2005/10/15 - 2005/10/25
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kojikojiさん
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蘇州の滞在中に太湖の東山にも出掛けました。ここは太湖の中に延びる半島で風光明媚なところです。蘇州火車站前から東山行きのバスで2時間近くかかったでしょうか。蘇州火車站の建物は1999年に上海から来た時以来で懐かしかったのですが、次に来た10年後は高速鉄道の美しいビルに変わってしまいました。すごいなと思うと同時に寂しさも感じました。終点の東山でバスを降りると、すごい数のオート三輪の運転手に取り囲まれます。俺の車だ!私のに乗って!と凄い状態です。中には1日旅游で1元だ!なんて輩も出てきます。人の良さそうなおばさんが後ろでこっちを向いています。本当に1元?とその人に尋ねると顔は動かさずに手のひらを下向きに振ります。相場が100元なのはホテルで聞いて知っています。そのおばさんが良い人そうなので妻に「あのおばさんの車に乗っちゃえ!」と指示します。乗ったのを確認した所で「うちの奥さんあの車に乗っちゃったよ。じゃあね。」と言うと今度は喧嘩です。「俺たちが交渉しているのに何でお前の車に乗せちゃうんだよ。」みたいな遣り取りが始まります。「おばさん二人で100元だよね。」と確認してから出発してもらいます。バスの時間から見て残った15人くらいの運転手は今日は開店休業でしょう。我々の勘は当たりでとても親切なおばさんでした。行きたい所は全部カバーしてくれるし写真も撮ってくれます。東山の半島は風光明媚で果物畑や養蜂場を見たり、古鎮を訪ねたりと素晴らしいところでした。途中の古いお寺では日本語を話される方と出会ったのですが、「私はよくここへ来るが、ここで日本の人に出会ったのは初めて出すよ。」とびっくりされました。最後にバス停まで送ってもらった別れ際に「何か食べて。」と料金の100元とは別に10元渡そうとしましたがおばさんは意味が分からなかったようです。無理に10元渡すと申し訳なさそうでしたが、うれしそうでもありました。楽しい出会いと素晴らしい景色を楽しんだ東山の旅でした。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 高速・路線バス タクシー 徒歩
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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蘇州火車站前のターミナルからバスに乗って、蘇州郊外の太湖のほとりの東山鎮まで行きます。1999年の暮れに上海から鉄道で蘇州に入った懐かしい駅でした。バスの料金は1人4元(52円)でした。
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この10年後に蘇州へ来たときは高速鉄道が開通していて、この駅は真新しいビルのような駅に変わってしまっていました。中国は凄いなと思うと同時に寂しさも感じました。
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こうやって写真を残しておいてよかったと思います。現在はもう見る事が出来ない風景です。
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東山へ向かうバスはこの後満員になり、お婆さんが車酔いで吐いてしまいました。それを見ていた女の子がつられて吐いてしまいます。車内は酸っぱい臭いに包まれます。そんな1時間半のドライブでした。日本のバスも昔は排気ガスが車内に流れ込んで吐いてしまう人多かったですね。
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終点の東山鎮のバスの停留所ではオート三輪の運転手たちに取り囲まれました。上手く親切そうなおばさんの車に乗り込んで難を逃れましたが面白い経験でした。こちらが2人だったのと一枚上手だったので難を逃れましたが、一人だったら大変だったと思います。オート三輪者は夕方までチャーターして100元です。
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オート三輪のルートは決まっているので、最初は「啓園」に立ち寄りました。おばさんは駐車場で待ってくれているので、我々は荷物を置いて観光できます。見るからい良い人なので、すっかり信用しています。
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「啓園」は「席家花園」とも呼ばれ、東山鎮翁巷村にあります。席啓寓がここで康熙帝を迎えたことを記念して建てた園林で、園内を歩きながら築山と湖の景色が移り変わっていきます。蘇州園林の精巧さと幽趣を味わえるほかに72の峰と36,000ヘクタールの雄大さも感じられます。
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芙蓉の花が見事に咲き乱れていました。なるほど「席家花園」と呼ばれる由縁だなと思いました。
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蘇州の街中で買った50元のフェイクスエードのジャケットが気に入ったので記念に写真を撮っておきました。
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さすが太湖のほとりなので太湖石がふんだんに使われています。
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席啓寓がここで康熙帝を迎えた「康熙帝御埠頭」がこの庭園の至宝です。
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康熙帝はどこから船に乗ってきたのでしょう。またどんな船だったのだろうかなどと考えてしまいます。
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この10年後に無錫を旅した際に太湖を遊覧しました。
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芙蓉の花は栄華を意味するそうです。栄と「蓉」、富と「芙」が同音からくる吉祥を表すのでしょう。
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蘇州の庭園の中ではここだけが山を背にして、湖に臨むという造りになっています。
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「花径曲橋」と呼ばれる九曲橋とその先にアーチ型の橋が見えます。そしてその先には広大な太湖の風景が広がります。
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この庭園自体は康熙帝を迎えた席啓寓の子孫が1933年に再建したそうです。
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周囲はみかんの木ばかりです。車に戻るとおばさんがみかんを2つくれました。
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特に時間を気にすることも無く自由に見学できるのが良いです。
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ただ自分である程度の時間管理をしないと行きたいところに行けなくなってしまいます。
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東山は「花果山」とも言われ、果樹栽培が盛んな土地です。
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東山の半島の西側には西山と呼ばれる島があります。現在は橋で陸地とつながっているので同じような観光ができます。
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休み明けの月曜日なので観光客の姿はほとんど見掛けません。
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大閘蟹は陽澄湖が有名ですが太湖の蟹は太湖蟹と呼ばれ、重量があって蟹味噌が多く、肉質はキメ細かく柔らかで身がのっていると言われ、太湖蟹は「青殻、白腹、金爪、黄毛、大きな身体」の五大特徴で識別するそうです。
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こんな船で蟹を獲るのでしょうか。網がスクリューに掛からないようにカバーがついています。
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湖に向かって立つ狛犬とおしり自慢です。
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太湖をバックにしておばさんが写真を撮ってくれました。これは翌年の年賀状になりました。
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この埠頭の奥に寺院があるわけでもなく、なぜここに狛犬が立っているのか分かりませんでした。
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対岸は無錫や茶壺で有名な宜興があるはずです。無錫へ行くのはまだしばらく先になります。
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蟹を獲るのか白魚を獲るのか知る由もありません。どちらも美味しい太湖の名物です。
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太湖のほとりでたくさんの鴨が遊んでいました。もちろん食用に飼われているものだと分かります。
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その鴨を追いかけるようにアヒル軍団が追いかけます。
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河畔の景色はこんな感じで延々と続いています。
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「寒山仙境」という小高い丘から「陸巷古村」が望めます。この丘は「橘子紅了」(ミカンが赤くなった)という映画の撮影地にもなったそうです。
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東山の半島の近くにはいくつかの小さな島があります。
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みかんおばさんは道端に延々と続いています。
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この辺りは「碧螺春」というお茶が有名な所です。このお茶は他の緑茶に見られない白い産毛を持ち、螺旋形をしているところに特徴があります。この白い産毛の多いほど、風味が高く値段も高いです。
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湖岸を歩いているとモーターボートで西山へ行かないかと言われましたが、時間が無くなりそうなので断りました。いろいろな楽しみ方がある東山ですが、日本では情報がほとんどありません。
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先ほどの「寒山仙境」の丘から見えた「陸巷古村」です。この門が有名で、明の時代のこの村出身の宰相が試験に合格したことを記念したものだそうです。※
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この村には「解元」と「会元」と「探花」という明代に造られた3つの古い鳥居のような門があり、解元(郷試の第一位)、会元(会試の第一位)、探花(殿試の第三位)を連続に取ったことに由来します。
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村内に30余りの明清時代の建物が残されています。その中の「寶倹堂」に入ってみます。「梦園」とも呼ばれ、宋代に建てられ明代に何度も修復されました。南宋の左丞相で戸部尚書で、文筆家でもある葉夢得の故居でだそうです。
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立派なうだつが立っていました。明や清時代の古い建物が残ったのは、この「うだつ」で火事の延焼を防いだからかもしれません。
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他に訪れる人も無く、静かに邸宅を見学できました。
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割と小さい敷地ですが、池を持ち九曲橋まで設けています。太湖はすぐ近くですが村の中なので周囲を囲まれるとこのような庭園になるのでしょうね。
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ちゃんと修復していかないと崩れてしまいそうです。軒先を支える柱は後から付けたもののようです。
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元々の家も古いですが、文化大革命の頃の毛沢東の絵が壁に残っています。
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隣家の2階で繕い物をするおばあさん。文化財の家と普通の家の区別がつきません。
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往時はさぞ立派で繁栄していたのだと思います。そういう旧家や名家みたいなものは中国に残っているのでしょうか。
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庭の芭蕉を見るとこの辺りが温暖な気候なのだと分かる気がします。日本でも関東以南では露地植え出来るそうです。英名はジャパニーズ・バナナですが、中国が原産の植物です。
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近所で漆喰の塗り替え工事をしていました。漆喰には「すさ」と呼ばれるものを混ぜますが、用途は壁の補強や亀裂防止、曲げ強度を向上させて作業性の向上効果もあります。塗り壁材料に弾性力を持たせ、鏝伸びや鏝ばなれをよくして保水効果も期待できます。この地方は何を混ぜているのか知りたかったです。藁などではない繊維質の何かなのですが…。
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オート三輪に乗ってさらに半島を進みます。みかんの木が延々と続く中で養蜂する人を見掛けました。温暖な気候と果樹の多い子の半島では養蜂が盛んなようです。
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みかんが色づくと家の壁も色づくようです。周囲の木々は全てみかんで湖岸は全て網が張られ、蟹の生簀が続いています。お茶畑もあるので静岡県に近い雰囲気かもしれません。そういえば狩野川の名産のモズク蟹は上海蟹の仲間ですね。
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オート三輪は窓が全開なので風が吹き込みます。気持ち良かったのですが、妻はあまり気に入ってなかったみたいです。
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「紫金庵」に到着しました。
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最初に建立されたのは唐代で、清代など幾度か修復され現在に至っていますが、1400年の歴史のある仏教寺院です。
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このお寺も壁の色は黄色でした。その壁に蔦が伸びて綺麗に見えました。
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本堂にはお釈迦様の座像が安置され、周囲には羅漢像や四天王像が安置されています。にある十六羅漢像は南宋時代の名匠である雷潮夫妻の作品だそうです。
2006年に国の重要文化財に指定されています。泥塑が800年も残されていることに驚きます。
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売店で言葉が通じずに困っていると年配の方が「日本の方ですか?」と話しかけられました。「こんな所で珍しいですね。」と話を続けられました。学生時代に日本に留学されていたという蘇州在住の方でした。泥塑の説明を丁寧にしてくれました。
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蘇州では会社を経営しているがたまにブラッと遊びに来るとのことでした。「こんな所に目を付けるなんて通ですね。」などと嬉しいことを言ってくれます。
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「養蜂の盛んなこの庵では12月だけロイヤルゼリーを売るので、その時にまた来なさい。」と言われました。
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東大寺三月堂の不空羂索観音立像を思い出しました。同じ塑像だったからかもしれません。八臂の姿も非常によく似ています。塑像についていえば日本の奈良に残されたものの方が素晴らしい気がします。
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樹齢600年の桂花(金木犀)の入った蜂蜜はここの名産だそうです。買い求めて家で使いましたがとても濃厚で香り高いものです。
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金木犀の花が摘まれていました。金木犀の花はこの後に行く杭州で美味しいお菓子として出会うことになります。
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樹齢600年の金木犀の古木と比べるとまだまだ若く見えますよ。後ろの木の陰の方が日本語が上手な蘇州の方でした。樹皮がサイ(犀)の足に似ているため「木犀」と呼ばれますが、中国では正しく名は丹桂で一般には桂花と呼ばれます。
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600年の証拠のプレートも掲げられていました。おじさんにお礼を言ってオート三輪に乗って最後の目的地へ向かいます。
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最後は「雕花楼」です。彫花楼の元の名は「春在楼」で、「日が当たる屋敷に常に春在り」という意味から名づけられます。東山鎮南光明村に位置し、主楼の梁や柱や窓格子の上に繊細な彫刻が刻まれるので「彫花楼」とも呼ばれるそうです。
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この楼は明代工法で建てられた庭園式建築で、十数年の短い間で繁栄して東山一番の地主になった金兄弟が自分の豊かさを見せびらかすために、1922年から1925年までの4年で、3741両の黄金を使って最高の材料と名工の腕により東山一の彫花楼を建てたそうです。
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彫花楼は外から見れば2階建てですが、中を見学すると3階建てだと分かります。3階は2階の中に隠れてて、庭から見上げる場合は見えないが、中に入って3階まで登れば、東山の風景を眺めることができます。これは母方の祖父の生まれた京都の家に似ているなと思いました。
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扉や窓や欄干には「松鶴延年」「太公八十」「子儀慶寿」「鳳貫牡丹」「和合二仙」「二十四孝」「八仙過海」「三国演義」「西廂記」等主題の絵が刻まれています。門の框の上に「寿」の文字を刻み、門の下の止め金が「蝙蝠」の形で、取手が」「古銭」の形で作られ、「頭上げると寿あり、足を踏むところに福あり、手を伸ばすと金あり」という意味を示すそうです。
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ガラスは赤色と黄色、青色と緑色があり、ガラスを通して外の谷や畑を眺めると四季の風景が味わえるそうです。
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石造りの楼門の彫刻は見事です。文化大革命の時代をどうやって乗り切ったのかが知りたい気分です。木造であれば100年ほどの年月を持ち堪えられなかったと思います。
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張藝謀(チャン・イーモウ)監督の映画「大紅燈籠高高掛(紅夢)」の舞台となった太原にある「喬家大院」にもいつか行ってみたいと思っているのですが、こんなところだったのだろうかと感じながら見学しました。
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ベトナムのホイアンで泊まったヴィンフン1というホテルの2階の廊下にちょっと似ています。最後に素晴らしい邸宅を見せてもらいました。
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霊芝雲の中を飛ぶ玉を持った龍なんて、これ以上の吉祥紋は無さそうです。早い時間にここへ辿り着いていたらもっとじっくり見学したかったところです。日帰りではもったいないほど充実した東山の観光でした。
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最後に叔母さんと記念写真を1枚撮りました。蘇州へ帰るバスの時間にもちょうどよ合わせてくれました。約束の100元に2人からの気持ちですと10元余分に渡そうとしましたが手を振って受け取ってくれませんでした。何とか手渡すと嬉しそうにしてくれました。楽しい思い出をありがとうございました。
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