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紀州路の旅の二日目。かつて、日本一短い私鉄と呼ばれていた紀州鉄道に乗り、西御坊を目指す。この日は、まず西御坊駅周辺に残る本願寺日高御坊の寺内町の面影を残す街を散策する。<br /><br />(2025.04.15投稿)

紀州路を行く【2】~寺内町の面影残る街・御坊~

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2025/03/21 - 2025/03/21

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旅猫

旅猫さん

紀州路の旅の二日目。かつて、日本一短い私鉄と呼ばれていた紀州鉄道に乗り、西御坊を目指す。この日は、まず西御坊駅周辺に残る本願寺日高御坊の寺内町の面影を残す街を散策する。

(2025.04.15投稿)

旅行の満足度
4.0
観光
4.0
グルメ
3.5
交通
3.5
同行者
一人旅
一人あたり費用
5万円 - 10万円
交通手段
高速・路線バス JR特急 私鉄 徒歩
旅行の手配内容
個別手配
  • 御坊駅の片隅にある紀州鉄道の乗り場に向かう。すると、一両のディーゼルカーが、ゆっくりと入って来た。しばらくはガラガラであったが、8時3分の発車時刻になると、車内は学生たちでほぼ満員となった。

    御坊駅の片隅にある紀州鉄道の乗り場に向かう。すると、一両のディーゼルカーが、ゆっくりと入って来た。しばらくはガラガラであったが、8時3分の発車時刻になると、車内は学生たちでほぼ満員となった。

  • 定刻に出た列車は、のんびりと走って行く。そして、僅か5分で、紀伊御坊駅に着いた。この駅で一旦降り、駅近くに保存されている古い車両を観に行く。以前、テレビの旅番組で観た姿に憧れ、いつか乗りたいと思っていたのだが、廃車となってしまったのだ。その姿は、やはり旅情が溢れている。乗ることは出来なかったが、出会えただけでも嬉しかった。

    定刻に出た列車は、のんびりと走って行く。そして、僅か5分で、紀伊御坊駅に着いた。この駅で一旦降り、駅近くに保存されている古い車両を観に行く。以前、テレビの旅番組で観た姿に憧れ、いつか乗りたいと思っていたのだが、廃車となってしまったのだ。その姿は、やはり旅情が溢れている。乗ることは出来なかったが、出会えただけでも嬉しかった。

    紀州鉄道 ほんまち広場603 名所・史跡

  • 駅へ戻り、次の列車を待つ。今は線路が一本だけだが、かつて二本あったことを物語る枕木とホームの名残が見られた。

    駅へ戻り、次の列車を待つ。今は線路が一本だけだが、かつて二本あったことを物語る枕木とホームの名残が見られた。

  • しばらくすると、8時42分発の列車がやってきた。路線が短いので、同じ車両が行ったり来たりしている。

    しばらくすると、8時42分発の列車がやってきた。路線が短いので、同じ車両が行ったり来たりしている。

  • そして、3分で終点の西御坊駅に到着。駅舎を出ると、線路はその先にも伸びている。かつては、さらに先まで路線があったようだ。

    そして、3分で終点の西御坊駅に到着。駅舎を出ると、線路はその先にも伸びている。かつては、さらに先まで路線があったようだ。

    西御坊駅

  • 踏切を渡ると、乗って来た列車がまだ見えている。すぐ隣の駅に停車しているのだ。一駅の間隔が短いのが良く分かる。

    踏切を渡ると、乗って来た列車がまだ見えている。すぐ隣の駅に停車しているのだ。一駅の間隔が短いのが良く分かる。

  • 地図を頼りに散策を始める。しばらく歩くと、古い煉瓦塀が見えて来た。所々に崩れた箇所があるが、これは御坊空襲の際、近くに落ちた爆弾によるものだそうだ。太平洋戦争末期、この国の多くの街が空襲の被害を受けている。それは、大都市だけではないのである。沖縄を除くすべての都道府県の430もの都市が爆撃を受け、50万人以上が亡くなっていることを忘れてはならない。

    地図を頼りに散策を始める。しばらく歩くと、古い煉瓦塀が見えて来た。所々に崩れた箇所があるが、これは御坊空襲の際、近くに落ちた爆弾によるものだそうだ。太平洋戦争末期、この国の多くの街が空襲の被害を受けている。それは、大都市だけではないのである。沖縄を除くすべての都道府県の430もの都市が爆撃を受け、50万人以上が亡くなっていることを忘れてはならない。

  • そのすぐ先に、小竹八幡神社がある。御坊随一の社なので、ここでお邪魔する挨拶をする。境内は広く、社殿も素朴で落ち着いた風情がある。

    そのすぐ先に、小竹八幡神社がある。御坊随一の社なので、ここでお邪魔する挨拶をする。境内は広く、社殿も素朴で落ち着いた風情がある。

    小竹八幡神社 寺・神社・教会

  • 駅から続く、松原通り商店街を歩く。寂れているが、地元の方が利用する街と言う感じが色濃く、なかなか良い。

    駅から続く、松原通り商店街を歩く。寂れているが、地元の方が利用する街と言う感じが色濃く、なかなか良い。

  • 商店街を抜けると、そこが本願寺日高御坊のかつての寺内町である。その一角に、趣のある佇まいの邸宅があった。旧中川邸とある。門から覗いてみたが、何も案内が無いので、写真だけ撮らせてもらった。帰ってから調べると、見学が出来たようだ。しかも、蕎麦と喫茶の店であった。

    商店街を抜けると、そこが本願寺日高御坊のかつての寺内町である。その一角に、趣のある佇まいの邸宅があった。旧中川邸とある。門から覗いてみたが、何も案内が無いので、写真だけ撮らせてもらった。帰ってから調べると、見学が出来たようだ。しかも、蕎麦と喫茶の店であった。

  • 旧中川邸から南へと歩くと、風情のある街並みが続いている。二階部分が低い厨子(つし)二階と呼ばれる町屋が多く、二軒目の佐竹家住宅の意匠は、とても美しかった。

    旧中川邸から南へと歩くと、風情のある街並みが続いている。二階部分が低い厨子(つし)二階と呼ばれる町屋が多く、二軒目の佐竹家住宅の意匠は、とても美しかった。

  • 佐竹家住宅の斜向かいには、伊藤家住宅がある。切子格子が美しい。こちら側には、総二階の町屋が多いようだ。

    佐竹家住宅の斜向かいには、伊藤家住宅がある。切子格子が美しい。こちら側には、総二階の町屋が多いようだ。

  • 佐竹家住宅の並びに、本願寺日高別院がある。明治の初めまでは日高御坊と呼ばれ、御坊市の名の由来となった寺院である。その境内からは、大音量で音楽が聴こえてくる。幼稚園が併設されていて、朝の運動のようである。本堂前には、樹齢400年以上と言う大きな銀杏が聳えていた。

    佐竹家住宅の並びに、本願寺日高別院がある。明治の初めまでは日高御坊と呼ばれ、御坊市の名の由来となった寺院である。その境内からは、大音量で音楽が聴こえてくる。幼稚園が併設されていて、朝の運動のようである。本堂前には、樹齢400年以上と言う大きな銀杏が聳えていた。

    本願寺日高別院 寺・神社・教会

  • 日高別院の先に、志賀屋と言う蝋燭問屋であった川瀬家の住宅がある。やはりつし二階を持つ建物で、江戸時代に建てられたものだそうだ。

    日高別院の先に、志賀屋と言う蝋燭問屋であった川瀬家の住宅がある。やはりつし二階を持つ建物で、江戸時代に建てられたものだそうだ。

  • 川瀬家の並びにも、古い町屋があった。この東町通りは、古い町並みが残り、湯浅よりも風情がある。何より、観光客の姿を見掛けないのが良い。ほとんどの町屋は今でも人が住み、観光客向けの店なども無い。ここは、観光地ではなく、人が住む生きた街である。

    川瀬家の並びにも、古い町屋があった。この東町通りは、古い町並みが残り、湯浅よりも風情がある。何より、観光客の姿を見掛けないのが良い。ほとんどの町屋は今でも人が住み、観光客向けの店なども無い。ここは、観光地ではなく、人が住む生きた街である。

  • 路地を通り、中町通りへと出る。そこに、精肉店があった。コロッケなどの総菜がないかと覗いてみると、ローストチキンがあるようだ。しかし、まだ焼き始めとのことで、残念ながら味わうことは出来なかった。

    路地を通り、中町通りへと出る。そこに、精肉店があった。コロッケなどの総菜がないかと覗いてみると、ローストチキンがあるようだ。しかし、まだ焼き始めとのことで、残念ながら味わうことは出来なかった。

  • そこから南へと進むと、堀河屋又兵衛家住宅があり、その向かいには、この界隈で一番古いと言う町屋もあった。

    そこから南へと進むと、堀河屋又兵衛家住宅があり、その向かいには、この界隈で一番古いと言う町屋もあった。

  • 再び東町通りへ出ると、廃業した酒蔵があった。岸野酒造本家と言う酒蔵で、『紀州美人』と言う銘柄を醸していたそうだ。『清酒 日章光』と書かれた看板もあった。海南市の別の酒蔵で醸造を続けていると言う情報もあるが、詳しくは分からない。

    再び東町通りへ出ると、廃業した酒蔵があった。岸野酒造本家と言う酒蔵で、『紀州美人』と言う銘柄を醸していたそうだ。『清酒 日章光』と書かれた看板もあった。海南市の別の酒蔵で醸造を続けていると言う情報もあるが、詳しくは分からない。

  • その酒蔵の脇を川が流れている。川に沿って建てられた建物の壁には、冬枯れの蔦が張り付いている。葉が出れば、趣が増すであろう。

    その酒蔵の脇を川が流れている。川に沿って建てられた建物の壁には、冬枯れの蔦が張り付いている。葉が出れば、趣が増すであろう。

  • 一旦、西へと歩いて行くと、堀川屋野村と言う江戸時代から続く老舗の醤油醸造元があった。本瓦葺きの大きな屋根と弁柄格子が特徴的な建物は、江戸時代に建てられたものだそうだ。

    一旦、西へと歩いて行くと、堀川屋野村と言う江戸時代から続く老舗の醤油醸造元があった。本瓦葺きの大きな屋根と弁柄格子が特徴的な建物は、江戸時代に建てられたものだそうだ。

    堀河屋野村 グルメ・レストラン

  • この通り沿いにも、古い町屋が多く残っている。平屋建てのものもあり、どれもが現役の民家であった。

    この通り沿いにも、古い町屋が多く残っている。平屋建てのものもあり、どれもが現役の民家であった。

  • その町並みの中には、簡易的な看板建築のようなものもあった。

    その町並みの中には、簡易的な看板建築のようなものもあった。

  • 路地の先に小さな橋が見えたので渡ってみる。川自体は改修され風情は無い。その川沿いには、かつて地蔵堂が立っていたそうだ。

    路地の先に小さな橋が見えたので渡ってみる。川自体は改修され風情は無い。その川沿いには、かつて地蔵堂が立っていたそうだ。

  • その地蔵堂は、南へしばらく歩いた場所に移転されていた。茶免の延命地蔵堂と呼ばれるものである。

    その地蔵堂は、南へしばらく歩いた場所に移転されていた。茶免の延命地蔵堂と呼ばれるものである。

  • 地蔵堂からさらに南へ進むと、踏切の跡が現れた。かつて、ここには紀州鉄道の線路があったのだが、廃線となっている。

    地蔵堂からさらに南へ進むと、踏切の跡が現れた。かつて、ここには紀州鉄道の線路があったのだが、廃線となっている。

  • そのすぐ近くに、廃止となった日高川駅の跡があった。廃線から三十年以上経っているが、ホームや線路がそのまま残されていた。

    そのすぐ近くに、廃止となった日高川駅の跡があった。廃線から三十年以上経っているが、ホームや線路がそのまま残されていた。

  • 日高川駅跡からすぐの場所にあった天田橋北詰バス停に向かう。時刻表を見ると、10時41分に御坊駅行が来る。しばらく待つと、3分遅れてバスがやって来た。

    日高川駅跡からすぐの場所にあった天田橋北詰バス停に向かう。時刻表を見ると、10時41分に御坊駅行が来る。しばらく待つと、3分遅れてバスがやって来た。

  • 御坊駅からは、次の目的地である海南駅と向かう。次の列車は、11時7分発の特急『くろしお16号』なので、窓口で指定席券を購入し、ホームへ出た。そして、やって来た列車は、またも『パンダくろしお』であった。

    御坊駅からは、次の目的地である海南駅と向かう。次の列車は、11時7分発の特急『くろしお16号』なので、窓口で指定席券を購入し、ホームへ出た。そして、やって来た列車は、またも『パンダくろしお』であった。

  • 往きは気付かなかったが、座席のカバーもパンダ柄であった。

    往きは気付かなかったが、座席のカバーもパンダ柄であった。

  • 海南駅が近付いて来ると、車窓に海が広がった。和歌山湾である。その奥には、明日訪れることにしている雑賀崎が見えている。そして、海南駅には、11時39分に到着した。

    海南駅が近付いて来ると、車窓に海が広がった。和歌山湾である。その奥には、明日訪れることにしている雑賀崎が見えている。そして、海南駅には、11時39分に到着した。

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この旅行記へのコメント (4)

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  • hot chocolateさん 2025/05/06 01:00:50
    和歌山
    旅猫さま

    こんばんは。
    和歌山には、かねてより行きたいと思っていましたが、
    残念ながら未踏の地です。
    日本には、まだまだ風情ある町並みが数多く残っていますね。
    残っているというより、今も現役で生きている町なんですね。
    中には、リノベして、観光客が喜ぶような街づくりをしているところも・・・

    和歌山といえば、アドベンチャーランドのパンダ。
    列車の顔までパンダなんですね。
    そのパンダも、6月に中国に帰るとか。
    パンダのいなくなったランドやパンダ列車はどうなるのでしょうか。

    hot choco

    旅猫

    旅猫さん からの返信 2025/05/06 06:39:18
    RE: 和歌山
    hot chocoさん、こんにちは。

    書き込みありがとうございます。
    和歌山は未踏の地でしたか!
    結構広い県で、和歌山市の辺りと南部の熊野では、まったく趣が違います。
    今回は、その中間辺りから、和歌山市まで北上してみました。
    湯浅も御坊もなかなか良い町並みが残っていました。
    特に御坊は、観光地化されていないので、とても風情がありました。

    アドベンチャーランドは行ったことがありませんが、パンダで有名ですね。
    変換した後は、かなり観光客が減るでしょうね。
    それでも、パンダに頼らない町づくりを目指すというのは良いです。
    白浜は、温泉と景勝地もあるので、それを前面出すしかないですね。
    最近ご無沙汰なので、パンダがいなくなったら、非冊子ぶりに訪れてみます。

    旅猫
  • ポテのお散歩さん 2025/04/16 00:48:32
    御坊の街並み
    旅猫さん こんばんは。

    御坊の街並み、まだこんな街並みが残っているのですね。
    ここは重伝建保存地区に選定されていないのですね。

    本当は、その街並みを保存する為に選定されるはずが、
    選ばれたいばかりに整った美しい街並みに変えて
    お土産屋さんや観光バスが停まる大きな駐車場が整備されているのが
    なんとも言えないけど残念ですね。

    あの建物に実際に住んでいらっしゃる地元の方が多いのですね。
    私と同じ世代の方が住んでおられると思うと頭が下がります。
    この様な街ほど県の補助が必要ですね。

    御坊の街並みを知らずに、本願寺日高別院と しらす屋さんだけ
    行きたいリストに入れていました(^-^;
    白浜などの帰りにチョコッと寄るくらいしか思っていませんでした。
    立派な家が多いので、かつては街道沿いで栄えたのか
    廻船業などで栄えたような雰囲気がありますね。

    きっと日本には、まだまだ知られていない貴重な街並みが
    各地に存在しているのでしょうね(*^-^*)

      ポテ

    旅猫

    旅猫さん からの返信 2025/04/17 18:46:32
    RE: 御坊の街並み
    ポテさん、こんばんは。

    いつもありがとうございます。
    御坊は、重伝建ではないですが、なかなか良い町並みが残っていました。
    ポテさんの言われる通り、世界遺産や日本遺産などもそうですが、本来は、その佇まいや文化、伝統などを後世の残すのが目的なのですが、この国では、それを起爆剤として、いわゆる経済波及効果があると喧伝し、実際には経済界がいかに設けるかになっています。
    そのおかげで、本来の目的は無くなり、ただの観光地となってしまう。
    それでも、山形のように、出羽三山を世界遺産に登録させないようにしているのは、とても素晴らしいことだと思っています。

    御坊など重伝建に指定されていない場所では、補助金も出ないので、古い町屋を維持していくのは、その建物を持っている個人の負担です。
    それでも、町並みを保存していく姿には、頭が下がります。
    このような街を見ると、日田のような場所はとても軽薄に思えてしまうのです。

    しらす屋は知りませんでした。
    釜揚げしらすが美味しそうです。

    狭い日本ですが、探せば、まだまだ風情のある街並みが隠れています。
    あとは、訪れる人の思いですね。

    旅猫

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