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紀州路の旅の三日目は、和歌の浦を歩く。万葉集にも歌われた景勝の地であるが、和歌山市街地から近いので、万葉の頃とは大きく変わっていることだろう。それでも、美しい風景は残っていると言うので、訪れてみることにしたのだ。そして、最終日は、紀三井寺に参詣し、旅を締め括ることにした。<br /><br />(2025.04.26 投稿)

紀州路を行く【4】~和歌の浦と紀三井寺~

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2025/03/22 - 2025/03/23

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旅行記グループ 【紀伊国】

6

88

旅猫

旅猫さん

紀州路の旅の三日目は、和歌の浦を歩く。万葉集にも歌われた景勝の地であるが、和歌山市街地から近いので、万葉の頃とは大きく変わっていることだろう。それでも、美しい風景は残っていると言うので、訪れてみることにしたのだ。そして、最終日は、紀三井寺に参詣し、旅を締め括ることにした。

(2025.04.26 投稿)

旅行の満足度
4.0
観光
4.0
ホテル
3.5
グルメ
3.0
交通
3.5
同行者
一人旅
一人あたり費用
5万円 - 10万円
交通手段
高速・路線バス 新幹線 JR特急 JRローカル 徒歩
旅行の手配内容
個別手配
  • 三日目は、和歌浦界隈を巡る。駅前を8時6分に出る雑賀崎循環線のバスに乗り、まずは、養翠園前バス停で下車。養翠園が目的だが、開園時間まで30分ほどあるので、地図に表示のあった水軒堤防を観に行く。そこは、松林となっていた。

    三日目は、和歌浦界隈を巡る。駅前を8時6分に出る雑賀崎循環線のバスに乗り、まずは、養翠園前バス停で下車。養翠園が目的だが、開園時間まで30分ほどあるので、地図に表示のあった水軒堤防を観に行く。そこは、松林となっていた。

  • 水軒堤防は、江戸時代に築かれたもので、石堤と土堤があったそうだ。すぐ近くに、発掘後に移築された石堤が展示されていた。しかし、発掘時の写真と見比べると、綺麗過ぎ、歴史の重みが感じられない。

    水軒堤防は、江戸時代に築かれたもので、石堤と土堤があったそうだ。すぐ近くに、発掘後に移築された石堤が展示されていた。しかし、発掘時の写真と見比べると、綺麗過ぎ、歴史の重みが感じられない。

  • 9時になったので、養翠園に入る。この庭園は、紀州藩第十代藩主?川治寶によって造営された別邸の跡である。特徴なのは、庭の大部分を占める大池であり、その周囲を松林が巡っていた。

    9時になったので、養翠園に入る。この庭園は、紀州藩第十代藩主?川治寶によって造営された別邸の跡である。特徴なのは、庭の大部分を占める大池であり、その周囲を松林が巡っていた。

    養翠園 公園・植物園

  • 池には中島があり、そこに橋が架けられている。ひとつは三ツ橋で、もう一つは太鼓橋であった。

    池には中島があり、そこに橋が架けられている。ひとつは三ツ橋で、もう一つは太鼓橋であった。

  • 中島を通り太鼓橋を渡る。そして対岸からそれらを眺める。

    中島を通り太鼓橋を渡る。そして対岸からそれらを眺める。

  • 池の片隅に、台形の広場のようなものが突き出ている。そこは、鴨寄せ場である。少し前まで鴨がたくさんいたのだが、私が来るとすべて逃げてしまった。

    池の片隅に、台形の広場のようなものが突き出ている。そこは、鴨寄せ場である。少し前まで鴨がたくさんいたのだが、私が来るとすべて逃げてしまった。

  • 池の畔を歩いて行くと、松に囲まれた建物が見えて来た。『養翠亭』と言う藩主が使った茶室だそうだ。文政4年に建てられたもので、当時のまま残されているらしい。

    池の畔を歩いて行くと、松に囲まれた建物が見えて来た。『養翠亭』と言う藩主が使った茶室だそうだ。文政4年に建てられたもので、当時のまま残されているらしい。

  • 庭園を鑑賞した後、隣に立つ『湊御殿』を拝観する。天保5年(1834)に、十一代藩主徳川斉順により造営されたものだそうだ。かつては多くの建物があったそうだが、明治以降にその多くが解体されている。内部の撮影は出来なかったが、天井の鳥の子紙や、お抱え絵師により座敷の杉戸に描かれた彩色画など、見応えがあった。

    庭園を鑑賞した後、隣に立つ『湊御殿』を拝観する。天保5年(1834)に、十一代藩主徳川斉順により造営されたものだそうだ。かつては多くの建物があったそうだが、明治以降にその多くが解体されている。内部の撮影は出来なかったが、天井の鳥の子紙や、お抱え絵師により座敷の杉戸に描かれた彩色画など、見応えがあった。

    湊御殿(奥御殿) 名所・史跡

    紀州徳川家の別邸 by 旅猫さん
  • 10時32分発のバスに乗り、雑賀崎バス停へ向かう。そこから、雑賀崎の方へと坂道を登って行く。すると、途中に雑賀崎台場と言う史跡があったので立ち寄ってみる。そこは、紀伊水道に突き出したトンガ鼻と呼ばれる岬の突端にあり、算木積みの石垣や土塁などが残っていた。

    10時32分発のバスに乗り、雑賀崎バス停へ向かう。そこから、雑賀崎の方へと坂道を登って行く。すると、途中に雑賀崎台場と言う史跡があったので立ち寄ってみる。そこは、紀伊水道に突き出したトンガ鼻と呼ばれる岬の突端にあり、算木積みの石垣や土塁などが残っていた。

  • 車道に戻り、さらに歩くと、丁字路がある。そこを右折し坂を下って行くと、番所庭園と言う場所に出た。そこは、かつて紀州藩の遠見番所が設けられていた場所で、今は公園となっていた。入園料を支払い中へ入ると、左手に雑賀崎が望め、その上には雑賀崎灯台も見えている。

    車道に戻り、さらに歩くと、丁字路がある。そこを右折し坂を下って行くと、番所庭園と言う場所に出た。そこは、かつて紀州藩の遠見番所が設けられていた場所で、今は公園となっていた。入園料を支払い中へ入ると、左手に雑賀崎が望め、その上には雑賀崎灯台も見えている。

    番所庭園 公園・植物園

  • 番所庭園も紀伊水道に突き出しているため、三方が海である。そのため、非常に眺めがよく気持ちが良い。

    番所庭園も紀伊水道に突き出しているため、三方が海である。そのため、非常に眺めがよく気持ちが良い。

  • 周囲は断崖となっているため、怖いほど荒々しい。

    周囲は断崖となっているため、怖いほど荒々しい。

  • 突端まで行くと、すぐ沖合に島が浮かぶ。大島と双子島である。

    突端まで行くと、すぐ沖合に島が浮かぶ。大島と双子島である。

  • 北側に広がる海は、万葉の頃、『雑賀の浦』と呼ばれた景勝の地である。園内には、歌碑がいくつも立っていた。『紀の国の 狭日鹿の浦に出で見れば 海人の燈火 波の間ゆ見ゆ』は、神亀元年(724)、聖武天皇が和歌の浦に行幸した折、藤原房前が雑賀の浦の漁火を観て詠んだ歌とされている。

    北側に広がる海は、万葉の頃、『雑賀の浦』と呼ばれた景勝の地である。園内には、歌碑がいくつも立っていた。『紀の国の 狭日鹿の浦に出で見れば 海人の燈火 波の間ゆ見ゆ』は、神亀元年(724)、聖武天皇が和歌の浦に行幸した折、藤原房前が雑賀の浦の漁火を観て詠んだ歌とされている。

  • 番所台場から雑賀崎灯台へ向かう。その姿は、灯台と言うより、展望台であった。

    番所台場から雑賀崎灯台へ向かう。その姿は、灯台と言うより、展望台であった。

    雑賀崎灯台 名所・史跡

  • 登って景色を眺める。それほど高さは無いが、すぐ沖合に島が並び、開けてもいるので景色はなかなかである。

    登って景色を眺める。それほど高さは無いが、すぐ沖合に島が並び、開けてもいるので景色はなかなかである。

  • 目を転じれば、先ほどまでいた番所庭園も見えている。

    目を転じれば、先ほどまでいた番所庭園も見えている。

  • 灯台の近くに『たかのすセンターOcean』と言う店があった。品書きに、『備長炭入り黒飴ソフト』と言うものがあったので買ってみる。食べてみると、確かに黒飴のような味がした。

    灯台の近くに『たかのすセンターOcean』と言う店があった。品書きに、『備長炭入り黒飴ソフト』と言うものがあったので買ってみる。食べてみると、確かに黒飴のような味がした。

    Ocean グルメ・レストラン

    雑賀崎での休憩におすすめ by 旅猫さん
  • 雑賀崎の集落は、麓の港から岬の斜面に掛け、びっしりと家が立ち並んでいる。集落内には、細い道が迷路のように張り巡らされ、適当に入ってみたが、二度ほど迷子になってしまった。

    雑賀崎の集落は、麓の港から岬の斜面に掛け、びっしりと家が立ち並んでいる。集落内には、細い道が迷路のように張り巡らされ、適当に入ってみたが、二度ほど迷子になってしまった。

  • 湊の方へ下って行くと、鳥居と石垣が現れた。衣美須神社と言う雑賀崎の鎮守であった。そこで、この社で和歌の浦を訪れる挨拶をした。

    湊の方へ下って行くと、鳥居と石垣が現れた。衣美須神社と言う雑賀崎の鎮守であった。そこで、この社で和歌の浦を訪れる挨拶をした。

    衣美須神社 (雑賀崎) 寺・神社・教会

  • 港に出る手前で、塀に魚が描かれていた。魚自体は、陶板のようなもので作られている。港町らしい光景であった。

    港に出る手前で、塀に魚が描かれていた。魚自体は、陶板のようなもので作られている。港町らしい光景であった。

  • 雑賀崎漁港の脇を通り、雑賀崎のバス停へと向かう。

    雑賀崎漁港の脇を通り、雑賀崎のバス停へと向かう。

  • 途中からは、風情のある階段を登って行く。登り切った場所が、雑賀崎のバス停であった。時刻表を確認すると、次のバスまで40分余りある。昼時だが、周囲に店は無い。そこで、ひとつ隣のバス停まで歩いてみることにした。

    途中からは、風情のある階段を登って行く。登り切った場所が、雑賀崎のバス停であった。時刻表を確認すると、次のバスまで40分余りある。昼時だが、周囲に店は無い。そこで、ひとつ隣のバス停まで歩いてみることにした。

  • 坂道をしばらく上ると、右手に店のようなものが見えて来た。見れば、喫茶のようである。食事も出来そうなので、そこに入ることにした。

    坂道をしばらく上ると、右手に店のようなものが見えて来た。見れば、喫茶のようである。食事も出来そうなので、そこに入ることにした。

    スハネフ14-1 グルメ・レストラン

  • 『スハネフ14-1』と言う名のその店にはデッキがあり、そこからは先ほど通った漁港と、その先に広がる海が望めた。

    『スハネフ14-1』と言う名のその店にはデッキがあり、そこからは先ほど通った漁港と、その先に広がる海が望めた。

  • 中は米国風の佇まいであったが、よく見れば、鉄道関連のものが置かれている。模型の列車も走り、少々風変わりな店であった。

    中は米国風の佇まいであったが、よく見れば、鉄道関連のものが置かれている。模型の列車も走り、少々風変わりな店であった。

  • ピザトーストとコーラを注文。店内には、若い男女が二組。外にも、中年の夫婦がいた。一人旅は私だけである。ピザトーストは熱々で、五百円である。模型が走る音を聴きながらの軽い食事であった。

    ピザトーストとコーラを注文。店内には、若い男女が二組。外にも、中年の夫婦がいた。一人旅は私だけである。ピザトーストは熱々で、五百円である。模型が走る音を聴きながらの軽い食事であった。

  • その店から、さらに登った場所にあった小浜口バス停でバスを待つ。しばらくすると、坂の向こうから、12時38分発のバスがやって来た。

    その店から、さらに登った場所にあった小浜口バス停でバスを待つ。しばらくすると、坂の向こうから、12時38分発のバスがやって来た。

  • 4分ほどで、新和歌遊園バス停に着いた。そこから海の方へと降りて行くと、静かな浜に出た。新和歌の浦海岸と言うようだ。浜辺には、貝殻を拾う人の姿も見える。蓬莱岩と呼ばれるものもあり、そこそこ景色は良い。

    4分ほどで、新和歌遊園バス停に着いた。そこから海の方へと降りて行くと、静かな浜に出た。新和歌の浦海岸と言うようだ。浜辺には、貝殻を拾う人の姿も見える。蓬莱岩と呼ばれるものもあり、そこそこ景色は良い。

    新和歌の浦海岸 自然・景勝地

  • 蓬莱岩の先まで行ってみる。海が近く、波が打ち寄せて来る。急に高波が来れば、攫われそうで怖い。

    蓬莱岩の先まで行ってみる。海が近く、波が打ち寄せて来る。急に高波が来れば、攫われそうで怖い。

  • その先の浜にも、波と戯れる親子の姿があった。人影も疎らで、長閑な時間が流れている。ところが、その先にあった漁港では、屋台などが出て大勢の観光客で溢れ返っていた。

    その先の浜にも、波と戯れる親子の姿があった。人影も疎らで、長閑な時間が流れている。ところが、その先にあった漁港では、屋台などが出て大勢の観光客で溢れ返っていた。

  • 漁港から和歌浦天満宮へと向かう。しばらく歩くと、御手洗池と呼ばれる大きな池に出た。今は池と呼ばれているが、かつては入り江であったそうだ。時代と共に周囲が埋め立てられ、今のような姿となったようだ。

    漁港から和歌浦天満宮へと向かう。しばらく歩くと、御手洗池と呼ばれる大きな池に出た。今は池と呼ばれているが、かつては入り江であったそうだ。時代と共に周囲が埋め立てられ、今のような姿となったようだ。

  • 御手洗池に沿って歩くと、和歌浦天満宮に着いた。鳥居を潜り参道を進むと、目の前に、急な石段と楼門が見えて来た。

    御手洗池に沿って歩くと、和歌浦天満宮に着いた。鳥居を潜り参道を進むと、目の前に、急な石段と楼門が見えて来た。

    和歌浦天満宮 寺・神社・教会

  • その石段は、紀州青石(緑泥片岩)を使ったもので、50段とその数は少ないが、自然石で高さや幅などがまちまちで、傾斜もきついため、登るのにかなり疲れた。

    その石段は、紀州青石(緑泥片岩)を使ったもので、50段とその数は少ないが、自然石で高さや幅などがまちまちで、傾斜もきついため、登るのにかなり疲れた。

  • しかし、登り切って振り返れば、素晴らしい景色が広がっていた。御手洗池の向こうに広がるのは、万葉の頃から歌に詠われた景勝の地和歌の浦である。海から吹いて来る風が気持ちよかった。

    しかし、登り切って振り返れば、素晴らしい景色が広がっていた。御手洗池の向こうに広がるのは、万葉の頃から歌に詠われた景勝の地和歌の浦である。海から吹いて来る風が気持ちよかった。

  • 楼門を潜ると、さすがに人が多い。ここは、大宰府天満宮、北野天満宮と共に、日本三菅廟と云われている。その本殿は、慶長11年(1606)に浅野幸長により再建されたものである。

    楼門を潜ると、さすがに人が多い。ここは、大宰府天満宮、北野天満宮と共に、日本三菅廟と云われている。その本殿は、慶長11年(1606)に浅野幸長により再建されたものである。

  • 境内には多くの摂社があるが、その中に『白藤巳大明神』と言う社があった。白蛇の神様で、色々とご利益があるらしい。手水舎の脇にも、新しい祠が造られていた。白蛇のお告げだそうだが、今年が巳年なので、どうも商売の臭いがする。

    境内には多くの摂社があるが、その中に『白藤巳大明神』と言う社があった。白蛇の神様で、色々とご利益があるらしい。手水舎の脇にも、新しい祠が造られていた。白蛇のお告げだそうだが、今年が巳年なので、どうも商売の臭いがする。

  • 御朱印を頂くと、絵馬が付いて来た。神社で「サービスです」と言われると、強烈な違和感があるが、せっかくなのでお願い事を書いて来た。

    御朱印を頂くと、絵馬が付いて来た。神社で「サービスです」と言われると、強烈な違和感があるが、せっかくなのでお願い事を書いて来た。

  • 境内の左手に、何やら山道が続いている。少し登ると、役行者の祠があると言うので行ってみる。道の脇に、自転車乗り入れ禁止の注意書きがあった。最近、山道を自転車で走ることが流行っているようだが、西欧で流行っているからと、この国でやって良いとは限らない。日本の山は、基本的に神々が宿る場所であり神域である。

    境内の左手に、何やら山道が続いている。少し登ると、役行者の祠があると言うので行ってみる。道の脇に、自転車乗り入れ禁止の注意書きがあった。最近、山道を自転車で走ることが流行っているようだが、西欧で流行っているからと、この国でやって良いとは限らない。日本の山は、基本的に神々が宿る場所であり神域である。

  • しばらくすると、小さな祠があった。それが、役行者の祠であった。些か残念な佇まいであったし、所縁も分からなかった。

    しばらくすると、小さな祠があった。それが、役行者の祠であった。些か残念な佇まいであったし、所縁も分からなかった。

  • 天満宮を後にし、隣にある東照宮へと向かう。その途中に、紀伊徳川侯爵家の別邸であった双青寮の跡があった。今は、僅かに塀の一部を残すのみであった。

    天満宮を後にし、隣にある東照宮へと向かう。その途中に、紀伊徳川侯爵家の別邸であった双青寮の跡があった。今は、僅かに塀の一部を残すのみであった。

  • そして、東照宮の鳥居を潜る。多くの参拝客で賑わっていたが、ふと人波が途切れると、一瞬の静寂が訪れた。

    そして、東照宮の鳥居を潜る。多くの参拝客で賑わっていたが、ふと人波が途切れると、一瞬の静寂が訪れた。

    紀州東照宮 寺・神社・教会

  • 参道を進むと、また石段が現れた。この日もかなり歩いているので、ここでまた石段はつらい。石段の上には、重要文化財の楼門が見えている。

    参道を進むと、また石段が現れた。この日もかなり歩いているので、ここでまた石段はつらい。石段の上には、重要文化財の楼門が見えている。

  • 楼門から境内に入る。ここも結構混み合っている。神社であるが、拝観料が必要であり、社殿も撮影禁止であった。そこで、奉納されていた地酒の樽を撮影。どちらも呑んだことの無い銘柄である。

    楼門から境内に入る。ここも結構混み合っている。神社であるが、拝観料が必要であり、社殿も撮影禁止であった。そこで、奉納されていた地酒の樽を撮影。どちらも呑んだことの無い銘柄である。

  • 帰りは、膝を労わり、傾斜の緩やかな道を降りる。

    帰りは、膝を労わり、傾斜の緩やかな道を降りる。

  • 玉津島神社へ向かう前に、明光通りを歩いてみる。古い町並みが少し残っていると聞いていたからである。緩やかな坂を登って行くと、確かに風情のある町屋がいくつか残っている。

    玉津島神社へ向かう前に、明光通りを歩いてみる。古い町並みが少し残っていると聞いていたからである。緩やかな坂を登って行くと、確かに風情のある町屋がいくつか残っている。

  • 古風な本屋もあった。現役であるのが奇跡的である。

    古風な本屋もあった。現役であるのが奇跡的である。

  • 思ったよりも良い町並みであるが、観光とは無縁なので、歩いているのは地元の方ばかりである。個人経営の商店も残り、気に入った。

    思ったよりも良い町並みであるが、観光とは無縁なので、歩いているのは地元の方ばかりである。個人経営の商店も残り、気に入った。

  • 表通りに戻り歩き始めると、すぐにご当地マンホールがあった。図柄は、紀州名産の『紀州てまり』である。

    表通りに戻り歩き始めると、すぐにご当地マンホールがあった。図柄は、紀州名産の『紀州てまり』である。

  • 道沿いには、御手洗池から続く市町川が寄り添う。川には古風な橋が架かり、川に沿って松が植えられ、なかなかの風情である。

    道沿いには、御手洗池から続く市町川が寄り添う。川には古風な橋が架かり、川に沿って松が植えられ、なかなかの風情である。

  • 橋の親柱には、灯りが点るのか、洒落た意匠の硝子が埋め込まれている。昭和39年と刻まれていた。

    橋の親柱には、灯りが点るのか、洒落た意匠の硝子が埋め込まれている。昭和39年と刻まれていた。

  • さらに歩くと、道の向こう側に『純喫茶リエール』と言う看板が見えた。しかし、外観はどう見ても屋敷である。面白そうなので立ち寄ってみると、中は洒落た喫茶であった。

    さらに歩くと、道の向こう側に『純喫茶リエール』と言う看板が見えた。しかし、外観はどう見ても屋敷である。面白そうなので立ち寄ってみると、中は洒落た喫茶であった。

    純喫茶リエール グルメ・レストラン

  • ただ、品書きを見ると、生クリームがたっぷりと載ったワッフルばかりである。仕方が無いので、みかんジュースをいただくことにする。紀州と言えば、やはりみかんである。

    ただ、品書きを見ると、生クリームがたっぷりと載ったワッフルばかりである。仕方が無いので、みかんジュースをいただくことにする。紀州と言えば、やはりみかんである。

  • ひと休みした後、また歩き始めると、『和歌の浦あしべ庵』と言う建物があった。旧福島嘉六郎邸の建物で、この辺りは、かつて別荘地だったそうだ。自然の荒々しい地形をそのまま生かした庭園が見事である。

    ひと休みした後、また歩き始めると、『和歌の浦あしべ庵』と言う建物があった。旧福島嘉六郎邸の建物で、この辺りは、かつて別荘地だったそうだ。自然の荒々しい地形をそのまま生かした庭園が見事である。

  • その裏手に聳える奠供山に登る。聖武天皇の和歌の浦行幸の際、この山に登り、その景観を愛でたと云われている。山頂からは、和歌の浦と不老橋の他、望海楼跡や雑賀崎も望めた。

    その裏手に聳える奠供山に登る。聖武天皇の和歌の浦行幸の際、この山に登り、その景観を愛でたと云われている。山頂からは、和歌の浦と不老橋の他、望海楼跡や雑賀崎も望めた。

    奠供山 自然・景勝地

  • 奠供山から下りると、そこが玉津島神社の境内であった。由緒書きを読むと、かなり古い社とあるが、実際には分からない。

    奠供山から下りると、そこが玉津島神社の境内であった。由緒書きを読むと、かなり古い社とあるが、実際には分からない。

    玉津島神社 寺・神社・教会

  • その神社の向かいに、鏡山と言う小高い山がある。登ってみれば、奠供山よりも和歌の浦が綺麗に見える。

    その神社の向かいに、鏡山と言う小高い山がある。登ってみれば、奠供山よりも和歌の浦が綺麗に見える。

  • 木々の間からは、妹背山も望めた。かつて、和歌の浦には六つの島があったそうだが、現在でも島となっているのは、この妹背山だけである。立っている鏡山や、先ほど登った奠供山も、かつては海の中であったそうだ。

    木々の間からは、妹背山も望めた。かつて、和歌の浦には六つの島があったそうだが、現在でも島となっているのは、この妹背山だけである。立っている鏡山や、先ほど登った奠供山も、かつては海の中であったそうだ。

  • 鏡山を下り、和歌の浦の方へ向かう。上から見えた不老橋を見学。第十代藩主徳川治寶により、嘉永4年(1851)に架けられたものである。水面に橋が映り込み、まさに太鼓橋の趣を感じる。

    鏡山を下り、和歌の浦の方へ向かう。上から見えた不老橋を見学。第十代藩主徳川治寶により、嘉永4年(1851)に架けられたものである。水面に橋が映り込み、まさに太鼓橋の趣を感じる。

    不老橋 名所・史跡

  • 橋の北詰、鏡山の麓には鹽竈神社が鎮座していた。浸食により造られた洞窟に祀られ、かつては目の前まで波が打ち寄せていたそうだ。

    橋の北詰、鏡山の麓には鹽竈神社が鎮座していた。浸食により造られた洞窟に祀られ、かつては目の前まで波が打ち寄せていたそうだ。

    鹽竃神社 寺・神社・教会

  • 鏡山や不老橋の東側に広がるのが、現在の和歌の浦である。妹背山に架かる三断橋の上からも眺められ、干潟となっているのが良く分かる。和歌に詠まれた景勝の地だが、今は周囲を埋め立てられ、万葉の頃とは、まったく違う景観なのだろう。それでも、どこか雅な風情が漂っているようだ。

    鏡山や不老橋の東側に広がるのが、現在の和歌の浦である。妹背山に架かる三断橋の上からも眺められ、干潟となっているのが良く分かる。和歌に詠まれた景勝の地だが、今は周囲を埋め立てられ、万葉の頃とは、まったく違う景観なのだろう。それでも、どこか雅な風情が漂っているようだ。

    和歌の浦干潟 自然・景勝地

  • 三断橋を渡り、妹背山に渡る。その中腹に、多宝塔がある。紀州藩初代藩主徳川頼宜が建てたものだそうだ。その北側に、頼宜が設けた観海閣と言う建物があったそうだが、現在、木造による復元工事中であった。

    三断橋を渡り、妹背山に渡る。その中腹に、多宝塔がある。紀州藩初代藩主徳川頼宜が建てたものだそうだ。その北側に、頼宜が設けた観海閣と言う建物があったそうだが、現在、木造による復元工事中であった。

    海禅院 寺・神社・教会

  • 戻る時、三断橋をよく見る。多宝塔を建てた際、民衆が和歌の浦の景観を愛でやすいように設けられたのが、この橋と観海閣なのだそうだ。当時の観海閣は失われたが、橋の方は今でも健在である。

    戻る時、三断橋をよく見る。多宝塔を建てた際、民衆が和歌の浦の景観を愛でやすいように設けられたのが、この橋と観海閣なのだそうだ。当時の観海閣は失われたが、橋の方は今でも健在である。

  • 陽が傾いて来たので、そろそろ引き上げることにする。近くの玉津島神社前バス停でバスを待つ。神社の駐車場では、山桜が咲き始めていた。

    陽が傾いて来たので、そろそろ引き上げることにする。近くの玉津島神社前バス停でバスを待つ。神社の駐車場では、山桜が咲き始めていた。

  • しばらく待つと、16時45分発のバスがやって来た。和歌山駅までは、30分足らずである。そして、今宵の宿も前日と同じホテルである。

    しばらく待つと、16時45分発のバスがやって来た。和歌山駅までは、30分足らずである。そして、今宵の宿も前日と同じホテルである。

  • すでに17時半を回っているので、すぐに外に出て、昨日開店前であった立ち飲み屋に行ってみる。すると、もう先客が数人いた。中に入ると、いかにも昔からある立ち飲みであった。とりあえず、和歌山市の祝砲酒造が醸す『紀州魁 純米酒』をいただく。

    すでに17時半を回っているので、すぐに外に出て、昨日開店前であった立ち飲み屋に行ってみる。すると、もう先客が数人いた。中に入ると、いかにも昔からある立ち飲みであった。とりあえず、和歌山市の祝砲酒造が醸す『紀州魁 純米酒』をいただく。

  • 壁に貼られた品書きも、いかにもと言った感じである。

    壁に貼られた品書きも、いかにもと言った感じである。

  • 立ち飲みの定番と言えるハムカツを注文。揚げ立てだが、300円の値段相応のものであった。

    立ち飲みの定番と言えるハムカツを注文。揚げ立てだが、300円の値段相応のものであった。

  • 二杯目は、かの『黒牛』を醸す名手酒造店の『菊御代』とした。純米であるが、基準外なので名乗っていない酒である。旨味がしっかりとあった。

    二杯目は、かの『黒牛』を醸す名手酒造店の『菊御代』とした。純米であるが、基準外なので名乗っていない酒である。旨味がしっかりとあった。

  • 鶏ささみ天と言うものがあったので頼んでみたが、出てきたそれは唐揚げのようであった。これは失敗であった。

    鶏ささみ天と言うものがあったので頼んでみたが、出てきたそれは唐揚げのようであった。これは失敗であった。

  • そこで、塩鯖焼きを追加。併せて、海南市の中野BCが醸す『長久』を注文。この店は、地酒も料理もそこそこあるのだが、少々中途半端な感じで、いまひとつであった。やはり、女性客にも好かれる盛岡の『えびすけ』の方が良い。

    そこで、塩鯖焼きを追加。併せて、海南市の中野BCが醸す『長久』を注文。この店は、地酒も料理もそこそこあるのだが、少々中途半端な感じで、いまひとつであった。やはり、女性客にも好かれる盛岡の『えびすけ』の方が良い。

  • 翌朝、和歌山駅から8時7分発の列車に乗り、紀三井寺駅へと向かう。それにしても、可笑しな世の中になったものだ。列車に乗っても、かつての風情は無い。どこを見ても、スマホをいじっている人ばかり。文庫本を開いている私なぞ、今や古代人の様相である。

    翌朝、和歌山駅から8時7分発の列車に乗り、紀三井寺駅へと向かう。それにしても、可笑しな世の中になったものだ。列車に乗っても、かつての風情は無い。どこを見ても、スマホをいじっている人ばかり。文庫本を開いている私なぞ、今や古代人の様相である。

  • 僅か二駅で紀三井寺駅に着いた。紀三井寺までは、思いのほか距離があった。紀三井寺は、平安時代から鎌倉時代に掛けて隆盛を極めた寺院であるが、豊臣秀吉による紀州征伐の際に寺領を没収されている。

    僅か二駅で紀三井寺駅に着いた。紀三井寺までは、思いのほか距離があった。紀三井寺は、平安時代から鎌倉時代に掛けて隆盛を極めた寺院であるが、豊臣秀吉による紀州征伐の際に寺領を没収されている。

  • 下調べもせずに訪れたが、結構近代的である。エレベーターやケーブルカーまであり、簡単に本堂まで行けるようになっていた。誰でも参拝出来るように配慮されているのだろう。こちらは、もちろん石段を登って本堂へと向かう。

    下調べもせずに訪れたが、結構近代的である。エレベーターやケーブルカーまであり、簡単に本堂まで行けるようになっていた。誰でも参拝出来るように配慮されているのだろう。こちらは、もちろん石段を登って本堂へと向かう。

  • 石段を登っていると、右手に芭蕉の句碑があった。芭蕉も真澄も桂月も、鉄幹と晶子、そして子規も。今のように便利な交通機関も自動車も無い時代に、信じられないほど多くの場所を訪れている。昨今、鉄道や路線バスの廃線が相次ぎ、旅が難しくなっているが、それでも先人たちに比べれば幸せである。<br /> 見上ぐれば 桜しもうて 紀三井寺 芭蕉

    石段を登っていると、右手に芭蕉の句碑があった。芭蕉も真澄も桂月も、鉄幹と晶子、そして子規も。今のように便利な交通機関も自動車も無い時代に、信じられないほど多くの場所を訪れている。昨今、鉄道や路線バスの廃線が相次ぎ、旅が難しくなっているが、それでも先人たちに比べれば幸せである。
     見上ぐれば 桜しもうて 紀三井寺 芭蕉

  • 紀三井寺とは、ある意味通称である。三つの井戸があることからそう呼ばれているのである。境内には、その井戸が残されているが、これもまた中途半端な感じである。

    紀三井寺とは、ある意味通称である。三つの井戸があることからそう呼ばれているのである。境内には、その井戸が残されているが、これもまた中途半端な感じである。

  • 石段の途中にも支院があり、上から見ると、甍が美しい。

    石段の途中にも支院があり、上から見ると、甍が美しい。

  • 石垣も立派である。まるで城のようだ。

    石垣も立派である。まるで城のようだ。

  • 石段を登り切ると、正面に六角堂が立っていた。その左手に鐘楼があり、その奥に本堂があるようだ。

    石段を登り切ると、正面に六角堂が立っていた。その左手に鐘楼があり、その奥に本堂があるようだ。

  • 境内には、樹齢四百年と言う樟の大木があった。大きな木と言うのは、何とも言えない雰囲気がある。無秩序に枝を伸ばしているが、どこか均衡が取れている。精霊や神が宿るとも言われるが、それは神秘性を感じるからだろう。そして、大きな木には、つい触れたくなるような温かみがある。

    境内には、樹齢四百年と言う樟の大木があった。大きな木と言うのは、何とも言えない雰囲気がある。無秩序に枝を伸ばしているが、どこか均衡が取れている。精霊や神が宿るとも言われるが、それは神秘性を感じるからだろう。そして、大きな木には、つい触れたくなるような温かみがある。

  • その樟の大木の裏手からは、和歌の浦の方が望めた。右手に見えているのは、昨日訪れた雑賀崎のようだ。

    その樟の大木の裏手からは、和歌の浦の方が望めた。右手に見えているのは、昨日訪れた雑賀崎のようだ。

  • 本堂が見えて来た。思いのほかこじんまりとした佇まいであった。

    本堂が見えて来た。思いのほかこじんまりとした佇まいであった。

  • 本堂で、旅の無事を祈る。この四日間、穏やかな日々で良かった。

    本堂で、旅の無事を祈る。この四日間、穏やかな日々で良かった。

  • 本堂の手前から石段が続いている。そこを登ると、朱色の多宝塔が立っていた。室町時代に建てられたもので、なかなか優雅な姿をしていた。

    本堂の手前から石段が続いている。そこを登ると、朱色の多宝塔が立っていた。室町時代に建てられたもので、なかなか優雅な姿をしていた。

  • 多宝塔の建つ場所から見ると、本堂の甍が良く見えた。茅葺や杮葺きはもちろんだが、本瓦葺きと言うものも、やはり美しい。寺院の瓦屋根を、この目線で観ることが出来るのは貴重である。

    多宝塔の建つ場所から見ると、本堂の甍が良く見えた。茅葺や杮葺きはもちろんだが、本瓦葺きと言うものも、やはり美しい。寺院の瓦屋根を、この目線で観ることが出来るのは貴重である。

  • 多宝塔の奥に、春子稲荷と言う小さな祠があった。由緒書きを読むと、天正13年の織田信長による紀州征伐の際、春子と言う美女が白狐となり、先鋒の武将羽柴秀長を感服させ、紀三井寺を焼き討ちから救ったと云う。真相は、思慮深い秀長が、白狐の話を作り上げ、焼き討ちを回避させたのであろう。

    多宝塔の奥に、春子稲荷と言う小さな祠があった。由緒書きを読むと、天正13年の織田信長による紀州征伐の際、春子と言う美女が白狐となり、先鋒の武将羽柴秀長を感服させ、紀三井寺を焼き討ちから救ったと云う。真相は、思慮深い秀長が、白狐の話を作り上げ、焼き討ちを回避させたのであろう。

  • 紀三井寺の参拝が早く済んでしまったので、9時31分発の列車で和歌山駅へと戻る。予約していた列車の時間まで一時間ほどあるので、駅ビルの地下にあった和歌山ラーメンの丸美商店に入った。前にも一度食べた記憶があるのだが、よく覚えていない。久しぶりに食べたが、美味しかった。

    紀三井寺の参拝が早く済んでしまったので、9時31分発の列車で和歌山駅へと戻る。予約していた列車の時間まで一時間ほどあるので、駅ビルの地下にあった和歌山ラーメンの丸美商店に入った。前にも一度食べた記憶があるのだが、よく覚えていない。久しぶりに食べたが、美味しかった。

    丸美商店 グルメ・レストラン

  • 10時50分発の特急『くろしお14号』に乗り、紀州を離れる。そして、新大阪駅で12時15分発の『のぞみ232号』に乗り換え、帰京する。四日間に亘った紀州路の旅。初めて訪れた場所ばかりであったが、どこもそれなりに楽しめた。紀州路も、まだまだ未踏の地が多い。また、足を向けることもあるだろう。

    10時50分発の特急『くろしお14号』に乗り、紀州を離れる。そして、新大阪駅で12時15分発の『のぞみ232号』に乗り換え、帰京する。四日間に亘った紀州路の旅。初めて訪れた場所ばかりであったが、どこもそれなりに楽しめた。紀州路も、まだまだ未踏の地が多い。また、足を向けることもあるだろう。

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この旅行記へのコメント (6)

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  • hot chocolateさん 2025/05/27 17:07:06
    和歌の浦
    旅猫さま

    こんにちは。
    和歌の浦の旅行記にお邪魔しています。

    雑賀といえば、あの鉄砲衆の雑賀孫一の地ですよね。
    行ったことはないものの、歴史によく出てくる名前なので、
    親近感を覚えます。

    和歌浦天満宮の紀州青石を使った石段は、見た目も急だし、
    自然石で高さや幅などがまちまちで手ごわそうですね。
    登り切って振り帰ると、素晴らしい景色が広がっているのですね。
    苦労して登った甲斐があるというものです。
    万葉の頃から歌に詠われた景勝の地、和歌の浦なんですね。

    「白藤巳大明神」でいただいた絵馬、「サービス」なんですね。
    強烈な違和感ですよ。
    もう少し、神社にふさわしい言い方がありそうなものです。
    神社はサービス業なんですか?って突っ込みたくなります。(笑)
    >どうも商売の臭いがする。
    やっぱり商売なんだ。(爆)

    >聖武天皇の和歌の浦行幸の・・・
    聖武天皇の御代から、和歌の浦は風光明媚な地なのですね。
    一度は行ってみなくては・・・

    hot choco

    旅猫

    旅猫さん からの返信 2025/05/27 18:21:42
    RE: 和歌の浦
    hot chocoさん、こんにちは。

    書き込みありがとうございます。
    紀州雑賀と言えば、雑賀衆ですね。
    鉄砲を駆使して信長や秀吉を悩ました地侍。
    歴史の妙味ですね。

    和歌浦天満宮の石段は、とても美しいのですが、もの凄く急で登りづらかったです。
    それでも、登り切った場所からの景色は素晴らしかったです。
    今のように埋立地が多くなる前は、海が広がりさぞかし美しかったことでしょう。
    今は、一部にしか残っていませんが、万葉の頃からの景勝の地です。

    それにしても、天満宮で絵馬を渡された時、「これ、サービスです」と言われてびっくりしました。
    授与されるはずものを、『サービスです』はちょっと違うような。
    なんだか、ありがたみが薄れるような。。。
    ちょっと残念でした。

    昭和初期くらいまでは、たぶん、万葉の頃と大きくは変わっていなかったと思います。
    急速に埋め立てや観光地化などが進み、今ではかつての景勝地『和歌の浦』です。
    それでも、微かに残り香がありますので、ぜひ訪れてみてください。

    旅猫
  • pedaruさん 2025/04/29 06:59:40
    石段
     猫旅さん 再びおはようございます。

     和歌の浦天満宮の石段には驚きました。紀州青石の階段は見た目も異様ですが、その実用性も特異です。天然石を加工せず、割った面を生かしての工法、今でこそセメントで固定しているようですが、昔は土で固めただけの階段だったと推察します。

     急な傾斜、でこぼこの面、厚みの違う段、参拝者の最初の試練です。
     安土城の石段も同じようで、途中からはセメントも使わず、仏像を彫った石も使われていて、登るのに苦労しました。
     階段一つとってみても、この石段を昔の人も一歩一歩踏んだのだな、などと思って上ると、感慨が湧いて来ますね。
     天満宮の石段を上ったあとには、絶景のご褒美が待っていて良かったですね。
     今日は石段だけでコメントを終わります。またよろしくお願いいたします。

     pedaru

    旅猫

    旅猫さん からの返信 2025/04/29 18:12:43
    RE: 石段
    pedaruさん、こんにちは。

    書き込みありがとうございます。
    あの天満宮の石段は、なかなか難敵でした。
    熊野の神倉神社に比べればましですが。
    身延山の菩提梯も結構きつかった。
    そういえば、今日、逗子で長くて急な石段を登りました。

    紀州青石はとても美しい岩で、あの石段は芸術品です。
    でも、登るには適していませんね(笑)
    上からの眺めは、その苦労を癒してくれました。

    旅猫
  • ポテのお散歩さん 2025/04/27 23:11:04
    快晴の和歌山
    旅猫さん こんばんは。

    今回は特に起伏の激しい所を歩かれたのですね。
    雑賀崎は歩いてみたいのですが、一度 港の方に降りても
    バスに乗るにはバス停まで上がらなければならないので
    私にとっては凄くハードです。

    雑賀崎灯台の近くに、灰干しサンマ と しらすのお店があるので
    車で行って商品だけ買って 雑賀崎は下から眺めるだけにしようか。。。
    などとズボラな事ばかり考えています(^-^;
    和歌浦天満宮もハードですね。
    あの階段を上り切った人にだけ観る事が出来る景色は素晴しいです。

    幾つかの庭園に行かれましたが、どこも海沿いで豪快な庭園ばかり。
    立派な建物も多く、徳川御三家の1つである紀州藩の城下町だと感じました。

    快晴の中、海の色が綺麗ですね!
    今回 歩かれた所ではありませんが、白浜アドベンチャーワールドのパンダが
    6月末頃に全頭 中国に返還されます。
    町長さんが パンダに頼らない町づくりをする時が来たと、言っておられました。
    元々私はパンダを観に行った事は無いのですが、白浜だけでなく
    和歌山全体には美しい所が多いので、パンダに頼らない元気な和歌山で
    いて欲しいです(*^-^*)

    PS. 猫ちゃんのお写真を変更されましたか?

      ポテ

    旅猫

    旅猫さん からの返信 2025/04/28 08:56:49
    RE: 快晴の和歌山
    ポテさん、こんにちは。

    いつもありがとうございます。
    雑賀崎は、海に突き出た島のような場所で、和歌山市街地からは少々離れていました。
    しかも、岬へは登り坂で、バスも途中までしか行かないので、車の方が便利だと思います。
    灰干しさんまとしらすの店、灯台近くで見かけました。
    二軒ありましたが、道が細く一台通るのがやっとです。
    その道の先に、灯台がありました。
    灯台の展望台からの眺めもお勧めですよ!

    和歌浦天満宮の石段もかなりの角度で、結構怖かったです。
    でも、う回路があるので、そちらから登れば比較的楽ですよ。

    養翠園の隣にある湊御殿は、なかなか見応えがありました。
    さすが、紀州徳川家の別邸と言った感じ。

    和歌の浦は、万葉の頃からの景勝地ですが、今は埋め立てが進み、僅かに残された干潟の部分だけが往時の景観を伝えています。
    それでも、なかなかの景色でした。

    白浜は、パンダが有名ですね。
    私も白浜では海の景色と温泉が目当てで、アドベンチャーワールドを訪れたことはありません。
    町長さんが、パンダに頼らない街づくりを目指すのは良いことだと思います。
    やはり、長い年月を掛け、その土地で醸成された文化や自然を見せるのが良いと思います。
    新しく人寄せの施設を作っても、やはりいつかは廃れて行くので。

    旅猫
    P.S.最近、後姿の猫さんの写真が撮れないので、先日、津山で出会った寝そべる後姿に変えてみました(笑)

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