、これを好ましく思わなかったオスマン帝国との対立で1852年には軍事衝突し、これがクリミア戦争の端緒となりました。
1860年にダニーロ1世は暗殺されました。
その後は、ニコラ1世が後継者としてオスマン帝国を相手に独立戦争が始まりました。
1876年、セルビア公国とロシア帝国の支援で、独立を認められました。
1852年、ダニーロはオスマン帝国との戦争に巻き込まれ、両国の国境は1858年まで確定しませんでした。ダニーロは兄のヴォイヴォダ・ミルコの助けを借りて、オスマン帝国を破りました。ダニーロフグラードの町は彼にちなんで名付けられました。
ペタル2世・ペトロヴィッチ=ニェゴシュが死去すると、元老院はペタルの兄ペロ・トモフを公爵に任命しました。ただ、短期間の権力闘争において、元老院の支持を集めていたペロは、民衆の支持を上回る若いダニーロに敗北しました。
ペタルの後継者が決まる前に、ダニーロはクルムニツァ族とカトゥニャニ族の間で和平を成立させ、ウィーン、オーストリア帝国、そしてロシア帝国へと旅し、公爵ではなくヴラディカ(聖職者)として叙任されるはずでした。1852年にロシアから帰国したダニーロは、モンテネグロ公となるためのロシア国王ニコライ1世の承認を持ち帰り、ペーロとその支持者を驚かせました。こうしてやや予想外にダニーロは公爵となり、ペーロは元老院議長の地位に復帰することで敗北を認めました。
数世紀にわたる神権政治の後、ダニーロはヴラディカ(聖職者)の地位を持たないモンテネグロ初の世俗公子となりました。彼はモンテネグロの地位を向上させ、王国にすることを計画していましたが、その野望が実現するまで生きられなかったのです。
ダニーロの治世下、モンテネグロはトルコとの最も重要な戦いに勝利し、事実上の独立を獲得しました。
モンテネグロ人は膨大な戦利品を手元に残し、独立戦争で再び役立ちました。
この大勝利は、列強にモンテネグロとトルコの国境を公式に画定することを迫り、事実上モンテネグロの何世紀にもわたる独立を承認しました。
ダニーロはオーストリアの反感を買わぬよう努めつつ、ロシアに軍事同盟を求めました。教養があり裕福な妻と、モンテネグロの完全な主権承認という国際的約束をロシアが果たせなかったことが、彼のフランス愛国主義に大きな影響を与えました。このフランス愛国主義は、モンテネグロとフランスの良好な関係を自国の利益に対する脅威と見なしたロシア、オーストリア、セルビアとの関係に悪影響を及ぼしました。
同時に、ヨーロッパの主要国は、南東ヨーロッパにおけるロシアの影響力、特にモンテネグロにおけるロシアの影響力の弱体化に努めました。ダニーロは国民の心情を理解し、ヨーロッパからの圧力を可能な限り回避しました。
同時に、ロシアは1854年のクリミア戦争で敗北を喫した後、モンテネグロを援助する立場にありませんでした。
ただ、ロシア政府はダニーロの覚書に対し、「ロシア政府は常にモンテネグロの独立を承認しており、他の大国の立場に関わらず、常に承認する」と回答したのです。
フランスへの旅の間、ダニーロはフランスから財政援助(年間20万フラン)を受けており、フランスがモンテネグロの主権を正式に承認してくれることを期待していました。同様に、ナポレオン3世は、これによってロシアを犠牲にしてモンテネグロがフランスの影響力に近づくことを期待していました。ただ、ダニーロのこの行為は多くのモンテネグロの有力者からロシアへの裏切りとみなされたため、敵を作ったのです。ダニーロの敵は増え続け、ダニーロの兄である大知事ミルコや元老院議長も含まれていました。
大公の排除を組織する計画が考案されていました。
国内問題においては、ダニーロは権威主義的な統治者でした。そして、国家の近代的機能の発展に貢献しました。
ダニーロ法典は95条から成り、モンテネグロの伝統と慣習に基づいており、モンテネグロ史上初の国家憲法と考えられています。
また、この条約はプライバシーを保護し、当時隣国オーストリア=ハンガリー帝国の一部であったコトル湾での戦闘を禁止しました。
ダニーロは1855年にモンテネグロで最初の国勢調査を実施した結果、モンテネグロの人口は8万人でした。
ダニーロは税制案を策定しました。
紛争を恐れたダニーロは、1856年に兄であり司令官でヴォイヴォダの ミルコ・ペトロヴィッチ=ニェゴシュをクチ族の処罰に派遣しました。約247人が殺害され、クチ族はモンテネグロの他の部族と同様に税を支払わざるを得なくなりました。
先述したように、1860年8月13日、34歳だったダニーロはコトル港で船に乗船中に暗殺されました。暗殺者はビェロパヴリッチ一族のトドル・カディッチでした。
ダニーロの甥であるニコラ公が、ダニーロの後を継いでモンテネグロの世俗公となりました。
ダニーロ1世は、妻ダリンカと娘オルガとともに、モンテネグロのツェティニェにあるツェティニェ修道院の礼拝堂に埋葬されました。
・・・・と長くなってしまいました。
ご拝読、お疲れ様でした。そしてありがとうございました。m(__)m -
海の門を入った所です。
時計塔がありました。
これは1602年に建てられました。時計搭 (コトル) 建造物
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このコトルの旧市街はコンパクトです。
この時計塔の下には柱がありますが、「恥の柱」と呼ばれて、罪人を縛り付けてさらし者にしました。
クロアチアのザダルにも同様の物がありました。 -
11時25分です。
モンテネグロは、元々はセルビア人と同じ部族でした。
セルビアのステファン・ドゥシャンの死後、14世紀にオスマントルコの支配から逃れるため一部移住して来ました。
元々はセルビア系ではありますが、歴史の変遷によって独自の民族ができていきました。
また、15世紀に周辺の国々がオスマン帝国に征服されましたが、首都を内陸の山奥に置きました。
ただ、ついにはオスマン支配を置かれたのですが、ヴェネチア領の側であったため朝貢国として独立を保つことができました。
17世紀にオスマン帝国から独立しました。第1次世界大戦でオーストリアの軍に占領されますが、終戦後はユーゴスラビアに組み入れられました。
そして1990年代、ユーゴスラビアの国々が独立していきましたが、最後までセルビアとモンテネグロが残り、最終的にはモンテネグロも独立しました。
このようなことから、スロベニアやクロアチアのようなカトリックではなく、セルビアと同じ正教です。 -
細い路地を通ります。
人でごったがえしています。ここには大型客船も来ます。
狭い旧市街が人で溢れています。
建物が入り組んでいて、ボーっとしてると道がわからなくなってしまいそうでした。 -
Marltime Museum(海洋博物館)
Grgurina Family Palace(グルグリナ宮殿)を改装しています。
1732年
バロック様式の建物です。
1~3階の展示には海図や航海具や武器や衣装や陶磁器などがあるようです。
特に船の模型は充実しているようです。海洋博物館 博物館・美術館・ギャラリー
-
イチオシ
Cathedral of Saint Tryphon(聖トリプン大聖堂)
よく見ると右の鐘楼には「2016」と、左には「1166」と刻まれています。
右の方が高いです。
高さは右が35m、左が33mあります。
このファサード上には黄金の聖トリプンがコトルの街を抱えて光は輝いています。
この聖堂は1166年に建てられたロマネスク様式のカトリックの教会です。
ただ、1667年と1979年の2回の地震によって崩壊してしまいました。聖トリプン大聖堂 寺院・教会
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パラソルがアーケードのように、綺麗に日陰を作ってくれています。
最近は色々な所で見かけますが。 -
猫ちゃんがまったりとお揃いでネコろんでいます。
ただ、暑くてダレているだけかもしれませんが。(-_-;)
コトルには猫がたくさんいました。 -
可愛らしいお人形やチェスらしき物が陳列されています。
このお髭のおじいさんは、聖ニコラスでしょうか・・・。 -
Serbian orthodox church of St Nicolas(セビリア正教聖ニコラス教会)
コトルで最も重要な正教会です。旧市街の北部に位置し、聖ルカ広場に面しています。19世紀に火災で焼失した古い建物の基礎の上に、20世紀初頭に建てられました。教会はファサードの銘板によれば1909年に完成しました。
屋根の上には大きなクーポラがあります。
細部はロマネスク様式です。正面のファサードは2つの鐘楼に挟まれ、黒いドーム頂部の金色の十字架はロシアからの寄贈品です。
セルビア国旗が掲げられています。聖ニコラ教会 寺院・教会
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Church of St. Luke(聖ルカ教会)
ズヴェタ・ニコラ広場に面しています。
1195年に建てられたセルビア正教会です。
コトルで最も古い教会です。聖ルカ教会 寺院・教会
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聖ルカ教会の内部です。
イコンが美しいです。 -
イコノスタシスにはイエス・キリストや聖母マリアのイコンが飾られています。
左は、イエスが本を持ち、洗礼者ヨハネの首を持っているイコンのようです。 -
ショップには数々のイコンやロザリオなどがありました。
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聖ゲオルギウスのイコンなどや、蝋燭があります。
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猫が日陰で寝転がっています。ネコだけに・・・。(-_-;)
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Saint Clare's Church(聖キアラ教会)
中央には薔薇窓があります。
18世紀に建てられたバロック様式の教会です。
内部にはゴシック様式の祭壇画があります。こちらには入りませんでした。聖クレア教会 寺院・教会
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Astoria Bar Restaurant(アストリア・バー・レストラン)
ここでランチの予定です。
場所の確認です。
この後、自由行動です。アストリア ホテル コトール ホテル
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早速向かったのはこちらです。
聖トリプン大聖堂(St. Tryphon Cathedral)
聖トリプン大聖堂はカトリック大聖堂でありコトル最大の教会ですが、聖トリプンはコトルの守護聖人としてカトリック・正教双方の信仰対象となっています。
聖トリプン大聖堂はコトル旧市街の中心部に位置して、1166年に遡る歴史を持っています。この大聖堂は9世紀に建てられた教会の跡地に建設されました。
1667年、地震により大聖堂は壊滅的な被害を受け、鐘楼が倒壊しファサードの一部が破壊されました。
この大聖堂は3廊式バシリカ様式で、4階建ての鐘楼がテラスで連結されています。
その後、ルネサンス様式とバロック様式で再建されました。この修復工事には鐘楼も含まれていましたが、当時の資金不足のため左側の鐘楼は未完成のままとなり、現在も右側より2m低い状態です。
1979年の地震後、大聖堂は修復・復元工事が行われ、1166年の当初の建造時の姿を取り戻しました。2009年1月13日、聖トリプン大聖堂は教皇聖堂の栄誉称号を授与されました。 -
入場料は4ユーロでした。
-
側廊には、複数の祭壇がありました。
聖トリプンはビチニア(ローマの属州で現在のトルコ)生まれの殉教者です。
彼の遺体がヴェネツィアに運ばれる途中に嵐に遭い、船はコトル湾に避難しました。
その際、町の教会の鐘が自然に鳴ったらしいです。
このような奇跡によって聖トリプンはコトルの守護聖人になりました。
そして809年に最初の教会が建てられました。
詳細は、ヴェネツィア商人がコンスタンティノープルから聖トリプンの聖遺物を運搬中に嵐に遭い、コトルに避難しました。
その際に、地元住民が聖遺物を買い取り教会を建立しました。
これは、海上交易都市が聖遺物を都市の守護としようとしたことがわかります。
そしてヴェネツィアはこの時は聖トリプンを獲得できませんでしたが、828年にはエジプトのアレキサンドリアから聖マルコの遺骸を持ち帰りました。(イスラム教徒を欺くため、豚肉の下に隠して持ち帰ったという有名な話です。)
しかも聖マルコという福音記者です。
明らかに使徒級の聖人ですので格が違います。
その後、ヴェネツィアによる支配がありましたが、既存の守護聖人(聖トリプン)を否定されませんでした。
そして、聖トリプンをかつて獲得し損ないましたが、ヴェネツィア支配下でありながら、この聖人を奪いませんでした。
この時は聖マルコという最高の聖人がいたから。。。。。
そしてヴェネツィア支配のお陰で聖トリプンは保護されました。
ただ、ヴェネツィアは、全支配領域に聖マルコ(有翼の獅子)の紋章を設置し、ここコトルにも設置されています。
聖マルコはベネツィア国家の守護聖人
聖トリプンはこの都市の守護聖人となりました。
そして面白いのはコトルとドゥブロヴニクだと大きく違う点があります。
コトルの聖人トリプンは古代の殉教者で地方港湾都市の聖人です。
ドゥブロヴニクの聖人は、ヴェネツィアの侵攻を警告した聖ブラホです。ヴェネツィアからドゥブロヴニクの独立を守りました。
同じ守護聖人でもだいぶ違います。 -
パイプオルガンです。
-
ピエタ像があります。
-
聖ゲオルギウス(聖ジョージ)と竜(ドラゴン)かと思います。
-
この木製の扉の上は、聖トリプン(聖トリフォン)のレリーフです。
この守護聖人に捧げられています。
聖人がコトルの街の模型を手にしている姿です。
他にもこの大聖堂内には、聖人の遺骨を納めた聖遺物箱やフレスコ画などがあります。 -
ヒッポのアウグスティヌス(聖アウグスティヌス)
カトリックと東方正教会で崇敬されている聖人です。
初期のキリスト教において最も影響力のある神学者であり哲学者の1人です。
司教服を着用し、杖や本を持っています。 -
古めかしい木製の扉です。
この大聖堂は1166年に献堂された歴史あるロマネスク様式の建築物です。
数世紀にわたる地震や再建を経てきました。
この扉も長い歴史の中で使用されてきたものの一部かと思います。 -
祭壇の中央には幼子イエスを抱く聖母マリアの像です。
肌が黒く「黒い聖母」の一種のようです。
特別な敬虔さと奇跡的な力を持つと信じられてます。
両脇には信者たちからの奉納品が多く展示されています。
主に銀製品です。
病気や怪我からの回復への感謝であったり、航海の安全祈願だっだり、信仰の証だったりします。 -
祭壇の中央はイエス・キリストのようです。
後光がさしてます。
そして右側にいるのは、聖ロクス(サン・ロッコ)の像と思われます。
巡礼者の杖を持ち、旅の服装です。
聖ロクスは、特にペスト(黒死病)からの守護聖人として崇敬されています。
コトルの大聖堂には1772年のペスト流行を生き延びた人々からの奉納祭壇が南側の後陣にあります。 -
痛々しいイエス・キリストの磔刑像です。
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聖遺物礼拝堂(聖トリフォン聖遺物)
宗教芸術家博物館バルコニー
← -
2階から身廊を見下ろした様子です。
-
聖人不明 12世紀
直立不動で十字架を持っています。目が特徴的。 -
フレスコ画の断片 14世紀前半
どなたかの手であることだけは、わかります。 -
ピラスターの一部 フレスコ画の技法 14世紀前半
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階段の上には祭壇があり、それが宝物庫の始まりを示しています。
イエス・キリストの磔刑像です。 -
その下には聖母子
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イエス・キリストのブロンズ像でしょうか。
-
古い木製の棚らしき物がありました。
右の大きな壺状のオブジェのような祭祀用の器かもしれませんが、像があります。
模様も施されています。 -
イエスの生誕の場面です。
東方三博士や天使が祝福している様子のようです。
また、その周囲にはキリストの磔刑や聖母子のイコンなどが飾られています。 -
美しい十字架です。イエス・キリストですが、クロスの端の部分には聖母が刻まれているようです。
また、この右横にある仮面のような物は、聖遺物箱です。頭蓋骨の一部などが納められています。
この他にも手や足などもあり、いずれも金銀細工で製造されています。 -
十字架像 木製 16世紀
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おそらくドミニコ会の修道士のVincent Ferrer(ヴィンセンテ・フェレール)の像かと思います。
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腕型聖遺物箱 脚型の聖遺物箱
いずれも中には聖人の骨が収められています。
他にも聖遺物が収められています。 -
ザグレブ・ミサ典礼書
紙と羊皮紙 1511年 -
聖母子
木にテンペラと金箔を施した作品
15~16世紀 -
聖十字架の聖遺物
ブロンズ、金箔押しロック・クリスタル 16世紀 -
十字架像
木製 彩色済、15~16世紀
これは1288年、セルビア王ウロシュ1世ニェマニッチ(在位1221-1280)の妃イェレナ・クルトネイスカ女王がコトルの聖フランシスコ修道院へ寄進したものです。 -
御覧のように宝物館は聖堂の2階部分になります。
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木製の像(彩色が施されてます)
聖遺物箱や聖杯です。 -
ポンティフィカル(教皇庁) 17世紀
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不思議な配置と暗さの像です。
上にあるのは聖トリプンです。(聖トリプンには照明があたっています。)
そして下の4人は聖トリプンの殉教者刑執行人を表すためコトル市民が作成した木彫りの像のようです。
16-17世紀にかけて、コトル市民は、当時の敵であったオスマン帝国軍の兵士を聖人の拷問者として描き、像にターバンを巻かせサーベルを持たせて表現していました。 -
十字架発見 油彩 17-18世紀
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14世紀から17世紀にかけてコトルで制作された伝統衣装や武器数多など、数多くの遺物(コトルの金細工師の作品群の一部)も収蔵されています。
さらに多くの美しい絵画も展示されています。 -
聖トリプンの伝説
15世紀の原典の翻刻 18世紀 -
2つの塔の間に出てきました。
上からサン・トリフォン広場を見下ろした様子です。思ったより高かったです。 -
目の前で見る薔薇窓です。
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外の回廊から反対側の塔に移動しました。
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銀の十字架です。
こちらも豪華に施されています。
説明も撮ったのですがボケてしまい、文字の判読ができませんでした。(-_-;) -
ピエタ像のようです。
とても痛々しく感じます。 -
振香炉
ボグダン・カルジェロヴィッチ 銀製 19世紀 -
宝物庫は2つの塔に位置しており、その間にはサン・トリフォン広場を見下ろすテラスがあります。
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洗礼盤 9世紀初頭
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さらに、9世紀初頭にコトルへ運ばれた聖トリプンの聖遺物が安置されている場所でもあります。
聖遺物はコンスタンティノープル(現在のイスタンブール)からドゥブロヴニクへ向かう途中、嵐のため運搬船がコトルに停泊を余儀なくされました。これは聖トリプンの聖遺物がコトルに留まるべきであるという神の御告げと受け止められました。
809年にはギリシャ十字形のドーム教会が建立され奉献されたのです。1124年にはコトル市議会が新大聖堂建設資金を承認しています。
聖人の頭部遺骨は、13世紀から17世紀にかけて段階的に制作された「栄光の頭部」聖遺物箱に収められています。
聖トリプンの身体の骨片は、やや凹んだ屋根を持つ棺型の聖遺物箱に収められています。木製で銀張り仕上げのこの聖遺物箱は1539年から1551年の間に完成し、両聖遺物は宝物庫に保管されています。
聖遺物は毎年2月4日、旧市街を巡行する行列で運ばれます。 -
こちらは大聖堂から出た先のお店です。
猫関連グッズがたくさんあります。 -
モンテネグロのお土産がたくさんです。
お皿やカップやベルやポーチなどが陳列されています。 -
Astoria Bar Restaurant(アストリア・バー・レストラン)
Astoria Hotel Kotor(アストリア・ホテル・コトル)内にあります。
ここでランチです。
マカロニサラダ、白身魚グリル
ビールはLAV pivo
モンドセレクションのゴールド・アワード
ちなみに先日のボスニアヘルツェゴビナのホテルのシャワーが水だったため、旅行会社からお詫びとして飲み物サービスがありました。
私がトイレに行っている間に、夫は私用に1番お値段の高いスパークリングワインを注文してました。(ただだから・・・(-_-;))アストリア ホテル コトール ホテル
-
先述しましたが、国名の語源の「黒い山」です。
ですが、やっぱり少し白っぽいです。
アドリア海沿いに聳える山々に樹々が茂り黒く見えることから呼ばれているようです。
ちなみに、国土の大部分がディナル・アルプスで石灰岩の山々です。 -
最後に城壁とお濠そしてシュクルダ川にお別れです。
シュクルダ川 滝・河川・湖
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山は標高260mあり、イヴァン要塞があります。
そこまでは約1500段の石畳の階段を登らなければなりません。
長さは4.5kmあります。
中腹には1518年建造の聖母教会もあります。
そちらも魅力的でした。夏の暑い日でなかったら、山登りも良かったかもしれません。
ただ、この日、城壁の上で山火事が発生してました。
旅には影響ありませんでしたが。
昨今、山火事が多いです。
一昨年行ったギリシャでも山火事に遭遇しました。
また、今冬は乾燥し切った日本でも山火事が多発してます。
美しい自然が失われませんように。 -
コトルの港周辺です。
-
コトルから1時間位経過しました。
綺麗な別荘のようなものが並んでいます。
ブドヴァ近辺でしょうか。 -
ビーチにはパラソルが整然と並んでいます。
-
Sveti Stefan(スヴェティ・ステファン島)です。
AMAN SVETI STEFANがあります。
2011年にアマン・リゾートになりました。
様々な財界人や芸能人なども訪れています。
エリザベス・テーラーやマドンナも訪れています。
こちらはホテル利用者しか島内に入ることができません。 -
イチオシ
かつて15世紀には漁村として栄えた島でした。
1本の道で繋がっています。
昔は潮の満ち引きで本島と地続きとなっていました。
20世紀半ば、チトー政権時(旧ユーゴスラビア)に、ホテルを建設しました。
そのため島民には金銭を支払って島外に出てもらいました。
逆の立場だと島民たちは、金銭を戴く代わりに、島を出て行く羽目になりました。
こちらは、ブドヴァから南へ約6kmに位置しています。
ブドヴァからバスも運行しているようです。 -
ーーーー【報道】-------------------------
ジョコヴィッチ氏、モンテネグロ屈指の観光地「スヴェティ・ステファン」経営引継ぎか-政府と運営会社の紛争によりリゾート施設は現在閉鎖中
2025.11.11
ちょっと残念なことに! -
この先に黄金の丸いクーポラが見えます。
セルビア正教の教会でしょうか・・・・。 -
ガス・ステーションです。
-
この日はアルバニアの首都ティラナに向かいます。
-
徐々に陽が傾き始めました。
モンテネグロの海岸線は、約293kmあります。
この日は海を1番長く見ていた日でした。
贅沢な時間でした。
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この旅行記へのコメント (4)
-
- sanaboさん 2026/02/28 00:21:03
- 美しい海に癒された贅沢な一日☆彡
- noelさん、こんばんは~
コトル編も楽しみにお待ちしていました♪
セルビア人がドゥブロヴニクではなくモンテネグロのビーチに
やって来るというお話に、なるほどなぁ…
平和な時代が訪れても、過去の歴史を人々の心の中から
簡単に消し去ることは難しいのでしょうね。
ウクライナ人だってそうですよね。
コトル湾は「世界一美しい湾」と称されているそうですね。
確かに考えてみるとヨーロッパ(大西洋岸)で美しい湾って
あまり見た記憶がないような…
フィヨルドにも例えられる美しい景観は実はリアス式海岸で、
自然の力と時が創り出した美しい創造物だったのですね~☆彡
ドゥブロヴニク同様、コトルの城壁も立派ですね。
城塞都市と聞くといつも歴史ロマンを感じてしまう私ですが
オスマントルコの侵攻に備えて城壁を建造した当時は
ロマンどころではありませんよね。
ダニーロ1世はモンテネグロの独立と近代化を進めた名君だったのですね。
お名前をモンテネグロ語(?)で記されてらして、その不思議な文字に
目が釘付けになり、たしかにダニーロ 1世 ペトロヴィッチ=ニェゴシュと
読めた気がしてちょっと嬉しい…(笑) でも絶対に書けないわ!
「猫ちゃんがまったりとお揃いでネコろんでいます。」との
コメントに思わずニンマリ(=^・^=)
お隣のクロアチアはキリスト教だけれど、モンテエネグロは
正教だそうですね。
島国の無宗教の人間でも、入り組んだ国境の下、民族や宗教が交錯すれば
事は複雑になるのだろうなあと容易に察しがつきます。
聖トリプン大聖堂は1979年の地震後、修復・復元を経て
1166年の当初の建造時の姿を取り戻したそうですね。
塔から見下ろしたお写真を拝見するとかなり高そう!
コンスタンティノープルからドゥブロヴニクへと運ばれるはずだった
聖遺物が嵐のせいでコトルに留まることになり神様の思し召しと
みなされたとはいえ、ドゥブロヴニクが「うちのものだから
返せ~」とは言わなかったのですね(笑)
noelさんのために1番お値段の高いスパークリングワインを注文して
下さった(ただだから?笑)ご主人様、偉い! 当然だわ(´艸`*)
ホテル利用者しか入れないというスヴェティ・ステファン島は
私も一生ご縁はなさそう…と思ったら、ただいま閉鎖中なのですね。
美しい海をずっと眺めてらした贅沢な一日でしたね☆彡
次回のティラナ編も楽しみにしていま~す♪
sanabo
- noelさん からの返信 2026/02/28 19:23:59
- Re: 美しい海に癒された贅沢な一日☆彡
- sanaboさん、こんばんは!
ありがとうございます。
確かに城壁は厚みがあって立派でした。
私もロマンを感じますよ。
様々な城壁に魅力を感じてます。
ただ、今だからロマンを感じることもできますが、当時は生きるか死ぬかだったと思うと、城壁ってとても大事なインフラですね。
sanaboさんのおっしゃるように、「ロマンどころではない。」ですね(;^_^A
実は、ダニーロ1世のことは、帰国後に知ったんです。(-_-;)
ガイドさんの説明もありませんでしたし。
ツアーで面白いのは、ガイドさんによって結構差があることです。
とっても詳しく説明してくださる方からサラ~リと流される方とか。
ダニーロ1世のモンテネグロ語の名前、sanaboさん読めた気がしたというので、私も頑張ってよく見ると、面白いことになんとなく読めました。(笑)
私も書くのは不可能ですが。
文字って面白いですよね。
コトルは、本当にネコがたくさんいました。ネコの街とも言われてるようです。
お隣のクロアチアはキリスト教が多く、モンテネグロは正教が多いです。
面白いですよね。
今回は北から南下していきましたが、やはりイタリアなどに近いスロベニアやクロアチアなどとは、モンテネグロはちょっと違いました。
これが次の訪問国、アルバニアはもっと違いました。(-_-;)
>トリプン大聖堂はコンスタンティノープルからヴェネツィアに運ばれるは>ずだった物が嵐のせいでコトルに留まることになり神様の思し召しとみな>されたとはいえ、ヴェネツィア「うちのものだから返せ~」とは言わなか>ったのですね(笑)
この質問、とても鋭いですね!ホント、そうですね。
言っていたかもしれない・・・と私も気になって調べてみたところ、コトルで買い取ったようで、その後も返還要求はされてないようですよ。
コトルに留まることになったのは、やはり当時の方々なので神様の思し召しと思ったのでしょうね~。
それでふと思ったのですが、ヴェネツィア商人は聖マルコの聖遺物を豚肉の下に隠してこっそりエジプトのアレキサンドリアからヴェネツィア運んだ商人たちですから・・。
気になって何年か調べたところ、トリプンの遺物は809年のことで、豚肉に隠したのは828年でした。
勝手な推測ですが、コトルでの失敗が生かされたのかもしれません。(思い込みですが)
生かされなかったとしても、当時は聖遺物の獲得が重要だったのは間違いなさそうです。
そして1番値段の高いスパークリングワインを注文した主人ですが、sanaboさんに褒めていただきありがとうございます。
笑っちゃいますよね。貧乏性なので仕方ありません。
今回もありがとうございました。
明日からいよいよ3月になります。
どうぞ、お身体におきをつけて!
noel
- sanaboさん からの返信 2026/02/28 22:35:18
- RE: Re: 美しい海に癒された贅沢な一日☆彡
- noelさん、お返事ありがとうございます。
> ツアーで面白いのは、ガイドさんによって結構差があることです。
> とっても詳しく説明してくださる方からサラ~リと流される方とか。
そうなのですね~。ガイドさんの資質により当たりはずれありますよね。
それに説明を聞く側も、詳しい解説を望む人と、「ガイドの話が長い!」と
言ってた人もいましたし(笑)
> コトルに留まることになったのは、やはり当時の方々なので神様の思し召しと思ったのでしょうね~。
そうですね、信仰心からの判断だったのと、コトル側がタダでもらったわけではなく買い取ったわけですものね。
結果的にヴェネツィアは、後にもっと格上の聖マルコの聖遺物を手に入れ、それこそが神様の思し召しということで、めでたしめでたしとなったのでしょうね。
> そして1番値段の高いスパークリングワインを注文した主人ですが、sanaboさんに褒めていただきありがとうございます。
もしnoelさんがその場にいらしたら、何を注文されたのかしら…? 多分ビールとか? 一番高いものは奥ゆかしいnoelさんはきっと注文されなかったと思うので、結果的に一番高いスパークリングワインを飲めてヨカッタで~す^^ 美味しかったですか~?
それから、昨日の自分のコメントを読み返し「島国の無宗教の人間でも、」と書いたのは自分(私)のことだったんですけど、意味通じてたかしら? (わかりにくい表現ですみませんでした^^;)
ではでは、おやすみなさい☆
sanabo
- noelさん からの返信 2026/03/01 13:14:42
- Re: 美しい海に癒された贅沢な一日☆彡
- sanaboさん
お返事をいただきありがとうございます。
ガイドさんについては、私と夫で全く違う反応をしてます。笑
夫はガイドさんの話をちゃんと聞いてませんし。
もっとも自分にとって大事な事だけは聞いてるようです。
私が飲み物を注文するのであれば、やっぱりビールですね。笑
スパークリングワインは、美味しかったですが、普通でした。汗
「島国の無宗教の人間でも、」は、通じていましたよー!
もっとも私もsanaboさんと同じです。笑
確かに入り組んだ国境の下、民族や宗教が交錯すれば
事は複雑になりますよね。
旅行記を書いてても、わからない事だらけです。汗汗
こんな私の旅行記にお付き合いいただき、ありがとうございました。
noel
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