2025/07/18 - 2025/07/26
4位(同エリア586件中)
noelさん
この旅行記のスケジュール
2025/07/18
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飛行機での移動
羽田空港:21時45分発→イスタンブール空港:7月19日4時50分着(TK199便)
2025/07/19
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飛行機での移動
イスタンブール空港:7時15分発→リュブリャーナ空港:8時30分着(TK1061便)
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バスでの移動
リュブリャーナ空港:9時30分頃発→ブレッド:10時頃
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ブレッド島にて買物、カフェ利用等
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船での移動
ブレッド島:11時05分頃→ブレッド湖畔:11時15分頃
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徒歩での移動
ブレッド湖畔:11時15分→11時20分
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バスでの移動
ブレッド湖畔:11時20分頃→ブレッド城:11時25分頃
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この旅行記スケジュールを元に
2025年の夏は、スロベニア~クロアチア~バルカン半島を周遊しました。
実は以前もクロアチア旅行を計画しましたが、都合がつかずに見合わせていました。
今回はバルカン半島、と言っても主にアドリア海側の国々を巡りました。
そして、その中でたくさんの城壁を観ました。
今回の旅では旧ユーゴスラビアに属した国々が多く、内戦のためその爪跡が残されていました。つまり観光地化されてあまり経っていない国々がほとんどでした。
そんな中では、このスロベニアはまさにヨーロッパです。
国土の62%が森林に覆われていて、自然豊かな国です。
【旅程】
7/18(金)
羽田(HND)21:45発(ターキッシュエアラインズ(TK199便))
7/19(土)
イスタンブール(IST) 4:50着
イスタンブール(IST) 7:15発(ターキッシュエアラインズ(TK1061便)
リュブリャナ(LJU) 8:30着【スロベニア】
↓
ブレッド10:00
●ブレッド湖
●聖マリア教会
●ブレッド城
↓
ポストイナ15:00
鍾乳洞
↓
オパティア【クロアチア】18:30
7/20(日)
オパティア8:30
↓
プリトヴィイツェ13:00
プリトヴィッツェ湖群国立公園
↓
ザダル18:00
旧市街
7/21(月)
ザダル9:00
↓
スプリット11:30
ディオクレティアヌス宮殿
↓
モスタル【ボスニア・ヘルツェゴビナ】
スターリ・モスト
7/22(火)
モスタル8:30
↓
ドブロヴニク12:00
セルビア教会
ブラホ教会
スルジ山
城壁
フランシスコ教会
大聖堂
7/23(水)
ドブロヴニク8:00
↓
コトル【モンテネグロ】11:00
聖トリプン大聖堂
城壁内
海岸沿いドライブ
↓
ティラナ【アルバニア】20:00
7/24(木)
ティラナ8:00
↓
スカンデルベルグ広場
マザーテレサ広場
クロックタワー
↓
ベラート12:30
ベラート市内
ベラート城
↓
オフリド【北マケドニア】19:00
7/25(金)
オフリド8:15
↓
オフリド湖畔
聖ソフィア大聖堂
ローマ劇場
サミュエル要塞
聖ヨハネカネヨ教会
市内
↓
スコピエ15:30
市内
石の橋
マケドニア広場
バザール
↓
スコピエ(SKP) 20:20発(ターキッシュエアラインTK1006便)
イスタンブール(ISL) 23:00着
7/26(土)
イスタンブール(ISL) 2:00発(ターキッシュエアラインTK198便)
羽田(HND) 19:20着
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 50万円 - 100万円
- 交通手段
- 観光バス 船 徒歩
- 航空会社
- ターキッシュ エアラインズ
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- エイチ・アイ・エス
-
ターキッシュエアラインは久々の利用です。
写真は羽田からイスタンブールまでの機内食などです。
右下の写真はイスタンブール空港内の様子です。 -
ドアの先は空港内(イスタンブール)のテラスです。
夫はさっそく喫煙所に。
ちなみにイスタンブール空港はアナウンスは一切ありません。
また空港wifiは、パスポートをかざしてアクセスします。
スポットがいくつかありましたが、混んでいたので、私は『ドコモ世界そのままギガ』を利用しました。
搭乗ゲート付近では、航空券情報を入力してwifiを使用しました。
それから、ゲートの表示はあちこちにありますが、情報を入力して調べることもできました。 -
今回の旅行は、主に旧ユーゴスラビア社会主義連邦共和国(以後、旧ユーゴスラビア)を回りました。
その国々は表のとおりです。(この中には訪問していない国もあります。)
1989年、東欧民主革命、ベルリンの壁が崩壊しました。
そして1991年、ユーゴスラビアが解体の過程で民族間の対立から内戦が勃発しました。まずは、スロベニア、クロアチアの分離に対し、セルビアが反発しました。さらにマケドニア、ボスニア・ヘルツェゴビナへと飛び火していきました。セルビアはモンテネグロと共に連邦を維持することを表明し、2つの陣営に分かれて内戦が起き、多くの犠牲の結果、ユーゴスラビアは解体していきました。
この問題が複雑化、深刻化したのは複数の民族で構成されていたことです。
ここスロベニアの場合は、ほとんどがスロベニア人であったので、ほぼ問題なく独立できましたが、他はそうではありませんでした。
クロアチアにはクロアチア人の他にセルビア人が存在していました。
また、ボスニア・ヘルツェゴビナには、セルビア人、クロアチア人、ムスリム人(ボシュニャク人)が拮抗した状態で多数派はなかったのです。
また、内戦の要因には、文化、言語、宗教の相違について挙げられますが、元々このバルカン半島には、カトリック教徒、正教徒、イスラム教徒などが数百年にわたって混在していました。
つまり、東欧革命やソ連解体という動きからの民族主義的な動きやチトー大統領(元ユーゴスラビア大統領)亡き後のユーゴスラビア体制の求心力が失われたことなども起因しているようです。
いずれにせよ、今こうして普通に訪問できているのが不思議なくらいです。 -
Ljubljana Airport(リュブリャナ空港)
小さな空港です。
リュブリャナはスロベニアの首都です。
空港内に白馬の像がありました。LIPICAとあります。
QRコードで調べてみました。
リピカというのは、乗馬学校のことです。
そのスタッドファームに入場ができます。
そして乗馬の公式トレーニングを見ることができるようです。
入場は22ユーロからです。
スロベニアは自然が豊かで、牧畜や乗馬文化もあります。
このことから、ユリアンアルプスとも調和のとれた白馬が、スロベニアの玄関口に置かれているのかもしれません。 -
スロベニアは、日本人にとってあまり馴染みはありませんが、名称は、次のとおりです。
Republika Slovenija(レプブリカ・スロヴェニヤ)で、日本語の公式表記は、スロベニア共和国です。 -
スロベニアの位置関係です。
西にはイタリア、そして北にはオーストリア、北東にはハンガリー、そして南にはクロアチアがあります。
首都はリュブリャナです。 -
遠くに山々が見えます。
スロベニアには、トリグラウ山(スロベニアの最高峰)があります。
この山にまつわる神秘的な白馬の伝説もありますが、それは後ほど。
では、これから観光バスに乗って向かいます。 -
まずは地図上の赤く囲んだのが最初の訪問地です。
最初にリュブリャナから北西にあるブレッドに向かいます。
その後は南下してポストイナ、さらに南下して、国境を越えクロアチアのオパティアまで行きます。
そしてオパティアに宿泊した後には、プリトヴィツェまで向かいます。 -
BLED(ブレッド湖)の案内です。
湖そのものは静かなのですが、この湖畔一帯はリゾートでホテルなども多く、観光客で賑わっていました。
ブレッド湖の写真のイメージと違ったので驚きました。
ちなみに、空港からは約35kmで1時間位の予定でしたが、ヴァカンスシーズンのためか、近くのキャンプ場、ゴルフ場近辺などから、少し渋滞しました。
ただ、湖までの道は車と自転車等が分離されていて、案外自転車は車よりスムーズに通行できてました。(アップダウンがあるため、要注意ですが。)ブレッド湖 滝・河川・湖
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これがブレッド湖です。
湖は静かで澄んでいます。
湖面に山や雲が映っていて綺麗です。
さすが、『アルプスの瞳』と言われる所以です。 -
船乗り場にやってきました。
1つの船に約10名、2つに分かれて乗船しました。
手漕ぎボートは毎日就航しているようです。
この他に電動モーターボートや小型ボートなどもあるようです。
※ 手漕ぎボートについては、ある程度人数が集まらないと出発しないようです。Pletana (ブレッド島へのボート) その他の交通機関
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この可愛いボートはPletna(プレトナ)です。プレトナは、木造平底ボートです。
そしてボートの漕ぎ手の船頭さんのことはプレトナーと言うのだそうです。
船頭さんが立ってオールを漕ぎます。 -
イチオシ
Cerkev Marijinega vnebovzetja
聖母被昇天教会(聖マリア教会)が見えます。
湖の上の教会は神秘的です。
楽しみです。
季節によって入場時間が変わります。
【1月・2月・11月・12月】
月曜日~木曜日 8:30~16:00
金曜日~日曜日 8:30~17:00
【3月】8:30~17:00
【4月・10月】 8:30~18:00
【5月・6月・7月・8月・9月】 9:00~19:00
おそらく木造の礼拝堂が建設されたのは7~8世紀頃に遡るようです。
(8~9世紀頃とされている記述もありますが、公式サイトを参考にしました。)
その後、礼拝堂の跡地に、長方形の平らな屋根を持つ小さな教会と半円形の後陣が建てられました。
この礼拝堂のことは1185年にはすでに文献で言及されています。
この礼拝堂は、1004年にブレッド領主のヘンリック2世から贈与された土地を受け取ったブリクセンの司教たちによって拡張されました。
ブレッド島の建築の中心である聖母の被昇天教会は、何度も再建されました。
ロマネスク様式のデザインが、15世紀中頃にゴシック様式に置き換えられました。1511年と1622年の2回の地震の後に大規模な改修が必要でした。
教会は17世紀末に現在のバロック様式の形状となりました。
※ ヘンリック2世とは、ドイツの皇帝(神聖ローマ皇帝)のことです。
ドイツ語ではハインリッヒ2世のことです。絵葉書のような教会!また、中の光輝く主祭壇も見もの! by noelさん聖母被昇天教会 (聖マリア教会) 寺院・教会
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イチオシ
ブレッド湖です。
割と小さな湖ではありますが、この光景を目にしてイギリスの湖水地方を思い出しました。
湖なので似ていて当然なのですが・・・・。ブレッド湖 滝・河川・湖
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私は船主に陣取りました。
船は傾かないように、左右均等に乗船します。
ブレッド湖の盆地は、氷河時代に形成されました。
ボヒニ氷河の一部がその基部の柔らかい堆積物を掘り起こしました。
この島は現在、約14,000年前に形成された湖に囲まれています。
ブレッド島は、最も近い湖の岸から500m以上離れています。
また、水面から18mの高さがあり、長さ170m、幅90mです。
湖は南北に長さ2,120m、幅1,380m、深さ最大30m、周囲は約6kmです。
現在、ブレッド島は草木が密生し、高い木々に覆われ、腐葉土の層が覆っていますが、紀元前の最初の千年の始まりには、急な斜面を持つ裸の岩の峰でした。 -
昔は牧草地で、聖母マリアに捧げられた小さな教会が、その中央の丘の上に立っていました。
ただ教会の周りには柵がなかったため、牛が教会に行き、教会の中に逃げることもありました。
聖なる教会を冒涜していたとされ、教会を柵で囲いました。
かつて大きな牧草地があった場所は、湖の波が流れていたということです。
また、次のような湖の起源につい伝説もあります。
かつてブレッド湖があった場所には水はなく、小さな丘と岩のある草原の谷で、そこで山の妖精たちが夜ごとに踊っていました。羊飼いたちは谷で羊を放牧し、羊たちは妖精の岩の周りの草を食べていました。妖精たちは羊飼いに、草が柔らかく保たれるように踊る場所の周りに柵を立てるように頼みました。しかし、羊飼いたちは彼らの要求を受け入れませんでした。
ある日、一番若く美しい妖精が踊っている最中に足を骨折してしまいました。怒った妖精たちは泉や小川に呼びかけ、谷に水を満たさせました。岩のある丘だけが湖の真ん中に島として残り、妖精たちはそこで星空の下、踊ることができました。妖精たちは遠い昔にこの場所を去りましたが、湖と山々の麓の島が後に残りました。とのことです。 -
聖母マリア昇天の聖域で結婚の秘跡を受けることは、多くの新婚夫婦の願いです。
神の母であるマリアは、家族の女王でもあります。
儀式の後、花嫁と花婿は、彼らの約束を決して忘れないように願いの鐘を鳴らします。
結婚披露宴は、伝統的なスロベニアのポティチャやワインなどで祝われます。
ところで、この階段ですが99段あります。
実は結婚式の前に花婿は、花嫁をこの99段の石の階段を抱いて登ります。
階段はまた、新郎新婦にとって特に象徴的な存在です。
新郎は妻に安定した結婚生活を提供できる成熟した信頼できる男であることを証明することになるのです。
それにしても花婿は体力をつけて結婚式に臨まなければなりません。
花嫁も花婿のために少しでも痩せておかないと・・・・。
大変ですね。
ただ、実際の階段は100段です。1段は湖面の下になっています。そして、もう1段は階段下の1番下に敷かれてる木と一緒になってるので、実際に歩くのは98段です。 -
Cerkev Marijinega Vnebovzetja
聖母被昇天教会(聖マリア教会)
カトリック教会です。
大人12ユーロ
20名以上の団体10.5ユーロ -
Statue of St. Mary Magdalene(聖マグダラのマリア像)
逆光のため見えにくくなってしまいました。
巡礼の守護聖人であるバロック様式のマグダラのマリアの像がブレッド島で訪問者を迎え、悔い改めへの招待をしています。
マグダラのマリアは、油の入った器と悔いの涙の入った器を持って描かれています。 -
教会のチケットです。
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教会の入口です。
チケットのQRコードを翳して入場します。 -
ブレッド湖の真ん中には、かつてのボヒニ氷河の底から隆起した三畳紀の石灰岩とドロマイトでできた島があります。
1004年、ブレッドとボヒニ地域の広大な領地はドイツ皇帝ハインリッヒ2世によってブリクセン司教アルバインに地方の支配権を与えられました。
ブリクセン司教は島を領地から奪い、司教区長の監督下に置きました。
ブレッド地域は19世紀半ばまで、ブリクセン司教の領地のままでした。 -
1951年、この島は文化史跡に指定されました。
この島における生活の痕跡は、1962年から1965年にかけてリュブリャナのNarodna Galerija(ナショナル博物館)が行った調査によって発見されました。
この発掘調査により、さまざまな文化層が発見されました。 -
14世紀:枝編み細工で造られた建物の痕跡とロームで覆われた建物
9世紀:4つの犠牲用の建物・礼拝堂
12世紀:3つの身廊を持つロマネスク様式のバシリカ、14~15世紀
18世紀:バロック様式の教会
18世紀後半~19世紀:現在の教会
スラブ人墓地の発掘調査の結果、9世紀から11世紀にかけての典型的な遺物を持つ124基の墓が発見されました。
教会の周囲にある墓地は、現在の教会の北壁に沿って広がり、教会の中まで入り込んでいます。 -
主祭壇は黄金に輝いています。
湖の女王でもある神の母(聖母マリア)の像があり、子供(イエス)を腕に抱いています。
その左側にはHenrik Ⅱvon Bled(ブレッド領主ヘンリック2世)が、また右側にはその妻であるKunigunda(クニグンダ)の像があります。
祭壇の上には、創造主である神が描かれています。
17世紀末の脇の祭壇には、マグダラのマリアとブレーズが描かれています。 -
キリストの埋葬または降架の場面でしょうか。
十字架から降ろされた後のイエス・キリストのようです。
周囲には、キリストの体を包む人々(おそらくアリマタのヨセフ、ニコデモ、聖母マリア、マグダラのマリアなど)が描かれています。
このような構図は、バロック時代やルネサンス時代の宗教画によく見られるものです。
おそらく、これはバロック様式の祭壇です。 -
聖ミカエルによる悪魔の打倒(堕天使の追放)
中央の人物は、天使の翼を持ち、青い鎧と赤いマントを着用し、剣(または槍)を振りかざしています。
これは大天使ミカエルの典型的な姿です。
足元には、倒されたサタンと思われる姿があり、ミカエルがその胸に足を置いています。
この構図は、「ミカエルが天の軍勢を率いて堕天使ルシファー(サタン)を打ち倒す」という黙示録的な戦いの描写です。
左右の天使像(黄金の衣装)は、バロック様式特有の動きと感情にあふれる天使たちです。
上部に見える三角の装飾とその中の目のようなものは、「全能の神の目」(Eye of Providence)であり、神の全知を象徴します。 -
聖母被昇天(The Assumption of the Virgin Mary)
この絵は、おそらく「聖母マリアの被昇天」を描いたもので、マリアが天使たちに導かれて天に上げられる瞬間を示しています。これはブレッド湖の聖マリア教会の名前とも深く関係しています。
17世紀末(バロック期)に作成されたもので、画風としてはヴェネツィア派の影響があるようです。 -
パイプオルガンがあります。
そして側廊付近には、ヴィアドロローサなどのキリストの受難の道などが描かれています。
キリストが十字架を背負ってゴルゴダの丘まで歩き、処刑されるまでの出来事14の場面(ステーション)で描かれています。 -
説教壇です。
バロック様式で、18世紀ごろに制作されたと考えられます。
鮮やかな色彩(青、赤、金)、豊かな装飾、レリーフが特徴です。
写真中央左のレリーフは、玉座に座った聖人または預言者が描かれているようです。
書物を持っているようにも見えることから、旧約聖書の預言者や、福音書記者(マタイ・マルコ・ルカ・ヨハネ)のいずれかかもしれません。
また、天蓋(キャノピー)付きです。
上部の天井のような部分は「音響反射板(sounding board)」と呼ばれ、声を反響させて聞こえやすくする目的があります。
これも金色装飾が施されており、天国を象徴しています。
説教壇は、神の言葉を人々に伝える「御言葉の場」として、神聖な場所とされました。 -
聖アンナ、聖母マリア、幼子イエス(聖家族)が描かれています。
そしてマリアの父であるヨアキムも右に描かれているようです。
バロック様式で18世紀頃の作品です。
上部に書かれているのは、
「Mater Honorificata Ecclesiarum」
ラテン語で「教会の誉れある母」という意味です。
聖母マリアに与えられる称号の一つです。
鳩と金の光輪が描かれています。
鳩は聖霊(Holy Spirit)を象徴しています。
上部にある天使たちや栄光の中の鳩は、「聖なる家族が神の祝福の中にある」ことを表しています。 -
ヴィアドロローサのステーションは以下のとおりです。
1 イエスが死刑を宣告される
2 イエスが十字架を背負う
3 イエスが初めて倒れる
4 イエスが母マリアに出会う
↑
の4場面は撮りそびれてしまいました。
この写真の左から
5 キレネのシモンが十字架を担ぐのを助ける
6 ベロニカがイエスの顔を拭う
7 イエスが二度目に倒れる -
8 エルサレムの婦人たちがイエスに涙を流す
9 イエスが三度目に倒れる
10 イエスの衣服がはぎ取られる -
11 イエスが十字架に磔にされる
12 イエスが十字架上で息を引き取る
13 イエスの遺体が十字架から降ろされる
14 イエスの遺体が墓に葬られる -
教会の塔には、1543年に鋳造されたウィッシングベル(望みの鐘)があります。
写真にはベルを鳴らす紐が写っています。
この鐘は何世紀にもわたって、遠くからの巡礼者や訪問者を惹きつけてきました。 -
ファサードにはIHSの文字があります。
IHSは、イエス・キリストを表すギリシャ語の「ΙΗΣΟΥΣ(Iēsous)」の最初の3文字の略語です。
これは、キリスト教のシンボルとして、特にイエズス会でよく使われます。また、ラテン語で「Iesus Hominum Salvator」 (人類の救い主イエス) の略であると誤解されることもあるようですが、それは違います。 -
レモンのジェラートをいただきました。
さっぱりしていて、とても美味しかったです。
3ユーロで、日本円で528円でした。
ポティチニカ(ポティカハウス)
伝統的なスロベニアのポティカを扱っているため、ポティチニツァという名前の建物になっています。
カフェでいただくことも、購入することもできます。
ところで、教会にトイレはなくて、お店の下にありました。
教会の入場券のバーコードをこちらでもかざして利用できます。
実際には、出てきた人がドアを開けた際に入れましたが(-_-;) -
また、ブレッド島のマリア被昇天教会で鳴らすことができる鐘について物語が残っています。それは以下のとおりです。
若い未亡人がブレッド城に住んでいました。
彼女は夫が生き返ることを願い、崖から湖にベルを投げました。
ただ、夫は生き返ることはありません。彼女は金と銀をすべて集め、亡き夫を偲んで湖の上の神の母のために鐘を鍛造しました。ただ島への輸送中に嵐が吹き荒れ、船と船頭は湖に沈んでしまいました。
未亡人は悲しみのあまりローマの修道院に入り、そこで生涯を終えました。
彼女の死後、ローマ教皇はブレッド島に別の鐘を送り、それ以来人々は永遠の願を叶えるため鐘を鳴らしています。 -
こちらの門は閉め切っています。
青銅のドアでしょうか。
受胎告知場面が描かれているようです。
左側に大天使ガブリエル、右にマリアです。
鐘楼は、下部はゴシック様式で、中央部は1511年の地震後に建てられ、深刻な損傷を受け、木構造でかろうじて修理されたものです。
鐘楼は1680年に改修されました。その中には3つの青銅製の鐘があります。
2013年には、振り子付きの機械式塔時計を含む鐘楼の内部が完全に改装されました。それ以来、52mの高さの鐘楼に登ることができます。 -
99段の階段の途中にあります。
下から見ると左側にあります。
小さな礼拝堂のようです。 -
ブレッド島の南側にある階段は17世紀に建てられ、地元の凝灰岩でできています。階段の隣には、神の母への感謝の意を表して建てられた小さな礼拝堂があります。それはブレッド島で最も絵のように美しく有名な建物の一つです。
ところで、島の反対の北側にルルドの聖母のチャペルがあります。この北岸には湖に流れ込む湧水の源があります。
夏には非常に冷たく、誰もがこの小さな島にどうして小さな湧水が形成されるのか不思議に思っています。1888年にアーネスト・ヴィンディッシュ=グラーツ王子によって建てられました。彼の盲目の妻がその湧水で目を洗うことで再び視力を取り戻したことに感謝して建立されたのだそうです。
残念ながら見過ごしてしまいました。 -
湖にはお魚がたくさんいました。
水は冷たくて気持ち良かったです。
お手洗いで手を洗った時も、とても冷たかったです。
よく考えると、今回の旅行を通して、水は冷たかったように記憶してます。 -
プレトナー(船頭さん)
立ってオールを漕ぎます。
頑張ってください!
そしてよろしくお願いします!
写真撮ってもいいと言ってくれましたが、残念ながら逆光になってしまいました。 -
湖の上の岩壁に高くそびえるブレッド城も美しいです。
スロベニアで最も古い城として千年以上の歴史を誇っています。城に関する最初の文献は1011年にさかのぼり、当時この地域の重要な戦略及び行政の中心として機能していたことがわかりました。現在は、ブレッドの象徴として、その歴史的遺産と壮観な眺望で訪れる人を楽しませてくれています。 -
湖の岸辺には睡蓮がたくさん浮いていました。
そして、少しだけ花が咲いていました。 -
Vila Bled(ヴィラ・ブレッド)
ブレッド湖畔にひっそりと佇むヴィラ・ブレッドは、1947年に建てられ、かつて旧ユーゴスラビア時代には、チトー大統領の夏の別荘として利用されたようです。
ちょっと覗いてみたいのですが、残念!
次に向かいます。 -
湖畔には、紫陽花が咲いていました。
日本の紫陽花は、もう枯れてますが、こちらは綺麗に咲いています。 -
湖畔からのブレッド湖は、これが見納めです。
-
今度はブレッド城にやってきました。
途中まで車で行けます。 -
城門をくぐって城内に入ります。
人が多かったので足元を気にかけていませんでしたが、跳ね橋になっていたようです。
また、この先はぐるりとUターンして登ります。
敵の侵入を遅らせるための防衛上の構造でしょうか。
このような構造は他にもL字カーブなど、日本を含めたお城によくあります。 -
下から見上げると、かなり急な坂道になっています。
これも防衛上かなり重要です。
中世から近世にかけてオスマン帝国による侵略がありました。
14~15世紀頃、オスマン軍はバルカン半島を北上し、スロベニア地域にも侵入しました。ブレッド湖周辺の村も襲撃を受け、その際にブレッド城は防衛拠点として機能しました。
切り立った崖の上に築かれており、天然の要塞としての役割を果たしていました。
そのため、ブレッド城自体は直接陥落させられた記録はないようです。 -
16~17世紀には、ハプスブルク帝国の領有争いや、農民反乱の波及でブレッド城が攻撃を受けたこともありました。
特に1515年と1573年のスロベニア農民反乱では、周辺地域の城と同様にブレッド城も包囲・襲撃を受けたようです。
ただ、城の良さから完全に破壊されることはありませんでした。
まずは、そんなわけで、坂道は急で石畳は滑りやすいですので、気をつけて登り降りしてください。できる限り真ん中を歩きましょう。 -
スロベニアは、その優れた生物多様性により、自然愛好者にとって楽園です。この小さな緑の国は、アルプスの山々・湖・森・滝や川で訪れる人々を魅了します。
スロベニアは、世界の中でも持続可能な観光地の1つと見なされています。 -
地図の右側の青く四角で囲ったのがブレッド城です。
西側にはユリアンアルプスが見えます。
スロベニアでは、ブレッド湖の他に、ボーヒン湖も有名です。
また、すぐ側はトリグラウ国立公園になっています。 -
【Brejski Grad(ブレッド城)】
「grad」とは、スロベニア語などスラブ系言語で、「城」を意味します。
場合によっては、城壁で囲まれた旧市街などをさすこともあります。
ブレッド城の案内は俯瞰図のようになっています。
結構見どころも多いです。
ブレッド城はスロべニア最古の城の1つで、ロマネスク様式とゴシック様式の外観を持っています。
ブレッド湖の北岸に聳える高さ約100mの断崖の上に建っています。
Lower courtyardである1階部分は、ロマネスク様式の壁とゴシック様式の棟で囲まれています。
現在は、印刷所、タワーギャラリー、コーヒーショップなどがあります。
Upper courtyardである2階部分は、現在は、礼拝所、土産物屋、博物館、レストランがあります。 -
お城は8時から20時までです。
大人は18ユーロ
学生は11.5ユーロ
子どもは7ユーロです。 -
まずはチケットです。
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城内に入りました。
断崖に聳えるお城 by noelさんブレッド城 城・宮殿
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スロベニア北東部シュタイエルスカ地方のマリボルという街には、世界で1番古いぶどうの木があります。
約450年以上生育しています。
今日ではこのぶどうが博物館の入口近くにあります。
城のぶどうがブレッド湖まで根を伸ばし、水を引き寄せているため、豊かな実になると言う説もあるようです。
本当でしょうか?真偽はわかりません。 -
ブレッド城のテラスは、かつて見張り台として機能していました。
そして現在では、周囲を一望できる場所として私たちを楽しませてくれています。
この壮観な景色はフランツェ・プレシェレンを刺激し、彼は『サヴィッツァの洗礼』でそれを「楽園のビジョン」と表現したほどです。 -
上階のテラスです。
博物館、ショップなどもあります。
城内には印刷所などもあります。
印刷革命の象徴であるブレッド城では、重要な発明の1つであるグーテンベルクの印刷機のレプリカを見ることができます。
この発明は、印刷の発展と世界中の識字率の普及に貢献しています。
発明当時の印刷プロセスを見ることができます。
残念ながら時間の余裕がなく見てませんが。
それにしても活版印刷は画期的です。
これ以前は、修道院の僧たちは、手書きで写本を作っていました。 -
トリグラウ山がかすかに見えます。
(トリグラウと言うのは3つの峰という意味です。これは、スロベニアの50セント硬貨のデザインにもなっています。)
少し雲が多いのですが、美しい眺めです。
この山はスロベニア最高峰で2,864mあります。
この一帯が国立公園に指定されています。
富士山とはまた違って山の稜線が美しいです。
スロベニアのアルプスとして、Julian Alps(ユリアン(ジュリアン)・アルプス)と呼ばれています。
また、別名サニー・サイド・アルプス(太陽の当たる側のアルプス)とも呼ばれ親しまれています。スロベニアの国旗にも描かれています。
スロベニアの人々がまだ自然崇拝をしていた時代、トリグラウ山の頂には「白馬に乗った神」が住んでいたと伝えられています。
リュブリャーナ空港にあった白馬について少し記載したのですが・・。
この神は、大地と空、死を支配する3つの顔を持つTriglav(トリグラウ神)であり、スラヴ神話では重要な存在です。
この神が乗る白馬は神聖な存在であり、国を守る時には山から現れて、悪や侵略者を追い払うと信じられていました。
また、白馬は単なる乗り物ではなく、トリグラウ神の使いともされ、神の意思を地上に伝える存在とされました。また、白馬が山から下りてくることは「警告」「変化」「守護」の徴だったようです。
※ ユリアン・アルプスですが、これはユリウス・カエサル名前に由来しています。
ブレッドの地域は石器時代、青銅時代を経て、紀元前1,200年頃からはイリュリア人が住んでいました。カエサル亡き後に初代ローマ皇帝となったアウグストゥスは、ブレッドを含む「ノリクム」をローマ帝国の領土に組み入れました。
そこで、カエサル名をとって名付けられました。
ローマ人は既にブレッド周辺の銅や金属を採掘して加工していたイリュリア人とケルト人に銅の採掘と金属の加工を奨励しました。 -
イチオシ
お城からブレッド湖を見下ろした写真です。
Ooooooh!
これが見たかった景色です。 -
【ブレッド城の歴史について】
~1004年から1011年~
1004年4月10日、ドイツ王ハインリッヒ2世はカーニオラのブレッドの土地をブリクセンのアルバイン司教とその教区に寄贈しました。これは、イタリア北部でのドイツの支配を強化するための彼らの支援に対する感謝の印です。
ブレッド湖の上の急な白い岩の上には、ロマネスク様式の塔が既に存在していたと考えられますが、城についての具体的な記載はありませんでした。
ただ、スロベニアで最も古い城の1つであるブレッド城に関しての記述は、1011年にハインリヒ2世が署名した寄付証書からわかります。
城はCastellum Vrbes(カステルム・ヴェルデス)と呼ばれています。
~1011年から1371年~
ブリクセンの司教はブレッドをめったに訪れなかったため、城と土地は彼らの大臣によって管理され、ブレッドの騎士として知られていました。それに加えて、家令や城主も封建法の下で運営していました。ブリクセンからカーニオラまでの旅は馬で6日かかり、危険が伴いました。
~1371年から1574年~
城は賃貸者の手に渡る1371年、ブリクセンの大司教はブレッドの地所の直接管理を放棄し、コンラッド・フォン・クライヒに賃貸しました。クライヒ家は約200年間ブレッドを支配しました。
ただ彼らの農奴に対する厳しい扱いのため、1515年にブレッドの農民の一部はスロベニアの農民反乱に加わりました。
また1509年の大地震は城の建物に深刻な損害を与えました。城が湖に崩れ落ちるのを恐れた住民たちは避難しました。そして、この地震による被害は、60年以上後まで完全には修復されませんでした。その後、城はトゥルヤクのハーバルト・アウアースペルク男爵の手に渡りました。彼はトルコに対する有名な戦士であり、熱心なプロテスタントでした。1561年、彼は城でプリモシュ・トゥルバーを招待しました。
彼はスロベニアで生まれ、リエカやザルツブルクトリエステ、ウィーンなど宗教を学び、スロベニアに戻ってからは次第にプロテスタント寄りになってきたため教会から破門され、その後はローテンブルクで暮らしました。
そして牧師をしながら、2冊の本をスロベニア語に翻訳しました。スロベニア語で印刷された初の本です。また、後にルターの新約聖書もスロベニ語に翻訳し、今ではスロベニアの1ユーロ硬貨に肖像画が刻まれてます。
このようなことから、男爵も宗教的信念のために、1574年にブレッドを離れざるを得ませんでした。 -
【ブレッド城の歴史について】
~1597年から1622年~
知事によって管理されていたブレッド城ですが、ブリクセンの司教たちは賃貸制度を放棄し、彼ら自身で知事を任命し始めました。最初は貴族が主に任命され、その後市民も含まれるようになりました。特に注目すべきはエッゲンベルク家、トゥリャック家、ペッチャッハー家、そしてガレンフェルス家です。彼らの中にはブレッドに住む者もいれば、管理人を通じて城を管理する者もいました。
その後、城は何度も落雷に見舞われ、広範囲にわたる火災を引き起こしました。
また、1690年には地震の被害にも見舞われました。
そのためガレンフェルス家は、城を再び居住可能にするための修復を行いました。1695年の建築計画は、現在もブリクセン司教区のアーカイブに保存されています。
~1803年から1813年~
800年間ブリクセンの管理下にあったブレッドの土地は、ウィーンの宮廷委員会の勅令により国有化されました。イリュリア州下のブレッド城1809年、ナポレオンがカルニオラを占領し、ブレッドの領地はイリュリア州の一部となりました。1809年から1813年の間、ブレッドの土地(ブレッド城を含む)はフランスが所有し、収益は総督であるマルシャル・オーギュスト・マルモンが管理しました。
~1838年から1937年~
所有権の変遷で1838年、ブリクセン教区は、ブレッドの領地と城を含む自らの財産の所有権を回復しました。しかし、1848年に封建制度が廃止された後、彼らは物件を自身で維持することができなくなり、資本家のヴィクトル・ルアールに売却を余儀なくされました。アドルフ・ムールのヴィクトル・ルアールはジェセニツェ製鉄所の所有者であり、城と湖の土地を保持したものの、森をカルニオラ工業会社に売却しました。1882年、ブレッド城は卸売商人アドルフ・ムールによって購入されました。後、ホテル経営者のイヴァン・ケンダによって購入されたものの、財政的な困難のため、プロジェクトは失敗し、物件は協同商業銀行に引き継がれ、その後ドラバ・バノビナに譲渡されました。 -
礼拝堂です。
礼拝堂は16世紀にゴシック様式で建てられ、最初はよりシンプルでしたが、その後、複数回の改修が行われました。1690年の地震によって壊滅的な状態になり、礼拝堂は再建されて、バロック様式のヴォールトが追加されました。
この期間に現在の内部を彩るフレスコ画が制作されました。
礼拝堂の入口の上には、ブリクセン大司教区と貴族ガレンフェルス家の紋章があります。 -
ブレッド城内部には大理石製のテーブルがありますが、これはPoljane Valley(ポリャーネ渓谷)から採掘された有名なHotavlje maeble(ホタヴリ・マーブル)が使用されています。その石にはカタツムリの化石がはっきりと見え、何百万年もの自然の歴史が反映されています。ホタヴリ・マーブルは、スロベニアの建築に300年以上も使用されています。
色合いや表面の光沢が美しく、地元の建築でも伝統的に使用されてきた石材です。 -
【ブレッド城の歴史について】
~1945年から1961年~
城はより現代的な外観を持つようになりました。
第二次世界大戦後、ブレッド城は劣化し始め、1952年に国立博物館とジョゼ・プレチニクの弟子である建築家トネ・ビテンチによる徹底的な修復が始まりました。そして国とブレッド市の支援を受け、修復は1961年に完了しました。
~1999年から~
1999年9月9日に国の文化財に指定されました。
2007年以降、ブレッド文化研究所が城の管理を行っています。改修とバリアフリーが行われ、2008年に博物館セクションの改修に加えて、ブレッド城の他の部分も改修され、翌年には新しいスペースやコンテンツが追加されました。訪問者には、視覚障害者のための触覚ガイドや、19言語によるオーディオガイドが提供されています。改修とバリアフリーイベント 、コンサート、展覧会、パフォーマンスなど、歴史を蘇らせ、文化的な体験を豊かにする多様なプログラムが開催されています。 -
城壁の回廊です。
見張り窓があります。 -
城壁からは周囲の村々、Zasip(ザシップ)やGorje(ゴルジェ)を含む壮大な景色が広がっています。
ザシップはスロベニアの偉大な詩人France Preseren(フランツ・プレシェレン)によって『Altar of Gorenjska(ゴレンスカの祭壇)』と称された場所です。
その理由はHom(ホム)という小高い丘から望む、ブレッド湖や周辺の美しい風景がまるで祭壇のように神聖で荘厳だからとのことです。
なるほど、今は反対から見てますが、これを逆から見ると、そのように見えるのでしょうね。
狭い弓矢用の狭間からは、ラワンカ山脈やメザクラの山頂が見え、夏の時季には朝日に照らされて自然の時計のようになります。 -
城壁は狭く、人が1人通れるくらいです。
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鍵穴のようなフラスコのような狭間です。
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まるで1枚の絵を見ているようです。
狭い弓矢用の狭間からカは、Ravna gora(ラワンカ山脈)やMezakla(メザクラ)の山頂が見え、夏の時季には朝日に照らされて自然の時計のようになります。
(この写真は、違うかもしれませんが・・・。) -
城壁からの景色です。
実は、ブレッドは19世紀後半『アルプスの温泉保養地』として知られるようになり、オーストリア=ハンガリー帝国時代の貴族や富裕層が訪れる人気のリゾート地となりました。
スイス人のArnold Rikli,(アーノルド・リクリ)は1855年頃にブレッドを訪れ、湖と周囲の気候が健康に非常に良いと考えました。彼は日光浴・水浴・新鮮な空気を組み合わせた「自然療法(Heliotherapie)」を広め、専用の入浴施設や療養所を整備しました。
その後ブレッド城下には集団日光浴用の小屋を、食堂と厨房を兼ねた治療センター、自分用のヴィラ、遊歩道、ストラージャ山頂にはブレッド初のレクリエーションの場も作りました。リクリはその時、最も有名な自然派の医師で、彼の活動や治療方法はリクリ法と呼ばれるようになりました。
ヨーロッパ中に、ブレッドのヒーリングパワーの話が広まり、人々は空気の綺麗なブレッドに来て、健康的な休暇を過ごすことができました。
これは1901年のニューヨークタイムズに、『自然治癒』というタイトルで紹介されました。
現在も湖の東側に多くの温泉が湧き出ています。
東側の水温は20℃以下にはなりません。温泉は現在、グランドホテル トプリツェ、ホテル パーク、リクリ バランス ホテルの3つのホテルのプールで使用されています。ホテル パークとリクリ バランス ホテルでは水温がさらに高めに設定されていますが、グランドホテル トプリツェでは22℃の源泉でリフレッシュできます。
また、温泉水をグラスに注いで飲むことで、その治癒効果を実感することもできます。湖の水温は夏には25℃に達し、冬には4℃まで下がることがあります。
冬の非常に寒い時期には、湖面も凍ります。 -
城壁は石造りでしたが、反対側から見ると木造です。
城の内側の壁と天井部分は、後で増築されたのかもしれません。 -
最後に、ブレッド湖の教会のショップで購入したインセンスです。
左は、元々所持していたインセンス用のバーナーです。(ショップではこれと似ているバーナーも売っていました。)
そして右がインセンスです。
様々な成分が混じり合って、独特な美しい香りです。
昨年メテオラの教会で購入したビザンティンのオイルと似たような香りでした。
この香りを旅の思い出としています。
今回の為替レートは、1ユーロ、約176,46円でした。
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この旅行記へのコメント (2)
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- sanaboさん 2025/08/16 13:50:32
- スロベニアといえばこの景色☆彡
- noelさん、こんにちは~
今年はバルカン半島を周遊され、スロベニアとクロアチアへいらしたのですね。
素敵なルートですね~!
スロベニアはまだ行ったことがなく(クロアチアからイタリアへ移動する際に
少し通過しただけ)、特にブレッド湖のこの景色は一度は見てみたい絶景です!
以前旅番組で花婿さんが花嫁さんをお姫様抱っこして聖マリア教会への階段を
上るのを見たことがあります。
大変な重労働ですけど、見事達成したカップルはその後も二人で力を合わせて
幸せなご家庭を築かれることでしょう(^_-)-☆
ブレッド湖畔はリゾート地で観光客も多くとても賑やかで驚いたと
仰ってましたが、湖にひっそりと浮かぶ島のマリア教会の内部が
金色が多め(笑)で豪華なのにも驚きました。
島へ渡る船が手漕ぎなのも風情があっていいですね~
水の色も綺麗だし、お魚もたくさんいて、このような光景を目にしたら
物凄く癒されそうだわ^^
このような景勝地ゆえ、チトー元大統領の別荘があるのも不思議では
ありませんね。
湖畔から眺めるブレッド城も美しいけれど、ブレッド城のテラスから
望む湖や周囲の山々の光景もまた素晴らしいこと☆彡
ユリアン・アルプスの名は初めて聞きましたが、ジュリアス・シーザーに
因んでいるのですね。
かつては見張り台だったという難攻不落のお城のテラスが、平和な時代になり
展望台として観光客を迎えてくれるのは何よりです。
特に今、世界の情勢と思うとそう感じました。
ブレッド湖の教会のショップでインセンスを買われたそうで
noelさんらしい素敵なお土産ですね。(今度真似してみようっと)
ご自宅で香りとともに旅の余韻に浸ってくださいね。
続きも楽しみにお待ちしていま~す♪
sanabo
- noelさん からの返信 2025/08/16 16:12:05
- Re: スロベニアといえばこの景色☆彡
- sanaboさん、こんにちは~!
今回もありがとうございます。
スロベニア、行った場所は2つだけでしたが、素敵な所でした。そしてこの湖畔が1番涼しかったです。
それにしてもsanaboさんのおっしゃるとおりマリア教会、外観に比べて内部は豪華でした。汗
sanaboさん、階段抱っこの映像をご覧になってたんですね。普通に登るだけでも大変なのに、花婿さん大変だなぁ~と痛感しました。
湖畔は観光客は多いものの、やはり湖は水も冷たく心地良かったです。
別荘、羨ましく思いました。
ブレッド湖はお城からの眺めが、さらに素晴らしかったです。遠くに見えるユリアンアルプスにも癒されました。
そして古代ローマの足跡は、位置的にも近いので、今回の旅でも各地で垣間見ることができました。
アルプスの名前にまで名前が残って、さすがカエサル(シーザー)。
お城の説明には、あまり争われたことの紹介などがなかったのですが、お堀にのような湖といい、急な崖といい、狭間といい、気になって調べてみました。
特にバルカン半島は、今は平和になったとはいえ、ついこの間まで内戦があったので、本当に平和のありがたさがわかります。
本当に戦争が終結することを願ってます。
そしてインセンス、やはり購入してしまいました。
主人には、また買うのかと呆れられています。(・_・;
でも、香りで思い出すことができ、癒しにもなるので、やめられません。
いつもありがとうございます。
noel
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