2025/08/04 - 2025/08/04
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FUKUJIROさん
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この旅行記のスケジュール
2025/08/04
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重要文化財・松城家住宅
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土肥金山
この旅行記スケジュールを元に
2日目はFUKUJIROの希望により戸田(へだ)の重要文化財松城家住宅を見学しました。
駿河湾に面し、沼津市に南接していた戸田村は平成17年(2005年)4月1日に沼津市と合併しました。
江戸時代の伊豆半島には、海運の要となる湊町が各所に点在していました。
戸田村も廻船が寄港する湊町として栄えていましたが、戸田湊において廻船業で財をなした家のひとつが松城家です。
松城家住宅は江戸時代から廻船業を営み財を成した松城家の居宅として明治6年に建てられた擬洋風建築の住宅です。松城家住宅は日本に現存する擬洋風建築の中でも最初期のもので、とても貴重な建物です。
開館時間は、9時から16時30分(入館は16時まで)
休館日は水曜日(水曜日が休日の場合は翌日)と年末年始
入館料は大人(高校生以上)300円
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- 家族旅行
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 自家用車
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左の建物 は文庫蔵。
右の建物は主屋。 -
外周には、整層切石積の石塀が設置されています。
私が立っている道路は当時は水路となっていて、小舟から見上げると主屋の2階部分だけが見えて、まるで洋館に見えるように造られていました。 -
正門には伊豆石で造られた高さ9尺(約2.7m)の門柱があります。
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門の正面は、ミセ。
帳場として使用されており、2階は使用人が暮らせるよう天井の低い造りとなっています。 -
東土蔵。
門の右手にあり、海鼠(なまこ)壁も含め、黒漆喰塗の格式高い仕様となっています。質蔵として使用していたことから2階には収蔵用の棚が設置されており、天井は漆喰塗となっています。 -
東土蔵の南面。
珍しい黒漆喰塗の土蔵です。窓の扉は常に開けられていて、閉じることはなかったそうです。 -
主屋。ミセの左側に建てられています。
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庭門。
ミセと主屋の間は、伊豆石を積み上げた塀とアーチ形の門で仕切られています。 -
主屋。右端がワキゲンカン。この玄関は、主に家族や使用人が使用しました。
2階のバルコニーは、明治から大正時代にかけて設置されていたものを復元しています。 -
主屋の全景。
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鎧窓。
主屋2階の西面に設置されている窓ですが、本物の窓は南側(手前)の1つだけで、奥の2つは漆喰で造られた装飾です。 -
ホンゲンカンの破風。
ホンゲンカンは特に大切な客人用の入り口で、懸魚と欄間の透かし彫りは、平成に作られたレプリカが飾られています。 -
ワキゲンカンの天井には漆喰鏝絵「牡丹」があります。
刀の鍔様とも思われる意匠図で、松城家の家紋である米と3輪の牡丹が描かれています。
主屋の随所に配された漆喰鏝絵は、一部の作品に入江長ハの落款があることから、他の作品も長ハとその弟子が手掛けたものと推測されています。
中央にはランプ掛けの金具が付けられています。
これらの作品は全て建築当時に設置されたもので、平成28年から行った保存修理工事の調査で、後からはめたものではないことが確認されています。 -
釜屋。
近年まで風呂があった場所ですが、発掘調査によって大中小のかまどが3基発見され、明治時代の建築当時はここが釜屋(台所)であったことがわかりました。
構築材には石が用いられており、実際に使った痕跡として灰や炭化物、焼士なども出土しました。 -
右の大きな釜は、家人の五右衛門風呂として使われたそうです。
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ヒロマ。
この部屋は客人が立ち入る部屋ではないため、襖ではなく、板戸で仕切られているのが特徴です。
また、土間から上がった正面には、神棚が設けられており、地元に鎮座する部田(へだ)神社などの護符があります。 -
オザシキの奥に付書院があります。
地板には黒柿を使用し、花頭窓が設けられています。 -
オザシキの鴨居の釘隠し。大変凝った造りとなっています。
こちらは平成のレプリカ。 -
釘隠し。建築当初からのオリジナル。
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便所(客人用)。便器には黒漆が塗られています。
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風呂(客人用)。
入り口が2ヶ所あり、一方からは便所へ、もう一方からは風呂へ入る構造です。
風呂桶は元からなく、蒸し風呂として使われたようです。 -
付書院
付書院とは、床の間の脇の縁側に張り出した棚で、前に障子を立てたものです。 -
付書院の裏側には、竹とふくら雀の漆喰鏝絵があります。
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竹とふくら雀の漆喰鏝絵。
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廊下の奥に、小便器。
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主屋の奥に、大事な書物や調度品を保管するための文庫蔵があります。
湿度調整と防虫のため、室内を漆喰塗壁しています。また、扉は防火のため分厚くなっています。創建当初にはこの蔵の東側に池がありましたが、その後巨大な金庫を入れるため、この池の上にかかるよう増築が行われました。 -
文庫蔵の写真。
松城家が表舞台に登場するのは、文政年間(1818~1829年)におこった飢饉の際、廻船業を営む秋元兵作鎮陳(写真右)が、私財を投じて村を救ったことに始まります。この功績が認められ、領主より名字帯刀を許されるとともに「松城」の姓を賜り松城兵作と名乗ったとされています。以来松城家の当主は代々「松城兵作」を名乗るようになりました。
初代の松城兵作(寛政8年(1796年)
~明治13年(1880年))の子は早世したため、孫の熊三郎を養育し、安政元年(1854年)に家督を譲りました。
二代目兵作(写真左)となった松城熊三郎(天保10年(1839年)~明治25年(1892年))は、米穀食品などの輸送販売業でさらに事業を拡大しました。また、旧宅から現在地に住宅を新築移転しました。
明治15年(1882年)にロシア海軍の士官を招いて饗応したのも、明治20年(1887年)にプチャーチンの娘であるオリガ・プチャーチナが来村して宿泊したのもこの松城家住宅です。 -
三代目松城兵作(写真左)は、熊三郎の長男である長(明治7年(18/4年)~昭和17年(1942年))です。
長も先代同様に事業を拡大し、伊豆浦汽船会社(後の登州共同汽船会社)の社長を務めるなど実業家として活躍するとともに、田方郡議会議員・静岡県議会議員を歴任し、明治 45年(1916)には衆議院議員となるなど、政治家としても活躍しました。
大正5年(1916)には戸田村長となって戸田村の発展にも尽力したため、部田神社にはその偉業をたたえる威徳碑が建てられました。
近年、松城家の男系が途絶えてしまったためにこの住宅は沼津市に寄贈されました。 -
マエナンド天井の漆喰鏝絵「秋の実り」。
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マエナンドの箪笥。
オクナンドとともに家人および使用人が使用する部屋です。 -
金庫がありました。
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佛壇。
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2階の窓から光が入るように造られていて、年に2回、春分の日と秋分の日には佛壇の仏様に太陽が当たるそうです。
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階段。
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2階、前の間の天井です。
天井には明治当初の輸入品と伝わる幾何学模様のクロスが張られています。 -
応接間との境。
応接間と仕切っている鳥の子紙の建具は外すことができ、大きな部屋して使用することができます。建具の開口部はアーチ状で、和室に洋室のエッセンスが加えられています。 -
応接間。
中央のランプは、高さが調整できるように巻き取りチェーンが付いています。 -
応接セット。米国からの輸入品です。
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ベランダ側の壁には漆喰鏝絵が描かれています。
「雨中の虎」は、明治9年(1876年)の入江長八の作品です。 -
激しい雨に向かう勇壮な虎をモチーフにしており、眼は玉眼(色ガラス)、まぶたを紅色で彩色しています。
「雨中の虎」は主屋の棟上げから3年ほどかけて完成されたと推測されています。 -
鏝絵の左下には入江長八の画号である「乾道」の落款があります。
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南西8畳間と北西10畳間との仕切壁。
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北西10畳間。
床の間の脇には棚がしつらえられており、上部の壁は上に引き込まれる仕掛けがあります。
その奥は隠し戸棚になっていて、キリシタンの遺物があったそうです。 -
ホンゲンカンの懸魚と欄間の透かし彫りは、2階の板の間に保存されています。
これは、三島大社社殿(重要文化財)を手掛けた伊豆出身の大工・石田半兵衛ゆかりの作と伝えられています。 -
部屋と部屋の間には不自然な空間が造られています。これは佛壇に太陽を当てるための工夫です。
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龍の間の漆喰鏝絵「龍」。
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しぼり壁。
鼠色の漆喰を用いて、絞り模様をあらわしています。
これは、壁面が湿っている状態で、薄い布を被せ、漆喰をつまんで描く特殊な技法です。
光の当たり方で壁面の肌合いが変化します。 -
次の間の天井にある漆喰絵「松竹梅」。
部屋の中央ではなく、しぼり壁を綺麗に見せる位置にランプ掛けを作っています。
この作品だけは、大江長八の弟子の作品とわかっているそうです。 -
2階から見える北土蔵。
内部が2部屋に分かれており、味噌や漬物などの貯蔵庫として使用されていました。そのため、蔵の格としては最も低いものとなっています。壁は白漆喰の海鼠(なまこ)壁です。 -
2階からの風景。
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FUKUJIROが部屋の写真を撮っている間に、妻と娘たちは高足ガニの甲羅を使った魔除けのお面作りに励んでいました。人それぞれの楽しみ方があるものですね。
本当は、造船郷土資料博物館にも行きたかったのですが、ぐっと押さえて次へ向かいます。 -
すぐ近くの「の一食堂」さんでお昼を食べました。看板は高足ガニです。
高足ガニの味は水っぽく大味で、以前は見向きもされていませんでしたが、一説では、昭和35年(1960年)に戸田村の旅館が「タカアシガニ料理」を始めたとされています。 -
高足ガニ料理はコスパが悪いので、私は海鮮丼を美味しくいただきました。
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土肥マリン観光株式会社が運営する土肥金山(といきんざん)に来ました。
古くは南北朝時代から金の採掘をしていたという説もありますが、天正5年(1577年)、北条氏の家臣である富永政直の手代・市川喜三郎が、土肥金山で採掘を開始したとされています。昭和38年(1963年)に採掘を中止し、2年後に閉山しました。
閉山後は、坑道の一部を観光坑道として公開し、砂金採りの体験ができる施設になっています。 -
千両箱のモニュメント。
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土肥金山への道。
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金山奉行堂。
慶長11年(1606年)、江戸幕府の金山奉行である大久保長安が伊豆の金山奉行も兼務することとなり、新技術の導入により産出量が増大し、隆盛を極めました。
大久保長安は佐渡金山や石見銀山の開発においても異能を発揮しています。
よろしければ、石見銀山の旅行記もご覧ください。
https://4travel.jp/travelogue/11836206 -
金山奉行堂には福禄寿が祀られています。
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金色の鯉が泳ぐ池。
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黄金の坑夫像。
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よく見たら、山の上にも謎の人物像を見つけました。
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坑内めぐり。
坑道(総延長約100km)のうち約350mを公開しています。
坑道内では当時の坑夫らの作業の様子を見ることができます。 -
坑内を進むと、大山祇尊とありました。
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黄金色の鳥居です。
鳥居の変額は大山祇尊です。 -
山神社。御祭神は大山祇尊と思われます。
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大山祇尊は金山守護の神であり、坑夫たちは、出入り時に必ず礼拝していました。
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奉納酒樽「富貴」。
千葉県松戸市の合同酒精株式会社のお酒です。静岡市にも工場があるので、こちらに奉納しているのでしょう。 -
金鉱の岩盤の隙間を透し湧出しているもので、昔から「黄金の泉」として親しまれ、手や指を浸したりを金銭を浸したりすると、金運を掴むと云われています。
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採掘が進み、切羽が深くなると通風が悪くなり、湧出する温泉熱もあって気絶え(酸欠)で倒れたり、灯火も消えて作業が出来なくなります。これを防ぐため、各所に唐箕(木製の手回し送風器)を使って空気を切羽に送りました。
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坑内の通路を廊下といいます。穿子は足半(短い草雑)をはき当尻を腰につけて真暗な廊下を片手に植物油を用いた灯を持ち、合砂(ホッパとも云う)や鎖を担い切羽に向います。
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坑内の気温は18度。とても涼しくて快適でした。
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坑内はほどほどに暗いです。
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土肥の温泉は金山から湧き出したのが始まりといわれており、当時から坑内で湧出した温泉を使い、坑内で働く金堀たちにとって作業の疲れを癒しながら最も楽しい憩の場所でした。
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金子地蔵尊。
地蔵菩薩は、一切の衆生に救いの手をさしのべ、六道を教済し、延命、除厄、治癒を願って穿子(抗夫)たちが、お祀りしてし篤く信仰していました。 -
採掘切刃。
天井に見られる赤い岩盤の個所が金鉱脈で、この脈に沿って抗夫たちが採掘を進めていました。 -
ここに露出している金鉱脈は抗口前面の露頭を手掛りに天正年間から掘り始めた跡です。
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黄金館。
金山の資料館です。 -
入り口のタヌキ像。
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金鉱石。
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江戸時代の小判や貨幣。
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千両箱の重さ体験。
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千石船(1/8サイズ)。
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天秤。
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土肥金山の金鉱石は品位が高く、1トンの鉱石に金600g、銀7.2kgが含まれていました。
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自然金(山金)。
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金の茶釜。
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金の仏像。
平等院阿弥陀如来像(12分の1)。 -
金の鯱。
名古屋城の天守の鯱(6分の1)。実物は小判17,975両分の金が使用されました。 -
「金山輝」。
土肥金山の職員一人一人の心が、無我無心の輝きとなって、金山を照し輝いて行かれることを祈念し、北法相大本山 京都東山 清水寺の森清範貫主が揮毫しました。 -
「黄金の泉」の足湯がありました。かなりぬるいお湯でした。
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この後は、砂金館で砂金採りの体験をしましたが、本当に小さな粒が数個とれました。
本館に移動してお土産を買い、金箔ソフトをいただきました。金箔1枚分を貼った豪勢な「純金モリモリソフト」は1,000円でした。
2日目の旅行記はお終いです。
ここまでお読みいただきましてありがとうございました。
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この旅行記へのコメント (2)
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- ako-satiさん 2025/10/07 18:33:01
- はじめまして!
- FUKUJIRO様
はじめまして 静岡在住 ako-satiと申します
私のつたない旅行記をみていただき いいねまでありがとうございました!
静岡に来られたんですね
この間ローカルの夕方の情報番組で
この金箔のアイスクリームを放送していてみたところでした
同じように 砂金からアイスの流れでしたよ
またみせていただきたいので
フォローさせてください
今後ともよろしくお願いします
ako-sati
- FUKUJIROさん からの返信 2025/10/09 06:18:43
- Re: はじめまして!
- ako-satiさん、はじめまして。
旅行記をお読みいただきましてありがとうございます。
静岡にお住まいなんですね。
家族旅行でたびたびお邪魔しています。伊豆へ行くことが多いのですが、時には足を延ばして浜松あたりまで何度か訪ねています。
今年は駿府に行きたかったのですが、いつの間にか途中から伊豆に変更されてしまいました。
ところでハノイの旅行記を拝見しています。山登りをしなくてもファンシーパンまで上がれるのですね。お天気が良ければ眺望が素晴らしいのでしょうね。
ベトナムは食べ物が美味しく、楽しかった思い出があります。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。
FUKUJIRO拝
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